夜の代わりに
【主な登場人物】
リリメリア
旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。
黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。
エルナと共に魔女の森を目指す。
エルナ
調査隊の魔術師。
真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。
失った仲間を取り戻す方法を探している。
行商人
自称悪魔の素性不明の行商人。
二人を導くが、何が目的なのかは分からない。
第24話 夜の代わりに
鐘の印は、石床へ深く刻まれていた。
エルナが白い粉を払い、杖の光を近付ける。
円の中央にある鐘から、細い線が祭壇の下まで続いている。
「魔術式ではありません」
「じゃあ、何?」
「仕掛けの一部でしょう」
行商人が祭壇の脇へ手を入れた。
石の擦れる音がして、床の一部が僅かに持ち上がる。
「重いねこれ」
言葉とは裏腹に、行商人は片手で石板を退けた。
下には階段が続いていた。
冷たい空気と乾いた土の匂いが上がってくる。
白い猫は迷うことなく先に降りていく。
エルナは行商人を見る。
「何があるか分かっていたのですか」
「知らないよ」
「では何故、迷いなく開けられるのです」
「開きそうだったから。エルナちゃん、そんな事も分からない感じ?」
エルナは返事をせず、杖の光を強くした。
階段は思っていたよりも長かった。
途中で一度折れ曲がり、更に下へ続いている。
降りた先には両開きの扉があった。
木の部分は殆ど朽ちていたが、金属の枠だけが残っている。
その向こうに広がっていたのは、小さな地下室ではなかった。
何本もの太い柱が天井を支える、横長の広間だった。
礼拝所と同じか、それ以上の広さがある。
壁際には石を並べただけの寝台が幾つも作られ、布を吊るして区切っていたらしい金具も残っていた。
奥には水瓶を置く場所。
別の一角には炉の跡。
床には壊れた器や木箱、錆びた道具が白い粉に埋もれている。
更に奥にも部屋が続いていた。
「沢山いたんだね」
「ええ」
エルナが広間を見回す。
「一時的な物ではなさそうです」
白い猫は柱の間を進み、壁の前で止まった。
リリメリアも後を追う。
壁には何本もの線が刻まれていた。
低い位置から始まり、少しずつ高くなっている。
線の横には、見慣れない文字が残っていた。
「読める?」
「旧帝国文字です。全てではありませんが」
エルナが指で白い粉を払う。
文字は浅く、所々欠けていた。
「白い空、二百十三日」
「日付?」
「いいえ。白い空が続いた日数でしょう」
その下にも短い文章が刻まれている。
エルナは少し時間を掛けて読んだ。
「今日も、夜は来なかった」
行商人は何も言わなかった。
壁に背を預け、エルナの指が辿る文字を眺めている。
リリメリアには、何が書かれているのか分からない。
広間の奥には、石で作られた棚が並んでいた。
その一つに、革を綴じただけの帳面が残されている。
触れれば崩れてしまいそうだった。
行商人が近くに落ちていた薄い板を差し込み、帳面を下から持ち上げた。
「乱暴に触らないでください」
「触らなかったら読めないでしょ」
エルナは行商人から帳面を受け取った。
最初の何頁かは滲み、文字の形すら残っていない。
途中から異なる筆跡が幾つも混ざっていた。
「三つ目の鐘で子供を眠らせた。空が明るいので、まだ朝だと言って泣いた」
リリメリアは天井を見る。
地上で鳴った鐘は、この広間へ音を伝えるための物だったのだろう。
「夜がないのに、鐘を鳴らしたの?」
「眠る時間を決めるためでしょう」
「ない夜を作ってたんだね」
行商人が呟く。
頁を捲る。
「白い粉の付いた者が来た。中へ入れるかで争いになった」
次の頁。
「畑の麦が白くなった。子供には食べさせなかった」
その次は字が大きく乱れていた。
「鐘を鳴らす老人が死んだ。今夜から息子が鳴らす」
歴史書に書かれていた白災とは違った。
帝国が滅び都市が消えた。
多くの命と技術が失われた。
ここに残っているのは、誰に何を食べさせるか。
誰を中へ入れるか。
死んだ者の代わりに誰が鐘を鳴らすか。
そんな話ばかりだった。
「赤子が生まれた。この子は、まだ夜を知らない」
エルナの声が小さくなる。
リリメリアは眠っている赤子を想像した。
白い空しか知らない子供。
暗くなることを知らないまま、大きくなった子供。
帳面には何頁か空白が続いた。
次に文字が現れた時、筆跡はまた変わっていた。
