第十六話
帝国の自治領はそれぞれが非常に大きな権限を有していた。
徴税や立法、裁判などの基本的な権利に加えて、一定の兵力を有することさえ許されている。
例えば、アルドニア自治領では、旧来の貴族達と元国王によって、その運営の全てが決定されている。そして、住民は貴族領や国王の直轄領の領民として暮らしていた。
別の例として、帝国北西部の自治領では、市民権を有する者による共和制が敷かれていた。自治領内の有力者は存在するものの、王や貴族といった血統による統治は行われていなかった。
こうした自治領が帝国に負う責任は大きく四つあった。一つ目に、一年毎に税収の何割かを帝国に収めること。二つ目に、帝国に人口に応じた兵を拠出すること。三つ目に、自治監査を行うための総督を帝国中央から受け入れること。そして、最後に帝国市民の通行と安全を保障すること。
自治領は上記の四つの責任を果たせば、その統治に帝国は口を出さない。奴隷を家畜のように扱っても、例え、奴隷の命を衆目の中で戯れに弄んだとしても同じだ。帝国では罪に問われる行いでも、自治領では異なる場合が多くあった。
アルドニア自治領に関してはこれまで独自の方法でうまくやってきた。そして、それは何か大きな出来事でもない限り変わらないだろう。
そう、なにか大きな出来事でもない限りは。
アシュロン達のアルドニア逗留三日目の早朝。メナドが慌てた様子でアシュロン達を陸運商会の一室に集めた。
外では雨が降っているのだろうか、湿気た空気が漂い、雨音が部屋の中にも聞こえていた。
「奴隷反乱?マジで言ってるのか?」
ガルが嫌そうな顔をしながらメナドに確かめた。
「はい。まだ、正確な情報は掴めていないのですが、どうやらアルドニア自治領の東にある港湾都市で、大規模な奴隷反乱が起こったという一報が入りました」
メナドが自身の焦りを周囲に悟られないように語った。
そして、アルドニア自治領の東の港湾都市は、闘技場を抱える三つの都市のうちの一つでもあった。
「大規模というのはどの程度だ?」
アシュロンが問いを発した。
「わかりません」
メナドが申し訳なさそうに答えた。
「ただ、陸運商会としては、一旦支店を畳んで、北方辺境か帝国本土に避難するつもりです」
「この都市まで反乱の手が及びそうなのか?」
アシュロンが眉間に皺を寄せた。
「それも、わからないんです。先ほど自治領主から一部の人間に、三日後に都市の奴隷を闘技場に隔離するよう領主令が出ました」
ガルはメナドの言葉を聞いて驚いた。
「それは逆にまずいんじゃねえか?」
アシュロンもガルと同じ危惧を抱いた。それはメナドも同様のようだった。
「私も同意見なんですがね。自治領の方針としては、都市の各所に分散されるより、一所にまとめて、目の届く範囲で監視を行いたいようです」
自治領の思惑も分からないでもない。奴隷反乱について緘口令を布いても、それはいつしか都市の民衆、そして奴隷にまで広がりを見せるだろう。それまでに、反乱が鎮圧できればよいが、もしそうでなければ、悪くすれば都市の各所より火の手が上がる可能性がある。
「奴隷反乱?そんなものに関わりあう必要はないでしょう?」
ナーニェは難しそうな顔を見せた。
「ああ、その通りだ。旦那が言ってるように、早いとこ帝国領に行こう」
ガルの言葉に一同が賛成する声を上げた。
出発を今日の昼と決めて、各自が準備に取り掛かった。陸運商会のメナドとジュドーは一際忙しそうに、部屋を後にしていった。
ニフィムは状況に理解が追いつかないのか、困ったような表情を顔に浮かべていた。ナーニェが足早に部屋を出て行ったため、席を立とうとするアシュロンの袖を引くと説明を求めた。
