家名の恥
●リリメリア
記憶を失った少女。
黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。
調査隊で過ごした五年間を失い、エルナと共に魔女の森を目指す。
●エルナ
調査隊の魔術師。
真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。
失った仲間を取り戻す方法を探している。
●行商人
素性不明の行商人。
二人を導くが、何を知っているのかは分からない。
第17話 家名の恥
わたくしの名は、シェリア・ローディエル。
ローディエル侯爵家当主にして、王立図書院総監。
今宵の夜会で必要な自己紹介は、それだけで十分だった。
王都西区にあるバルデン伯爵家の広間には、季節を無視して春の花が飾られている。
弦楽器の音が流れ、給仕の持つ銀盆には南方から運ばせた果実酒が並んでいた。
南街道一帯では白災の影響による不作が続いている。
それでも王都まで届いた果実は、今夜も誰かの喉を潤している。
「素晴らしい香りですこと」
そう言って杯へ口を付ける。
思ったより酸味が強いが顔に出す必要はない。
貴族とは、他人の無駄を褒め自らの無駄をも価値へ変える生き物だ。
「シェリア様。先日の古書整理、大変だったそうですわね」
子爵夫人が扇子の向こうから声をかけてきた。
「ええ。蔵書よりも、存在しない本を探す方々への説明に時間を取られましたわ」
「あら、存在しない本を?」
「皆様、御自身が読めない本は禁書だとお考えになるようで」
周囲から小さな笑い声が上がる。
夫人も笑っていた。
誰が笑われたのかまでは理解していないらしい。
王立図書院には、王都へ集められた記録の多くが保管されている。
王家の命令書や貴族院の議事録は勿論、騎士団の戦史、教会から寄託された聖典。
そして白災観測所から届く観測記録。
わたくし自身が書物を棚へ戻す訳ではない。
何を残し、何を禁じ、誰に読ませるか。
それを決めるのがローディエル家の役目だった。
「ですが近頃は、古書どころではございませんでしょう」
隣にいた男爵が杯を揺らす。
「ライネルクで、第六位天使が現れたとか」
広間の空気が僅かに変わった。
音楽は止まらない。
給仕も歩みを緩めない。
王都の外の町が一つ滅びたところで、今夜の料理が冷める訳ではなかった。
「駐留騎士団が全滅したと聞きましたわ」
「王都から派遣された増援も戻っていないそうです」
「まあ。それでは住民は?」
「ほとんど残っていないとか」
言葉だけならば、随分と悲惨な話だった。
それでも語る者たちの表情には、恐怖よりも好奇心が浮かんでいる。
第六位天使の顕現、騎士団全滅と死者多数。
社交界では、どれも今夜を退屈せずに過ごすための話題にすぎない。
「陛下も御心を痛めておられるでしょうね」
伯爵夫人が言う。
「ええ。明日の朝には祈りのお言葉が発表されるそうです」
「教会でも大規模な弔いを行うとか」
「御慈悲深いことですわ」
誰かがそう言い、何人かが頷いた。
王が祈りの言葉を読み上げても、ライネルクの死者が戻る訳ではない。
教会が鐘を鳴らしても、焼けた町が元へ戻ることもない。
それでも王国には言葉と鐘が必要なのだろう。
何もしていないようには見せられないから。
「確か、ライネルクには旧帝都を調べている一団も滞在していたのではなくて?」
誰かが言った。
「調査隊でしたかしら」
「ほら。ローディエル家の御令嬢が加わっていた」
幾つかの視線が、自然を装ってこちらへ向けられた。
わたくしは杯を受け皿へ戻す。
音は立てなかった。
「妹のことかしら」
「ああ。シエナ様でしたわね」
伯爵夫人が眉尻を下げる。
実に整った、哀悼の表情だった。
「調査隊の方々も、亡くなられた可能性が高いそうですわ」
「そう」
自分の声は、いつもと変わらなかった。
手にしていた扇も、指一本分すら動かなかった。
「御心配ですわね」
何と答えることを期待されているのだろう。
悲しみを見せれば慰める。
何も感じていないように振る舞えば、それを新しい噂にする。
どちらにしても、この者たちが求めているのは答えではない。
