第二十三話
ナーニェがニフィムを強く抱きしめていた。
ニフィムはすこし苦しそうな様子だったが、ナーニェの目に溢れ出す涙を前にしては、何も言えなかったようだ。
強い親愛の情に結ばれた人間が、再開を喜び合う様子は、何度見てもいいものだとアシュロンは思った。
都市マラザンの大門付近、都市の入場列にアシュロンとニフィムは並んでいた。二人の背には粗末な背負子のかわりに、口紐のついた大小の麻袋が肩かけに背負われていた。
服装も、当て布が繕われていたものの、本来のものに戻っていた。
そこに、何処で聞きつけたのか、それともずっと待っていたのだろうか、ガルとナーニェが姿を見せた。
ナーニェはニフィムに気がつくと走り寄った。
そして、先ほどの光景に繋がる。
ガルは後頭部を掻きながら、ゆっくりとアシュロンに近づいた。
列に並んでいた人々は、ナーニェの様子に何事かと思った。しかし、近頃奴隷反乱が起こっていたこと、それによって多くの尋ね人がいたことも知っていたので、二人の再会を遠巻きに眺めるだけだった。
「遅かったじゃねえか」
ガルが軽く、アシュロンの胸に拳骨を当てた。ナーニェのように直接的に喜びを相手にぶつけず、それでいてアシュロンに親愛の情を示す行為だった。
「ああ、遅くなった。悪かったな」
アシュロンが悪びれた様子もなく言葉を紡いだ。
「お前が死ぬとはこっちも思っちゃいねえが、なんせ坊主がいたからな。これでも、心配したんだぜ?」
アシュロンが笑いながら冗談めかしていた。しかし、ガルが心配していたのは事実だ。
「みんな無事なのか?」
「お前達以外はな」
アシュロンはその言葉を聞いて、最後の不安を払拭させた。短い付き合いといえども、見知った人間が死ぬのはとても嫌なものだ。
「あーあ、久しぶりにうまいもんでも食いたい気分だ」
ガルは両手を頭の後ろで組みながら、口笛を吹き出しながら、大門に向かって歩き出した。
しかし、ガルが大門を抜けようとすると、衛兵がガルを止めた。ガルがなにか文句を言っていたが、衛兵は「規則ですから」といって、ガルを追い返した。
「どうした?」
むっつりとした表情で戻ってきたガルにアシュロンが声をかけた。
「列に並べってよ。さっき街から出てきたんだから、入れてくれてもいいだろうに」
ガルはぶつくさ言いながら、列の後方に歩いていった。
その夜、宿の食堂に一同が集まっていた。
「二人の無事に、乾杯」
ガルが音頭をとると、面々が隣り合う者同士、杯をぶつけ合った。ナーニェは成人しているので果実酒だったが、ニフィムは果物の絞り汁だった。
互いによかったよかったと無事を喜びあっていた。
無口なガンツも、この時ばかりはアシュロンとニフィムの無事を喜んで「心配したぞ」と声を上げた。
ニフィムがガンツの声を聞いて、目をパチクリさせた。初めて聞いたガンツの声は、その容姿に似合わず、異様に高い声だった。
ガルもニフィムと同じ感想を抱いたのか、爆笑し始めた。
「お、おっさん、そ、その声は、どっからでてるんだよ!」
ガルが腹を抱えながら笑い転げると、ガンツはむっつりしたように口を結んだ。どうやらすこし怒っているらしい。
ガル以外にも、目をパチクリさせているニフィムと、既にガンツの声をきいたことがあるアーラン以外は、吹き出すのを堪えて、肩を震わせていた。
ガンツはそういった状況になれていたのか、殊更怒りをさらけ出したりはしなかった。彼は祝い事の席をぶち壊すような、無粋な男ではなかった。
周囲の笑いも、時間と共に収まり、和やかな酒の席が続いた。
トラブルに見舞われたものの、誰一人命を落とす者がいなかった喜びは、皆を饒舌にさせた。
しかし、その中でも、一人、アシュロンの左隣に座っていたジュドーが、落ち込んだ様子を見せていた。ちなみに、右隣にはニフィムが座っていた。
アシュロンはジュドーの様子が気になり、声を掛けた。
ジュドーは皆に聞こえないようにアシュロンに耳打ちした。ジュドーの言によれば、ナーニェとガルの仲が怪しいらしい。
ジュドーに言われて、アシュロンが二人に目を向けると、ナーニェが甲斐甲斐しく、ガルに、大皿から料理を給仕していた。これは以前には考えられない行動だった。
