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万命炉のリリメリア  作者: 曇裡空子
二章 星喰いの魔女
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21/35

読めない本

【主な登場人物】

リリメリア

旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。

黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。


エルナと共に魔女の森を目指す。


エルナ

調査隊の魔術師。

真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。

失った仲間を取り戻す方法を探している。


行商人

自称悪魔の素性不明の行商人。

二人を導くが、何が目的なのかは分からない。

旧管理書庫の中は、王立図書院の何処よりも冷えていた。


長く人の入らなかった空気には、埃と乾いた紙、それから古い保存術式の匂いが沈んでいる。


壁際には天井まで届く書架が並んでいた。


王国成立初期に各地から集められながら、現在の目録から外された資料が保管されている。


旧帝国遺跡から回収された文書。


未解読の金属板。


用途の分からない石片。


王命によって封印された記録。


旧帝国の文字を、シェリアは完全には読めない。


けれど、管理番号だけを追えば十分だった。


何処で発見され、誰が調べ、何処へ持ち出されたのか。


それらは旧帝国の者ではなく、現在の王国の人間が残した記録だった。


持ち帰った申請書に書かれた管理番号と近い物を探す。


旧帝都北区地下施設より回収。


人型器体構造図。


王立救命研究院へ移送。


西部遺跡より回収。


魂核形成に関する金属板。


王命により閲覧制限。


旧帝都外縁部より回収。


人格定着失敗例。


王立救命研究院へ移送。


資料そのものは残っておらず、あるのは題名と移送先だけだった。


救命研究院は何十年も前から、旧帝国の遺物を集めている。


医療への転用から欠損器官の再生、魔力性疾患の治療など表向きの理由は、どれも高尚だ。


実際に救命研究院の技術によって助かった人も多い。


けれど、一部の資料だけは王城地下へ移されていた。


王立図書院の目録にも存在しない区画へ。


シェリアは古い翻訳記録を開いた。


同じ旧帝国語へ、解読者たちが異なる意味を当てている。


後継者。


人を継ぐ物。


その中で一人だけが、音をそのまま残していた。


継人。


つぐびと。


シェリアは指先で、その二文字を辿る。


人を継ぐ。


何を継ぐのか。


血筋ではない。


王位でもない。


周囲に並ぶのは、魂と人格と肉体の記録だった。


ならば、人の中身を継ぐ者。


別の肉体へ、記憶や人格を残すための存在。


頁をめくる。


後年に書き加えられた王国側の注釈があった。


第一継承対象。


王城地下第七区画。


人格情報固定。


器体成長。


老化停止。


魔物化個体による再生実験。


第一継承対象の名は書かれていない。


それでも、誰を指しているのかは分かった。


王城地下を使い、国家予算を投じ、別の器へ人格を継がせようとする者。


王以外には考えられない。


「陛下……」


呟いた声が、暗い書庫へ吸い込まれる。


人格を固定する。


魂を器へ定着させる。


肉体を老化させず維持する。


そこで、ライネルクの記録が繋がった。


老化停止。


再生能力。


人格残存率。


魔物化個体の回収。


救命研究院が必要としていた物は、全てあの町にあった。


「町は、救えなかったのではない」


シェリアの声が震えた。


「救わない方が、都合が良かった」


住民が避難すれば、魔物化個体は得られない。


だから警告は止められた。


騎士団には、異常個体を殺さず拘束するよう命じられた。


第六位天使の顕現までは予測していなかった。


研究院が望んでいたのは、制御出来る程度の異常だった。


僅かな住民が魔物へ変わり、研究材料として生きたまま運ばれてくること。


だが異常は想定を越えた。


町も。


騎士団も。


調査隊も。


シエナも。


全て呑み込まれた。


シェリアは閲覧台へ手をついた。


指が震えている。


怒りだけではない。


恐怖だった。


白災観測所所長の言葉を思い出す。


近付きすぎれば、観測する側も現象の一部になる。


今更になって、その意味が分かった。


自分は辿り着いてしまった。


王家が何十年も隠してきた場所へ。


死ぬかもしれない。


その考えが浮かんだ。


シエナの死を知った夜でさえ、これ程身体が冷えたことはなかった。


シェリアは震える手で手帳を取り出した。


継人。


第一継承対象。


王城地下第七区画。


王立救命研究院第二器体研究室。


ライネルク魔物化個体回収。


王命指定。


推測。


要検証。


最後の二語を書いたところで、筆が止まった。


シエナも、分からないことを分からないまま記録した。


姉である自分は、それを曖昧で無責任だと思っていた。


「貴女の悪い癖が移りましたわね」


誰もいない書庫へ言う。


返事はない。


それでも僅かに、恐怖が薄れた。


手帳を閉じようとした時。


背後で鍵が回った。


シェリアの肩が跳ねる。


扉が静かに開き、セバスが入ってきた。


