第十話
「あれはなんというですか?」
たどたどしい発音でニフィムが指差した先で、一羽の赤い鳥が蒼空を過ぎっていく。
「ん?よく見えんが『鳥』だな。『とり』」
アシュロンがニフィムに諭すように、問いに答えた。
「では、あれは?」
次いでニフィムが指差したのは、遠く、微かに見え出した小高い山々だった。
「あれか?『山』だな。『やま』」
アシュロンが続いて答えた。
アシュロンとニフィムは旅の途中から、こうして御者台に並びながら、問答を繰り返すことが多くなった。きっかけが何だったのかはアシュロンにも分からないが、この素直な少年に何時の間にか懐かれてしまっていた。
ナーニェはあまり良い顔をしなかったものの、殊更に文句を言うでもなく、ニフィムの望むようにさせていた。
「なんだか随分と上手になってきましたね」
ジュドーが手綱を緩く持ちながら、横目にアシュロンとニフィムを眺めた。口が半開きになっており、かなり間抜け面だった。
「ありがとございます」
ニフィムがちょこんと頭を下げた。
ヘンペイの街を出立してからまだ十日は経っていない。それにも関わらず、ニフィムの言葉は随分と上達を見せていた。事前にある程度予習していたのか、一日中ナーニェに教えを受けた結果、言葉の聞き取り能力は驚くほどの向上を見せていた。
ニフィムは好奇心も強いのだろう。目にする全てにあれはなんだ、これはなんだという質問を周囲に投げかけていた。ガルは早々に面倒臭くなったのか、その全てをアシュロンに放り投げた。そして、生真面目なアシュロンは、一つ一つに丁寧に答えていた。
アシュロン達一行は、現在、宿場町で組んだ臨時のキャラバンに同行していた。以前、城塞に向かった際は、陸運商会がそのキャラバンを一手に引き受けていた。しかし、こういった臨時のキャラバンを組む方が帝国では一般的であった。人数が多ければ危険はその分少なくなる。
当初は、ニフィム達に対する配慮から単独行をしていた時期もあった。だが、彼らが次第に打ち解け始めた様子を悟ったメナドが、キャラバンへの参加を提案した。
帝国は今や多様な人種を抱えており、少しばかり風変わりな一行がいても、身分さえ明かせば警戒されることもなかった。
アシュロン達が随行しているキャラバンが、前方から進んできたキャラバンと交差していく。煉瓦作りの道は馬車が対向しても十分幅の余裕があった。
アシュロンは内心、またきたな、と思った。それは、キャラバンの積む荷物や人間達を珍しがったニフィムが、矢継ぎ早に質問を始めるからだった。
案の定、ニフィムは開墾作業を行うために、北の果てにつれられてこられた牛や、放牧用の羊とそれをまとめる牧羊犬を見て、はしゃぎ始めた。
あれは、あれは、としきりに質問を繰り返すニフィムに、アシュロンは目の回るような思いがした。
どうやら、今すれ違っているキャラバンは辺境開拓者の一団らしかった。
北部辺境は、これまであまり開拓の手が伸びてこなかった地域だ。一つには、帝国が広大な領土を有していたため、優先順位が低かったことが挙げられる。また、交通の便から見ても、帝国領内のアルドニア自治領を通る必要があり、開拓の手が進んでいなかった。
しかし、それも過去の話。安定期を迎えて、今や、帝国中央は言うに及ばず、北部、西部も開拓が進められていた。そして、各所で良質な田畑や牧草地となり得る候補地は先客が住み着いている有様だった。いまだ手付かずで残されていたのは辺境と呼ばれる地だけだ。
それでも、残された地は数十万の人間を受け入れるだけの余地を残している。これもまた、帝国の力を示す一例だった。
アシュロンが、開拓団のキャラバンが延々と続くのを恨めしく思い始めたころ、相手方のキャラバン後方に、荷馬車に乗せられた、身奇麗とは言いがたい集団が現れたのを目にした。
アシュロンは一瞬、顔を顰めたものの、ニフィムにそれと気づかれないように平然とした様子を保った。
ニフィムは無邪気な様子で、その集団についても質問を始めた。
「彼らは何ですか?あまり元気がないですね」
荷馬車に乗せられた集団はこれまですれ違った開拓者が、明るい顔を見せていたのに対して、一様に沈んだ表情、なにかを諦めた表情を浮かべていた。
アシュロンはなんと答えたものかと思案した。
端的に言えば彼らは奴隷だ。
帝国にも数は多くないが奴隷が存在する。犯罪を犯したもの。債務を過剰に請け負った者。戦争によって捕虜にされた者。そして、他国から売られてきた者。
帝国では成人を迎えた者は一定の条件下では奴隷となり得る。犯罪奴隷はその刑罰として、過酷な鉱山や塩田で働かされる。債務奴隷は言わば、身売りをした帝国の市民であり、借金を返すまで何らかの仕事をさせられる。彼らに救いがあるとすれば、奴隷とされる期間がいつかは終わりを迎えることだろうか。