仲睦まじいというほどではないが、ナーニェがガルに好意を寄せている様子が見て取れた。
しかし、ガルにその気はないのか、ナーニェに対して、素っ気無い態度を取っていた。
ジュドーがナーニェを気にしていたことは、アシュロンもその行動の端々から知っていた。ようするに、片思いだ。
そして、色恋沙汰に疎いアシュロンには、こういった時に男を慰める術を一つしか知らない。
「どうだ?このあとお姉ちゃんの店に行くか?」
アシュロンがジュドーに耳打ちした。
「そういうんじゃないんです!もっと心!心の問題なんです!」
ジュドーはいい年こいて、酒のせいか、泣きそうになっていた。
「どこかに行くですか?僕も行っていいですか?」
右隣のニフィムはアシュロンの小声が断片的に聞こえていたのか、無邪気な様子でアシュロンに尋ねた。
アシュロンは言葉を濁しながら「あと十年たったらな」と小声で言った。
テーブルの料理もあらかた片付いた頃、喜ばしい酒席も終わりを迎えようとしていた。
「あ、お土産」
ニフィムが忘れ物に気づいて声を上げた。そして、ニフィムは、床に置いていた麻袋を、ごそごそと探り出した。
アシュロンが不思議そうな顔をした。お土産なんてあっただろうか、と。
テーブルの上には、乾燥が進んで、干し肉のようになった小さな骨付き肉が並べられた。
それを見たアシュロンの口角は、自然にぴくぴくと動き出した。
ガルが珍しそうにその肉を手に取った。
「なんの肉だ?ウサギ?野鼠か?」
ガルは骨付き肉の匂いをかいだ。生臭さと泥臭さは乾燥によって薄れていたが、それでもガルは顔を顰めた。
「これは牛蛙ですね」
しばらく肉を見ていたメナドが、驚いたように声を上げた。
「蛙だ~?んなもん、普通食わないぞ?」
ガルが眉間に皺を寄せた。
「いえいえ。これは高級食材ですよ。美容と健康に優れた効果を発揮するとかで、帝国中央のご婦人方に評判の品です」
一同はメナドに知識に感心したように、「へ~」と口を揃えた。
そして、アシュロンはメナドの言葉を聞くと、ガルに向かってずいと手の平を差し出した。
「なんだよその手は?」
アシュロンの手に気がついたガルが、不思議そうに声を上げた。
「金になるなら返してくれ」
アシュロンは微妙に金欠だった。一張羅はぼろぼろの上、長年愛用していた金棒もはるかアルドニア自治領の山奥だ。蓄えを崩せばどうとでもなるが、最近の損害は看過できないことも確かだった。もちろん、その言葉は冗談交じりに、ではあるが。
「お前なあ。このお土産はニフィムが持ってきたもんだろうが」
ガルはそういいながら、牛蛙の肉に齧りついた。そして、微妙な表情を見せながら呟いた。
「食えなくは……ないな」
メナドが陸運商会で替えの馬車を手配し、アーラン達正規兵が東部軍令部で報告や手続きをすませるまでに、二日を要した。
ヘンペイの街を一行が後にして、既に一月半が経過していた。季節は秋を終え、冬に差し掛かり始めていた。
予想外に時間がかかってしまったが、元来期日のある護衛依頼ではなかったので、傭兵二人は特に焦ったりはしていなかった。しかし、陸運商会の二人と、正規兵達は、それぞれの事情があるのだろうか、すこし焦りを見せていた。
曇天の空の下、二頭立ての高速馬車が一列になって、立派な街道を南に移動していた。街道の幅は馬車四台が対向できるほど広く、外側には歩行者用の道路まで用意されていた。その高速馬車に、アシュロン達は四人づつ分乗していた。
街道は内側が追い越し専用で外側が通常運行用に設定されており。アシュロン達の乗る馬車は、多くの荷物を載せた荷馬車や、徒歩で街道を進む人々を追い越して、ぐんぐんと帝都に近づいていった。
高速馬車は、馬車を引く馬の種類が通常とは異なる。通常は、重い荷物を引くために、ずんぐりとした巨体の品種が用いられるが、高速馬車はしなやかな体つきの品種が用いられていた。重い荷物は引けないが、巡航速度が速い馬だった。現に、馬車には最低限の荷物しか載せられていない。
「高速馬車ってのは相当早いんだな」
アシュロンは後ろに流れていく景色を眺めながら呟いた。そのアシュロンは現在、厚着のために、常に増して、大きく見えた。
