第6話「妹たちの暴走を、営業スマイルで止める」
敵を知るには、まず攻略本を読み込むに限る。
「――以上が、侯爵家の夜会の流れです。筋書き通りなら、開宴から一刻ほどで庭園の東屋に人が集まって、公爵令嬢のクラリス様が、招待客に自らお茶を振る舞います。王家に嫁ぐ者の嗜み、っていう見せ場なんです」
「自分で茶を淹れる、と。……つまり茶器と茶葉が、令嬢の手元にまとまって置かれる時間がある」
「はい。ゲームだと、そこで主人公が王子と出会うだけの場面なんですけど」
「盛る側から見れば、絶好の隙だな」
閉店後の店。帳面には、セラの記憶から書き起こした夜会の見取り図が広がっていた。俺たちはこの数日、営業を回しながら、裏でこれを詰めていた。
リーゼとミアの狙いは、ほぼ読めた。クラリス嬢の茶に眠り草を混ぜ、満座の中で昏倒、あるいは醜態を晒させる。「王子の婚約者候補にふさわしくない病弱な令嬢」の評判を作り、候補から蹴落とす。空いた席に、いずれ自分たちのどちらかを――という筋だ。
「……素人の計画だ。穴だらけだが、穴だらけなのが一番怖い」
「どういう意味ですか?」
「精巧な計画は精巧に防げる。雑な計画は、雑に成功するか、雑に露見するかだ。露見した瞬間、うちは終わる。……成功されても、人の口に薬を入れた時点で終わりだが」
問題は、止め方だった。
「アルさん、いっそお二人を部屋に閉じ込めるのは」
「駄目だ。当日を止めても、計画ごと地下に潜られたら次が読めなくなる。それに閉じ込める理由を母上に説明できない」
「じゃあ、クラリス様に手紙で知らせるのは」
「毒を警告する匿名の手紙なんて、それ自体が醜聞だ。出所を調べられたら、たどり着く先はうち。……いいか、セラ。この件の勝利条件は『妹たちを止める』じゃない。『何も起こらなかったことにする』だ。誰の記憶にも、誰の記録にも残さない。それ以外は全部負けだ」
セラは目を瞬かせて、それから感心とも呆れともつかない顔をした。
「……前世のアルさんの部署、絶対大変なところでしたよね」
「クレーム処理は営業の華だ。さて――」
俺は帳面に、打ち手を三行、書き付けた。
一、薬を無力化する。二、機会を潰す。三、気を逸らす。
「保険は三重に掛ける。どれか一つ抜けても家が飛ぶ賭けだからな」
◆
一手目は、屋敷の中で打った。
妹たちの眠り草の抽出液。あれの在り処は、ミアの巾着と、リーゼの部屋の化粧箱の二か所と当たりがついていた。すり替える。中身を、ただの薄めた香草の煮出し汁に。
「色と匂いを、これに似せてほしい。飲んでも精々、腹が温まるだけのやつ」
「……得意分野すぎて複雑です」
セラは厨房で、青臭い香りの「偽物」を煮出してくれた。薬種問屋の親父から買い取った本物と並べても、俺には見分けがつかなかった。すり替えは、妹たちが学園に出ている昼に、俺が自分の手でやった。掃除婦にも頼まない。人を使えば、人から漏れる。
「これで最悪、盛られても被害は出ない。……が、盛る動作を見られたら、それだけで終わりだ。二手目に行く」
二手目は、店の看板を使った。
夜会の主催者、ダレン侯爵家。その家令が、実はうちの常連だった。俺は夜の部の帰り際を捕まえて、営業スマイルで切り出した。
「いつもありがとうございます。……ときに、来月の夜会で、当店の煮込みを一品、出させていただけませんか。無償で構いません」
「ほう? 無償とは、また」
「侯爵家の夜会で出た、となれば店の箔になります。こちらの得のほうが大きい。それと――もし料理を入れていただけるなら、給仕の段取りにひとつだけ注文が。茶と料理の給仕を、当家の者で一貫させていただきたい。味が変わるので、器と手順には人一倍うるさいんです、うちの料理長が」
「はっはっは、職人とはそういうものだ。よかろう、掛け合ってみる」
これが通れば、東屋の茶器の周りには、常に「うちの目」がある状態になる。妹たちが茶葉に近づく機会そのものを、給仕の動線で潰せる。店を持っていてよかったと、心から思った。商売は、こういうときに人脈と大義名分をくれる。
「……アルさん、いま気づいたんですけど」
「なんだ」
「侯爵家の夜会で料理を出すのって、妨害工作を抜きにしても、お店にとって物凄い商機なのでは」
「気づいたか。三手目はそれだ」
◆
三手目。気を逸らす。
夜会当日、リーゼとミアの関心を、犯行から引き剥がす囮がいる。考え抜いた末、俺は一番危険で、一番効く札を切ることにした。
妹たち本人を、堂々と夜会に連れて行くのだ。それも、主役級の扱いで。
「リーゼ、ミア。来月の侯爵家の夜会、うちの店が料理を出すことになった。ついては当家からも出席する。……お前たちも来い。ドレスは新調する」
「「……えっ」」
夕食の席で切り出すと、妹二人はフォークを止めて固まった。母だけが「あらまあ! 」と手を叩いた。
「に、兄様が、私たちを夜会に? どういう風の吹き回しですか」
「店の格が上がった。次は家の格を上げる番だ。当主として、妹たちを社交界に出す。……お前たち、最近やたら宮廷作法の本を読んでたろう。ちょうどいい」
