魔術院跡
【主な登場人物】
リリメリア
旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。
黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。
エルナと共に魔女の森を目指す。
エルナ
調査隊の魔術師。
真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。
失った仲間を取り戻す方法を探している。
行商人
自称悪魔の素性不明の行商人。
二人を導くが、何が目的なのかは分からない。
旧魔術院の正門は、片方だけが残っていた。
黒ずんだ金属の門扉が大きく傾き、太い蔦に絡まれている。
その向こうには森の中とは思えない程広い石畳が続いていた。
左右には幾つもの建物。
崩れた塔。
木々に呑み込まれた渡り廊下。
太い根が地面を割り、石畳を何枚も持ち上げている。
森の中へ建物が作られたというより、一つの街が森に食われたように見えた。
リリメリアは門の前で足を止めた。
「大きい」
「帝国時代の魔術院ですからね」
エルナは門の奥を見たまま答える。
声には僅かに好奇心が混じっていた。
杖を握る手は緩めていない。
それでも視線は塔から建物へ、忙しく動いている。
「現代の魔術の研究機関より、恐らくずっと進んでいました」
「へえ」
「何であなたが得意そうな顔をするのですか」
行商人が笑う。
「懐かしいなあって」
エルナの目が細くなる。
山猫の少年も振り返った。
「やっぱ来たことあんじゃねえか」
「さっきからそう言ってるでしょ?」
「何年前だよ」
「昔」
「それ答えになってねえから」
少年は吐き捨てるように言い、門を潜った。
白い猫も当然のように後へ続く。
リリメリアが一歩踏み出してから、思い出した。
「待って」
「何だよ」
少年が振り返る。
「名前」
「は?」
「まだ聞いてない」
少年は面倒そうな顔をした。
「必要か?」
「呼ぶ時困る」
「山猫で良いだろ」
「山猫」
「やっぱやめろ」
「じゃあ教えて」
少年の尾が不機嫌そうに左右へ揺れる。
「ルカ」
「ルカ」
「何回も呼ぶな」
「覚えた」
「そうかよ」
ルカは再び歩き始めた。
リリメリアもその後を追う。
魔術院へ入った途端、森の音が遠くなった。
風は吹いている。
木々も揺れている。
けれど鳥の声がしない。
虫の鳴き声もない。
その代わり、何処か遠くで石が擦れる音がしていた。
ずる。
一度止まる。
暫くすると、また。
ずる。
先程聞いた轟音とは違う。
もっと近い。
「何がいるの?」
リリメリアが尋ねる。
「魔物」
ルカは前を見たまま答える。
「どれくらい?」
「知らねえ」
「数えてないの?」
「数えたって増えたり減ったりする」
リリメリアは周囲を見る。
建物の窓は黒く、何も見えない。
「外には出ないの?」
「普段はな」
エルナが反応する。
「普段は?」
「ここ何日か変なんだよ」
ルカが足元へ目を落とした。
石畳には深い傷が残っている。
何本も。
硬い物を引き摺ったような跡が、魔術院の奥へ続いていた。
「いつも中にいる奴が移動してる。結界も勝手に動き始めた」
「結界?」
ルカが返事をする前に立ち止まった。
「動くな」
エルナが杖を構える。
「何ですか」
「そこ」
ルカはリリメリアの数歩先を指差した。
何もない。
石畳と、その隙間から伸びた草だけ。
ルカは小石を拾う。
前方へ投げた。
石が地面へ落ちる。
直後。
空中に青白い線が走った。
一本。
二本。
瞬く間に無数の線が交差し、小石を包む。
乾いた音がした。
石は細かな破片になって地面へ落ちた。
「……危なかった」
リリメリアが呟く。
