10..研究室2
自席に座る。
パソコンの横にはエナジードリンクの空き缶で塔が立っている。乱雑に置かれた過去の実験データの束は、ギリギリのバランスで積みあがっている。
「ちょっとゼン、お前のこっちのデスクにも侵攻してきてる」
「ああ、ごめん。片付ける」
「お前のそれは片付けじゃなくて『移動』だよ。いい加減缶も捨てろよな」
向かいのデスクを使っている同級生、サカイは不満を漏らす。
俺はデスクがどれほど散らかっていようがあまり気にならないが、せめてカップラーメンの汁だけはその日のうちに捨てることを約束させられている。
「ナグモ先生も、せめて弁当の殻は洗ってくださいね」
「どうせ捨てるものを、わざわざ洗うなんて非効率だろうに」
「効率の話なんてしてないんですよ。なんで二人とも平気なんですか」
有害物質の除染の第一人者のくせに、日常の空間は不衛生でも構わない。
はたからみたら完全に矛盾しているが、研究の時間を少しでも多くとるために効率的に日常を送るのは、合理的であると思う。
しかしナグモ女史もまた、あまりにもコーヒーのカップを洗わないので、紙コップでコーヒーを飲むことをサカイによって強制されている。
「あなたたちに任せたら、この部屋腐海になりますよ」
「さすがにそれまでには片付けるさ」
そう言うナグモ女史の声には、感情がこもっていないように思えた。
この人は本当に腐海の中でも研究を続けそうである。
俺のほうは、学生寮の自室はさすがに、ギリギリ腐海ではない。
「戻りましたぁ」
間延びしたあいさつをしながら、もう一人の学生、キシが研究室に入ってくる。
「教授、実験データが一応揃ったんですけど……。Slackに投げたので見てください」
「お、ご苦労様」
教授は慣れた様子でチャットツールを開くと、画面いっぱいの数字の羅列を上から読み込んでいく。
……途中まで見て、呆れたようにキシのほうを振り返った。
「……これはさすがに、見事に外れ値だらけだな」
「お話にならないって感じですねぇ!」
「開き直るんじゃない。原因はなんだ?」
「たぶんチップの差し込みが甘かったんですかねえ。苦手なんですよねぇ、液体の扱い」
「原因が分かっているのならいい。次からはしっかり手元に集中しなさい。このデータは一応もらっておくよ」
ナグモ女史は冷静に告げると、またパソコンの画面に体を向けた。
キシは肩を落としながら、すごすごと自席に戻ってくる。
「俺の徹夜がぁ……」
「仕方ないよ。あるあるだろ、手元狂うの。ゼンはそういうのないの?」
「学部生の頃は何度もあった。修士になってからは無いが」
「ゼンはそうだよな」
実験は外れ値との戦いだ。
しかしどれほど難しい実験でも、データがとれるまで繰り返せば100%にできる。
幸いにもある程度の研究設備と資金、時間と体力があるので、落ち込んでいる時間がもったいない。
1回目が駄目なら、すぐに2回目にとりかかる。100回やっても駄目なら、101回やるしかない。
100万回目で成功するなら、100万回やるべきだろう。
「できるまでやり続ければいい。簡単なことだ」
俺の言葉に二人はため息をつく。
「分かっちゃいるけどさぁ、みんながお前みたいに脳筋じゃないんだよ」
「うわ、見てこれ、昨日の履歴。怖……この人、1日で42回も修正してる」
研究のバージョン管理ツールの画面には、昼から朝方までの俺の更新記録が表示されている。
昨日は42回、集中力の調子がよかったので、朝方まで夢中でシミュレーションを続けていた。
「あの機械を扱うのは集中力が要るから。できそうなときにまとめてやった方が効率がいい。それに、途中からかなり楽しかったぞ」
本心からの笑顔でそう答えると、二人は呆れた顔をした。
「寝たほうがいいよ、それ」




