第九話
帝国の主要街道には多くの場合、数十里ごとに宿場町が姿を見せる。帝国の治安は比較的保たれているものの、街道で夜営をすることは推奨されない。少ないながらも、帝国にも賊の類は存在するのだ。そしてそれは、中央から離れれば離れるほど、数を増していく。
アシュロン達はヘンペイの街から四日ほどの宿場町で今日の宿をとっていた。
日は既に半ばまで落ち、辺りの茜色は次第に闇に溶け込みつつあった。その中で、一際明るさを放っているのは、旅行者向けの宿や酒場だった。
宿場町に数ある宿のうち、周囲に比べて大きな店構えの宿。そこにアシュロン達はいた。
宿の食堂だろうか、帝国で最近流行の海獣の獣脂を用いた魚蝋が、か細い明かりで店内を照らしている。食堂には丸いテーブルが幾つもあるようで、そこここから集団の陽気な声が響いていた。
アシュロンは目の前の大皿に盛られたクスクスを、大盛りといった様子で取り皿に盛っていた。クスクスは豆や根菜と一緒にバターで炊き上げられているようで、香草の匂いが食欲をそそる。
丸いテーブルを囲んでいるのは今回の旅程に参加している全員だ。アシュロンとガル、異民族の少年少女、陸運商会の二人、そして軍から派遣されている護衛の二人だ。総勢八人が囲んでも、テーブルにはまだ余裕があった。
アシュロンが黙々と匙と口を動かす横で、ガルは果実酒を口にしていた。
ニフィムはおっかなびっくりしながら、クスクスを口に運ぶと、好みの味だったらしく、笑顔を見せた。そして、異民族の言葉でナーニェに何かを告げた。おそらく、おいしいといった意味合いだろう。
ニフィムに声を掛けられたナーニェは、旅が始まってからも、頑なな様子は変わらず、一向に打ち解ける様子を見せなかった。それはこういった、皆が集まる食事時でも同様で、ニフィムにだけ気を使い、他の人間はいないかのように振舞っていた。
「それにしても、傍から見たら私達はどんな集団に見えるのでしょうか?」
護衛の正規兵の内、長髪の男がガルに問いかけた。長髪の男もガルと同じ果実酒を手にしていた。
「知らんよ。さぞ奇妙な集団に見えることだろうさ」
ガルが気兼ねしない様子で答えた。
軍から派遣された護衛の二人は、その容姿も性格も正反対のようだった。
長髪の男は丁寧な物腰で、兵士というよりも官僚と言われたほうがしっくりくる。痩せぎすな体は、余りにも戦場に似つかわしくない。ただ、人と会話をするのが好きなのか、こういった食事時にはガルやアシュロンに仕切りと話しかけていた。
禿頭の男は寡黙で、必要な時以外は無駄口を叩かない性分らしい。体格もがっちりしており、背が低いのも相まって、豆タンクとでも形容できる容姿だった。加えて、禿頭の男は、閉じているのか開いているのか分からないような細目で、いつも眉間に皺が寄っていた。
長髪の男がアーランで、禿頭の男がガンツという名だった。
「訓練、訓練、その合間の城塞派遣。これまでの厳しい日々に比べて、この任務のなんと気楽なことでしょうか。私はもう、帰りたくなくなりましたよ」
アーランが冗談めかして周囲に聞かせた。
ガンツはそれを聞いて、ピクリと眉間の皺を緩めた。表情からあまり感情の読めないガンツだが、どうやらアーランに同意しているらしい。
二人は帝国の正規兵である。
帝国には兵役があるが、兵役者と正規兵は役割が異なる。多くの場合、兵役者は所属地域から外部に派遣されることはない。一方、正規兵には志願者が宛がわれ、厳しい訓練と個々の素養に見合った教育が行われる。そして、帝国の様々な地域に派遣されうる。
帝国の過去、拡大期においては、兵役者も多くの場合、様々な地域の戦場に投入された。そのため、兵役者にも厳しい訓練が課せられた。しかし、安定期になってからは、兵役というよりも労役といった様相を呈しており、一通りの基礎訓練を終えると、街道整備とそれに付随する土木工事、周辺地域の警邏等を主な任務としていた。もちろん、帝国辺境となると事情は異なるのだが。
「帰りたくないなら傭兵にでもなればいいじゃねぇか。三年は働いただろ?」
ガルがアーランに応えた。ガルが手にした果実酒のコップは何時の間にか空になっていた。酔いが回っているのか、ガルの頬が仄かに赤い。
「傭兵、ですか」
アーランが指先で顎をなでながら考え込む。
正規兵の報酬はかなり良い部類に入る。地方都市の小さな商店主と月の稼ぎは同じ程度だ。しかし、自由がない。そして、融通が利かない。そういった事に息苦しさを感じる人間は母数が大きければ、一定数存在する。
そもそも、始めから傭兵になるために、正規兵を志す者もいるのだ。アシュロンは異なるが、ガルは始めから傭兵になることが目的だった。それは、出自の卑しい人間は、昇進するにも限度があるためだった。
そして、重要な点として、傭兵の稼ぎは正規兵よりも良い。名誉はないが実入りは十分というのが傭兵の特徴でもあった。
「傭兵ってもそれほど悪くないぜ。特に帝国ではな」
ガルが含みを持たせて言った。
「そうですね。私共も傭兵の方たちがいなければ、安心して商売ができませんしね」
メナドがガルに同意した。メナドの手には件のごとく、パイプが握られており、メナドがパイプを吸い込むたびに、先端に詰められたタバコの葉が赤く明滅した。
「傭兵の俺が言うのもなんだが、俺はその程度の労苦なら、正規兵を続けることをオススメする。結局傭兵なんてものは根無し草とそう変わりはないからな。結婚も難しくなるぞ」
アシュロンがガルを緩やかに否定した。
「それはちげえねぇな」
いい年をして独身のガルも、思うところあるのか、笑いながらアシュロンの意見に賛同した。
大皿に盛られた料理は既に空になっていた。皆満腹なのか、旅の疲れなのか瞼が重そうで、周囲の客達もめいめいが部屋に引き上げ始めていた。
「さて、部屋に戻りましょうか」
メナドが解散を指示すると、アシュロン達も席を立った。
アシュロンは皆に気づかれないように、胸元の小袋から琥珀色の透明な粒を取り出した。それはアシュロンが一日一個の楽しみしている蜂蜜飴だった。
「な~に隠してんだよ~」
ガルは酔いが回っているにも関わらず、アシュロンの挙動を察知して、小袋をひょいと奪い取った。
「馬鹿、やめろ。高いんだぞ」
アシュロンが制止するのも気にせず、ガルが小袋の中身を確かめた。
「なんだ、飴ちゃんかよ。つまらん。寝る前に食べると歯悪くするぞ?」
ガルはそういいながらも、蜂蜜飴を三つ程取り出した。そして、一つをそのまま自分の口に放り込んだ。
「おい、坊主に嬢ちゃん。このデカブツがプレゼントしてくれるってよ」
そして、残りの二つをニフィムとナーニェに放り投げた。
ナーニェは危なげなく飴を受け取ったが、ニフィムはわたわたと落としそうになりながらどうにか受け取った。
ナーニェが何か言いたそうな視線をぶつけてきたが、最後には頭を下げて礼をした。ニフィムもナーニェに倣ってちょこんと頭を下げた。
その後ろでジュドーが「あれ、僕の分は?」などと呟いていたが、アシュロンにはこれ以上蜂蜜飴を分けるつもりはないらしい。ジュドーが少しだけしょんぼりしながら、宿の部屋に入っていった。




