第2話「拾った少女の料理は、店が出せる味だった」
硬貨三枚で買えたのは、黒パンが二つと、屋台の余りものの串焼きが一本だった。
路地の脇の石段に並んで座ると、少女は両手でパンを受け取って、深々と頭を下げた。
「あの……本当に、ありがとうございます」
「いいから食え。冷めると硬くなるぞ、それ」
「はい。……いただきます」
両手を合わせてから食べ始めた。その仕草に、俺は一瞬引っかかった。この国の食前の作法は、胸の前で軽く祈るやつだ。手を合わせるのは――まあ、いい。地方によって違うのかもしれない。
少女は最初こそ遠慮がちに齧っていたが、途中から涙目になって、黙々と、一心不乱に食べた。相当に腹が減っていたらしい。見ているこっちの腹の音が鳴りそうになって、俺は目をそらした。今夜の俺の夕食は水だ。
「……えっと。お兄さんの分は」
「食ってきた」
「今、お腹鳴りそうになってました」
「気のせいだ」
少女はしばらく俺を見て、それから黒パンの片方を、ずい、と差し出してきた。
「半分こ、しましょう。それなら、いただいた側の私も気が楽なので」
「……君、施しを受ける側の態度じゃないな、それ」
「よく言われます」
フードの奥で、少女が初めて笑った。煤だらけの顔の中で、その笑顔だけが、妙に真っ直ぐだった。
結局、パンは半分こになった。
◆
食べ終わってから、事情を聞いた。
名はセラ。歳は十五。平民の商家の娘だったが、店が潰れて夜逃げする際、親に置いていかれたのだという。
「置いてかれた、って……捨てられたのか」
「はい。まあ、口減らしですね。荷馬車に乗り切らなかったので」
「軽く言うなあ……」
「重く言っても、お腹は膨れないので」
セラはあっさりした口調のまま、膝を抱えた。
「親戚を頼って三軒回って、三軒とも断られて。住み込みの働き口を探したんですけど、身元保証人がいないと、どこも」
「それで路地で行き倒れかけてた、と」
「お恥ずかしい限りです」
身元保証。前世でもさんざん見た仕組みだ。信用のない人間は働けず、働けないから信用が作れない。世界が変わっても、詰み方は同じらしい。
「働き口さえあれば、なんでもやるのか」
「やります。あ、でも、できれば厨房がいいです」
「厨房?」
「料理だけは、得意なんです」
セラはそこだけ、はっきりと言った。声の温度が一段上がった。
「得意って、どの程度だ。家庭料理ができるってレベルか?」
「うーん……食べてもらうのが早いと思います。材料と、火を貸してもらえれば」
俺は腕を組んだ。正直に言えば、この時点では半信半疑だった。だが、前世の営業職の勘というやつが、妙にざわついていた。自分の商品を「食べてもらうのが早い」と言い切る人間は、たいてい本物か、詐欺師のどちらかだ。
そしてこの少女は、パンを半分こにする詐欺師には見えなかった。
「……よし。うちに来い」
「え」
「言っておくが変な意味じゃないぞ。うちは伯爵家だ。厨房もある。そこで一品作ってみろ。話はそれからだ」
「は、伯爵家!?」
セラはフードの奥で目を丸くして、それから自分の煤だらけの服を見下ろした。
「わ、私、こんな格好で……」
「安心しろ。うちも中身は君と同レベルの貧乏だ」
「伯爵家なのにですか?」
「伯爵家なのにだ。詳しくは歩きながら話す」
◆
屋敷に着いて、セバスに事情を話すと、彼は眉ひとつ動かさず「かしこまりました」と湯の用意をしてくれた。有能な執事は詮索をしない。
煤を落として侍女のお下がりに着替えたセラは、想像より、だいぶ、まともだった。というか。
「……なんですか」
「いや。なんでもない」
薄茶の髪に、大きな目。痩せてはいるが、顔立ちは整っている。
「厨房、お借りしますね」
考えている間に、セラは動き出していた。
そこからの手際は、見事というほかなかった。竈の火加減をひと目で見て取り、食材庫の残り物――しなびた野菜、硬くなったパン、干し肉の切れ端、卵が二つ――を検分して、まな板の前に立った。
包丁の音が、正確に等間隔で刻まれる。無駄な動きが一つもない。前世で連れて行かれた、カウンター割烹の板前を思い出した。
「お待たせしました」
出てきたのは、スープと、パン粥を焼き固めたようなものだった。正直、見た目は素朴だ。貴族の食卓に載る皿ではない。
一口、スープを飲んだ。
……手が、止まった。
しなびた野菜と干し肉の切れ端。材料は間違いなくそれだけのはずなのに、深い。出汁だ。干し肉の塩気と野菜の甘みを、煮出す順番と火加減だけで組み立てている。金のかかった味ではなく、腕でしか出せない味だった。
続けてパン粥のほう。外は香ばしく、中はとろりと熱い。卵の使い方がうまい。硬くなったパンが、これに化けるのか。
「……セラ」
「はい。あ、お口に合いませんでした……?」
「これ、原価いくらか分かるか」
