残された毒
【主な登場人物】
リリメリア
旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。
黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。
エルナと共に魔女の森を目指す。
エルナ
調査隊の魔術師。
真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。
失った仲間を取り戻す方法を探している。
行商人
自称悪魔の素性不明の行商人。
二人を導くが、何が目的なのかは分からない。
石壁が閉じた。
行商人は目の前の壁を暫く眺めていた。
「……見事に離れ離れだね」
返事はない。
横を見る。
白い猫が退屈そうに座っている。
「君かあ」
猫が見上げる。
「リリちゃんが良かったな」
白い尾が一度だけ床を叩いた。
「冗談だよお」
行商人は笑った。
周囲を見回す。
細い廊下。
先程までいた場所とは違い、窓は一つもない。
天井も低い。
壁には青白い線が幾つも走り、所々で消えた魔術灯へ繋がっている。
床の端には太い金属管。
何に使われていた物なのか、行商人には分からなかった。
「困ったねえ」
白い猫が歩き出す。
「アタシ、ここが魔術院だってことくらいしか知らないんだけど」
猫は止まらない。
行商人も後を追う。
「リコリシアちゃんの家なら何回か行ったけど、こんな所まで案内されたことないし」
曲がり角。
猫は迷わず右へ。
「……君、道分かってる?」
返事はない。
「猫だもんねえ」
行商人は肩を竦めた。
その瞬間。
左腕の奥が疼いた。
「ん?」
足を止める。
再生した腕を見る。
傷はない。
手を握る。
開く。
指も動く。
「何だろ」
また歩き出す。
一歩。
二歩。
突然。
肩から指先まで、焼けた鉄を突き刺されたような痛みが走った。
「っ――!」
身体が折れる。
右手を壁についた。
左腕を押さえる。
痛みは腕だけではなかった。
肩。
胸。
首。
身体の内側へ細い針が何十本も入り込んでくる。
膝から力が抜けた。
その場へうずくまる。
「は……?」
笑顔が消える。
白い猫が振り返った。
すぐに駆け戻ってくる。
行商人の周囲を回る。
前脚を膝へ乗せた。
「大丈夫」
猫が鳴く。
「大丈夫だって」
もう一度。
心配そうに顔を覗き込んでいる。
「ほんとだよお」
左腕の皮膚の下。
一瞬だけ黒紫色の筋が浮かんだ。
行商人の目が細くなる。
血管ではない。
もっと深い場所。
魔力が流れる道に沿っている。
「……ああ」
原因が分かった。
左腕が吹き飛ばされた時。
あの一撃。
破壊するだけではなかった。
「毒まで混ぜたの?」
行商人の顔が引き攣る。
普通の毒ではない。
血を巡る物でもない。
魔力に絡み付いている。
あの時。
行商人は失った腕を作り直すため、自分の魔力を大量に流した。
骨。
肉。
血管。
神経。
指先まで。
一から繋ぎ直した。
その時。
傷口に残っていた物まで、自分の中へ取り込んだ。
「……あの女」
行商人が悔しそうに呟いた。
自分が腕を再生させることを知っていた。
恐らく、その方法まで知っていた。
だから普通に毒を入れるのではなく。
再生する時に巻き込むように残した。
「最初から狙ってたな……」
魔力を動かす。
左腕に再び鋭い痛み。
「っ……!」
すぐに止める。
行商人は壁へ額をつけた。
「性格悪……」
白い猫が鳴く。
「でしょ?」
また鳴く。
「やっぱそう思う?」
猫は答えず、行商人の左腕へ鼻先を近付ける。
行商人は少しだけ笑った。
「君は優しいねえ」
猫の頭へ右手を伸ばす。
触れようとする。
けれど猫は一歩下がった。
「そこは駄目なんだ」
行商人は苦笑した。
痛みが少しずつ引いていく。
完全には消えない。
左肩の奥に、熱を持った針が残っているようだった。
壁へ手をつきながら立ち上がる。
「魔術使わなきゃ大丈夫そうかなあ」
影を見る。
いつもなら、そこから好きな武器を取り出せる。
刀。
槍。
鎌。
鎖。
けれど魔力を流せば、毒も同時に動く。
先程の槍。
あれを出した時にも腕が痛んだ。
疲労のせいだと思っていた。
「参ったねえ」
白い猫は先程よりゆっくり歩き始めた。
行商人が気付く。
「アタシに合わせてる?」
猫は振り返らない。
「リコリシアちゃんより百倍優しいじゃん」
数歩進む。
痛みはある。
だが歩ける。
「次会ったら絶対文句言お」
猫の耳が僅かに動いた。
廊下の先で音がした。
硬い物が床へ触れる音。
白い猫が止まる。
行商人も足を止めた。
