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万命炉のリリメリア  作者: 曇裡空子
二章 星喰いの魔女
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嘘つきの道

【主な登場人物】

リリメリア

旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。

黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。


エルナと共に魔女の森を目指す。


エルナ

調査隊の魔術師。

真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。

失った仲間を取り戻す方法を探している。


行商人

自称悪魔の素性不明の行商人。

二人を導くが、何が目的なのかは分からない。

礼拝所の中は、外から見るよりも広かった。


左右に並んでいたらしい長椅子は殆どが倒れ、腐った木片が白い粉に埋もれている。


奥には石造りの祭壇が残っていた。


祭壇の上に祀られていた物はなく、背後の壁には人の背丈程の窪みだけが空いている。


白い猫は迷う様子もなく奥へ進み、祭壇の前で立ち止まった。


行商人はその横を通り過ぎると、天井を見上げる。


「こっちなら雨も平気そうだね」


屋根は半分程残っていた。


壁の隙間から風は入るが、街道で眠るよりは良い。


行商人は背負っていた荷物を床へ下ろす。


荷を縛っていた紐を解き、毛布を一枚取り出した。


何事もなかったような動きだった。


少し前に人の姿をした魔物を刺した時と、同じ笑顔を浮かべている。


リリメリアは入口の前から動けなかった。


外には黒い脚を広げた魔物の死体が転がっている。


さっきまでトマと名乗っていた物だ。


エルナも礼拝所には入っていたが、行商人との距離を取っている。


杖は手に持ったままだった。


「何してるの?」


リリメリアが尋ねる。


「寝床の準備」


行商人は毛布を広げながら答えた。


「今日はここで寝るんでしょ?」


「村へ向かいます」


エルナが言った。


行商人の手が止まる。


「村?」


「彼は、この先に村があると言っていました」


エルナは入口の外を見る。


「三時間も掛からないと」


「ああ」


行商人は思い出したように頷いた。


「あれ嘘だよ」


暫く、誰も何も言わなかった。


「嘘?」


リリメリアが聞き返す。


「村なんてないよ」


行商人は再び毛布を広げ始めた。


エルナの眉間に皺が寄る。


「何故そう断定出来るのです」


「だって嘘ついてたから」


「ですから、何故それが分かるのですか」


「何となく?」


「ふざけないでください」


「ふざけてないよお」


行商人は笑っている。


エルナは何かを言おうとしたが、口を閉じた。


そのまま礼拝所の外へ出ていく。


「エルナ?」


「道を確認します」


リリメリアも後を追った。


二人は魔物の死体を避け、トマが示した細い道へ入る。


道は礼拝所の脇を抜け、丘の裏側へ続いていた。


人が一人かろうじて通れる程の幅しかない。


両側には白い草が伸びている。


暫く歩くと、道は下り始めた。


エルナは時折足を止め、地面や周囲の木々を確認する。


「足跡がありません」


白い粉の上に残っているのは、先を歩く二人の足跡だけだった。


村へ続く道なら、もう少し人の往来があるはずだった。


荷車が通った跡もない。


道は丘の下まで続き、低い茂みの前で突然途切れていた。


その先には深い窪地があり、村も分かれ道も見えない。


「ないね」


リリメリアが静かに呟く。


エルナは返事をしなかった。


道の端にしゃがみ込み、白い草を掻き分ける。


土の上に細い溝が残っていた。


何かを引き摺った跡らしい。


溝は道から外れ、丘の斜面を上っている。


二人は跡を辿ると礼拝所の裏側へ戻ってきた。


崩れた壁の根元に、人が屈めば通れる程の仄暗い隙間があった。


エルナが杖の先に小さな光を灯す。


「私の後ろにいてください」


「うん」


隙間を抜けると、小さな部屋へ出た。


礼拝所の物置だったらしい。


棚は倒れ、床には朽ちた布や木箱が散らばっている。


それらに混ざって、革の鞄が落ちていた。


トマが持っていた物とは違う。


エルナが杖の先で鞄を寄せる。


留め具は壊れていた。


中には火打石と、数枚の銅貨が残っている。


その横には片方だけの靴があった。


小さかった。


リリメリアの足よりも小さい。


靴の近くには折れた櫛と、錆びた短剣。


短剣の柄には文字が刻まれていた。


リリメリアには読めない。


エルナが白い粉を指で払う。


「トマ」


「同じ名前?」


「ええ」


エルナの声が少し小さくなる。


部屋の奥には、外套が何枚も積まれていた。


どれも乾いた黒い染みが付いている。


人の骨はなかった。


けれど、ここにいた者達が外套だけを置いて出ていったとは思えなかった。


リリメリアは短剣を見つめる。


「さっきの魔物が、この人を食べたのかな」


「分かりません」


エルナは短剣を拾い上げる。


「名前だけを使った可能性もあります」


「姿も?」


「それも、分かりません」


分からない。


シエナなら、そう書いたのだろう。


分からないことも残す。


リリメリアは小さな靴を拾おうとして、手を止めた。


持ち主が何処にいるのか分からない。


けれど、もう使う者はいないように思えた。


二人が礼拝所へ戻ると、行商人は火を起こしていた。


倒れた長椅子から乾いた木を選び、石床の上で燃やしている。


鍋には水が入っていた。


白い猫は火から少し離れた場所で丸くなっている。


「おかえり」


行商人がニコニコ笑う。


「村はあった?」


エルナは答えず、拾って来た短剣を行商人の前へ置いた。


柄に刻まれた名前が見えるように。


行商人はそれを見た。


笑みは変わらない。


「トマだって」


「読めたのですか」


「それくらいはねえ」


「知っていたのですか」


「何を?」


「あの魔物が、他人の名前を使っていたことです」


「そこまでは知らないよ」


