第三話
都市国家同士の争いは、純粋な領土の問題から、境界付近の水利権や森林の伐採権に関するものなど、その理由も多岐にわたる。中には、有力者同士の色恋沙汰が拗れた結果、戦いに発展した例もあった。
事前に協議を行って戦いを回避する場合もあったが、話し合いで解決できないことも多くあった。特に、親帝国派は帝国の援助によって余裕があるためか、自身に不利な条件を受け入れない傾向が強かった。だからといって相手側も簡単には屈服しない。そうなれば事態を解決する手段は力しかない。
帝国が拡大期に行ってきた侵略戦争とは異なり、半島における都市国家同士の争いは言わば神判だった。相手をその領土ごと飲み込むための戦いではなく、互いの言い分を相手に認めさせるために、真剣を持って勝負を行う。相手が降伏したり、死んだ場合には自分の要求を相手に飲ませることができた。
大きな力を持った都市国家が出現すれば、相手の都市を占領して、自分の国に組み込み、領域国家となることができるだろう。しかし、半島には盟主となりうる都市国家が生まれていなかった。そして、帝国も島嶼連合もそういった強力な領域国家の出現を望んでいなかった。
大国に制御される中での戦争。当事者はそう思ってはいないかもしれないが、事実は確かにその通りだった。
開けた草原。その草原の中ほどで、小さな動物が巣穴から顔を出して、耳を立てて辺りを伺っていた。やがて、小さな動物は何かに気づいたのか、巣穴に慌てて引っ込んでいった。
薄い緑と茶色で彩られた草原は、どこか牧歌的な長閑さを感じさせた。しかしその中で、その風景に不似合いな集団が対峙していた。
疎らな戦列が横隊に広がり、それぞれが相手を威嚇しながらも、静かに向かい合っていた。
片方の集団は、比較的統一された武装だったが、その装備はお世辞にも上等とは言えなかった。
もう一方は、それぞれが異なる武装の人間で構成されていた。全身金属鎧の者もいれば、革鎧の者もいた。そして、手にした武器も様々だった。
アシュロンもその集団の中にいた。
アシュロンの周囲にはカリヤを中心に、年若い傭兵達がいた。彼らは基本的に直剣を手にしていた。そして、アシュロンは右手にフレイルを持ち、左手に円盾を手にしていた。
対峙する集団から、騎乗した人間が三人づつ、前に進み出た。彼らの装いは遠目にも、上等なものだとわかった。
対峙する集団の中間点で何事かやり取りが行われていた。
アシュロンにとっては、そういった事はどうでもよい。おそらく、この戦いの名目や、約束毎を確認しているのだろう。
アシュロンは程近い場所に立つリーティアに目を向けた。
リーティアの佇まいは、戦慣れしているのだろう、随分と落ち着いた様子だった。
アシュロンの視線に気がついたリーティアは、腰に佩いた曲刀をゆっくりと引き抜くと、スラリと振った。その軽やかな動きは、アシュロンが見惚れるほどだった。
アシュロンは次に視線を年若い傭兵達に向けた。
傭兵達の多くはぎこちない様子で、そわそわと落ち着きがなかった。そして、彼らの手にした直剣は微かに震えていた。
アシュロンが何か声でもかけようかと考えた矢先に、楽隊の喇叭が吹き鳴らされた。
アシュロンはその音を耳にして意識を前に向けた。
相手の陣営からは威嚇するような喚声が上がった。
アシュロン達も負けずに喚声を上げた。
アシュロンの野太い雄たけびは、周囲の喚声に混じって、空に吸い込まれていった。
再度、喇叭が吹き鳴らされた。それにあわせて、太鼓の音が戦場に響き出した。
喇叭や太鼓は戦場における合図だ。そして、太鼓が鳴らす早いリズムは前進を意味していた。
アシュロンは周囲にあわせて歩き始めた。そして、一人、歌のようなものを口ずさみ始めた。帝国で兵役を経たものなら誰もが知っている突撃歌のフレーズだった。
相手を威嚇するためだろうか、それとも、己を奮い立たせるためだろうか、アシュロンの周囲では雄たけびがそこらじゅうから聞こえてきた。その喚声の最中では、アシュロンの歌声は聞こえない。
アシュロンは口を動かしながら、相手側もこちらに向かって進んでくるのをその目に捉えていた。
戦場には始めから相手を視認できるほどの距離しかない。駆け出せば一瞬でぶつかるだろう。
アシュロンは前を見据えながら進んでいたが、風を切る嫌な音を耳にして、盾を空に向けて掲げた。
アシュロンの構えた盾に衝撃を伴って矢が刺さった。見れば、周囲にも矢が疎らに降り注いでいた。どうやら相手側には僅かながら弓兵がいるらしい。
アシュロンの後方で腕を射抜かれた傭兵が叫びを上げた。
アシュロンはその悲鳴を気にした様子もなく、口を動かしながら再び前を見据えた。相手側にも矢が降り注いでいた。そして、それはこちらに降り注ぐ本数よりも多かった。