シェリア・ローディエルがどのような顔をするのか。
それだけだ。
「心配する程のことではございませんわ」
わたくしは微笑んだ。
普段と変わらない角度で。
「あの子は家の責務よりも、自らの好奇心を優先したのですもの」
「では、やはりローディエル家としては……」
夫人が言葉を濁す。
「家名の恥さらしですわ」
先に答えてやる。
「危険な遺跡を渡り歩いていたのです。このような結末も、本人は承知していたでしょう」
「シェリア様も、随分と御苦労なされたでしょうね」
「ええ。本当に困った妹でした」
穏やかに笑う。相手も笑った。
その場の誰もが、欲しかった答えを得て満足したようだった。
それで良い。
妹のために場の空気を乱す必要などない。
侯爵家当主が、一人の家出娘の噂に取り乱す必要もない。
わたくしは話題を変えた。
教会寄託文書の保管期限。
騎士団戦史の閲覧許可。
来月、貴族院へ提出する古文書目録。
どれも今夜の社交には相応しい話だった。
途中で帰ることもしなかった。
妹の訃報を聞いて逃げ出したと思われるなど、耐えられない。
王都の鐘が九つ鳴るまで、わたくしはシェリア・ローディエルであり続けた。
屋敷へ戻ると、執事が玄関で待っていた。
その手には灰色の封書がある。
封蝋に刻まれているのは、剣と王冠を重ねた王国騎士団の紋章。
「旦那様」
女性であっても、ローディエル家の当主は旦那様と呼ばれる。
わたくしが当主となるよりも前から続く、古い習わしだった。
「王国騎士団戦務局より、正式な通達が届いております」
「内容は」
執事は一瞬だけ目を伏せた。
「シエナ様が所属されていた調査隊についてでございます」
「そう」
社交界で聞いた噂が、紙になって届いただけのこと。
封書を受け取る。
紙数枚分の重さしかない。
「今夜の来客は」
「ございません」
「誰も入れないで」
「承知いたしました」
書斎へ入り、扉を閉じる。
使用人が勝手に入ることなどない。
それでも鍵を掛けた。
封を切る。
最初の一枚には、ライネルクで発生した第六位天使災害の概要が記されていた。
王国騎士団南方第三駐留隊、全滅。
王都派遣騎士団、帰還者なし。
住民の死者数は確認中。
二枚目には、現地に滞在していた調査隊の状況が並んでいた。
アリア。
王都暗部に登録された固有術式の発動を検知。
術式停止と同時に魔力反応消失。
生存の可能性なしと判断。
ロイ。
南鐘楼付近にて遺体を発見。
胸部に大型刃物による致命傷。
所持品及び過去の騎士団記録から身元確認。
シエナ
旧宿舎跡にて遺体の一部を発見。
複数の魔物による捕食痕あり。
家紋刻印及び残留魔力紋により身元確認。
死亡認定。
それだけだった。
シエナ・ローディエル。
遺体の一部。
捕食痕。
死亡認定。
三度読んだ。
読み違えてはいない。
王立図書院で誤字や偽造文書を見抜いてきた目が、この時だけ役に立たなくなることもなかった。
続きには、遺体の見つからなかった者たちが記されている。
調査隊隊長。
遺体未発見。
現地に多量の灰状残留物を確認。
魔力紋の照合中。
行方不明。
ミラ。
遺体未発見。
魔物化した住民の中に、本人と特徴の似た個体の目撃報告あり。
行方不明。
エルナ。
遺体未発見。
現地から離れる複数の魔力反応を観測。
生死不明。
記録はそこで終わっている。
紙を机へ置く。
わたくしは椅子に座ったまま、暫く動かなかった。
シエナが死んだ。
魔物に食べられた。
珍しい話ではない。
王都の外では、人は簡単に死ぬ。
だからこそ、立場ある者は与えられた場所へ留まるべきなのだ。
兵士は壁を守り。
学者は書庫で記録を読み。
貴族は領地と家名に責任を持つ。
シエナは、それを守らなかった。
「愚かな子」
声に出す。
夜会で口にした時と同じ言葉だった。
けれど今は、上手く笑えなかった。
書斎を出た。
向かった先は、屋敷の東棟。
シエナが家を出てから、長く使われていない部屋。
扉の前に立つ。
掃除だけは定期的にさせていた。
主が戻る予定のない部屋を維持するなど、無駄でしかない。
けれど処分を命じたことはなかった。
戻ってきた時に、自分で片づけさせるつもりだった。
