森へ逃げた少女
【主な登場人物】
リリメリア
旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。
黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。
エルナと共に魔女の森を目指す。
エルナ
調査隊の魔術師。
真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。
失った仲間を取り戻す方法を探している。
行商人
自称悪魔の素性不明の行商人。
二人を導くが、何が目的なのかは分からない。
魔女の森が見えるようになってから、エルナは行商人の背中をジッと見ていた。
相変わらず手ぶらで歩いている。
昨日、十五メートルはあった竜を一人で倒したようには見えない。
あの黒い刀も竜の頭を貫いた巨大な剣も今は何処にもない。
「エルナちゃん」
突然呼ばれ、エルナは視線を逸らした。
「何ですか」
「さっきから見すぎ」
行商人は振り返らないまま言った。
「見ていません」
「そんなにジッと見られたらドキドキしちゃうよ」
「勘違いです」
「ふぅん」
エルナは小さくため息を吐く。
信用出来ない。
それは初めて会った時から変わっていない。
むしろ、知れば知る程に分からなくなっている。
昨日の竜種。
あれはエルナが一人で戦って勝てるような相手ではなかった。
足止めして目を眩ませる。
その僅かな隙に仲間を連れて逃げる。
恐らく、自分に出来るのはそこまでだった。
それでも王都では十分に評価される。
エルナは自分が特別な天才だと思ったことはない。
だが調査隊へ入らなければ、別の道も選べた。
王都に残り魔術の研究を続けることや、宮廷へ仕える道も決して手の届かない物ではなかった。
ある程度優秀だからこそ分かる。
あの行商人は異常だ。
王都の騎士団長。
宮廷魔術師の中でも特に高位の者。
王都の教会で大きな権力を持つ者。
あるいは、表には名の出ない王家の暗部。
あれだけの力を持つ人間がいるとすれば、その辺りだ。
だが、エルナは知らない。
リコという名も。
金色の瞳を持つ、あの女の顔も。
聞いたことすらなかった。
自分が王都の全てを知っている訳ではないが竜種を単独で、それも無傷で殺せる者が、何の噂にもならず存在出来るものなのだろうか。
更に分からないことがある。
何故、そんな者が自分達と旅をしているのか。
金のため。
そう言われれば、それらしくはある。
行商人は金を欲しがるし、薬を渡した時も後で代金を取ると言っていた。
だが、本当に金が目的なのか。
あれだけの力があるなら、わざわざ自分達について来る必要などない。
欲しい物があれば自分で手に入れられる。
何より。
エルナは前を歩くリリメリアを見る。
小さな身体。
黒灰色の髪。
背中には、調査隊から持ち出した黒い剣。
リリメリアは人を疑うことに慣れていない。
だから自分が疑わなければならない。
そして最悪の場合は。
その言葉が浮かび、エルナは杖を握る手に力を込めた。
調査隊はもういない。
隊長も他の皆も戻ってこない。
あの南の鐘で、自分だけが残った。
だから万命炉を探す。
旧文明に存在したという、命に関わる何か。
それが本当に死者を戻せる物なのかは分からない。
記録だって曖昧だ。
何のために作られた物なのかさえ、確かなことは何一つない。
それでも可能性があるなら探したい。
他に何をすれば良いのか、分からなかった。
その旅にリリメリアを連れてきた。
リリは自分から来ると言った。
それでも時々思う。
本当にこれで良かったのだろうか。
自分が一人になるのが怖かっただけではないのか。
守ると言いながら、自分の方がリリに縋っているのではないか。
昨日、行商人に言われた言葉が残っている。
全部自分で何とかしようとする。
腹の立つ言い方だった。
だが、否定出来なかった。
「エルナ」
前を歩いていたリリメリアが振り返る。
「どうしたの?」
「何がですか」
「難しい顔してる」
エルナは自分の頬へ触れた。
「いつも通りです」
「そう?」
「そうです」
「お腹痛い?」
「違います」
「エルナちゃん難しい顔するの得意だよねえ」
行商人が口を挟む。
「あなたは黙っていてください」
「ほら、それ」
リリメリアが少し笑った。
エルナはまた溜息を吐く。
その時、白い猫が立ち止まった。
耳を立て、街道の先を見る。
三人も足を止める。
「……やめてください」
声がした。
小さい。
風に紛れそうな声だった。
「返してください……」
街道が森へ入る少し手前。
道から外れた草地に、三人の男がいた。
その中心に、小柄な少女がいる。
リリメリアと同じくらいの年頃だろう。
