第十八話
帝国東部の中心都市である、マラザン。この都市は、北部辺境やアルドニア自治領、そして、北西部の厳雪山脈へ繋がる帝国の玄関口と言えた。マラザンから伸びる街道は、さらに南の帝都や帝国西部に繋がっており、帝国の交通要衝の一つだった。
そのマラザンの宿の一室で、ナーニェが寝台に臥せっていた。
部屋の窓は締め切られ、昼間だというのに薄暗い。
ナーニェのぼさぼさの髪は何日も櫛をいれていないのだろう。かつては燃え上がるような色合いだった赤毛が、今は不摂生のためか、艶がなくなっていた。
寝台に臥せたナーニェの目は、赤く泣き腫らしており、時折鼻をすする音が暗い室内に響いた。
部屋の扉がノックされた。
しかし、ナーニェは気にした様子もなく、寝台に顔を埋めたままだった。
再度、部屋の扉がノックされた。
それでも、ナーニェは反応しなかった。
「入るぞ」
ガルが断りの文句を入れてから、部屋に上がりこんだ。そして、腕を組んで、寝台に臥せっていたナーニェを見つめた。
「いつまでそうやってるつもりなんだ」
ガルがナーニェに声を掛けたが、ナーニェは反応を示さなかった。
ガルは強引にナーニェの肩を掴み、寝台に座らせようとした。ナーニェはガルに抗わなかった。
寝台に座らされたナーニェの表情は改めてみると酷いものだった。泣き腫らした目に加えて、目の下に濃い隈が出来ていた。床の一点を光のない瞳で見つめる様は、さながら幽鬼のようだった。
「ここんとこ碌に飯も食ってないんだろう?このままじゃ、お嬢ちゃんが先にまいっちまうぞ」
ガルの諭すような優しい口調は、ガルが普段あまり見せない、慈しみの感情を含んでいた。
ガルはナーニェに視線を合わせるように、ナーニェの正面にしゃがみ込んだ。そして、ナーニェの両頬に手を添えると、目を合わせた。
「いろいろと、後悔することはあるだろう。だけど、お嬢ちゃんが臥せってたってなんの解決にもならんのよ?」
ガルの言葉でナーニェの瞳が僅かに揺れた。
「今、お嬢ちゃんに出来るのは、タップリ食って、ぐっすり眠ることだけだ。そして、元気な姿で坊主を迎えてやるんだよ。さあ、立ちな」
ガルがナーニェの右手を掴んで立ち上がらせようとした。
しかし、ナーニェはその掴んだ右手を少女にあるまじき怪力で握りしめた。
「おい、いてえよ」
ガルがナーニェに痛みを伝えたが、ナーニェはさらに握力を強めた。
「私が手を放さなければ、ニフィムは………」
消え入りそうな小声でナーニェが呟いた。
ガルは左手で頭を掻いた。右手の痛みは耐えられないほどではない。しばらく、ナーニェの好きなようにさせた。
部屋には、階下から宿泊客達の喧騒が微かに聞こえるだけで、二人の息づかいが妙に響いた。
ナーニェの握力は、筋肉の限界が訪れたのか、次第に弱まっていった。
「お前のせいじゃねえ。そうやって自分ばかり責めるなよ」
ガルが慰めるように呟いた。
「アシュロンが一緒だ。少しだけでいい。俺のダチの事を信じてくれないか?」
ガルは握力の弱くなったナーニェの指を、ほぐす様に開かせた。そして、ゆっくりと膝立ちになると、ナーニェの頭をその胸に優しく抱いた。
「それにな。そんな風に声を押し殺して泣くもんじゃねえよ。悲しいときは、大声で泣いていいんだぜ」
ガルの言葉が切欠になったのだろうが、ナーニェの緊張が切れ、堰を切ったように泣き出した。これまで一度も声を上げて泣くことのなかったナーニェが、子供のように泣き出したのだ。
ガルは何時までも泣き続けるナーニェの背中を優しくなでながら、「柄じゃねえんだけどな」と呟いた。