行商人は鍋へ干し肉を入れる。


「嘘つきだってことしか分からなかった」


「それだけで殺したのですか」


「それだけじゃないよ」


「では何です」


「人じゃなかった」


「どうやって判断したのかを聞いています」


「内緒」


エルナの手が杖を強く握る。


けれど、今度は光を集めなかった。


「魔物だったかどうかではありません」


行商人が鍋を混ぜる手を止める。


エルナは真っ直ぐに彼女を見ていた。


「何故、私達に何も言わなかったのです」


「言っても信じなかったでしょ?」


「信じるかどうかを決めるのは私達です」


行商人は少しだけ首を傾げた。


「でも信じなかったよね?」


「結果の話をしているのではありません」


「難しいねえ」


「あなたが人を殺したと思いました」


エルナの声が僅かに震えた。


「私は、あなたを攻撃しようとした」


「知ってるよ」


「それすら楽しんでいたでしょう」


「ちょっとね」


「……最低です」


「ほら、信じてなかった」


行商人は再び鍋を混ぜ始めた。


何を言っても届いていないように見える。


リリメリアは行商人の横顔を見る。


笑っている。


怒られても。


杖を向けられても。


人の持ち物が積まれた部屋を見つけても。


ずっと同じだった。


「魔物だったから、殺して良かったの?」


行商人の手が止まった。


エルナがリリメリアを見る。


行商人は鍋の中を見たまま答えなかった。


「リリちゃんは、駄目だと思う?」


「分からない」


人を食べていたのなら、放っておけばまた誰かが死ぬ。


あの時、行商人が刺さなければ、自分達が襲われていたのかもしれない。


倒したことは間違っていない。


そう思う。


けれど胸の奥に残っている物は消えなかった。


「でも、怖かった」


行商人が顔を上げる。


リリメリアは続けた。


「リコが人を殺したと思った」


「うん」


「私達にも、同じことをするのかと思った」


火の中で木が弾けた。


行商人は何も言わなかった。


笑みだけが、僅かに薄くなっていた。


「すると思う?」


「分からない」


「そっか」


それだけ言うと、行商人は立ち上がった。


礼拝所の外へ向かう。


エルナが杖を持ち直す。


「何処へ行くのです」


「死体を動かしてくる」


「何故です」


行商人は振り返らない。


「血の匂いで他の魔物が来ても面倒だしねえ」


外へ出ていく背中を、エルナは黙って見送った。


リリメリアは火の前へ座る。


暖かかった。


けれど身体の奥までは届かなかった。


「リリ」


エルナも隣へ座る。


「怖い時は、離れていて良いのですよ」


「エルナも怖い?」


「ええ」


迷いのない答えだった。


「ですが、彼女がいなければ私達は死んでいた可能性が高い」


「うん」


「それと信用出来るかは、別の話です」


リリメリアは火を見る。


燃えている木は、少し前まで礼拝所の長椅子だった。


誰かが座るために作られた物。


今は火になり、三人を暖めている。


暫くすると行商人が戻って来た。


外套の裾には黒い液体が付いている。


「遠くへ捨てて来たよ」


誰も礼を言わなかった。


行商人も求めなかった。


鍋の中身を三つの器へ分ける。


一つをエルナへ。


一つをリリメリアへ。


最後の一つを自分の前へ置いた。


白い猫にも小さく千切った干し肉を投げる。


猫は匂いを嗅いだ後、口を付けた。


三人は黙って食べ始めた。


味は薄かった。


ミラが作った物なら、もう少し塩を入れただろう。


そう思ってから、リリメリアは器を両手で持った。


行商人が荷物を探り始める。


中から一冊の本を取り出した。


村を発つ時、燃やそうとしていた本だった。


誰にも読めない文字で書かれている。


行商人はそれを火の横へ置いた。


「燃やすの?」


リリメリアが尋ねる。


「燃やさないよ」


「どうして?」


「リリちゃんが嫌がるから」


行商人は当たり前のように答えた。


エルナが僅かに眉を寄せる。


リリメリアは本を見る。


本には意味がない。


持つ人が意味を付ける。


行商人はそう言っていた。


なら今、この本にはどんな意味があるのだろう。


読めない本。


誰が書いたのかも分からない。


何が書かれているのかも分からない。


けれど燃やされずに残った。


リリメリアが嫌だと言ったから。


それだけだった。


夜が深くなると、エルナは入口に近い場所へ毛布を敷いた。


行商人と外の両方を見張れる位置だった。


行商人は何も言わず、リリメリアの毛布を礼拝所の奥へ移した。


崩れた壁から最も遠い場所。


自分の毛布は、その少し手前へ置いた。


三人の間には距離があった。


以前よりも遠い。


それでも同じ火の明かりが、それぞれの顔を照らしていた。


リリメリアは毛布へ入り、黒い剣を身体の横へ置く。


白い猫は祭壇の前に座っていた。


暗い窪みを見上げている。


「おいで」


呼んでも振り返らない。


猫は前脚で石床を一度掻いた。


硬い物が擦れる音がする。


その時。


何処かで、鐘が鳴った。


とても小さな音だった。


遠くから聞こえたのではない。


石床の下。


礼拝所の、更に奥から聞こえた。


リリメリアは身体を起こす。


「今の、聞こえた?」


エルナが顔を上げる。


「何がですか」


行商人も目を開けた。


笑ってはいなかった。


白い猫の首元で、鳴らない鈴が僅かに揺れている。


けれど音は、そこからではなかった。


猫がもう一度、石床を掻く。


白い粉の下から、古い線が現れた。


円を重ねたような紋様。


その中央には、小さな鐘の形が刻まれていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


初執筆で設定だけ固めて文章を書いてます。


続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

感想もいただけると励みになります。


次回もよろしくお願いいたします。

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