↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
万命炉のリリメリア  作者: 曇裡空子
二章 星喰いの魔女
PR
19/35

白災観測所

【主な登場人物】

リリメリア

旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。

黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。


エルナと共に魔女の森を目指す。


エルナ

調査隊の魔術師。

真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。

失った仲間を取り戻す方法を探している。


行商人

自称悪魔の素性不明の行商人。

二人を導くが、何が目的なのかは分からない。

王立白災観測所は、王都から馬車で二日程離れた丘陵地帯に建っている。


天使性反応や魔力の歪みを捉えるには、王城や貴族街を覆う結界から距離を取る必要があるのだと聞いていた。


王都を出た日の夜は、街道沿いの貴族用宿舎に泊まった。


翌朝には再び馬車へ乗り、昼を過ぎた頃になって、ようやく丘の上に白い塔が見えた。


近くで見るのは初めてだった。


白い石を積んだ細長い塔が、灰色の空へ突き刺さっている。


塔の周囲には高さの異なる金属柱が幾つも立ち、細い銀線で互いに結ばれていた。


風が吹く度に、柱の先へ吊るされた薄い板が僅かに震える。


鐘のような音は鳴らない。


ただ、耳の奥へ触れるような低い振動だけがあった。


「随分と陰気な場所ですこと」


馬車を降りながら言う。


同行していた執事のセバスが、塔を見上げた。


「災害を観測する施設でございますから」


「それは存じています」


階段の下では、観測所の職員らしい若い男が待っていた。


灰色の外套。


胸元には、円の中央を白い線が貫く観測所の紋章がある。


「シェリア・ローディエル侯爵閣下でいらっしゃいますか」


「ええ」


「所長がお待ちです」


王都を発つ前、早馬で先触れを出したのは二日前だった。


本来なら面会まで数週間はかかる。


王国中から観測報告が集まる場所であり、所長本人との面会を求める者も多い。


それでも断られなかった。


ローディエル家当主としての立場が効いたのか。


あるいは、向こうにも話したいことがあるのか。


建物の中は、外から見るよりも広かった。


中央の吹き抜けを囲うように、幾つもの階段と通路が伸びている。


壁には王国全土の地図。


地名の上には細い針が刺され、針の色や長さによって異常の種類が分けられていた。


北部には青。


西部には黒。


南街道には白い針が多い。


ライネルクの位置には、他よりも太い一本が深く刺さっていた。


その周囲だけ、地図の紙が変色している。


シェリアが指先を近づける。


「触れないでください」


案内役の男が言った。


「残留魔力を写した物です」


「紙へ?」


「観測術式を通しています。現地の状態と完全に同じではありませんが、近い反応を示します」


紙の表面には、薄い膜のような魔力が張りついている。


シェリアにも、それくらいは分かった。


火を灯す。


物を僅かに動かす。


簡単な防護膜を張る。


貴族として教育を受けた者ならば、その程度の魔術は扱える。


けれど目の前の地図に使われているのは、何十もの術式を重ねた専門技術だった。


何処から魔力を受け取り、どのように現地の反応を再現しているのかまでは読み取れない。


シェリアが主に読んできたのは、人が残した文字だった。


魔力そのものを読む者たちの仕事場は、王立図書院とは別の規則で動いているらしい。


吹き抜けの下には、長い机が幾つも並んでいた。


観測官たちが無言で紙へ数字を書き込み、別の者が透明な管の中を流れる光を確認している。


机の端には、冷めた食事。


椅子の背には、使い古された外套。


腕を枕にして眠っている者すらいた。


「随分と自由な職場ですこと」


「眠れる者は眠らせています」


案内役の男は歩みを止めなかった。


「眠れない状況になってからでは遅いので」


最上階に近い一室へ通された。


扉を開けた瞬間、甘い匂いがした。


砂糖。


それから、焦げた豆の匂い。


部屋の奥には大きな机があり、その上へ書類と本と空の杯が積まれている。


窓辺には、くすんだピンク色の長い髪をした女が座っていた。


髪の間から狐の耳が覗いている。


色の白い顔。


目の下には、化粧でも隠しきれない程濃い隈。


女は片手で紙を持ち、もう片方の手でコーヒーを飲んでいた。


杯の横には、角砂糖を入れるための器がある。


既に半分以上が空だった。


「所長」


案内役が声をかける。


女は紙から目を離さない。


「聞こえてるよ」


「ローディエル侯爵閣下です」


「それも聞こえてる」


気の抜けた声だった。


案内役は困ったようにこちらを見る。


