第六話「バッドエンドについて」
【私の日記】
六日目の朝、廊下で女の子とすれ違った。
紫と白の服を着ていた。バーガーの包み紙を手に持っていた。広げて、油染みを見ていた。
すれ違いざまに私を見た。一秒だけ見た。
「……」
何も言わなかった。視線を戻した。また包み紙を見た。
少し歩いて、止まった。
振り返らずに言った。
「……バッドエンドが出ました」
「え」
「あなたの、です」と言った。「今、包み紙で出ました」
「……私のバッドエンドが」
「ええ」と言った。包み紙をまたたたんだ。それだけ言って、また歩き始めた。
「……待ってください」と私は言った。
女の子が止まった。振り返った。
「どんなバッドエンドですか」
「帰れない、です」と静かに言った。「今のところ」
「今のところ、というのは」
「確率が変わることがある」と言った。「今のところ、という意味です」
それだけ言って、また歩いていった。
廊下に一人残った。
真意さんに話した。
「ニ諦ちゃんに会った?」と真意さんは言った。
「包み紙で占いをしていた子ですか」
「そう。精度が高い。ニ諦ちゃんが言ったことは、外れることが少ない」
少ない、という言葉が引っかかった。
「少ない、ということは外れることもある?」
「一度だけ外れたことがある」と真意さんは言った。「理由をニ諦ちゃんが言わない。でも外れた」
「なぜ外れたと思いますか」
真意さんが少し止まった。
「わからない」と言った。「それが今日の調査の対象でもある」
「……私のバッドエンドが出たことは関係ありますか」
「関係するかもしれない」
「どういう意味ですか」
「ニ諦ちゃんが今日あなたに言ったことは、ニ諦ちゃんが自分から伝えた、ということよ。通常、ニ諦ちゃんは頼まれないと言わない」
「自分から伝えたことに意味があるんですか」
「意味があるかもしれない。調べてみる」と真意さんは言った。
私はそのまま午前中を過ごした。
昼、廊下の突き当たりにある部屋の前を真意さんと通った。
「占いの館」という表札が出ていた。
真意さんが扉をノックした。
しばらくして、扉が開いた。
ニ諦ちゃんだった。
部屋の中を少し見た。天幕のような内装だった。薄暗かった。水晶玉がある。タロットカードが散らばっている。バーガーの包み紙がたくさんあった。それぞれにびっしりと何かが書き込まれていた。
「入っていい?」と真意さんが言った。
「どうぞ」とニ諦ちゃんは言った。
二人で入った。
ニ諦ちゃんがテーブルの前に座った。私たちの向かいに。包み紙を一枚、手に取った。広げた。油染みを見た。
「今朝、この子にバッドエンドが出た、と言った理由を聞かせて」と真意さんは言った。
「……頼まれていないのに言った」とニ諦ちゃんは言った。「その理由を聞きたいんですね」
「そう」
ニ諦ちゃんが包み紙から目を上げた。私を見た。
「……悲しいと思ったから」と言った。
「悲しい?」と私は聞いた。
「あなたのバッドエンドを見た時、悲しいと思った。そういう時は確率が変わることがある。だから伝えた」
「確率が変わる、とは」
「言った方が、バッドエンドの確率が下がる。なぜかはわからない。でも一度だけそれで外れたことがある。だから言った」
「……誰のバッドエンドを悲しいと思ったんですか」
「あなたの」とニ諦ちゃんは言った。感情なく言った。でも感情なく言われても、感情がなかったわけじゃないと思った。
「……どんなバッドエンドでしたか」と聞いた。
ニ諦ちゃんが少し止まった。
「帰れないまま、ここに慣れる、というバッドエンド」と言った。「怖くなくなる。危険を感じなくなる。そのまま残る」
「それはバッドエンドなんですか」
「あなたにとっては、そうだと思う。最初の感覚を失うこと——ここが異常だと感じる感覚を失うこと——が一番のバッドエンドだと、包み紙が言っていた」
最初の感覚。
「……慣れてはいけないということですか」
「慣れてもいい。でも最初の感覚を忘れてはいけない」とニ諦ちゃんは言った。「違いがある」
真意さんが何かを書いた。
「ニ諦ちゃん」と真意さんが言った。「今この子のことを悲しいと思っている?」
ニ諦ちゃんが少し間を置いた。
「……今は、少し」と言った。「帰れるといいな、と思っている。そういう時はバッドエンドの確率が下がる傾向がある」
「感情がバッドエンドの確率を変える、という仮説をニ諦ちゃんは持っている、ね」
ニ諦ちゃんが真意さんを見た。少し驚いた顔をした。
