第二十四話
帝都に着いてから、様々な手続きがニフィムとナーニェを待ち構えていた。名目上、彼らは北部辺境軍管区より、友好的な異民族有力者の子弟として、留学扱いで帝都に送り出されて来たのだ。帝都学術院への編入手続き、留学中の宿舎の手配、故郷への連絡など、帝国の役人の手伝いはあったものの、そういった手続きに不慣れな彼らは忙殺された。
メナドとジュドーは名残惜しそうにしていたが、次の仕事が入っているのだろうか、早々に別れを告げると、陸運商会の本店に消えていった。アーランとガンツは、しばらく帝都に滞在して、ニフィムとナーニェの面倒を見る予定という話だった。
そして、アシュロンとガルは護衛依頼は終わったものの、これから先の事を考えていた。
別れの前夜、二人の傭兵と異民族の少年少女が宿で食卓を囲んでいた。陸運商会の二人は奴隷反乱の影響か仕事で忙しく、ガンツとアーランも軍令部で仕事があるようだった。
少年少女は、明日には学術院の宿舎に入居するらしい。学術院は都市の第二壁内部にあるため、単なる傭兵の二人に立ち入ることは出来ない。そして、ニフィム達とて頻繁に出入りすることも出来ないのだ。
旅の思い出を語る四人の口は軽やかだった。
「それにしても随分物腰が柔らかくなったな」
アシュロンが、ナーニェの旅の当初に見せた頑なさに言い及ぶと、ナーニェは憤慨した様子を見せた。
「あの時はまだ、あなた達を信頼できなかったからです!」
同族に襲われ、付き人と離れ離れになり、二人で見知らぬ土地を旅する。確かに、ナーニェが疑り深くなるのは仕方の無いことだった。
しかし今は、かつてナーニェがアシュロン達に不信を抱いていたと、本人に向かって告げられるだけの信頼関係が築けていた。
「でも今は?」
ガルがふざけながらナーニェに聞き返した。
「まあ、その、ちょっとだけなら、信頼してますよ」
尻すぼみに小さくなるナーニェの言葉はどこか、照れくさそうだった。
ガルは、そうかいそうかい、と、どこかからかいを含みながら笑った。
ナーニェはぷいと顔を背けた。
ガルは「恥ずかしがるなよ~」と顔を背けたナーニェを指でつついた。が、その手を強く払われると「痛てっ」と言って引っ込めた。
「学校はいつから始まるんだ?」
じゃれあいを続けるガルとナーニェをそのままに、アシュロンがニフィムに聞いた。
「本当は春の終わりが普通なんですけど、半年以上あるので、二月後に途中参加させてくれるそうです」
ニフィムが期待に満ちた目でアシュロンに語った。
「じゃあ、それまでに簡単な文字くらい読めるようにならないといかんな」
「がんばります!」
ニフィムが鼻息も荒く、意気込みをアシュロンに伝えた。
「でも、もう、お別れなんですね。寂しいです」
ニフィムが急に寂しそうな目を見せた。
テーブルの蝋燭がゆらゆらと揺れていた。もう少しで、灯心が燃え尽きそうな様は、旅の終わりを表しているかのようだった。
ニフィムの言葉が空間を伝わると、四人が四人ともしんみりとした様子になった。
聞こえてくるのは、周囲の喧騒ばかりだ。
ナーニェが何か言おうと口を開きかけて、そのまま、口を閉じた。
「三年」
ニフィムがぽつりと呟いた。
「三年たったら北に帰ります。そのとき、また、僕達を連れて行ってくれませんか?」
ニフィムの言葉がゆっくりと四人を包み込んだ。
アシュロンは宿の寝台に横になりながら、燭台に据えられたちびた蝋燭が照らし出す、宿の汚れた天井を見つめていた。蝋燭の炎は今にも消えてしまいそうで、明滅する明かりが、目に痛かった。
アシュロンが寝台に横になっていると、宿の扉が小さな軋む音とともに開いた。
ニフィムが眠そうな目をして、寝間着姿で、そこに立っていた。
「いっしょに寝てもいいですか?」
ニフィムは少年と言える年齢であり、幼子のように添い寝を乞う姿は、どこか恥ずかしそうだった。
アシュロンは無言で首を縦に振ると、ニフィムを寝台に招き入れた。
蝋燭の炎が消され、部屋を暗闇が閉ざす。
アシュロンとニフィムは言葉を交わすことなく、一つの寝台に横になった。
ニフィムは寝台に入るとすぐに寝息を立てはじめた。よほど、アシュロンを信頼しているのだろうか。
アシュロンは穏やかな寝息を立てるニフィムを見ながら、年の離れた弟がいたらこんな感じだろうかと思った。
ヘンペイからの旅は、トラブルはあったものの、アシュロンにとって、意心地のよい旅だった。思えば、旅を共にした者達は、みな気のいい人間ばかりだった。
ニフィムが寝返りを打つと、その背がアシュロンに触れた。ニフィムの体温は暖かく、その温もりはアシュロンの心の奥まで届いた。
