八百年前の魔術
【主な登場人物】
リリメリア
旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。
黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。
エルナと共に魔女の森を目指す。
エルナ
調査隊の魔術師。
真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。
失った仲間を取り戻す方法を探している。
行商人
自称悪魔の素性不明の行商人。
二人を導くが、何が目的なのかは分からない。
壁が閉じた。
「リリ!」
エルナはすぐに杖を振り上げた。
光が集まる。
「待て」
腕を掴まれた。
「離してください!」
「壁ごと吹き飛ばす気か!」
ルカだった。
エルナは彼の手を振り払う。
「この向こうにリリがいます」
「だから壊すなって言ってんだよ」
「何故です」
「知らねえよ。こういうの壊すと大体ろくなことにならねえ」
「随分曖昧ですね」
「森で生きてりゃそれで十分なんだよ」
エルナは壁を睨んだ。
先程まで廊下だった場所。
継ぎ目すら見当たらない。
杖の先を近付ける。
青白い光が細く伸び、石壁へ触れた。
「おい」
「壊しません。調べるだけです」
ルカの眉が動いた。
エルナは無視する。
魔力を僅かに流す。
反応。
壁。
床。
天井。
一つの術式を探す。
すぐに見つかると思っていた。
だが。
「……?」
杖の角度を変える。
もう一度。
今度は別の場所へ魔力が流れた。
エルナが眉をひそめる。
石畳の隙間。
細い線。
その下に更に別の線。
上からでは分からない。
幾つもの術式が重ねられている。
「空間接続……」
指先で追う。
「違う」
一本を辿る。
途中で三本に分岐。
壁へ。
天井へ。
更に隣の区画へ。
「魔力供給?」
別の線を見る。
「防衛術式」
その下。
「自動修復……?」
ルカが怪訝そうに見る。
「独り言多いな」
「考えているのです」
「分かったのか」
「分からないから考えています」
ルカがため息をついた。
エルナは立ち上がる。
今度は少し強く魔力を流した。
術式の一部が青く光る。
一ヶ所を塞ぐ。
これで接続が止まる。
そう思った。
次の瞬間。
別の線が光った。
塞いだ場所を迂回する。
魔力が流れる。
「……有り得ない」
更に一ヶ所。
止める。
また別の経路。
二ヶ所。
三ヶ所。
結果は同じ。
術式が勝手に道を変える。
「生きている……」
「何が?」
「術式です」
ルカが露骨に嫌そうな顔をした。
「気持ち悪い言い方すんな」
「そういう意味ではありません」
エルナは壁を見上げる。
八百年前。
白災以前から存在していた施設。
何度も増築され。
改修され。
戦争にも使われたはず。
そして今。
誰にも整備されず。
森に呑まれ。
建物の一部は崩れている。
それでも。
術式は死んでいない。
「破損箇所を自動で判断している」
エルナが呟く。
「使えない経路を切り離して、残った部分だけで機能を維持しているんです」
「だから?」
「だからって……」
思わずルカを見る。
「八百年ですよ」
「知ってる」
「八百年間、誰も修理していない」
「多分な」
「それでも動いているんです」
ルカは壁を見る。
「動いてるな」
エルナは言葉を失った。
確かに。
ルカにとっては、これが当たり前なのだ。
エルナは歩き出した。
壁が閉じた以上、別の道を探すしかない。
ルカも後へ続く。
「現在の王都で同じ物を作ろうとすれば、恐らく魔術師を何十人集めても足りません」
「そうなのか」
「この廊下一本で、ですよ」
「へえ」
「興味が無さすぎませんか」
「俺、魔術ほとんど使えねえし」
「それでも」
曲がり角。
エルナが立ち止まる。
「ここでは、人が魔術を使っていたのではありません」
ルカが見る。
「何言ってんだ」
「魔術の中で、人が暮らしていたんです」
照明。
扉。
結界。
空間制御。
魔力供給。
建物そのものが、一つの巨大な術式。
現代の魔術とは根本から違う。
「私達は、必要な時に術式を組んで魔術を使います」
エルナは周囲を見る。
「でもここでは、最初から世界の一部として魔術が組み込まれている」
「便利だったんだな」
「それだけですか?」
「今半分崩れてんぞ」
天井から小さな石が落ちた。
ルカの肩を掠める。
「ほら」
エルナは少し黙った。
ルカが鼻で笑った。
廊下の先。
三つの扉。
中央だけが開いている。
「待て」
「今度は何です」
ルカがしゃがむ。
床へ手を当てる。
鼻を僅かに動かした。
「いる」
エルナも杖を構える。
「何処に」
「向こう」