濃い茶色の髪。
飾り気のない上着と長いスカート。
先程の村の娘が着ていてもおかしくない服だった。
だが、人間ではない。
頭の上から長い二本の耳が伸びている。
兎の獣人。
少女の足元には籠が転がり、中から幾つもの草が零れていた。
一人の男がそれを足で踏んでいる。
もう一人は少女の兎耳を掴んでいた。
「返してって何を?」
男が笑う。
「これか?」
足元の薬草を蹴る。
「そんなに大事なら拾えよ」
少女が手を伸ばす。
耳を掴んでいた男が強く引いた。
「痛っ……」
「兎の獣人の耳って本当に長いんだな」
「やめてください……」
少女は抵抗しない。
出来ないのだろう。
両手で男の腕を押しているが、殆ど動いていない。
リリメリアが歩き出した。
「待ってください」
エルナが腕を掴む。
リリメリアが振り返る。
「助けないの?」
「助けます」
エルナは男達を見る。
三人。
装備もまともではない。
腰に短剣を下げている程度。
「でも一人で行かないでください」
リリメリアは一度目を瞬く。
それから頷いた。
「うん」
二人で歩いていく。
後ろから行商人もついて来る。
「何だ、お前ら」
男の一人が気付いた。
「その子を離してください」
エルナが言う。
「何で?」
「嫌がっているでしょう」
「こいつ獣人だぞ」
当然のことを説明するような口調だった。
「だから何ですか」
男の顔から笑いが消える。
「面倒くせえ奴だな」
短剣へ手を掛ける。
エルナは杖を構えた。
リリメリアも黒い剣の柄へ手を伸ばす。
「昨日の練習覚えてる?」
後ろから行商人が言った。
「人相手に試させないでください」
エルナが振り返らずに答える。
「冗談だよお」
男が短剣を抜いた。
リリメリアへ向かって走る。
昨日の魔物より遅い。
リリメリアは黒い剣を抜かなかった。
横へ身体をずらし、伸びてきた腕を掴む。
そのまま足を掛けた。
男が地面へ転がる。
二人目がエルナへ向かう。
エルナが杖を軽く振る。
男の足元だけが白く凍った。
「うわっ」
足を滑らせ、尻餅をつく。
兎耳を掴んでいた男が少女を突き飛ばした。
「どけ!」
そのまま林とは反対へ走り出す。
「逃げた」
リリメリアが言う。
「追わなくて良いです」
残った二人も慌てて立ち上がり、仲間を追って走っていった。
行商人が後ろで拍手する。
「良く出来ました」
エルナは杖を下ろした。
リリメリアはすぐに少女の所へ向かった。
少女は地面に座り込んでいた。
両手で片方の耳を押さえている。
「大丈夫?」
リリメリアがしゃがむ。
少女の身体が僅かに跳ねた。
「……はい」
「耳、痛い?」
「少しだけ……」
声が震えている。
近くで見ると、リリメリアとそれ程年齢は変わらなそうだった。
背はリリメリアより少し高い程度。
エルナも近付こうとして、足を止める。
怯えている。
人間そのものを警戒している。
リリメリアはそれ以上近付かなかった。
「これ、あなたの?」
地面に落ちた籠を指差す。
少女が頷く。
「薬草です……」
「薬にするの?」
「はい」
リリメリアが零れた薬草を拾い始める。
エルナもしゃがみ、踏まれていない物を選んで籠へ戻した。
「一人で取りに来たのですか?」
エルナが聞く。
「この辺りにだけ生えるんです」
兎耳が僅かに揺れる。
「名前は?」
少女が顔を上げる。
リリメリアと目が合った。
赤い瞳を見て驚いたのか。
それとも別の理由か。
身体を強張らせる。
「怖がらなくて良いよ」
リリメリアが言った。
「私達、何もしないから」
少女は何か言おうとした。
けれど声にはならなかった。
背後で枝が揺れる。
エルナがそちらを振り返った。
何もいない。
風だった。
再び少女へ視線を戻す。
「……え?」
そこには誰もいなかった。
薬草の入った籠も消えている。
「いない」
リリメリアが立ち上がる。
草が揺れていた。
森へ向かって。
小さな足跡が道を外れ、木々の間へ続いている。
「まさか」
エルナは黒い森を見る。
「入ったのですか?」
「逃げちゃったねえ」
行商人が言う。
「追い掛けよう」
リリメリアがすぐに歩き出す。
エルナはその腕を掴もうとして、止めた。
森ではアタシが助けられないこともある。
昨日の言葉が頭を過る。
目の前には、昼だというのに薄暗い森が広がっている。
行商人だけが、何処か懐かしい物を見るように木々の奥を眺めていた。
「リコ」
リリメリアが呼ぶ。
「行ける?」
行商人は暫く答えなかった。
やがて、いつもの笑顔を作る。
「行こっか」
三人と一匹は、少女の足跡を追って魔女の森へ足を踏み入れた。
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