「なにがありましたか?」
「反乱だ。戦だよ」
「戦?誰が?」
「奴隷達さ。ニフィムも見かけただろう?小麦色の肌をした、元気がない人達を」
ニフィムは納得しきれないのか、何故そのような事が起こったのかと聞いた。
アシュロンは少し頭を悩ませながらも、ニフィムに対する答えを捻り出した。
「ニフィムの世話役の奴隷がいるだろ?ニフィムのわがままが過ぎれば奴隷はどうする?」
ニフィムは首を傾げた。
「僕はわがまま言いませんよ」
「いや、そうじゃなくてだな。例えばの話だ」
ニフィムはアシュロンの意図を理解した。
「僕がわがままばかりなら、ババは怒りますね」
「そうだろうな。奴隷達もきっと同じ気持ちさ。ここの人間は彼らに厳しすぎるんだ」
アシュロンは腕を組んで、窓の外を見つめた。雨足は先ほどよりも、幾分か治まってきており、霧雨のようになっていた。
「でもババは絶対に手を上げませんよ」
ニフィムは抗議するように声を上げた。
「そうだ。普段から不満を伝えられる関係なら、少しでも信頼が築けたなら、こういう結果にはならないだろうな」
アシュロンはニフィムの頭をがしがしと撫でた。アシュロンの大きな手には力強さと慈しみが混じりあっていた。
ニフィムはそのことに気付くと、頭が揺れるのも構わず、アシュロンのしたいようにさせた。
都市アルドニアを離れる馬車と人の列が、北方面と南西方面に向かって延々と伸びていた。人々の多くは、アルドニア自治領外から観光に訪れた富裕層や、陸運商会のような自治領外に本拠地を構える商業関係の者達だった。
そして、アシュロン達も、南西方面に向かう街道を、その遅々として進まない車列に連なっていた。
「くそっ、全然進まねぇじゃねぇか」
ガルが苛立たししそうに呟いた。ガルは片手をポケットに入れたまま、仕切りに磨り減った金貨の感触を確かめていた。
苛立っているのはガルだけではない。アシュロンもそうだし、車列に連なる人々は須らく気が高ぶっていた。
所々で馬車がぶつかっただの、早く行けだのといった口論が起こり、そのせいでさらに進みが遅くなる。
通常、アルドニア自治領を南西方面に抜けるには、五日はかからない。しかし、この様子では一体いつになるだろうか。
アシュロン一行には、都市を離れる際に北に戻る選択肢と南西に帝国に抜ける選択肢があった。距離的には南西に抜ける道が近い上、帝国の東部軍管区からの増援が期待できた。加えて、異民族の少年少女を帝都まで護送するという本来の目的もあった。そういった点を考慮すれば、アシュロン一行が南西に進むことを選んだのは当然の帰結だろう。
奴隷反乱はアルドニア自治領の東で発生した。反乱奴隷が自治領軍を打ち倒した上で、都市アルドニアすら落とし、アシュロン達に追いつくことはどう考えても不可能だった。
仮に一つだけ懸念を挙げるとすれば、アルドニア自治領で闘技場を有する三つ目の都市が南西方向の街道の先にあることだろうか。
しかし、東部での奴隷反乱と南西での奴隷反乱が同時期に発生する可能性は低い。奴隷反乱の報が届いたとしても、反乱に対する警戒は一層強くなる。都市で突発的に反乱が発生しても、早期に鎮圧されるだろう。奴隷同士が都市を越えて密かに連絡を取り合うなどといったことは通常、考えられない。
つまり、南西で危険に見舞われるようなことがあれば、それは極端に運が悪かったか、何らかの作為が働いてると考えるしかないだろう。アシュロン達を対象にしているわけではなく、アルドニア自治領、もしくは帝国それ自体に対する作為だ。
結果だけ言えば、アシュロン達の選択は誤りだった。そして、この選択はアシュロンとニフィムに大いなる困難を呼び寄せた。