「だから前歩くなって言っただろ」
「これも罠?」
「昔からある奴だ。普段は動いてねえ」
エルナが一歩近付く。
青白い線は既に消えていた。
「術式が再起動している……?」
杖の先を近付ける。
ルカが服の後ろを掴んだ。
「触んな」
「触りません」
「触りそうだった」
「調べようとしただけです」
「同じだろ」
「違います」
行商人が後ろから笑う。
「エルナちゃん、目が輝いてるよお」
エルナが振り返る。
「あなたは少し休んでいてください」
「心配してくれてる?」
「弱っている状態で余計なことをされると困るだけです」
「素直じゃないねえ」
行商人は相変わらず笑っている。
けれど顔色はまだ悪い。
正門まで歩いただけなのに、呼吸も僅かに深くなっていた。
左腕は動く。
ただ、殆ど使おうとしない。
リリメリアはその腕を見る。
「まだ痛い?」
「痛くはないよ」
「疲れる?」
「すっごく」
「じゃあ休んでた方が良いよ」
行商人が少し笑う。
エルナは二人の会話を聞いていたが、何も言わなかった。
ルカが結界を避けるように壁際へ進む。
一行も後へ続いた。
中央にある大きな建物へ入る。
内部は広い廊下になっていた。
天井は高い。
壁には色褪せた布が垂れ下がり、床には割れた石板や魔術道具らしき物が散らばっている。
幾つもの扉が並んでいた。
エルナが一つ一つを見ている。
「ここは?」
「知らねえ」
「こちらは研究室でしょうか」
「知らねえって」
「では普段何をしに来ているのですか」
「魔物が外出ねえように見てるだけだよ」
ルカが苛立ったように答える。
「文字読むために来てんじゃねえ」
「勿体ない……」
エルナが小さく呟いた。
リリメリアは足元に落ちていた細い棒を拾う。
半分から折れていた。
先端には小さな石が嵌まっている。
「これ杖?」
エルナが見る。
「恐らく」
「使える?」
「触らないでください」
「もう触ってる」
「では静かに置いてください」
言われた通り床へ戻す。
その時。
廊下の奥から音がした。
ずる。
全員が止まる。
ずる。
何かが近付いている。
白い猫の背中の毛が僅かに逆立った。
ルカは弓を構える。
「下がれ」
暗い廊下の奥。
人影のような物が現れた。
背が高い。
二メートル程。
身体は大きく傾いている。
右肩から二本。
左肩から一本。
合計三本の腕。
脚は左右で長さが違い、長い方を引き摺るように歩いていた。
顔らしき場所には白く濁った大きな目が一つ。
口は見当たらない。
身体の至る所から白い結晶が突き出している。
リリメリアは黒い剣の柄へ手を置く。
魔物が止まった。
こちらを見ている。
「一匹?」
「多分な」
ルカが矢を引く。
魔物の身体が沈んだ。
次の瞬間。
地面を蹴った。
「速い!」
巨体からは想像出来ない速さだった。
ルカの矢が飛ぶ。
魔物の右脚へ刺さる。
体勢が崩れる。
それでも止まらない。
三本の腕で床を掴み、そのまま這うように距離を詰めてきた。
「リリ!」
エルナの声。
リリメリアが横へ跳ぶ。
すぐ後ろを光が通過した。
魔物の足元が凍る。
片脚が床へ固定された。
リリメリアは剣を抜く。
左側から回る。
魔物の腕が振り下ろされる。
黒い剣で受ける。
重い。
腕が痺れる。
「リリ、離れて!」
身体を沈める。
頭上を炎が抜けた。
魔物の肩へ直撃する。
黒い表面が焼ける。
魔物が大きく仰け反った。
リリメリアが踏み込む。
首に見える部分。
ここなら斬れる。
剣を振り上げる。
「殺すな!」
ルカの声が飛んだ。
リリメリアは咄嗟に刃を止めた。
「え?」
魔物の三本目の腕が横から迫る。
避けるには遅い。
黒い物が視界を横切った。
槍。
行商人が影から取り出した黒い槍が、魔物の手の甲を貫いた。
