第八話
都市キリイタの墓地にポツンと建つ孤児院。その大部屋で、椅子に座った聖職者のネウリオが、アシュロンの腕の包帯を解いていた。
アシュロンの後ろには、これまた包帯を腕に巻いたカリヤが順番を待っていた。
化け物との戦いで、アシュロンの手の平はズタズタになっていた。化け物の前足の突起は硬く、小さく、無数に生えていたため、それを素手で握ったアシュロンの手は酷い有様だった。
「痛みはどうですか?」
ネウリオが優しげな表情でアシュロンに聞いた。
「それほどでもない」
アシュロンとて痛みに鈍いわけではない。大の大人でも泣き出しているだろうに、アシュロンは気丈に振舞った。
ネウリオは小さな壷から白い塗り薬を指で掬い取ると、アシュロンの手に丁寧に塗り始めた。
アシュロンはその沁みる塗り薬をじっと我慢していた。
かつてアシュロンが北の果てで傷を負った際は驚くほど回復が早かった。アルドニア自治領を逃げる際に負った傷も同様だ。
しかし、今回の傷は以前のような驚異的な回復力を見せなかった。
アシュロンはその様子に少し残念さを抱いたが、同時に胸を撫で下ろしていた。かつての傷は見た目に反して浅かったのだろうか。脇腹の傷は内臓に届いておらず、足の骨折は捻挫程度だったのかもしれない。アシュロンは自分を納得させるように、そう思うことにした。
ネウリオはなるべく痛みの少ないように、撫でるように薬を塗り込んでいた。その表情は優しげだったが、どこか悲しげでもあった。
ネウリオは処置を終えると、綺麗な包帯を取り出して、アシュロンの腕に巻いていった。小指の添え木が包帯の下で不思議な出っ張りになっていた。
アシュロンの次はカリヤだった。
カリヤの両手は焼け爛れており、皮膚の各所に白っぽい水泡が出来、全体的に赤くなっていた。指先は異様に腫れ膨れており、見るからに痛々しい。
「痛みはどうですか?」
ネウリオはそれが定型句であるかのように、優しげな表情でカリヤに聞いた。
「めちゃくちゃ痛いッス。なんつうか燃えてるみたいッス」
カリヤが素直に痛みを伝えた。
ネウリオが小さなお椀に幾つかの薬を混ぜ合わせると、透明な粘度の高い液体が出来上がった。ネウリオはそれをカリヤの手に優しく擦り込んだ。
カリヤは触れられるのが痛いのか、薬が沁みるのか、時折「アオッ」だの「ホアッ」だのといった奇声を上げていた。
「痛くない場所があったら言ってくださいね」
ネウリオはカリヤの手に薬を擦り込みながら、不思議なことを言った。痛い場所ではなく、痛くない場所を聞いているのだ。
ネウリオがそのようなことを聞いたのには理由がある。触られても痛くないほどの火傷になると、対処も変わってくるのだ。幸い、カリヤは何処を触られても痛いらしく、火傷の度合いはそこまで深くないようだった。
二人の処置が終わると、ネウリオが医療道具を片付けて、ハーブの茶を入れてくれた。
部屋に据え置かれた大きなテーブルには三人だけが座っていた。
孤児院の庭では子供達が駆け回っているようで、無邪気な声が部屋の中まで届いていた。
ネウリオが入れてくれた茶はカモミールだろうか、アシュロンはその独特の匂いが好きになれそうもなかったが、味は悪くなかった。
両手の満足に使えない傭兵二人は、行儀悪く、カップをテーブルに置いたまま啜っていた。しかし、ネウリオは二人の行儀悪さを咎めるようなことはしなかった。
「これだけの治療ができるなら住民にも、傭兵にだって需要がありそうだがな」
アシュロンはネウリオの技術を褒めた。
「治療といっても大したことは出来ませんよ。それに住民は街の医者が見ますし、傭兵は孤児院なんかには近寄りませんから」
ネウリオがどこか面白そうに二人の傭兵を見つめた。
アシュロンは気恥ずかしそうに目を逸らした。
カリヤもアシュロン同じ気持ちだったのか、包帯の巻かれた手で、無意識に頭を掻こうとして痛みに奇声を上げた。
アシュロンは、ふと思い出したように、腰に下げていた小袋を痛む手で、テーブルに置いた。
ネウリオはアシュロンの行動に不思議そうな表情をした。
「俺からの気持ちだ。こいつの分も含めて包んである」
アシュロンはそういうと、小袋をネウリオに押し出した。
ネウリオはアシュロンと小袋に視線を何度も往復させたものの、礼を言って、小袋を懐に仕舞い込んだ。
「なんかすいません」
アシュロンの隣に座っていたカリヤも、恐縮した様子でアシュロンに向かって頭を下げた。
「気にするな。大して包んでいないからな」
アシュロンが笑って答えた。
ハーブティーが冷めて半分程になった頃、外で遊んでいた子供達がリーティアと若い傭兵達を連れて建物の中に入ってきた。
「土産のおっちゃん、もう終わったか?」
元気な少年がアシュロンをまたしてもおっちゃん呼ばわりして、アシュロンを凹ました。