「……どうしてそれを」
「調べていたから」と真意さんは言った。「あなたが一度外した理由を」
ニ諦ちゃんが包み紙を置いた。
「……誰にも言っていなかった」
「わかった。言わない」
ニ諦ちゃんが少し、何かを考えた。
「……この子のバッドエンド、今日の夕方の時点で確率が下がっている」と言った。「理由はわからない。でも下がっている」
「それはあなたが悲しいと思ったから?」
「……そうかもしれない」
「次の場所に行く」と真意さんが言った。
私はついていった。
「どこに行くんですか」
「涅槃ちゃんに話を聞く」
「涅槃ちゃん、というのは」
「死の先が空白だった子」と真意さんは言った。「死んで、何もなかった。その話をしてもらいたい」
「……なぜそれが今日の調査に関係するんですか」
「ニ諦ちゃんが感情でバッドエンドを変えた、という話に関係する可能性がある。涅槃ちゃんは死の先から帰ってきた唯一のクルーだから」
廊下を歩いた。「Morgue」という表札の部屋の前で止まった。
扉をノックした。
しばらくして扉が開いた。
黒と紺の服を着た子だった。ダウナーな目をしていた。
「真意ちゃん」と言った。「……助手も」
「話を聞かせて。少しだけ」
涅槃ちゃんが扉を大きく開けた。
部屋に入った。
棺桶がベッドとして置いてあった。壁に絵がかかっていた。「死」をテーマにした、でも不思議と嫌な感じがしない絵だった。
涅槃ちゃんが棺桶の蓋に腰かけた。私たちを見た。
「何を聞きたいの」
「死の先に何もなかった、という話」と真意さんが言った。
涅槃ちゃんが少し沈黙した。
「……そう」とだけ言った。
「何もなかった、とはどういう感触でしたか」
「虚無でもなかった」と涅槃ちゃんは言った。「暗闇でもなかった。あるいは光でもなかった。何もない、という言葉しかない。概念が存在しない場所だった」
「怖かったですか」
「……最初はそうだった」と涅槃ちゃんは言った。「でも今は、そこに意味を置ける、と思っている」
「意味を置く、とは」
「死の先が空白なら、自分で何かを入れることができる」と涅槃ちゃんは言った。「だから死は芸術になる。デザインできる。空白に何を置くかを決めるのが、ボクの仕事かもしれない」
「それは、怖いから美化しているのか、本当にそう思っているのか、どちらだと思いますか」
涅槃ちゃんが少し間を置いた。
「……どちらでもある、と思う」と言った。「最初は怖かった。美化することで処理した。でも美化しているうちに、本当にそう思うようになった。どちらが先かはもうわからない」
「それでいい、と思いますか」
「それでいい、と思っている」とニ諦ちゃんは静かに言った。「怖かった、という事実と、今は美しいと思う、という事実が両方本当なら、それが自分だから」
私は棺桶のベッドを見た。
「……涅槃さんは、死の先が空白だったから、そこに何かを置こうとしている」
「そう」
「何を置きますか」
涅槃ちゃんが少し目を細めた。
「……まだ決めていない」と言った。「決めなくていい気がしている。置く必要が来た時に、置くものが決まる気がする」
「怖くないんですか、決まっていないことが」
涅槃ちゃんが少し笑った。柔らかい笑い方だった。
「決まっていないから、まだある、ということでしょ」と言った。「決まったら終わる気がする。決まらない間は、まだ続く」
帰り道、廊下を歩いていたら、悲醒ちゃんとすれ違った。
狐耳を持った、巫女服の子だった。静かな顔をしていた。
すれ違いざまに、私を見た。
一秒だけ見た。
「……少し、穢れがある」と静かに言った。
「穢れ、とは」
「恐怖の残留」と悲醒ちゃんは言った。「ここに来てからの恐怖が、少し積み重なっている。清めますか?」
「清めると、怖かったことを忘れるんですか」
「忘れるのではなく、軽くなる」と悲醒ちゃんは言った。「でも」
「でも」
「ニ諦ちゃんが言ったことを聞いているなら」と悲醒ちゃんは言った。「最初の感覚を忘れてはいけない、と。清めることで少し薄くなる可能性がある」
「……どっちがいいですか」
悲醒ちゃんが少し考えた。
「それは私が決めることではない」と言った。「ただ、私の契約の最後のページには、何かを書ける可能性がある。書く内容はまだ決めていない」
「……契約の最後のページ、というのは」
「私が古い神々と結んだ契約の話です」と悲醒ちゃんは言った。「最後のページが空白のまま。誰かが毎日少し書き足しているが、まだ完成していない。完成した時に何が起きるかは、私にもわからない」
