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万命炉のリリメリア  作者: 曇裡空子
一章 帰る場所のない少女
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16/35

旅立ち

【主な登場人物】

リリメリア

旧帝都で見つかった記憶のない少女。調査隊と旅をしながら、言葉や感情や剣の扱いを少しずつ覚えていく。


隊長

調査隊を率いる男。大柄で声も大きく頼りになる。

リリメリアを発見物ではなく、保護すべき人として扱う。


アリア

調査隊の副隊長。口数は少ないが、周囲をよく見ている。

元近衛という経歴を持つが、王宮との関係にはどこか冷えたものがある。


ロイ

槍を使う調査隊員。

よく喋り、よく笑い、重くなりがちな場の空気を和ませる。


エルナ

金色の髪の魔術師。

真面目で手順やルールを重んじる。魔術や歴史に詳しい。


シエナ

調査隊の記録係。旧帝国語や古い記録を読み解く。


ミラ

調査隊の料理係。食事や包帯や日々の暮らしを支える人。

南の鐘が鳴ってから、どれ程の時間が経ったのか、リリメリアには分からなかった。


空はまだ暗い。


けれど夜明け前の黒ではない。


白い粉に覆われた空が、朝も夜もなく光を返している。


三人は南の鐘から少し離れた、崩れかけた小屋で休んでいた。


かつては街道を行き交う者のための休憩所だったらしい。


壁の半分は落ちている。


屋根もところどころ抜けていた。


それでも風を避けることはできた。


行商人の怪しい薬のおかげで、リリメリアの肩の傷は塞がり始めていた。


エルナも自分に治癒を施し、立てる程には回復しているが万全ではない。


身体を動かす度に走る痛みに耐えている。


だが南の鐘の下で動けなかった時よりは、ずっと良かった。


白い猫は小屋の入り口で丸くなっていた。


行商人は壁へ背を預け、頬の傷に細い布を貼っている。


鼻歌まで歌っていた。


あれ程のことがあった後なのに何もなかったような顔で。


エルナはずっと、町の方を見ていた。


南の鐘はもう見えない。


焼けた町の煙だけが、空の下に細く残っている。


「戻ります」


エルナが静かに言った。


リリメリアは顔を上げる。


行商人だけは、布を貼る手を止めなかった。


「どこに?」


「町へ」


「何しに」


「生存者がいるかもしれません」


エルナは立ち上がった。


足元がわずかに揺れる。


それでも杖を握り、身体を支えた。


「第六位天使は負傷しています。行動を止めている可能性もあります」


「ないと思うけど」


行商人は頬を指で押さえた。


「それに」


エルナは続ける。


「調査隊の皆をあのままにはできません」


小屋の中に静寂が落ちる。


リリメリアの手が、膝の上で強く結ばれる。


ロイ。


南の鐘の下に残してきた。


ミラも。


シエナも。


アリアも。


町のどこかにいる。


「せめて、弔わなければ」


エルナは町の方を見た。


「調査隊として記録を残し、遺体を」


行商人が吹き出した。


小さな笑いだが聞き間違えるような音ではなかった。


エルナが振り返る。


「何がおかしいのですか」


「全部」


行商人は立ち上がった。


いつものニヤニヤとした笑みが浮かんでいる。


「町にはまだ天使がいる。アンタは歩けるようになっただけ。魔力も半分以下。戻って何するの」


「出来る限りのことをします」


「死ぬこと?」


エルナの顔が強張る。


行商人は構わず、リリメリアを指した。


「自殺するのは勝手だけどさ」


笑みを深くする。


「その自殺に、この子まで付き合わせるつもり?」


リリメリアは行商人を見た。


「ご立派な大人だね」


エルナの杖を握る手が震えた。


「あなたに」


一歩踏み出す。


「あなたに何が分かるのですか」


「ぜ〜んぶ分かるよ」


行商人は笑ったまま答えた。


「アンタが弔いたいんじゃなくて、自分を罰したいだけなんだってことくらい」


「取り消しなさい」


「嫌だ」


「取り消しなさい!」


エルナは行商人の胸元を掴んだ。


傷が痛んだのか、身体が大きく揺れる。


それでも指を離さなかった。


行商人の笑みは消えない。


むしろ面白がるように、エルナの顔を覗き込む。


「ほら。怒る元気はあるんじゃん」


「あなたはいつも」


エルナの声が震える。


「人の痛みを何だと思っているのですか」


「痛みは痛みでしょ」


「なら何故」


「綺麗な嘘を被せているから、剥がしてあげてるの」


エルナの指に力が入る。


行商人の外套が歪んだ。


「エルナ」


リリメリアが呼んだ。


二人の動きが止まる。


「戻らないで」


エルナは振り返らなかった。


「リリ。ですが」


「エルナも、死ぬ」


「私は治癒術師です。まだ出来ることが」


「死んでほしくない」


リリメリアの声は小さかった。


けれど、エルナの指から力が抜けた。


行商人の外套を掴んでいた手が落ちる。


「隊長も、ロイも」


リリメリアは続けた。


「エルナに、立てって言った」


エルナは何も言えなかった。


俯いたまま、唇を噛んでいる。


行商人は二人を見比べた。


それから急に、何事もなかったような笑顔へ戻る。


「はいはい。今のは言いすぎました」


両手を軽く上げた。


「喧嘩おしまい。仲良くしよ?」


エルナが睨みつける。


「誰のせいだと思っているのですか」


「アンタの短気」


「あなたの態度です」


「エルナちゃん手厳しい〜」


行商人はニヤニヤ笑いながら外套の皺を手で直す。