「え? ほぼゼロです。捨てる寸前の材料ですから」
「だよな。ゼロだよな」
俺は皿を見下ろした。頭の中で、算盤が勝手に弾かれていく。原価ほぼゼロでこの味。安い食材を仕入れて、値付けを工夫して、回転を上げれば――。
いける。これは、商売になる。
二週間探し回って見つからなかった「即金性のある事業」の答えが、目の前の皿に載っていた。
「セラ。単刀直入に言う。君の料理で、店をやりたい」
「……お店、ですか?」
「ああ。うちは借金がある。金貨一万五千枚」
「いちまんごせん!?」
「領地の収入だけじゃ利子も追いつかない。商売で稼ぐしかない。で、君の腕はその柱になる。俺は経営と仕入れと客集めをやる。君は厨房だ。給金も出す。……最初は雀の涙だが、店が回れば必ず上げる」
一気に言ってから、気づいた。これでは前世の、部下を無茶なプロジェクトに巻き込むときの口調そのままだ。相手は行き倒れていた十五の少女だぞ。俺は咳払いして、言い直した。
「――というのは、こっちの都合だ。君には衣食住を保証する。働き口と、身元保証人が欲しかったんだろ。それはうちが引き受ける。悪い話じゃないと思うが、どうだ」
セラはしばらく黙って俺を見ていた。やがて、ぽつりと言った。
「……変な人ですね、お兄さん」
「よく言われる」
「行き倒れを拾って、パンを半分こして、その日のうちに共同経営の話をする貴族様なんて、聞いたことないです」
「俺も自分で言ってて、どうかと思ってる」
セラは吹き出した。それから背筋を伸ばして、まっすぐ俺を見た。
「やります。やらせてください。……私、拾ってもらった恩は、味で返します」
◆
ただし、話はそう簡単には進まなかった。問題は身分だ。
「セバス、どうにかならないか。平民の娘を屋敷で雇って、店に立たせるとなると」
「保証人としてはようございますが、お嬢様がたと同じ屋根の下で、他人の娘を住まわせるとなりますと、外聞が。……いっそ、ご養女になさっては」
「養女?」
「先代にも先々代にも例がございます。商家の娘を養女に迎え、家業を任せる。貴族には珍しくない話です」
なるほど。つまりセラは、俺の「義理の妹」になるわけだ。
その日の夕食の席で、俺は家族に話を通した。母は案の定だった。
「あらあらあら! 可愛い子じゃない! いいわよぉ、娘が増えるの、賑やかで素敵」
「母上、話の半分も聞いてないでしょう」
「聞いてたわよ? ええと……この子がすっごくお料理上手なんでしょ?」
「まあ、合ってます」
頭が春の母は、こういうとき話が早い。セラは恐縮しきって、椅子の上で小さくなっていた。
一方、実妹二人の反応は対照的だった。
「兄様が、拾ってきた娘を、養女に」
「ふぅん……」
リーゼとミアは、値踏みするような目でセラを眺めた。歓迎でも拒絶でもない、温度のない視線。セラが「よろしくお願いします」と頭を下げても、「ええ」「よろしく」と短く返しただけだった。
……まあ、急に妹が増えれば、面白くはないか。時間が解決するだろう。このときの俺は、その程度に考えていた。妹たちの目が、セラではなく「養女」という駒の使い道を測る目だったことに、気づきもしなかった。
◆
その夜。執務室で、俺は白紙の帳面を開いた。
一行目に書く。【開業計画】。
立地、初期費用、メニュー構成、価格帯、客層。書き出すべきことは山ほどある。元手はないに等しい。店舗を借りる金すら怪しい。それでも、ペンを持つ手は軽かった。二週間ぶりに、道が見えていた。
扉がノックされた。セラだった。湯上がりで、もう寝間着姿だったが、その手に帳面を抱えていた。
「あの、寝る前に……お店で出せそうな料理、書き出してみたんです。安い材料でできるものから順に」
「もう書いたのか」
「はい。眠れなくて。……その、楽しみで」
差し出された帳面には、料理名がびっしり並んでいた。字は拙いのに、分量と手順は几帳面に整理されている。
「……よし。じゃあ軍議だ、セラ」
「軍議、ですか」
「この味と、俺の前世――じゃなくて、俺のノウハウ。両方あれば戦える。目標、借金完済。まずは店を出すぞ」
「はい!」
返事をしたセラは、帳面を胸にぎゅっと抱えて、それから照れたように付け足した。
「……あの。拾ってくれたのが、アルさんで、よかったです。私、今日、人生で一番運がいい日かもしれません」
「大げさだな。パン半分と、こき使われる未来しかやってないぞ」
「それが嬉しいんです。……変ですか?」
「……いや。分かる気がする」
こうして、グランベル伯爵家再建計画――のちに王都の食通たちを騒がせる、あのレストランの歴史が、寝間着の少女と貧乏貴族の夜更けの軍議から始まった。
なお、俺が「前世」と口走りかけたことに、セラが一瞬だけ箸が落ちたような顔をしていたのを、このときの俺は見逃していた。