いつもと同じ黒い服。


白い手袋。


穏やかな顔。


「一人で入ると申し上げましたわね」


声が掠れた。


「承知しております」


セバスは閲覧台に広げられた資料を見る。


その視線だけで、シェリアは理解した。


何があるのか知っている。


何処まで読めば、何に辿り着くのかも。


逃げなければならない。


右手へ魔力を集める。


拘束術式を組もうとする。


しかし指先へ集まった光は、形になる前に散った。


腕が重い。


指が痺れている。


「何を、しましたの」


セバスの視線が、シェリアの手元へ向く。


黒ずんだ銀色の鍵。


「遅効性の麻痺術式でございます」


「鍵に……」


白災観測所から戻れば必要になると思ったという言葉。


今夜はここまでにしては、と一度だけ止めたこと。


全て。


人目のない旧管理書庫へ、自分から入らせるため。


「近付かないで」


シェリアは閲覧台を支えに後ずさった。


脚に力が入らない。


「近付かないで!」


今度は叫んだ。


セバスは歩みを止めない。


「誰か!」


扉へ向かって叫ぶ。


「誰か来なさい!」


返事はない。


旧管理書庫の壁は厚い。


封印術式は内側の音を外へ通さない。


それもセバスは知っていた。


「私を殺すつもりですの」


「いいえ」


穏やかな返答が却って怖かった。


「旦那様には、生きていていただきます」


シェリアは机の上の魔術灯を掴み、投げた。


セバスは僅かに身体を傾ける。


灯りが床で割れ、書庫が暗くなる。


その隙に扉へ走る。


一歩。


二歩。


三歩目で右脚が崩れた。


床へ倒れる。


肘を強く打ち、腕へ鋭い痛みが走った。


「助けて」


声が漏れた。


誰へ向けた言葉かも分からない。


床を這う。


爪が石を掻く。


扉までは遠くない。


それでも脚が動かない。


背後から足音が迫る。


シェリアは振り返り、震える手を伸ばした。


小さな火が灯る。


炎を放つ。


セバスの頬を掠め、髪の一部を焦がした。


初めて足が止まる。


まだ抵抗出来る。


もう一度魔力を集めようとした瞬間、手首を掴まれた。


強く捻られる。


痛みに指が開き、火が消えた。


「離しなさい!」


空いた手で顔を引っ掻こうとする。


押さえられる。


身体を捩る。


噛みつこうとする。


何でも良かった。


侯爵家当主としての品位も。


図書院総監としての威厳も。


今は必要なかった。


生きたい。


逃げたい。


怖い。


「嫌……」


涙が浮かぶ。


「お願い、やめて」


セバスの手が一瞬だけ止まった。


「わたくしたちを、家族だと思ったことはありませんの」


長い沈黙。


「ございました」


返事は迷いなく返ってきた。


「シエナお嬢様がお生まれになった日を覚えております」


シェリアの瞳が揺れる。


「旦那様が御当主となられた日を、誇らしく思いました」


「なら、どうして」


セバスは静かに答えた。


「それと密命は、別でございます」


「陛下は、何をしようとしているの」


「お答え出来ません」


「ライネルクの人々を、何だと思っているの!」


「お答え出来ません」


「シエナは!」


声が裂けた。


「シエナは、あの子は、こんな物のために死んだのですか!」


セバスの目が僅かに伏せられる。


「結果としては」


身体を捩り、腕を振りほどこうとする。


セバスの手が肩を押さえた。


床へ仰向けに倒される。


後頭部が石へ当たり、視界が白く弾けた。


「殺しなさい」


シェリアは息を荒くしながら言った。


「何をするつもりかは分かりませんけれど、殺しなさい」


「出来ません」


「命令です」


「その命令には従えません」


「わたくしは、ローディエル家当主です!」


「ええ」


セバスは白い手袋を外した。


手の甲から指先へ、黒い魔術紋が浮かび上がる。


見たことのない術式だった。


見ただけで吐き気がした。


「ですから、生きていていただきます」


「嫌」


セバスの手が額へ近付く。


「嫌です」


後頭部へもう片方の手が回る。


頭を固定される。


シェリアは首を振ろうとする。


動かない。


「触らないで!」


「記憶だけを消しても、旦那様は再び資料を読み、同じ答えへ辿り着くでしょう」


「やめて」


「旦那様の優れた才女でございました」


「やめなさい!」


「同時に、王都にとって危険でもございます」


「セバス!」


初めて名前を叫んだ。


命令ではない。


助けを求める声だった。


「お願い」


涙が耳元へ流れる。


「お願いだから、やめて」


セバスの指が額へ触れた。


「申し訳ございません」


いつもの執事の声。


「処置を開始いたします。旦那様」


最初は、冷たかった。


氷の針を額から差し込まれたような感覚。


次の瞬間、その針が頭の中で何十本にも枝分かれした。


「っ――」


声が出なかった。


痛みが強すぎて、息が止まる。


頭蓋の内側を細い刃で掻き回される。


目の奥。


耳の裏。


首の付け根。


脳の何処に痛みを感じる場所があるのかなど知らない。


けれど確かに、頭の中そのものが焼かれている。


シェリアの背中が床から跳ね上がった。


麻痺していた手足が、意思とは関係なく激しく痙攣する。


踵が石床を何度も打つ。


歯が鳴る。


顎を閉じることも出来ない。


喉の奥から濁った悲鳴が漏れた。