冬間近とはいえ、帝国の南はそこまで寒くはならない地域であった。真冬にしても、精々が、肌寒さを感じる程度だった。それにも関わらず、アシュロンの装いは厳雪山脈に住まう人々と同じような格好をしていた。
アシュロンの前にはニフィムとガンツが横並びに座っていた。
「さ、寒いです」
ニフィムが青っ洟を垂らしそうな顔で、鼻を啜った。ニフィムも帽子に手袋、襟巻きに厚手の服とモコモコ状態だった。
見れば、馬車には、天井部に日よけ布が誂えられていたが、風除けの類が一切ついていなかった。そして、何故か華やかな装飾が、車体に施されていた。
高速馬車には二種類ある。高速馬車の大部分が、速達と呼ばれるような物品、その多くは民間の信書、つまり葉書や手紙など、を輸送するための馬車であった。そして、極少数だけ、今アシュロン達の利用しているような、遊覧・観光用の馬車があった。
遊覧・観光用の馬車とは、恋人や家族が、馬車に乗ること自体を楽しむために造られた馬車であった。景色が見え、風を感じられるような設計になっている馬車で、その始まりは、貴族達の行う乗馬遊びを真似たものと考えれていた。
しかし、本来なら、この遊覧・観光用の馬車は暖かい時期に用いられることが一般的だ。暖かい季節であれば、吹き付ける風は心地よいものとなるだろう。しかし、寒い季節には、その風は身を刺すような冷たさになる。
アシュロン達が何故こんな目にあっているかというと、それはまさしく奴隷反乱のせいだった。
アシュロン達が出立した都市マラザンは、奴隷反乱鎮圧のために、数個軍団が召集されていた。そして、人が集まれば物が集まり、物の流れは金を生む。陸運商会に限らず、マラザンで商いをする者にとっては、戦争特需と言えるような好景気が訪れていた。そのような状況下で、メナドが陸運商会から苦心して都合できたのが、この高速馬車だった。
ガンツがニフィムの横で、同じように身を縮めて震えていた。どうやらこの男、寒さに弱いらしい。
「あと何日くらいで着きます?」
ニフィムが寒さに震える声で、アシュロンに聞いた。ニフィムの唇は、元の鮮やかな赤から紫色になりかけていた。
ニフィムは、寒さを堪えながら座り続けるという、修行僧のような苦行が連日続いたことで、元気がなくなっていた。
「いや、もう帝都には着いてるぞ」
アシュロンの言葉に、ニフィムが驚いたように、流れていく景色を見渡した。確かに、街道沿いに建物が増えてきた気がするが、まだまだ耕作地が広がっていた。
ニフィムの疑問も尤もだと言えた。これまでニフィムが目にしてきた大都市は、その全てが城壁に囲まれた立派なものだった。しかし、アシュロンの言によれば、既に帝都に着いているという話だった。
ニフィムが疑問を抱きながら、景色を眺めていると、徐々に耕作地の変わりに、漆喰で表面を塗り固められた建造物が増えてきた。それにあわせて、次第に馬車の速度も落ちていた。
植物の緑が急激に少なくなり、周囲は顔料が混ぜられているのか、建造物の薄水色の漆喰で埋まっていった。
さらに、馬車が数刻も進むと、二階建ての建造物が増え、さらに多層構造の建造物がその後に続いた。
帝都と呼ばれているが、それは最早一個の都市ではなかった。始めは、各地に見られる都市と同じだった。人口の増加に従って、外壁の周りに住居が建てられ、その外側に更なる外壁が建てられる。しかし、安定期を迎えた帝国は、帝都の人口増加に歯止めが効かなくなると、帝都を囲いこむ事を諦めた。
再現なく広がる帝都は、いつしか、周辺の五つの小都市までを飲み込み、現在も広がり続けていた。役人に問いただせば、行政上の『帝都』がどこまで続いているかを教えてくれるだろう。しかし、帝国の人々は、その広がり続ける都市圏を含めて帝都と呼んでいた。
帝都には通行を遮るような門や関所がない。メリットは人や物の移動を妨げることがないという点があげられた。そして、デメリットとしても同じ点が上げられた。そして、当然の事だが、帝都中枢、つまりかつての外壁に囲まれた地域は例外であった。
ニフィムは延々と続く建造物を目にして空恐ろしくなった。アルドニア自治領の都市アルドニアも想像を絶する規模だったが、この帝都の果てなく続く都市圏は、同じ人の業とは思えなかった。
寒さだけではないだろう、ニフィムが体をぶるりと震わせた。




