第十三話
むっとするような空気が一面に立ち込めていた。
それ程大きくない部屋に、薄手の頭貫衣を身に着けた男達が座っていた。男達の年齢は様々で、皆一様に全身から汗をかいていた。
石造りの室内は薄暗く、僅かに採光用の隙間から、太陽の光が差し込んでいるだけだった。ここはある種のサウナだった。
そして、男達に混じって、アシュロンとニフィムも座っていた。
「暑いですね」
「そうだな」
アシュロンとニフィムは口数も少なく、じっと暑さに耐えていた。
アシュロンの額から汗が頬を伝って滴り落ちた。ニフィムの額にも大粒の汗が浮かび上がっており、普段はさらりとした赤毛も、額にぺたりと張り付いていた。
アシュロンの隣に座っていた中年の男が、辛抱たまらんといった様子で立ち上がり、足早に部屋を出て行った。
「あまり無理するなよ」
アシュロンがニフィムに声をかけた。
「これくらい平気です」
ニフィムは笑った。
「『風呂』ってなにかと思いました。でも、汗かき小屋と一緒ですね」
ニフィムがしたり顔で言った。
「北にもこういうのがあるのか?」
アシュロンの問いにニフィムが首肯した。
そして、また二人の間にしばらくの沈黙が訪れた。
アシュロン達も含めて、部屋の男達は、他人に聞こえないような小声で会話をしていた。それが風呂を利用する際のマナーだった。
「一つ気になってたんだがな」
アシュロンが以前から思っていたことをニフィムに切り出した。
「どうして、お前達は二人だけなんだ?付き人やら護衛は連れてこなかったのか?」
アシュロンの問いを聞いて、ニフィムは沈んだ顔を見せた。
「最初はいました。でも、帝国に来る前に………」
ニフィムの言によれば、ニフィム達はアシュロン達がいた北辺の城塞にたどり着く前に、既に対立派の襲撃を受けていたらしい。ニフィム達の連れていた部族の護衛や付き人は、ニフィムとナーニェを逃がすための囮となって、それきりということだった。
「悪いことを聞いたな。でも、ヘンペイに着いてからでも呼び寄せればよかったんじゃないのか?」
「お姉ちゃんがいろいろしてたみたいですけど、僕にはよくわかりません」
アシュロンはそうか、と呟いた。
「でも、あなた達に会えました」
ニフィムが笑顔をアシュロンに向けた。
「俺達か?」
「はい。あなた達です。叔父は並ぶもののない戦士です。それを退けたアシュロンさんは本当の戦士です。それに、僕を助けてくれました」
ニフィムの言う叔父とはあの凄腕の男のことだ。そして、その叔父に殺されそうになったニフィムをアシュロンは助けた。そのことが、ニフィムがアシュロンに信頼を抱き始めるきっかけのひとつだった。
「それにしても、アシュロンさんはやっぱり戦士なんですよね」
「突然どうした?」
「だって」
ニフィムは言葉を紡ぎながら遠慮がちに、アシュロンの肩に付けられた古傷をなぞった。
「それにこっちも」
ニフィムはアシュロンの脇腹を指差した。ニフィムの指先には、頭貫衣の上から生々しい縫合痕が、汗で透けて見えていた。それ以外にもアシュロンの体の至る所には、小さな傷痕が残っていた。
「そうさな。俺は戦士だ。でもニフィムの故郷にも戦士は沢山いただろ?」
「いると思います。でも僕はあまり近くで見たことないです」
アシュロンはニフィムの言葉の意味が理解できなかった。
「あまり見たことがない?どういうことだ?」
ニフィムは少し悩んだ様子を見せたが、ゆっくりと話始めた。
「僕はずっと大きな家で暮らしてました。外にはめったに出れません。お世話をしてくれる人が沢山いて。えっと、帝国の言葉でなんというのかわからないけど、僕は、声を聞く人、なんです」
アシュロンはニフィムの言葉から、ある種の指導者教育を思い浮かべた。皆の意見を聞き、部族をまとめる人間として大事に育てられてきたのか、と。
「つまり、みんなのまとめ役として育てられたってことか?」
「違います。僕は一族の人の声を聞くわけじゃないです。それは父や兄の仕事です」
ここでアシュロンはさらに困惑した。声を聞くという言葉が、意見をまとめるという意味ではないとすると、巫女や呪い師の類だろうか。
「神官みたいなものか?」
「神官?知らない言葉です」
「要するに、神様に仕える人間のことさ」
アシュロンは言葉を噛み砕いて説明した。
「神様?違いますよ。僕は声を聞くだけです」
「じゃあ誰の声を聞くんだ?」
「誰って言われても………。なんていえば通じるかな?」
ニフィムはウンウンと唸りこんでしまった。
ニフィムの言葉の習得が早いとは言え、まだまだその語彙は少ない。北方異民族の言葉を、正確に帝国の公用語に変換できないのだ。
「じゃあ、あとでナーニェにでも聞けばいいさ」
アシュロンがニフィムに気楽な様子で告げた。
しかし、ニフィムの反応はアシュロンの予想していないものだった。
「だめ!」
熱気の篭った狭い室内に、ニフィムの声が響いた。ニフィムは勢いの余り立ち上がっていた。
室内にいた男達が煩わしそうな視線を向けてきたが、戦士然としたアシュロンを見て、抗議の声を挙げる者はいなかった。
驚いたアシュロンは周囲に謝罪しながら、ニフィムを宥めにかかった。
「どうした?いきなり大声を上げて」
「僕の話は内緒です。僕が話したことお姉ちゃんが知ったら、きっとすごく怒る。だから内緒にしてください」
「ニフィムがそういうなら言わないさ」
「約束してくださいね」
「大丈夫だ。これでも口は堅いんだ」
ニフィムは余程ナーニェが怖いのだろうか、潤んだ瞳でアシュロンを見つめた。
「本当に約束ですよ」
ニフィムは念を押すと、アシュロンの右手を掴んだ。
アシュロンの手は無骨で、厚い皮に覆われた手の平は、ニフィムのそれと比べると、違う生き物のようだった。
ニフィムはそのアシュロンの手を自分の胸に当てた。薄手の貫頭衣はニフィムの汗でしっとりと肌に張り付いており、殆ど素肌を触っているのと同じだった。
そして、ニフィム自身もアシュロンの分厚い胸板に右手を当てた。
そして、北方異民族の言葉で何事か呟いた。
「おまじないか?」
アシュロンは約束毎を行う際の帝国の風習である、親指に傷をつけて、血を混ぜるという行為を思いだしながら、ニフィムに問うた。
「そうです。おまじないです。破ると怖いですよ」
ニフィムはその顔に似合わない、悪い顔を浮かべて、子供を怖がらせるような仕草を見せた。