エルナは消えかけた文字へ杖の光を近付ける。
「獣人の旅人が、帝都の付近では夜が戻ったと言った。同時に誰もいなかったとも言っている。何が起きているのかわからない」
「でも、ここは?」
「ここでは今日も空が白い」
リリメリアは首を傾げる。
「夜は一緒に戻ったんじゃないの?」
「現在使われている還夜暦では、夜が戻った日は一つの日として定められています」
「こっちが間違ってる?」
「分かりません」
エルナは帳面を見つめた。
「定められた日と、実際にこの場所へ夜が戻った日は違ったのかもしれません」
「じゃあ、還夜暦は嘘?」
「嘘ではありません。暦には始まりが必要です」
少し考えてから、エルナは続けた。
「ただ、全ての人が同じ日に夜を見たとは限らない。それだけです」
行商人は相変わらず黙っていた。
帳面を覗き込むこともない。
白い猫が広間の奥で壁を掻く。
そこには人の名前が幾つも刻まれていた。
天井近くまで続く名前。
読める物と途中で欠けた物。
同じ家名が幾つも並んでいる場所もあった。
エルナが一番下の文字を読む。
「外へ出られなかった者の名を、ここに残す」
リリメリアは名前の列を見上げた。
知らない人ばかりだった。
何が好きだったのか。
誰と暮らしていたのか。
何故ここで死んだのか。
何も分からない。
けれど、ここにいた。
「他の部屋も確認します」
エルナが帳面を板ごと棚へ戻す。
「入口も閉じられるか見ておこうかな」
行商人も階段の方へ歩き出した。
「リリちゃんは?」
「もう少し見る」
「何か出たら呼んでね」
「あなたが残ってください」
エルナが言う。
「嫌だよ。エルナちゃんと二人で見たいし」
「私は嫌です」
二人の声が遠ざかっていく。
リリメリアは名前の刻まれた壁を、もう一度見上げた。
それから振り返る。
石の寝台に、白い女が座っていた。
白い服。
長い銀髪。
水色の瞳。
いつからいたのか分からない。
女は先程まで帳面が置かれていた棚を見ている。
「この人たち、夜を待ってたんだって」
リリメリアが話しかける。
「そうみたいだね」
「知ってた?」
「分からない」
女は壁の名前へ視線を向ける。
「知っていた気もするけど思い出せない」
前にも同じことを言っていた。
何処から来たのか。
何故リリメリアにだけ見えるのか。
「そういえば名前」
「うん?」
「名前がないと困らない?」
「今は誰も呼ばないから」
「私が呼ぶ」
女がリリメリアを見る。
「名前を付けるの?」
「駄目?」
「別に。なんでもいいよ」
リリメリアは考える。
自分の名前も、最初から持っていた物ではなかった。
教会跡に咲いていた二つの花。
それを見つけた人達が言い争い、最後には混ざってリリメリアになった。
「見つけた場所にある物から付けるのが良いと思う」
「誰が決めたの?」
「私の名前がそうだったから」
リリメリアは広間を見回す。
石。
白い粉。
古い帳面。
沢山の名前。
どれも女には似合わない気がした。
「シロ」
「猫みたい」
「ユキ」
「冷たそう」
「ミズ」
「適当になってない?」
女が僅かに笑った。
リリメリアは天井を見上げる。
ここへ来たのは、地上で鐘が鳴ったからだった。
夜のない時代に、眠る時間を知らせていた鐘。
死んだ老人の代わりに、その息子が鳴らした鐘。
「鐘は?」
「名前が鐘なの?」
「鐘を名前にする」
「そのままは変だよ」
「じゃあ、別の呼び方」
リリメリアは以前、ミラから聞いた言葉を思い出す。
小さな鐘や、扉に付ける鐘をベルと呼ぶことがある。
「ベル」
女は何も言わなかった。
嫌なのかと思ったが、暫くすると自分の名前を確かめるように口を開く。
「ベル」
「変?」
「分からない」
女はまた小さく笑った。
「でも、嫌じゃない」
「じゃあベル」
「うん」
その時、階段の方からエルナの声が響いた。
「リリ、来てください。最後の頁に文字があります」
リリメリアが振り返る。
もう一度寝台を見ると、ベルの姿はなかった。
エルナは広間の入口で帳面を持っていた。
「何を話していたのですか」
「名前を付けてた」
「誰にです?」
リリメリアは石の寝台を見る。
誰も座っていない。
「ベル」
「……猫の名前ですか」
「違う」
エルナは不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
帳面の最後の頁を開く。
大きな旧帝国文字が、一行だけ残っていた。
エルナが読む。
「夜が来た。」
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