アシュロンが前進を続ける間に、三度、矢が降り注いだ。そして、その間にも相手側との距離は近づいていった。
戦場に独特な喇叭の音色が響いた。三度続く同じ拍子の音は突撃の合図だった。
アシュロンはその音色を耳にして、口を閉じ、自然に駆け出した。それは、周囲も同様だった。
傭兵達が一丸となって駆け出す様は、津波にも似て、それを押しとどめることは誰にも出来そうになかった。唯一、それを止めることができるとすれば、それはアシュロンの眼前に広がるもう一つの津波だけだった。
剣が打ち合わされ火花が散る。
メイスが叩きつけられ血花が咲く。
叫びと雄たけびが戦場で混じり合っていた。
アシュロンはこれで何人目だろうかと考えながら、目の前の男を見据えた。
男は直剣を手にしており、上半身にチェインメイルを身に着けていた。装備は戦うに十分だったが、その構えは余りにもお粗末だった。
男の顔には返り血だろうか、血しぶきを拭った後が残っていた。しかし、その表情には興奮よりも怯えが色濃く映し出されていた。
男が無造作に剣を振るった。基礎は抑えているようだが、戦場に出てくるには明らかに訓練が不足している様子だった。
アシュロンは、円盾を男の振るった剣に合わせて突き出した。鈍く甲高い音が鳴り、男は剣を弾かれて、多々良を踏んだ。そして、アシュロンは体勢を崩した目の前の男に円盾を打ち付けた。
アシュロンに顔を盾で殴られた男は、衝撃によろめきながらも、横薙ぎに剣を振るった。
アシュロンはそれを十分な余裕を持って回避すると、男の体側にフレイルを叩きつけた。アシュロンの手には小枝が折れるような感覚と水袋を破裂させたような感覚が同時に伝わった。
男は殴打の衝撃によって地面に打ち倒されていた。
殴りつけられた男には自身の骨が奏でる、弾ける様な音が聞こえたかもしれない。しかし、アシュロンにはその音は聞こえなかった。アシュロンにわかるのは手に残った感触だけだった。
アシュロンの手に握られたフレイル。その鎖で繋がった錘は、棘付きで、殴られればさぞかし痛そうな印象を与える。しかし、棘によって傷つく痛みはまだよい。
アシュロンの膂力を以って叩きつけられたフレイルは、その重さで以って男の骨を砕き、内臓を破裂させていた。
男が金属鎧でも装備していたら骨が折れ、棘で傷つく程度で済んだかもしれない。しかし、簡素なチェインメイルを身に着けていた男は、呻き声とともに血を吐いて事切れた。
アシュロンが油断なく周囲を見回すと、年若い傭兵のカリヤが敵に組み伏されていた。
どうやら、カリヤも敵も互いに武器を手放して組み合っているようだった。アシュロンから数十歩といった距離だろう。
アシュロンは周囲に手隙な敵がいないことを確認してから、大股でカリヤ達に近づくと、カリヤに圧し掛かっている敵の背中に、フレイルを叩きつけた。
太い枝が折れるような音が今度はアシュロンの耳にも届いた。
カリヤに圧し掛かっていた男は、アシュロンの一撃に絶叫した。そして、突然足の力が抜けたようになってカリヤに投げ飛ばされた。
カリヤはすかさず地面に落ちた剣を拾い上げると、男の喉に突き刺した。男は口から血の塊を吐き零して、動かなくなった。
アシュロンは再度周囲の確認をした。これはアシュロンの体に染み込んだある種の癖であった。
戦場で一人の相手にかまけ過ぎると背中を刺される。アシュロンはなるべく注意力には余分を作って、事ある毎に周囲を確認していた。
達人であれば周囲の空気や殺気を捉えることができるのかもしれないが、アシュロンがそれを常に行うことは不可能だった。
確かに、アシュロンは自身の勘に従って致命傷を避けた経験はあったが、それを常態化するような技量には恵まれていなかった。
アシュロンがカリヤを一瞥すると、カリヤの目が異様に充血していた。おそらく、組み伏せられた際に首をきつく絞められたのだろう。
「やばけりゃ戻れ」
アシュロンはそれだけ言い残すと、カリヤを残して次の敵を探した。
負傷した者は戦場を離れても文句は言われない。もちろん掠り傷程度で戻れば対応も異なるが、負傷を押して無駄に死なれても困るのだ。
アシュロンは次の敵を探していたが、どうやらその前に戦いの帰趨が決したようだった。
相手側の指揮官を捕虜に取った一団が、中央付近で鬨の声を上げていた。そして、響き渡る鬨の声の中、幾つもの亡骸が物言わず地に倒れていた。傭兵の亡骸も相手側の亡骸も死んでしまえばその違いはない。
相手側の合図だろうか、大気を引き裂くような高音と共に数本の鏑矢が空に放たれた。そして、それと同時に喇叭の音色が響いた。
絡み合う音色が戦いの終わりを告げていた。
薄い緑と茶色で彩られた草原は、その上に赤い血化粧を施され、時間の経過と共に次第に黒ずんでいった。