幼少の身より、天涯孤独のアシュロンは、この居心地の良さに溺れそうになっていた。アシュロンを慕う素直な少年。鋼のような芯の強さを持った少女。陽気で調子の良い親友。そして、信頼できる友人達。
アシュロンは、このまま帝都で当分の仕事の口を見つけるのも良いかと思った。
アシュロンは纏まらない思考の渦に取り込まれていた。
アシュロンは自分には決められないと思った。
第二外壁の大門。かつて、最後にこの大門が全開にされたのは、西部辺境の親征軍が凱旋した時だった。帝国に大事ない限りは開くことのないその門の中央に、小都市の大門と同じ大きさの門が備えられていた。
平時の往来に用いられる門の前には、手入れの行き届いた、儀礼用の甲冑に身を包んだ衛兵が、裕福な身なりの人間や、紺の制服を纏う官僚を、その身分を確認しながら、通していた。
そこから数十歩離れた箇所に、これまで北方より旅を共にしてきた面々が立ち並んでいた。
仕事で忙しいだろうに、既に別れを告げていたメナドとジュドーも立ち会っていた。
互いが互いに別れを告げ、しっかりと握手をした。
通り過ぎる人々は、その様に無関心で、目を止めることもなく、歩き去っていった。
「三年後、約束ですよ?」
ニフィムが笑顔でアシュロンと握手を交わした。
「ああ。それは約束しよう」
アシュロンはそう言うと、ニフィムの右手を開かせた。
「なんですか?」
ニフィムが問いを口にする途中で、アシュロンはニフィムの親指に自分の親指をこすり付けた。本当は傷をつけて、血を混ぜるのだが、さすがにそこまではしない。
「おまじない?」
「そう。おまじないだ」
ニフィムは不思議そうな表情で、アシュロンの行為を眺めた。
ニフィムとナーニェが護衛の二人につれられて、第二外壁の門を通っていった。ニフィムとナーニェは何度も、名残惜しそうに、こちらを見ていたが、しばらくすると、アシュロン達には見えなくなった。
「さて、行ってしまいましたね」
メナドもどこか寂しそうに言った。
ジュドーのゲッソリとした表情は、商会の仕事が忙しいせいか、別れのせいか。
「ところで、お二方はどうされるのですか?当商会には傭兵を必要とする仕事はたくさんありますが」
メナドはどうやら二人の勧誘も兼ねていたようだ。信用できる腕利きは、どんな時でも引く手あまただ。
「帝都近郊の仕事はあるか?」
その問いを発したのは、ガルだった。
「たくさんございますよ」
メナドがにんまりと笑った。
アシュロンは、はてと思った。帝都近郊の仕事は、辺境に比べて危険が少ないかわりに見返りも少ない。ガルはもう少し、がめつい人間だと思っていたが。
「言ってなかったか? 帝都は俺の古巣だからな。馴染みの連中に顔の一つも出そうかと思ってな。それに、お嬢ちゃんが、暮らしに慣れるまであなたに近くにいて欲しい、なんて泣いて頼むからよ。あーあ、らしくないねえ」
アシュロンの訝しそうな視線を受けて、ガルが冗談めかして答えた。事実は多少異なり、確かにナーニェはガルにそういった趣旨の頼みごとをしたが、泣いてはいない。本人がいないのをいいことに、ガルは脚色を加えていた。そして、らしくないとはナーニェのことなのか、ガルのことなのか。
「まさかとは思うが、お前手を出してないだろうな?」
アシュロンが疑いの目をガルに向けた。
その言葉を聞いたガルは、捻りの聞いた、強烈なローキックをアシュロンの左腿にかました。
「そうゆうことじゃねえ。そうゆうことじゃねえんだ……」
ガルが普段は見せない、寂しそうな、それでいて慈しみ深い眼差しをした。
アシュロンはガルの様子から、自分が失言をしたことを察して、謝った。
「お前の方こそ坊主になんか言われたんじゃないのか?」
「いや、俺は………」
ニフィムは願わなかった。もしかしたら、アシュロンに近くにいて欲しいと思ったかもしれない。だが、少年は言葉にはしなかった。
アシュロンは腕を組んでしばらくニフィム達が消えていった門を眺めた。そして、なにか思いついたのか、ガルに向き直った。
「あの磨り減った金貨、今も持ってるか?」
アシュロンは遠慮がちに言った。ガルが肌身離さずに携帯している磨り減った金貨のことだった。
「ああ、持ってるが、どうすんだ?」
ガルが不安げな様子で答えた。
「ちょっと貸してくれ。すぐ返すから」
ガルは「絶対に無くすなよ」と言って、慎重に磨り減った金貨を手渡した。余程大事な物なのだろう、アシュロンに手渡す手が微かに震えていた。
アシュロンは金貨を受け取ると、親指で、力いっぱい弾いた。
磨り減った金貨が、空中でくるくると表裏を回転させながら、太陽の光を反射した。
ガルは金貨が空中で回転する様子を見つめながら「もっと丁寧に扱え」と本気で怒っていた。
そして、ほぼ垂直に上昇した金貨は、しっかりと、アシュロンの右手の甲に落ちた。