「あ、ああぁ……!」


セバスの手を払おうとする。


腕は無秩序に跳ねるだけで、狙った場所へ届かない。


痛い。


痛い。


やめて。


言葉にしたい。


口から出るのは、途切れた叫びだけ。


魔力がさらに流れ込んだ。


頭の中で何かが弾ける。


視界が黒くなり、すぐに白くなる。


書架が二重に見える。


セバスの顔が幾つにも割れる。


鼻の奥が熱くなり、血が喉へ流れた。


咳き込むことも出来ない。


呼吸が乱れ、唾液が口元から溢れる。


「や、め……」


辛うじて音が出た。


「やめ……て……」


セバスは止めない。


頭蓋の中へ、今度は熱い鉄を注がれる。


記憶が痛みと一緒に引きずり出される。


父の顔。


図書院の大扉。


初めて当主の椅子へ座った日。


夜会の音楽。


シエナの笑い声。


一つ浮かぶ度に、その中心へ黒い針が突き刺さる。


像が砕ける。


意味が失われる。


「御自身の名は分かりますか」


セバスの声が遠い。


シェリア。


シェリア・ローディエル。


答えなければ。


名前を手放してはいけない。


「シェ……」


舌が動かない。


「り、あ……」


音が崩れる。


頭の中では分かっている。


まだ分かる。


わたくしはシェリア。


ローディエル家当主。


王立図書院総監。


その言葉を繰り返す。


シェリア。


当主。


図書院。


けれど一つ唱える度、文字がほどけていく。


シェリアという音が、誰を指すのか分からなくなる。


「妹君の名前は」


その問いだけは、すぐに答えが浮かんだ。


シエナ。


忘れない。


何があっても。


本を伏せて置く。


花を摘む。


誤字を直すと頬を膨らませる。


最後まで家名を捨てなかった。


シエナ。


「シエ……」


声が漏れる。


痛みがさらに強くなる。


頭の内側で、何かが裂けた。


「あああああっ!」


悲鳴が書庫へ響いた。


身体が大きく反り返る。


膀胱から力が抜け、衣服の下へ温かい物が広がった。


涙。


鼻血。


唾液。


自分の身体から出る物を止められない。


呼吸も。


声も。


記憶も。


何一つ自分の物ではなくなっていく。


シエナ。


シエナ。


シエナ。


何度も繰り返す。


だが顔が霞む。


髪の色が分からない。


声が思い出せない。


幼い手。


花。


本。


誰の記憶だった。


「シエ……」


その先が出ない。


名前だったはずだ。


大切な誰か。


忘れてはいけない。


けれど、何故大切なのか分からない。


魔力が最後に深く沈み込んだ。


文字の意味が消えた。


音が言葉にならない。


思考が繋がらない。


痛いという感覚だけが残り、その痛みを何と呼べばいいのかも失われた。


セバスの手が離れる。


シェリアの頭が床へ落ちた。


身体はまだ細かく痙攣している。


口元から泡が流れる。


視界には、黒い形と白い形がある。


何かが自分を見下ろしている。


誰なのか分からない。


何処にいるのかも。


何をされたのかも。


ただ怖かった。


数日後。


王都の夜会では、新しい噂が広がっていた。


「シェリア・ローディエル侯爵が倒れたそうですわ」


「白災観測所まで出向いた後、図書院で無理をなさったとか」


「妹君を亡くした心労でしょうか」


王家から発表された病名は、過労による魔力性脳障害。


生命に別状はない。


しかし記憶と言語、それから判断能力に重い障害が残った。


回復の見込みは薄い。


直系の後継者はいない。


ローディエル家の領地と家政は、王家が暫定的に預かることになった。


王立図書院にも、王城から新たな総監代理が派遣される。


「王家が支えてくださるなら安心ですわね」


ローディエル侯爵家。


東棟から最も離れた一室。


窓には格子が嵌められ、扉の外には王家の護衛が立っていた。


シェリアは窓辺の椅子へ座っていた。


食事を口へ運ぶことは出来る。


支えがあれば歩くことも出来る。


呼びかけられれば、音のした方へ顔を向ける。


けれど、自分の名は分からない。


言葉もほとんど意味を結ばない。


机には、一冊の本が置かれていた。


『花の国の王女』


本は伏せられている。


シェリアは暫くそれを見つめた。


何かが間違っている。


そんな気がした。


手を伸ばす。


指先が震え、表紙を上手く掴めない。


本が机から落ちた。


床で頁が開く。


黒い文字が並んでいる。


以前なら、一目で内容を読めた。


誤字があれば見つけられた。


誰がいつ書いた本かも。


何処へ保管すべきかも。


今は、ただの黒い線にしか見えない。


シェリアは開いた頁を見つめた。


頬を一筋の涙が伝う。


何故泣いているのか。


何を失ったのか。


誰を思い出そうとしているのか。


もう分からない。


その涙が誰のために流れたのか、シェリアはもう知らなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


初執筆で設定だけ固めて文章を書いてます。


続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

感想もいただけると励みになります。


次回もよろしくお願いいたします。

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