「何体」
「二……いや三」
エルナには何も感じない。
「分かるのですか」
「匂い」
「魔力ではなく?」
「お前は何でも魔力で見んのか」
ルカが少し笑った。
「使えねえな」
「先程の結界を見つけられなかった人に言われたくありません」
「根に持ってんのかよ」
扉の奥で何かが動いた。
笑っている場合ではない。
ルカは弓を構える。
「殺すなよ」
「分かっています」
「本当に?」
「一度言われれば覚えます」
「さっき壁壊そうとした奴がなあ」
「それとは別です」
影が飛び出した。
四足の魔物。
白い結晶に覆われた身体。
頭部らしき場所から、細長い腕が二本伸びている。
ルカの矢が飛ぶ。
前脚。
魔物の身体が傾く。
「右!」
二体目。
エルナが杖を向ける。
「凍れ」
床から氷が走った。
魔物の脚を覆う。
動きが止まる。
三体目。
天井。
ルカが叫ぶ。
「上!」
エルナが顔を上げた。
遅い。
魔物が落ちてくる。
ルカがエルナの肩を掴み、横へ引いた。
爪が床を削る。
「ぼさっとすんな」
「見えていました」
「嘘つけ」
ルカは弓を捨てるように背へ回した。
腰から二本の短剣を抜く。
魔物へ走る。
正面。
そう思った瞬間。
壁を蹴った。
身体が跳ねる。
魔物の頭上。
短剣の柄を首元へ叩き込む。
着地。
振り返る前に脚を払う。
魔物が床へ倒れる。
「今!」
エルナが杖を向ける。
氷。
魔物の身体が床へ縫い付けられた。
最初の一体が矢を引き抜こうともがく。
ルカは落ちていた布を拾った。
顔へ投げる。
視界を塞ぐ。
その隙に背後へ。
縄を巻く。
「手伝え!」
「命令しないでください!」
言いながらもエルナが氷を追加する。
数分後。
三体とも動けなくなっていた。
ルカは最後の結び目を確認する。
「これで良い」
エルナは彼を見る。
「随分慣れていますね」
「何が」
「戦闘です」
「森にいりゃ嫌でもな」
「弓だけではないのですね」
「近付かれた時に弓だけでどうすんだよ」
もっともだった。
エルナは三体の魔物を見る。
一体が氷の中でも身体を動かそうとしている。
「何故殺してはいけないのでしょう」
「またそれか」
「気になります」
「知らねえって言っただろ」
「魔女に言われただけ?」
「そうだよ」
「理由は?」
「黙ってた」
「それで従っているのですか」
ルカは縄を締め直した。
「そうだ」
「随分信用しているのですね」
手が止まった。
耳が僅かに動く。
「俺とミミルルが今生きてんのは、あの人のおかげだからな」
エルナは何も言わなかった。
ルカが立ち上がる。
「理由言わねえのはいつものことだ」
「不満ではないのですか」
「ある」
即答だった。
「でも殺すなって言うなら殺さねえ」
「何故」
「恩があるからだよ」
ルカが苛立ったように言った。
「全部納得しないと人の言うこと聞けねえのか?」
エルナは口を閉じた。
少しだけ。
答えに詰まった。
「……場合によります」
「面倒くせえ」
「あなたに言われたくありません」
また歩き出す。
今度はルカが先。
エルナは少し後ろ。
廊下には幾つもの分岐があった。
だが、何処を選んでも同じ方向へ曲げられている。
エルナは次第に気付いた。
「誘導されています」
「何?」
「この通路です」
壁の術式を見る。
「無作為に分断したのではありません」
「じゃあ何だ」
「何処かへ送ろうとしている」
ルカの表情が変わる。
「何処に」
エルナは杖を床へ向けた。
魔力の流れ。
細い。
だが確かに。
全て同じ方向へ集まっている。
「中央です」
「中央?」
「恐らく、この施設の中枢」
その時。
遠くで轟音が鳴った。
二人とも止まる。
先程より近い。
壁の青白い線が一斉に強く光った。
拘束した魔物達が後方で暴れ始める。
ルカの耳が伏せられる。
「まただ」
「魔物も同じ方向へ向かっていましたね」
「ああ」
「この術式も」
エルナは前を見る。
暗い廊下。
その遥か先。
微かに青白い光が見える。
「全て、同じ場所へ集まっている」
ルカが短剣を抜いた。
「だったら行くしかねえだろ」
「珍しく意見が合いましたね」
「俺は最初からそう言ってんだよ」
二人は歩き出した。
数歩進む。
「ルカ」
「何だ」
「先程は、ありがとうございました」
ルカが振り返る。
「何が」
「上の魔物です」
「ああ」
それだけ。
また前を向く。
「次は自分で避けろ」
「当然です」
「あと足元見ろよ」
「あなたこそ結界には気を付けてください」
「まだ言うのか」
「事実です」
暗い廊下の先へ。
二人の足音が重なっていった。
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