そのまま壁へ突き刺さる。
腕が固定された。
「ぼーっとしない」
行商人が言う。
いつもの笑顔。
けれど声に力がない。
「殺さないなら、動けなくすれば良いじゃん」
ルカが二本目の矢を放つ。
反対側の脚へ刺さる。
「エルナ!」
「分かっています!」
氷が広がる。
両脚を覆う。
魔物が腕を振り回す。
リリメリアは黒い剣の刃を返した。
柄で腕の付け根を強く打つ。
一度。
二度。
三本ある腕の一つから力が抜ける。
ルカが走った。
魔物の背後へ回る。
腰の縄を外し、首と胴の間へ投げる。
「引け!」
リリメリアが縄を掴む。
二人で引く。
魔物の身体が後ろへ倒れた。
エルナの氷が胸元まで伸びる。
床と一緒に固めていく。
魔物は暫く暴れていた。
石床が何度も震える。
やがて動きが小さくなる。
それでも死んではいない。
巨大な目だけが三人を追っていた。
リリメリアは荒い息を吐いた。
「何で殺したら駄目なの?」
ルカは縄を柱へ括り付ける。
「殺すなって言われてる」
「誰に?」
「魔女」
「どうして?」
「知らねえよ」
「聞いてないの?」
「聞いた」
ルカは結び目を強く引く。
「答えなかった」
それ以上話す気はないらしい。
リリメリアは拘束された魔物を見る。
危ない。
外へ出れば誰かを襲うかもしれない。
殺せるなら殺した方が簡単に思える。
けれど、この森の魔女はそうしない。
理由は分からなかった。
エルナも魔物を見ている。
「これ程危険な物を、わざわざ生かしている……」
小さく呟く。
行商人は答えなかった。
槍へ手を伸ばす。
影へ戻そうとした瞬間、身体が僅かに揺れた。
「リコ?」
リリメリアが近付こうとする。
エルナの腕が前へ出る。
止められた。
行商人はそれを見て笑った。
「大丈夫だよお」
槍が影の中へ沈む。
それだけで行商人の額から汗が落ちた。
「今日は本当に役立たずかも」
「最初からそう言っただろ」
ルカが即答する。
「山猫くんアタシに厳しくない?」
「ルカだ」
「ルカくん」
「くん付けんな」
少しだけ空気が緩む。
だが。
魔術院の奥から轟音が響いた。
今までで一番近かった。
壁が震える。
天井から細かな砂が落ちる。
拘束していた魔物が突然激しく暴れ始めた。
「何?」
リリメリアが剣を構える。
魔物はこちらを見ていなかった。
廊下の奥。
更に建物の深い方へ、巨大な目を向けている。
ルカの表情が険しくなる。
「まただ」
「何が起きているのですか」
「だから、それを見に来たんだよ」
奥へ続く廊下へ走る。
一行も後を追う。
幾つかの曲がり角を抜ける。
途中。
別の魔物がいた。
四足。
白い結晶に覆われた小さな獣。
だが襲ってこない。
三人を無視し、同じ方向へ歩いている。
もう一体。
天井近くを這う細長い魔物。
それも同じ方向。
「みんな何処かに向かってる」
リリメリアが言う。
「昨日からこれだ」
ルカの声が低くなる。
「今までこんなことなかった」
エルナが周囲を見る。
「何かに集められている?」
「知らねえ」
行商人だけが黙っていた。
「リコ?」
返事がない。
少し遅れて歩いていた行商人が、突然足を止めた。
笑顔が消えている。
金色の瞳が、建物の奥ではなく森の外側へ向いていた。
「どうしました」
エルナがすぐに杖を構える。
行商人は暫く答えなかった。
目を細める。
何かを探るように。
「……嫌な感じ」
その声には、いつもの軽快さがなかった。
リリメリアにとって初めて聞く声だ。
「何が?」
「まだ分かんない」
行商人は森の向こうを見る。
「でも」
僅かに眉を寄せた。
「何かが近付いて来てる」
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