第一話
酒場のカウンターで一人の男が酒盃を傾けていた。
昼間だというのに、酒場のテーブル席では、一仕事終えた者達が酒を飲んでいた。聞こえてくるのは客の小さな話し声だけで、どことなく落ち着いた雰囲気だった。酒場には日差しが窓から差し込んでいるが、それ以外の明かりはなく、薄暗い。
カウンターに座る男は、非常に優れた体格をしていた。その黒髪は短く刈り込まれており、下あごを覆う無精ひげが粗野な印象を与える。
男の名はアシュロン。流れの傭兵だ。
アシュロンの手にする酒盃は透き通った液体で満たされ、強い酒精の香りが放たれていた。
アシュロンは舐めるように酒をちびりと飲みながら、周囲の会話に耳をそばだてていた。
酒場のカウンターにはアシュロンの他に、商人風の二人組みが酒を酌み交わしていた。
「今度の奴隷反乱で大損こいたわ」
年若い商人が愚痴を零した。
「お前のとこもか? うちもだよ。せめて後一月続いてくれたらよかったのに。これじゃあ大量在庫抱えて厳しいな」
中年の商人も頭を抱えそうな勢いだった。
「あんたんとこは、金属製品だろ? ほっといても腐るわけじゃあるまい。それに比べて、うちは蔵一杯の麦がある。うまいこと処分しない本当にまずいんだよ」
どうやら商人風の男達は、奴隷反乱で儲けを出そうとして欲を掻いたようだ。そして、肝心の商機を逃してしまったらしかった。
「鎮圧までたった二月だぜ?普通もっとかかるだろうに」
年若い商人が憤慨したように口を開いた。戦いが続けば良いなどとは不謹慎だが、それを飯の種にしている人間もいる。
「なんでもアルドニア自治領の東と南西で反乱が起こっただけで、結局、一番大きな都市アルドニアでは起こらなかったらしいぞ」
中年の商人が訳知り顔で年若い商人に告げた。
アシュロンはほう、と思った。かつて滞在していた都市アルドニアでは、自治領主令によって奴隷を一まとめにする方策がとられた。それは、アシュロンにしてみれば愚策に思えたが、結果だけ見れば功を奏したらしい。
「なんだよそれ。やるならもっとドカンとやってくれないと」
年若い商人が酒盃を飲み干すと、カウンターに叩き付けた。苛立ちを晴らすかのように叩きつけられた器は、金属製だったため、割れることはなかった。
その行為を見咎めた酒場の店主が、年若い商人に小声で注意した。
年若い商人は不機嫌そうな顔をして、席を立った。中年の商人もそれを宥めながら、席を立ち、店を後にした。
アシュロンにとっても奴隷反乱の早期鎮圧は誤算だった。帝都を離れてから、気ままに一人旅をしてきたが、その目的地は本来アルドニア自治領だったのだ。そこで、一仕事でもするつもりだった。
アシュロンが、さてどうするかなといった様子で、酒を舐めていると、酒場の入り口が俄かに騒がしさを増した。
酒場に入ってきた集団は年若い傭兵達だった。一通りの装備は整っているものの、どこか頼りない印象を与える。おそらく、兵役を終えて、傭兵になったばかりなのだろう。
年若い傭兵達が店に入りきると、一番後ろから、女傭兵が入ってきた。
帝国には女に対する兵役はない。しかし、軍に全く女がいないかというとそうでもない。志願して正規兵になる女も極少数ながら存在する。しかし、女傭兵となると、滅多にお目にかかれない珍獣の類だった。
女傭兵はアシュロンより頭一つ低い程度で、その性別を考えれば十分大柄な部類に入る。しなやかな身のこなしから、優れた技量を備えていることも想像できた。顔はお世辞にも美しいとは言えないが、十人並み程度で、生命力溢れる容姿を含めれば魅力的な部類に入る。そして、彼女の厚ぼったい唇は不思議な色気をかもし出していた。
女傭兵が歩くたびに、後ろで一つにまとめられた茶色ががった髪が、馬の尻尾のように揺れた。
アシュロンは女傭兵に気がつくと「やばい」と咄嗟に呟いて、傭兵の集団を見ないようにした。そして、その大きな背を出来る限り丸めて、嵐が過ぎるのを待とうと考えた。
傭兵集団は適当に酒と肴を頼みながら、ぎこちない様子で酒盛りを始めた。しかし、女傭兵だけは威勢がよく、若い傭兵に酒を強要していた。
そして、女傭兵が店内を見回していると、カウンターでその巨体を情けないほど縮ませていたアシュロンに気がついた。
「おい、そこのデカイの! アシュロンか?」
アシュロンは声に気づいていない振りをした。
しかし、アシュロンが自分の酒盃を覗き込んでいると、何時の間に近づいてきたのか、その水面に女傭兵の顔が映りこんだ。
「おい、私が呼んでんだ。アシュロンだろ? 背丸めて縮こまりやがって。それで隠れてるつもりかよ」
女傭兵は大口を開けて笑うと、アシュロンの背中を激しく叩いた。
背中を叩かれたアシュロンは、その振動で手にしていた酒盃から酒を零してしまった。アシュロンの胸元を濡らす酒が強い酒精の匂いを放っていた。
アシュロンは渋々といった様子で、女傭兵に向き直った。
「やっぱりアシュロンかよ」
「久しぶりだな」
アシュロンが憮然とした様子で挨拶をすると、女傭兵は突然アシュロンに抱きついた。
「懐かしいな。元気でやってたか? 昔みたいに、リーティアちゃん、て呼んでもいいんだぞ?」
女傭兵の名はリーティアというらしい。
「やめろ。鳥肌が立つだろ」
リーティアはアシュロンから離れると、拳骨を作ってアシュロンの頭に叩き付けた。