あの子は本を伏せて置く。
書きかけの紙を床へ落とす。
窓を開けたまま眠る。
わたくしが片づければ、何処に何があるか分からないと文句を言う。
扉を開ける。
机の上には、読みかけの本が伏せられていた。
記憶の中と同じように。
「何度言っても直しませんでしたわね」
声が、誰もいない部屋へ落ちる。
窓辺には、小さな硝子瓶が置かれている。
中には色の抜けた花が一本。
王立図書院の中庭に咲いていた花だった。
幼い頃、シエナが勝手に摘んだ。
花を摘んではならないと叱ると、姉様の分も取ってきたのに、と泣きそうな顔をした。
仕方なく二人で同じ花を一輪ずつ、瓶へ挿した。
わたくしの物は、とっくに捨てた。
シエナの物だけが、まだ残っている。
机の引き出しを開ける。
小さな紙束が入っていた。
子供の字で、本の題名と感想が書かれている。
シエナが幼い頃に作った読書記録。
『花の国の王女』
お姉様は王女ににている。
きれいで、つよくて、少しいじわるだから。
赤い筆跡で、わたくしの訂正が入っている。
似ている。
意地悪。
感想の誤字まで直す人なんて、お姉様くらいです。
シエナはそう言って頬を膨らませた。
それでも翌日には、新しい紙を持ってきた。
読んだ本の話をする時だけは、あの子は姉の言葉を最後まで聞いた。
二人で同じ机を使い、同じ灯りの下で頁をめくった。
冒険へ出たいなどと言い出すまでは。
紙の上に、透明な雫が落ち、幼い文字が僅かに滲む。
「本を汚すなんて」
声が震えた。
「貴女ではあるまいし」
また一滴落ちた。
拭おうとした指が、紙へ触れる前に止まる。
最後に会った日のことを思い出す。
二度と戻らなくて結構。
ローディエルの名を名乗らないで。
そう告げた。
シエナは泣かなかった。
少し困ったように笑い、分かりましたと答えた。
けれど、その後に届いた手紙には必ず同じ名前が書かれていた。
シエナ・ローディエル。
あの子は一度も、家名を捨てていなかった。
「家名の恥さらし」
夜会と同じ言葉を口にする。
今度は、誰も同意しなかった。
誰も笑わなかった。
「本当に、貴女は」
言葉が続かない。
机へ手をついた。
背筋を伸ばしていられなかった。
当主となってから、人前で涙を見せたことはない。
父が亡くなった時でさえ、葬儀の最後までローディエル家当主として振る舞った。
それなのに、家の責務を捨てた妹のために泣いている。
椅子へ座り、幼い文字の上へ額を伏せた。
声を殺す理由などなかった。
それでも泣き声だけは、誰にも聞かせたくなかった。
どれ程そうしていたのか分からない。
やがて涙が止まり、息が整った。
机へ持ってきた騎士団の報告書を広げる。
今度はシエナの名前ではなく、添付記録へ目を向けた。
白災観測所提供。
ライネルク周辺異常魔力観測記録。
最初の観測日は、第六位天使が顕現した日ではない。
その何日も前だった。
日付を見た瞬間、別の記録を思い出す。
同じ日。
白災観測所から王立図書院へ、旧帝国南部に関する資料の閲覧申請が届いていた。
導水路。
死者密度。
祈祷痕。
天使性反応。
申請書へ署名したのは、わたくしだった。
白災観測所は、ライネルクが滅びる数日前から何かを観測していた。
ならば何故、避難命令は出されなかった。
何故、騎士団の到着は間に合わなかった。
シエナは、その異常を知っていたのか。
濡れた目元を指で拭う。
妹の生き方を認めた訳ではない。
家の責務よりも冒険を選んだことは、今でも愚かだと思っている。
それでも、あの子が何を見て、何を残そうとしていたのか。
確認する必要があった。
ローディエル家当主として。
王立図書院総監として。
それから、恐らくは姉として。
「あの子の仕事は、いつも中途半端でしたから」
幼い文字へ向けて言う。
「仕方がありません。続きをして差し上げますわ」
翌朝、白災観測所へ出向くことを決めた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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