アシュロンは手の甲で無精髭を撫でながら、これがいけないのだろうかと考えた。
落ち込むアシュロンの隣で、カリヤが小さな女の子の相手をしていた。その女の子は、カリヤに以前、おままごとで赤ちゃん役をお願いした子だった。
小さな女の子はカリヤの手に優しく触れると、痛みがなくなるようにおまじないをしてあげていた。
カリヤはその様子を微笑ましそうに眺めていた。
子供におっちゃん呼ばわりされたのが相当堪えているのか、アシュロンが手の甲で顎の無精髭をなでまわしていると、その背中が力強く叩かれた。
アシュロンは仮にも怪我人にこんなことをする人間を一人しか知らない。
アシュロンが肩越しに顔を向けると、リーティアが白い歯を見せて、笑顔で立っていた。その足元には、化け物に襲われた村から連れてきた幼児がリーティアの上着の裾を握っていた。
「お前にはもうちょっと、怪我人に対する労りの心はないのか?」
アシュロンが諦めたような表情でリーティアに注意した。
「労り?殺したって死ななそうな面してよく言うよ」
リーティアはガハハと笑うと、今度はアシュロンの肩を何度も叩いた。
キリイタの空、その曇った夜空には星一つ見えない。こんな日には何故か屋台に繰り出す人間よりも酒場に屯する人間の方が多くなる。
大きなテーブルを囲むのは、最近一緒にいることの多くなった面々だ。アシュロン、リーティア、そして、カリヤを中心とした若い傭兵達。
テーブルには大きな酒壷が置かれ、その中はリーティアの大好きな火酒で満たされていた。
各人の目の前には、コップになみなみと酒が注がれていた。
アシュロンとカリヤの二人はここでも、行儀悪く、テーブルに置かれたままのコップから酒を啜っていた。しかし、誰もそのことを咎めはしない。
「ほれ、あーん」
リーティアが含みのある笑顔で、アシュロンに、焼き目も香ばしい鶏肉をフォークの先に突き出した。
アシュロンは、不満げな表情だったが、仕方なく口を開くと、鶏肉を口にした。
鶏の胸肉だろうか、もも肉のように脂の甘みは薄いが、しっとりと焼き上げられており、甘辛いたれが絡んでいてうまかった。
「こっちも、あーん」
リーティアが笑いを堪えながら、カリヤにも同じように鶏肉を突き出した。
カリヤは照れくさそうにしながらも、満更でもない様子で、リーティアの好意に甘えた。
人間、死線を共に潜ると、その数に応じて、否応無しに仲が良くなっていくものだ。誰しも、信頼できない相手より、信頼できる相手とともに戦いたいと思っている。規模の大きな戦いでは、仲間が多すぎて、その度合いは小さいが、今回のような小規模な戦いではその効果は顕著なものだった。
化け物との戦いから、リーティアは若い傭兵達に一層の愛情を注ぐようになった。その愛情は訓練の厳しさや、無骨な態度から表面上わかりずらかったが、そこには確かに相手を強く想う気持ちがあった。
リーティアは火酒を一気に煽ると、親父臭く、息を吐いた。
「最近、酒がうまいなあ」
リーティアは嬉しそうにテーブルの面々を見回すと、空になったコップに火酒を注ぎこんだ。
アシュロンはリーティアの様子を表面上は興味なさそうに眺めていたが、内心では嬉しく思っていた。
アシュロンはリーティアが長く続く傭兵稼業に疲れを見せていたことを知っていた。それに対してこの冬は、例年に比べて穏やかで、リーティアの心を乱すような出来事は起こっていない。
だが、アシュロンはリーティアの様子に、胸に溢れる温かい気持ちとは裏腹に、小さな不安を感じた。最近のリーティアは若い傭兵に構い過ぎていた。彼らがなるべく死なないように、訓練を施したり、世話を見ていた。それが悪いとはアシュロンも思わない。しかし、どんなに彼らを鍛えようと、戦が起これば死ぬときは死ぬのだ。
リーティアが彼らの死を耐え切れないとはアシュロンも思っていない。しかし、その衝撃はリーティアにとって小さなものにはならないだろう。
アシュロンがどこか遠くを見つめるように考え事をしていると、リーティアがアシュロンの肩を軽く小突いた。
「酒足りてるか~?」
リーティアは何時の間にか出来上がっており、頬が上気していた。そして、アシュロンのコップが半分ほどに減っていることを確認すると、アシュロンの了承なしに火酒を注ぎ足した。
アシュロンは呆れたように鼻で笑うと、顔を下げて、火酒を啜った。
火酒を一啜り口に含むだけで、焼けるような刺激がアシュロンの口一杯に広がった。それを飲み込むと、喉に、腹に、刺激が残り、最後に熱が体中に伝わった。
アシュロンは熱い吐息を吐き出すと、酔いの回り始めた頭で、天井を眺めた。アシュロンの耳には若い傭兵達の笑い声と、それに混じって酒を強要するリーティアの声が聞こえていた。