一方、帝国の人間以外の奴隷としては、捕虜の奴隷化がまず挙げられる。多くの場合、捕虜は係争国との何らかの交渉によって開放されるが、一部には故国から見捨てられる場合もあった。捕虜から奴隷に身を落とす者は、帝国の拡大期には多く存在したが、現在はほとんど見かけない。加えて、帝国は占領地域の住民を無闇に奴隷化することを避けていた。それは、彼らがいずれは帝国の一部となることを理解していたためだった。
そして、最後に他国から売られてきた者。
アシュロンには、奴隷と思しき一団が小麦色の肌をしていることから、島嶼商業連合出身であることが予想できた。そして、島嶼商業連合の輸出品のなかに、奴隷があることも知っていた。
島嶼商業連合は帝国に比肩する一大勢力である。王を頂かず、有力商人の合議によって政治を行う国だ。そして、いつでも紛争を抱えていた。
そういった紛争に敗れた一派は奴隷とされ、一部は商品として輸出される。開拓者の一団に連れられた彼らもそういった類の人間だろう。
それでも、他国に比べて帝国の奴隷に対する扱いは丁寧なものだった。奴隷は高価で、元来、個人で買えるものでもない。いわゆる動産である。そして、奴隷に対する扱いは所有者の品格を示すものでもあり、あまりに酷い仕打ちをする人間は程度を低く見られ、悪くすれば醜聞として家格を落とすことになる。
帝国中央でも年に数度、勘違いをした貴族がそういった醜聞を取り沙汰され、余りに醜悪な行為に対しては処分さえも受けていた。
アシュロンはぼんやりと奴隷達の出自を考えながら、ニフィムにどう説明すべきか思案していた。そして、考えても自分の頭ではうまく言葉が出ないので、馬車の仕切り布を開けた。
馬車の中ではメナドが合いも変わらず書類を眺め、稀にペンを走らせていた。そして、その奥で、ガルとナーニェがカード遊びに興じていた。
ニフィムがアシュロンの横に陣取るようになってから、ガルはナーニェと遊ぶことで時間つぶしをするようになった。始めはあまり興味を示さなかったナーニェだが、ガルの話術に乗せられて、次第にゲームに興じるようになった。サイコロ博打やカードなど、お金を賭けていないとはいえ、うら若い少女にあまり健全でない遊びを教えている様は、良い大人が見れば顔を顰めるだろう。
ただ、ナーニェも負けず嫌いなのか、ルールを覚え始めると、真剣な様子でガルと勝負を繰り返していた。ガルは余り勝たせず、余り負かさず、うまい具合にナーニェを手玉にとっていた。ナーニェが次第にルールに習熟してくると、今度は分からないようにイカサマまで駆使して、ナーニェをからかった。
「お~い、お嬢ちゃんの手番だぞ」
「わかってるわよ!」
遊戯台にはすでにガルのカードが伏せて置かれていた。ナーニェはガルの伏せ札に対する切り札に悩んでいた。
「早くしてくれないかな~」
ガルが急かすような口調でからかった。
ナーニェはキッとガルを見据えると、鼻息も荒く、一枚のカードを場に出した。
「これならどう?」
そのカードには王冠が描かれており、他の全てのカードに勝利することができた。ここぞという時に出すべきカードである。しかし、そのカードには一枚だけ勝てない種類があった。
「ああ~あ、お嬢ちゃんは底が浅いねぇ。よっと」
ガルが掛け声と共に裏返したカードには剣を手にした大勢の奴隷が描かれていた。
「嘘、なんで」
ナーニェは驚いた表情でガルを見つめる。王冠のカード以外なら勝てたのに、どうして自分はこの札を選んでしまったのだろうか、と。
「こことコレよ。ま、精進するこったな」
ガルは自分の頭をコツコツと指差した後、口元で手を広げる仕草をした。つまり『読み』と『喋り』が重要なのだと示しているのだ。
ナーニェがふて腐れた様子でゲームの続きを進めようとした所で、アシュロンが待ってましたとばかりに声を掛けた。
「すまん。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「何よ!」
ナーニェは明らかに不機嫌そうな様子で、アシュロンに問いを返した。
アシュロンはその威勢に驚いて、さらに「すまん」と声を重ねながら、ニフィムに対して、彼らの言葉で奴隷について説明してくれないかと言った。
ナーニェはアシュロンの言葉を聴いて、ニフィムに対して、北方異民族の言葉で何やら説明を行った。ニフィムはふんふんと真剣な様子で説明を聞き終え、何事もなかったかのように御者台の定位置に戻った。
アシュロンはそんなものかと思い、姿勢を元に戻した。
「『奴隷』はニフィムの周りにもいたのか?」
「はい。お世話のババは『奴隷』ですね。でもババはもっと元気ですよ。怒るととても怖いですよ」
ニフィムは故郷を懐かしむように、少し寂しげな表情で答えた。
開拓者一団の馬車は既にアシュロン達の遥か後方に離れていた。そして、次第に大きくなる山々はアルドニア自治領が近いことを示していた。