シェリアは何も言わない。


侯爵を待たせて平然としていられる人物が、どのような顔でこちらを見るのかを確かめるくらいの余裕はあった。


暫くして女は紙を机へ置き、ようやく顔を上げた。


「失礼しました、侯爵閣下」


声だけが僅かに整う。


「王立白災観測所所長です。名前は、今日は要らないでしょう」


「随分と変わった御挨拶ですこと」


「名乗ると長くなるので」


女は向かいの椅子を顎で示した。


「どうぞ。コーヒーは要りますか」


「結構です」


「そうですか」


所長は自分の杯へ砂糖を二つ入れた。


既に十分甘いのではないかと思ったが、口にはしなかった。


セバスは扉の近くへ控える。


シェリアは机を挟んで所長と向かい合った。


「ライネルクについて伺います」


「でしょうね」


「第六位天使が顕現する何日も前から、観測所は異常魔力を検知していた」


所長の手が止まる。


驚いた様子はない。


「騎士団から届いた死亡通知に、添付記録番号がありました」


「なるほど」


「観測内容を開示してください」


「御遺族向けの資料なら、既に騎士団へ送っていますよ」


「妹の死因を聞きに来たのではありません」


所長は眠そうな茶色の瞳でシェリアを見る。


「では、何を」


「何故、ライネルクに避難勧告が出されなかったのか」


部屋の中が静かになった。


塔の外で、金属板の震える低い音が続いている。


所長は砂糖の入ったコーヒーを一口飲んだ。


「観測所に避難命令を出す権限はありません」


「聞いていません」


「ですが、答えはそこにあります」


「報告はしたのですね」


「しました」


「何処へ」


「騎士団戦務局。王城危機管理室。南方領主評議会」


「教会には?」


「祈祷痕の異常については、聖還教の白災対策院へ」


「返答は」


所長は机の書類を一枚抜き取った。


差し出された紙には、細かな数字と時刻が並んでいる。


シェリアに意味の分かる言葉は少なかった。


命素停滞。


死者密度上昇。


祈祷痕重複。


天使性類似反応。


「最初の段階では、天使が出るとは断定できませんでした」


所長が言う。


「似た反応は、古い墓地や戦場跡でも観測されます」


「それでも報告した」


「念のために」


「それが握り潰された」


「その表現は正確ではありませんね」


「では訂正してください」


所長は少し考える。


「保留された」


「同じことです」


「結果を知った後なら、そう見えるでしょうね」


シェリアは紙を机へ置いた。


「貴女は随分と冷静ですのね」


「ここで働いていると、そうなります」


所長は別の紙を取る。


そこにはライネルク周辺の地図が描かれていた。


町を中心に、何重もの円。


地下を示す細い線。


宿場の中心を貫く南街道。


街道沿いに集まった宿屋街。


町外れを通る旧導水路。


共同墓地。


聖還教の教会。


そして町の南端に建つ、南の鐘。


「最初に見つかったのは、天使そのものではありません」


所長は旧導水路の付近を指した。


「地下で魔力が戻っていた」


「戻る?」


「流れずに、同じ場所へ返ってくる。循環ではなく停滞です」


シェリアはその言葉に覚えがあった。


王立図書院へ届いた閲覧申請。


旧帝国南部導水路。


死者密度。


祈祷痕。


天使性反応。


「それを調べるため、図書院の資料を求めた」


「ええ」


「ですが、申請を出した時刻と最初の観測時刻が合いません」


所長の狐耳が僅かに動いた。


「どういう意味です」


「図書院へ届いた申請は、最初の異常を観測した日の早朝でした」


シェリアは所長を見る。


「騎士団資料にある最初の観測時刻は、その日の夕刻です」


所長は何も答えない。


目の下の隈だけが、先程より濃く見えた。


「観測する前に、何故その資料が必要だったのですか」


「うちが申請した物ではありません」


迷いのない返答だった。


「申請元は王立白災観測所でした」


「印章は」


「観測所の物です」


「署名は」


「副所長代理」


「その役職はありません」


シェリアは息を呑んだ。


所長は机の引き出しを開け、古い帳簿を取り出す。


頁をめくる。


指先が止まった。


「なるほど」


「何がです」


「印章を使われていますね」


「盗用ですか」


「恐らく」


「誰に」


「その答えを私が持っていると思いますか」


「現代最高の頭脳と呼ばれる方が、分からないで済ませますの?」


所長は顔を上げた。


眠そうだった茶色の瞳が、初めて鋭くなる。


「賢いからこそです」


声は静かだった。


怒っている訳ではない。


けれど部屋の温度が少し下がったように感じた。


「知識は、持つ者を守る物でしょう」


シェリアが言う。


「侯爵閣下らしい考えですね」


「否定なさるの?」


「知識は人を守りません」


所長は空になった砂糖の器を見て、机の下から別の瓶を取り出した。