「鳥肌とはなんだ。お前、昔はもう少し可愛げがあったぞ」
「何時の話をしてるんだ!」
アシュロンが対応に参ったという様子でリーティアとやり取りをしていると、リーティアの連れだろう、若い傭兵達が近くに集まってきた。
その中でも目つきの悪い男が二人に声をかけた。
「姐さんのお知り合いッスか?」
「こいつも昔、私が男にしてやったんだよ。しかもこいつはその後、私を口説きやがってなあ。後にも先にもこいつだけだったよ、あんな歯の浮いた言葉を私に言ったのは」
リーティアの言葉に周囲の傭兵が「おー」と声を上げた。
アシュロンは自分の黒歴史を衆目で掘り起こされて、気恥ずかしさに顔から火が出そうになった。
「勘弁してくれ」
アシュロンがその図体に似合わない泣き言を漏らした。
しかし、リーティアはにやりと口角を吊り上げた。
「いーや、勘弁しない。私から隠れようなんてふてえ奴はこの酒でも飲むんだな」
リーティアはカウンターの上に酒壷を置いた。その中身は燃え上がるような刺激で知られる火酒だった。
リーティアが酒場の店主にコップを幾つか出すように指示すると、カウンターに都合十個のコップが置かれた。リーティアはその全てになみなみと火酒を注ぐと、自分とアシュロンの前に五個づつ並べた。
アシュロンは酒が嫌いではないが、あまり強い性質ではなかった。それにくらべてこの女傭兵はうわばみで知られる酒豪だった。
アシュロンは酒の注がれたコップを見た。そして、昔を思い出して懐かしさがこみ上げてきたものの、この飲み比べの結末を想像してげんなりした。
開始の合図とともに、コップを飲み干していくと、その合間にまた酒が注がれる。要するにどちらかが音を上げるまで勝負がつかないのだ。そして、アシュロンはこの女傭兵に一度も勝ったことがなかった。
アシュロン達とは関係ない酒場の客達も、二人の勝負を囃し立てた。周囲を囲む年若い傭兵達も同様だ。
アシュロンはどうにでもなれといった心境で酒をかっ込んでいき、ついには、酔いつぶれるまで付き合わされた。
アシュロンは酷い頭痛とともに目を覚ました。
アシュロンが転がされていた場所は、どうやらアシュロンが投宿していた宿ではないようだった。周囲には、酒場にいた若い傭兵達が、大きないびきをかきながら、雑魚寝していた。
アシュロンは覚束ない記憶をどうにか思い出そうとした。リーティアとの飲み比べの後、倒れた。そして、さらに何件か酒場を巡ったような気がするが、どうにも思い出せない。
まるで、昨日の出来事が数コマの映像に圧縮されてしまったようだった。そして、それは典型的な二日酔いだった。
朝日はまだ上りきっていなかった。
早朝の空気は季節のせいか肌寒く、そして澄んでいた。
アシュロンは朝の静けさのなか、痛む頭を抑えながら、宿を出て井戸を探した。
白む空の下では、既に働き出した人々だろうか、忙しそうな足取りで荷を運んだり、出店の準備をしている者がいた。
アシュロンが覚束ない足取りで井戸に辿り着くと、そこには先客がいた。それは、薄手の腰巻だけで、頭から水を被るリーティアだった。
リーティアの瑞々しい肌の至る所に小さな傷痕が着いていた。そして、一番大きく目に付くのは下腹部の傷だった。
「お前という女は、慎みという言葉を知らないのか?」
アシュロンが呆れたようすでリーティアに問いかけた。
街の公共井戸で水浴びをしても誰も文句は言わない。男であれば素っ裸で水浴びをするものもいる。しかし、女でそういった行為を好んで行うものはいない。
「慎み?そんなもんはとっくになくしたよ」
リーティアが口を大きく開けて笑いながら答えた。
アシュロンはリーティアの体を眺めた。リーティアの引き締まった体には、アシュロンの知らない傷痕が幾つも出来ていた。
「なんだよ。じろじろ眺めて。恋しくなったのか?」
アシュロンはリーティアの問いには答えず、井戸の釣瓶を手繰りよせた。そして、自分の頭に冷たい水をかけた。
アシュロンは一時的に、頭の痛みが引いていくような気がした。アシュロンは何度かその行為を繰り返した。
アシュロンが頭に水をかけている間に、リーティアは身支度を整えた。
「アシュロン、当座の仕事はあるのか?」
リーティアが迷うような仕草を見せながらアシュロンに聞いた。
「今はない。本当は例の奴隷反乱に一枚噛もうと思ったんだが、当てが外れた」
アシュロンが悩むように頭を掻いた。
「そうなのか。私は毎度の人集めをしてるんだよ。それで、ものは相談なんだが、一緒に半島に戻らないか?」
リーティアがアシュロンに誘いかけた。
「半島か。俺が離れてからどうなってるんだ?」
アシュロンは過去を思い出すように、目線を上に向けた。
「どうもこうも。あそこは変わらないよ。しょっちゅう小競り合いの繰り返しさ」
リーティアが平然とした様子で答えた。
「誘いについては考えておく」
アシュロンは即答を避けた。
「いい返事を期待しておくよ」
リーティアは既に歩き出しており、最後の言葉も背中越しだった。アシュロンの返答にそれほど期待していないのかもしれない。
アシュロンは去っていくリーティアの背中を見つめた。アシュロンの記憶にある姿とそれほど変わらないはずなのに、その背中はどこか憂いを背負っていた。