リーゼの目が、探るように細くなった。かまをかけられている――とまでは、疑っていない目だ。むしろ、思いがけず表玄関が開いたことへの動揺と、隠しきれない好機の色。
「お受けします。……ええ、喜んで」
狙いはこうだ。招かれざる潜入者としてこそこそ動くはずだった二人を、衆目の集まる「グランベル家の令嬢」として会場の真ん中に置く。注目されている人間は、動けない。しかも兄と義姉が給仕で会場中を回っている。犯行の難度は、跳ね上がる。
「……本当に、いいんですか? お二人を会場に入れて」
閉店後、セラが不安そうに言った。
「檻の外で見失うより、檻の中で見張る。それにな、セラ。あいつらに一度、見せておきたいんだ」
「見せる? 何をですか」
「筋書きの外で、家の格が上がるところをだ。毒も王子も使わずに、料理一品で侯爵家に招かれる。……そういう道があると知れば、あいつらの『先回り』の前提が、少しは揺らぐ」
セラはしばらく黙って俺を見ていた。それから、ふ、と息だけで笑った。
「アルさんって、お嬢様がたを、ちゃんと助ける気なんですね。止めるだけじゃなくて」
「当主だからな。それに……破滅が怖くて暴走してる十代の妹を、切り捨てる択はないだろ」
「……はい」
◆
準備は着々と進んだ。そして、思わぬところから伏兵が出た。
母である。
夜会用のドレスの採寸の日、母は上機嫌で娘たちの生地を選びながら、こう言ったのだ。
「リーゼもミアも、頑張ってらっしゃいね。ほら、例の、王子様の件! お母様、応援してるわ。この家、あの子たちの玉の輿で立て直すのが一番早いんですもの」
……例の、王子様の件。
俺は生地見本を持ったまま、静かに母を庭へ連れ出した。
「母上。『例の件』の中身を、どこまで聞いてます」
「あら、アルには内緒だったかしら。あの子たちね、王子様に見初められる作戦を立ててるのよ。健気よねえ。お母様も、お茶会の招待状を回してあげたり、その、お薬? 眠り草? を伝手で取り寄せてあげたり」
血の気が引く、というのを、この体で初めて味わった。
出所は母か。伯爵夫人の伝手なら、薬種の入手記録も残りにくい。妹たちの計画は、素人二人の暴走ですらなかった。頭が春の母親が、善意と全力で、兵站を担いでいた。
「母上。それは応援じゃなくて、共犯って言うんです」
「きょうはん? ……あらやだ、アルったら難しい言葉」
駄目だ。この人に悪意の概念から説明する時間はない。俺は方針を切り替えた。
「――母上。作戦、変わりました。俺が指揮を執ります。王子様の件は、夜会でうちの格を見せるのが先決です。いいですね、当主命令です」
「まあまあ、アルが指揮を! 頼もしいわねえ。ええ、いいわよ」
母は、あっさり陥落した。中身はどうあれ、この家の「一番強い者に従う」性質だけは、ありがたかった。
◆
夜会前夜。閉店後の店で、俺とセラは最終確認を終えた。
薬はすり替え済み。給仕の動線は確定。妹たちは「令嬢」の檻の中。母は当主命令で凍結。打てる手は、打った。
「……あとは、当日か」
「アルさん、あの」
セラが、前掛けの端を握ったまま、言った。
「明日、私も給仕で東屋に立ちます。もし、もしも私が何かしくじって、お家に累が及ぶようなことになったら、私を拾ったことごと、なかったことに――」
「セラ」
俺は、その先を遮った。自分でも驚くくらい、強い声が出た。
「うちの店の看板は、君の料理だ。うちの家の再建は、君と俺の共同事業だ。……なかったことにできるわけがないだろう。君がしくじったら、俺が拾う。俺がしくじったら、君が拾え。半分こだ。パンのときからそうだったろ」
セラは目を見開いて――それから、ゆっくりと赤くなった。前掛けの端を、両手でぎゅっと握って、下を向いた。
「……ずるいです、アルさん。そういうことを、そういう顔で言うの」
「そういう顔とは、どういう顔だ」
「……知りません」
セラは顔を上げないまま、それでも、はっきりした声で言った。
「でも、分かりました。私がしくじったら、アルさんが拾ってくれる。アルさんがしくじったら、私が拾います。絶対に、拾います。……だから明日、私の後ろは見なくていいです。アルさんは、アルさんのやるべきことだけ見ててください。私、アルさんの相棒として、そこに立ちますから」
「……はい。半分こ、ですね」
と、最後に付け足したその声が、少し潤んでいたことには、気づかないふりをした。俺の顔も、たぶん赤かった。灯りのせいだ。そういうことにした。
なんだ、この空気は。四十年と十六年生きて、初めての種類の沈黙だった。俺は誤魔化すように帳面を閉じ、セラは誤魔化すように前掛けを外した。
◆
――そして夜会当日。
結論から言えば、作戦は、九割方うまくいった。
九割の中身と、残り一割の話をする前に、一つだけ。会場に向かう馬車の中で、俺は確かに聞いたのだ。向かいに座るリーゼが、ミアにだけ聞こえるつもりで落とした、小さな小さな呟きを。
「……ねえ、ミア。お兄様って、最近――邪魔、なのよね」
妹の目が、馬車の窓越しに、まっすぐ俺の横顔を映していた。