エルナはまだ何か言いたそうだった。


けれど、リリメリアを見ると口を閉じた。


そのまま壁際へ座る。


町の方へ向けていた視線も、もう上げなかった。


小屋の中に沈黙が戻る。


リリメリアは胸元に手を入れた。


取り出したのは、シエナの記録帳だった。


表紙は焼け、端には血がついている。


何度も握ったせいで、少し歪んでいた。


「それ」


エルナが気づく。


「シエナさんの」


リリメリアは頷いた。


頁を開く。


調査隊が通った村。


白災の進行。


見つけた遺物。


失った物資。


隊員たちの状態。


細かな文字が、隙間なく並んでいる。


シエナの字だった。


頁をめくる度に、彼女の声が蘇る。


記録は、残すためにあります。


最後の方は、文字が乱れていた。


町へ入る前に書かれた記録。


南の鐘。


第六位天使。


そして、白災領域を抜けるために調べていた道。


エルナがリリメリアの隣へ移る。


二人で頁を追った。


街道は白化生物の群れにより通行不能。


荒野は既に白災領域。


山道は崩落。


その一文の下に、少し大きな文字があった。


森林地帯。


白災反応は極めて薄い。


天使および白化生物の侵入記録なし。


近隣住民からは、人喰い魔女の森と呼ばれている。


「人喰い魔女」


リリメリアが読む。


エルナの表情が曇る。


「危険です」


「でも、天使が来ない」


行商人が横から記録帳を覗き込んだ。


「近いね」


「知っているのですか」


「まあね」


「人喰い魔女を?」


エルナが問うと、行商人は何故か少し楽しそうに笑った。


「知ってるよ」


「どのような人物ですか」


「性格が悪い」


「あなたよりも?」


「失礼だなあ」


行商人は胸に手を当てた。


「あたしはこんなに親切なのに」


エルナは何も返さなかった。


行商人は気にせず記録へ指を置く。


「でも、強いよ」


「第六位天使よりも?」


「さあ。比べたことない」


「では信用できません」


「ただ」


行商人の指が、天使の侵入記録なしという文字をなぞった。


「天使が近づかないのは本当」


リリメリアは記録帳を見る。


「何故?」


「嫌いなんじゃない?」


「天使が、人喰いの魔女を?」


「多分ね」


行商人は笑った。


「天使に嫌われるなんて、良い魔女でしょ」


「人を喰うとも書いてあります」


エルナが言う。


「天使に喰われるか、魔女に喰われるか。選べるって素敵だね」


「どちらも嫌です」


「贅沢だね」


エルナは深く溜息をついた。


けれど他に行き先はない。


町には第六位天使がいる。


白災は周囲へ広がっている。


リリメリアたちだけでは、長く生き延びることも難しい。


「行きます」


エルナが決意する。


行商人が眉を上げる。


「即決だね」


「他に道がありません」


「さっきまで町に戻るって言ってたのに」


エルナは彼女を睨んだ。


「リリを危険に晒すつもりはありません」


「自分は?」


「私は」


エルナは少しだけ言葉を止めた。


「私も、生きます」


リリメリアはエルナを見た。


その横顔はまだ苦しそうだった。


けれど、町の方を向いてはいない。


「決まりだね」


行商人は荷袋を背負った。


白い猫も立ち上がり、小屋の外へ出る。


リリメリアは記録帳を閉じた。


「名前」


行商人が振り返る。


「何の?」


「あなたの」


「まだ知らなかったっけ」


「知らない」


行商人は少し考えるように空を見た。


本当に考えているようには見えなかった。


「リコ」


「リコ」


リリメリアが繰り返す。


行商人は満足そうに頷いた。


「うん。よろしく」


エルナの目が記録帳へ落ちる。


それから行商人を見る。


「リコ、というのは」


「よくある名前じゃない?」


行商人の口元が笑っていた。


「今、明らかに楽しんでいますね」


「気のせいだよ」


「本名ですか」


「名前だよ」


「本名かと聞いています」


行商人は歩き出した。


「細かいこと気にすると老けるよ、魔術師」


「待ちなさい」


「はやめに森へ入りたいんでしょ」


空には朝も夕方もなかった。


それでも行商人は、白い猫のあとを追っていく。


リリメリアは黒い剣を背負い直した。


記録帳を胸元へしまう。


エルナも杖を握り、隣に立った。


南の鐘は見えない。


ロイも。


隊長も。


町も。


戻らないと決めても、置いてきたものが消えるわけではない。


リリメリアは一度だけ、背後を振り返った。


白い空と、遠くに立つ煙しか見えない。


「行こう」


リリメリアは言った。


エルナが頷く。


少し先で、行商人がこちらを振り返った。


「遅いよ〜」


「あなたが早いのです」


「リコって呼んでいいよ」


「呼びません」


「じゃあ悪魔?」


「行商人で十分です」


「仲良くなれそうにないね」


「同感です」


行商人は楽しそうに笑った。


白い猫が先を歩く。


黒い首輪の鈴は、まだ音を鳴らさない。


三人は森林地帯へ向かった。


天使も寄りつかないと噂される人喰い魔女の森へ。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


1章完結です。


続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

感想もいただけると励みになります。


次回もよろしくお願いいたします。

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