「正しく使える立場があれば、役に立つだけです」


角砂糖を三つ入れる。


「観測所は異常を見つけました。報告もした。ですが町を動かす権限はなかった」


「王城にはあった」


「ええ」


「それでも動かなかった」


「ええ」


「何故」


「それを調べるつもりですか」


「そのために来ました」


所長はコーヒーを混ぜる。


匙が杯へ当たり、小さな音を立てた。


「妹君のために?」


「ローディエル家当主としてです」


「便利な肩書ですね」


シェリアの眉が僅かに動く。


所長は悪びれない。


「失礼しました」


口調だけが丁寧になる。


「ただ、侯爵閣下が調べようとしているのは、観測所の失態ではありません」


「分かっています」


「本当に?」


所長は机の端から一枚の書類を取り、シェリアの前へ滑らせた。


王立図書院への資料閲覧申請。


申請元は王立白災観測所。


印章も本物。


しかし頁の下部には、別の管理番号が薄く残っている。


王立救命研究院。


「これは」


「用紙の再利用ですね」


所長が言う。


「表面だけ書き換えたのでしょう。普通なら気付かない」


「王立救命研究院が、観測所の名を使った?」


「断定はできません」


「管理番号が残っています」


「残っているからこそ、妙ですね」


所長は紙を指で叩く。


「本気で隠すなら、こんな物は残さない」


「見つけさせるためだと?」


「あるいは、見つかっても困らないと思っているか」


シェリアは申請書を見つめる。


旧帝国南部導水路。


死者密度。


祈祷痕。


天使性反応。


救命研究院が、何故そのような資料を求める。


人を救うための機関が。


「写しをいただきます」


「どうぞ」


所長は止めなかった。


「随分と簡単に渡しますのね」


「どうせ図書院へ戻れば見られるでしょう」


「貴女は調べないのですか」


「調べていますよ」


所長は疲れたように笑う。


「もう何年も」


その言葉だけが、妙に重かった。


「何処まで御存じなの」


「それを話したら、侯爵閣下は帰りますか」


「いいえ」


「なら、話す意味がありませんね」


「随分と不親切ですこと」


「親切で言っています」


所長は姿勢を僅かに正した。


それまで気怠げだった声から、眠気だけが消える。


「観測は、対象から距離を取って行う物です」


「何が仰りたいの」


「近付きすぎれば、観測する側も現象の一部になる」


「脅しですか」


「忠告です」


「誰からの?」


「私からです。珍しく善意で」


狐耳が僅かに伏せられる。


シェリアは申請書を畳んだ。


「善意は受け取っておきますわ」


「それだけですか」


「受け取ることと、従うことは別です」


所長は暫くシェリアを見つめた。


やがて、小さく溜息をつく。


「そう言うと思いました」


「でしたら、最初から止めなければよろしいでしょう」


「止めてはいませんよ」


所長は冷めたコーヒーを飲む。


「ただ、薮をつついて何が出てくるかは分かりませんよ」


シェリアは立ち上がった。


手袋の指先を整える。


「御忠告は覚えておきますわ」


所長の目を見る。


「貴方の先程の言葉、忘れるつもりはございませんから」


所長は何も答えなかった。


帰り際、シェリアはもう一度、ライネルクの刺された地図を見る。


太い白い針。


その周囲に広がる染み。


何日も前から観測されていた異常。


観測前に求められた資料。


王立救命研究院の管理番号。


シエナは何を見つけたのか。


何故、町は見捨てられたのか。


観測所を出ると、空は到着した時よりも暗くなっていた。


セバスが馬車の扉を開ける。


「いかがでしたか、旦那様」


シェリアは申請書の写しを外套の内側へ入れた。


「王立図書院へ戻ります」


「この時刻からでございますか」


王都までは二日かかる。


すぐに戻ったとしても、到着は明後日になる。


「今夜は街道の宿を取ります。夜明けと同時に発ちなさい」


「お屋敷へは」


「戻りません」


「図書院へ直行なさると」


「調べる物が出来ました」


セバスは一度だけ目を伏せる。


「承知いたしました」


馬車が動き始める。


丘の上の観測塔が、少しずつ遠ざかっていく。


窓の向こうで、所長室の灯りだけがまだ点いていた。


その部屋で狐耳の女が何を見ていたのか。


シェリアには知る由もなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


初執筆で設定だけ固めて文章を書いてます。


続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

感想もいただけると励みになります。


次回もよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。