黄昏の中で、草原に設営された天幕の各所から呻き声が聞こえていた。
アシュロンは鉄臭さと、生臭さ、そして糞の匂いに顔を顰めていた。この匂いだけは、どれだけ経験しても慣れる事はないだろう。人間が本能的に嫌う死の匂いだった。戦場でも同じ匂いがするが、精神的な興奮のためにそこまで気にはならない。しかし、戦いを終えた後は、妙に鼻についた。
アシュロンはリーティアを見つめていた。リーティアは、天幕の中で地べたに座りながら、年若い傭兵の一人を膝に抱きかかえていた。
天幕の隙間から差し込む夕日が、入り口に立つアシュロンの影を二人に被せた。
年若い傭兵の腹部には手当てが施されていた。しかし、傷口から溢れ出る血液は、留まる事を知らないようだった。傷口に当てられた布が、見る間に赤く染まっていった。
医療の知識に乏しいアシュロンには本当のところは分からないが、経験からすれば、それは明らかに助からない類の傷だった。
年若い傭兵は息も浅く、既に意識も途切れ途切れになっているようだった。そして、まれに、意味も分からないうわ言を繰り返すだけだった。
リーティアは瞼を閉じたまま、無言で年若い傭兵の頭を撫でていた。いや、リーティアの口から声は出ていないが、彼女の口元は微かに動いていた。
リーティアは、死に逝く者に対して、どんなことを語りかけているのだろう。それはアシュロンにも、他の誰にも、リーティア自身にしか分からないことだった。
年若い傭兵はリーティアが頭を撫でる感触を感じているのだろうか。それとも、すでにそれすらわからないのだろうか。
アシュロンは口を真一文字に結んで、その様子を見つめていた。
天幕の外では次第に痛みを訴える声が少なくなっていた。
そして、夜の訪れと共に、草原に生きる虫たちの鳴き声が聞こえ始めた。
呻き声と共に響く、小さな鈴が鳴るような音色は、どこかもの悲しい気持ちを呼び起こすかのようだった。
やがてゆっくりと、太陽が沈むにつれて、年若い傭兵の呼吸が深くなっていった。意識とは関係無しに行われる、彼自身の、命を繋ごうとする懸命な試みは、何時までも続くかに思われた。しかし、年若い傭兵は、なんの前触れもなく小さく息を吸い込むと、それを吐き出すことは、終になかった。
年若い傭兵が息を引き取った時には、既に太陽は地平の彼方に沈んでいた。
天幕の外には大きな燭台が設置され、そこに火が灯されていた。しかし、天幕の中は、暗闇に包まれていた。
年若い傭兵が息を引き取った後も、リーティアはその場を動かなかった。リーティアは、しばらくしてから、まだ暖かさの残る亡骸を優しく地面に横たえると、ゆっくりと立ち上がった。
その時になって、リーティアはようやっとアシュロンがいることに気がついた。
「なんだいたのか。いたなら声をかけてくれよ」
リーティアは自分の額を指先で擦りながら、アシュロンに近づいていった。
「まだ続けてるんだな」
アシュロンはリーティアの瞳を覗き込むような視線を向けた。
かつてアシュロンがリーティアとともに傭兵をしていた時も、彼女は年若い傭兵達の最後を看取っていた。特に、彼女自身が集めた傭兵の場合必ずと言ってよいほどだった。
「いいじゃないか。死ぬときくらい、女の膝で死なせてやりたいだろ?」
リーティアは彼女の行為を些事であるかのように語った。
アシュロンは『女の膝』という言葉を聞いて、「女だったのか」と軽口でも叩いてやろうと思ったが、リーティアの疲れた表情を見て思いとどまった。
兵士は戦になれば死ぬ。それは傭兵でも変わらない。
アシュロンは、戦の度に、リーティアの様に誰かの死を看取れるだろうかと考えた。数度ならば出来るだろう。親しい友人だったら進んで駆けつけるかもしれない。しかし、繰り返し繰り返し、死に逝く者をその膝に抱き、その死を安らかに送れるだろうか。アシュロンはそれは自分には出来ない事だと思った。そこに必要なものは敵を打ち倒す類の強さではない。もっと別の形の強さだった。
「なにぼけっとしてんだ。そこに突っ立ってたら邪魔だよ」
アシュロンが自分の思考に飲まれていると、リーティアがアシュロンの頭を小突いた。
アシュロンは我に返って、リーティアの顔を確かめた。そこには先ほど見せた疲れた表情は消えており、普段通りのリーティアが立っていた。
アシュロンが半身をずらして入り口を開けると、リーティアは足早に歩いていった。亡骸を埋める手筈でも整えにいったのだろう。
アシュロンは再度、暗い天幕に目を向けた。横たえられた亡骸の顔は、暗くてよく見えなくなっていた。
周囲の呻き声は、何時の間にか聞こえなくなっていた。
草原の一角には、虫達の鳴き声だけが、悲しげに響いた。