暗がりから魔物が現れる。
四本脚。
背中から何本もの白い結晶。
首は細く。
頭部の大半を裂けた口が占めている。
行商人達を見つける。
身体を沈めた。
「今?」
魔物が走った。
行商人の足元の影が揺れる。
反射的に手を伸ばす。
刀の柄が僅かに浮いた。
同時に。
左腕へ激痛。
「っ!」
行商人はすぐに魔力を切った。
刀が影へ沈む。
「やめやめ」
魔物が飛び掛かる。
行商人は身体を横へずらした。
爪が服を掠める。
床へ着地した魔物の横腹へ蹴りを叩き込む。
魔物が壁へぶつかる。
「魔術使えないの久しぶりだなあ」
魔物が起き上がる。
周囲を見る。
床には壊れた棚。
折れた机。
錆びた金属棒。
行商人は一番長い棒を拾った。
重さを確かめる。
「まあ、いっか」
魔物が来る。
口が開く。
行商人は金属棒を横へ構えた。
噛み付く直前。
口の中へ突っ込む。
魔物の顎が閉じる。
金属が大きく歪んだ。
「うわ、強い」
棒を捨てる。
魔物の勢いを横へ流し、そのまま首を掴んだ。
足を掛ける。
床へ叩きつける。
魔物が暴れる。
近くに転がっていた机の脚を蹴り飛ばす。
身体の上へ落とす。
まだ動く。
「殺すと怒られるんだよねえ」
行商人は壊れた棚から長い布を引き抜いた。
魔物の前脚へ巻く。
後脚。
首。
机の残骸ごと縛り上げる。
魔物が床を引っ掻く。
「うん」
少し離れて眺める。
「アタシ偉い」
白い猫は既に先へ行っていた。
「褒めてよ」
猫が一度だけ振り返る。
「何その顔」
追い掛ける。
廊下は更に細くなっていく。
何度か分岐した。
その度に白い猫は迷わず進む。
右。
左。
階段を下る。
更に奥。
行商人は次第に笑わなくなった。
「ねえ」
猫は歩く。
「アタシより詳しくない?」
行商人は壁を見る。
古い文字。
読めない物も多い。
道案内に使えそうな標識も殆ど残っていない。
「ここ来たことあるの?」
猫は答えない。
「まあ、答えないよねえ」
分岐。
右側には広い廊下。
左側は壁。
猫は左へ行った。
「そっち行き止まりだよ」
白い猫が壁の前で止まる。
行商人も追い付く。
ただの石壁。
扉もない。
「ほら」
猫が前脚を上げる。
石の一つへ触れた。
かち。
小さな音。
行商人の表情が変わる。
「……え?」
壁の中央へ青白い線が走った。
縦。
横。
石がゆっくり奥へ沈む。
冷たい空気が流れてきた。
壁の向こう。
下へ続く細い階段。
白い猫が何事もなかったように入っていく。
「ちょっと待って」
猫は止まらない。
「何で知ってるの?」
白い尾だけが暗闇へ消える。
行商人は壁と階段を交互に見る。
「アタシ、この魔術院の中なんて全然知らないんだけど」
返事はない。
「君の方が詳しいじゃん」
ゆっくり階段へ入る。
左腕がまた疼いた。
顔をしかめる。
「痛……」
白い猫が途中で止まっている。
振り返って待っていた。
行商人は怪訝そうに猫を見る。
「本当に何者?」
猫が小さく鳴く。
「それで誤魔化せると思ってる?」
もう一度。
「可愛いから許すけど」
階段を降りる。
壁には魔術灯がない。
代わりに足元を太い青白い線が走っている。
下へ。
更に下へ。
魔力の流れが強くなる。
行商人にも分かる。
何処か一ヶ所へ大量の魔力が集まっていた。
階段を降り切る。
広い地下通路。
天井には巨大な管が幾つも通っている。
青白い光が管の内部を流れていた。
全て同じ方向。
その先は暗い。
白い猫が歩き出す。
行商人は周囲を見る。
「こっちが中心かなあ」
その時。
どん。
奥から轟音が響いた。
地下通路全体が震える。
管の光が一斉に強くなった。
行商人の表情が変わる。
また。
どん。
何かがいる。
かなり大きい。
そして魔術院全体の魔力が、そこへ集まっている。
「なるほどねえ」
行商人は左腕を押さえた。
今の自分では、まともに魔術を使えない。
影の武器も。
大きな魔術も。
使えば毒が反応する。
「これはちょっとまずいかも」
白い猫が振り返る。
「でも」
行商人は前を見る。
「リリちゃん達も、たぶんあっちだよね」
猫が歩き始める。
行商人もその隣へ並ぶ。
「仕方ない」
少し進んだところで。
左腕にまた痛みが走った。
行商人が顔を歪める。
「あの女……」
今度は笑っていなかった。
「絶対覚えてろよ」
白い猫が心配そうに行商人を見上げる。
その視線に気付くと、行商人は少しだけいつもの笑顔へ戻った。
「大丈夫だよ」
二人はそのまま。
青白い光の集まる魔術院の奥へ進んでいった。
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