「……怖くないんですか」
「騒がしいですね」と悲醒ちゃんは言った。「でも——」と少し間を置いた。「空白があるということは、まだ終わっていないということです。それでいいと思っています」
それだけ言って、また歩いていった。
清めは断った。
怖かったことを、少し薄くしたくなかった。
夕方、真意さんと探偵事務所に戻った。
「今日の調査で何がわかりましたか」と私は聞いた。
真意さんがメモを見た。
「ニ諦ちゃんの感情がバッドエンドの確率を変える、という仮説は本人も確認している。理由は不明だけど、感情が結果に影響を与えることが一度実証されている」
「それが私の帰還確率と関係あるんですか」
「関係するかもしれない」と真意さんは言った。「ニ諦ちゃんが悲しいと思った時、確率が変わった。ニ諦ちゃんが今日あなたのことを悲しいと思った。だから確率が下がった可能性がある」
「……感情が物事を変えるんですか、ぱんでむでは」
「ぱんでむだけじゃないかもしれない」と真意さんは言った。「でもぱんでむでは特に可視化されている気がする」
「涅槃さんが言っていました。怖かったという事実と、今は美しいと思うという事実が両方本当なら、それが自分だと」
「聞いていた」
「真意さんも、そう思いますか」
真意さんが少し止まった。
「調査対象として見ていたものが、別の何かに見えることがある」と言った。「それが今日の調査で起きた。何が変わったかは、まだ整理できていない」
「悲しかったですか」と私は聞いた。
「……どういう意味?」
「ニ諦さんのように、悲しいと思ったかどうかということです。今日会った人たちを見て」
真意さんが窓の外を少し見た。
「……わからない」と言った。「でも、何かが変わっている気がする。それがなんと呼ぶべき感情かは、まだわからない」
「それでいいと思います」と私は言った。「涅槃さんが言ったように、決まっていないから、まだある、ということかもしれない」
真意さんが私を見た。
少しだけ、表情が変わった気がした。
何も言わなかった。
タイプライターを打ち始めた。
【真意の調査記録】
**〇月▲×日**
**六日目**
ニ諦ちゃんへの聞き取り:完了。
確認事項:
ニ諦ちゃんが今朝助手に「バッドエンドが出た」と自発的に告げた理由——「悲しいと思ったから」。
悲しいと感じたバッドエンドは確率が下がる傾向がある——本人も認識していた。
今日の夕方時点で助手のバッドエンド確率は朝より低下している——ニ諦ちゃん確認。
理由:不明。でも「ニ諦ちゃんが悲しいと思った」という感情的事実と、「確率が下がった」という物理的事実が同期している。
涅槃ちゃんへの聞き取り:完了。
確認事項:
死の先が空白だった、という事実は確認できた。
「怖かったという事実と、今は美しいと思うという事実が両方本当」という発言——記録する。
「決まっていないから、まだある」という発言——記録する。
悲醒ちゃんとの接触:廊下で偶発的。
助手の「恐怖の残留」を感知した——悲醒ちゃんの感知は正確。
清めを提案した。助手は断った。
「最初の感覚を忘れてはいけない」というニ諦ちゃんの言葉を助手が受け取っていたから、と判断する。
正しい判断だと思う。
今日の調査で変わったこと、について記録する。
涅槃ちゃんの「怖かったという事実と、今は別のものとして感じているという事実が両方本当なら、それが自分だ」という言葉を聞いた時。
私は調査対象として聞いていた、はずだった。
でも途中から、自分のことを考えていた。
ぱんでむが何のために作られたかを知りたい、という動機が「怖いから知りたい」なのか「怖いとは関係なく知りたい」のか——ずっとわからないまま調べてきた。
今日、少し違う問いになった。
怖いから知りたい、という事実と、怖くても知りたいという事実が、両方本当かもしれない。それが私だとしたら——怖いことと知りたいことは矛盾しない。
これは記録として書いていいのかわからない。でも書く。
記録は事実の記録だ。この気づきが事実なら、記録に値する。
助手が「悲しかったですか」と聞いた。
「わからない」と答えた。
本当にわからない。でも——「何かが変わっている気がする」という感触は本物だ。
「決まっていないから、まだある」という涅槃ちゃんの言葉を、助手が私に使った。
適切な使い方だと思う。
適切だと思った、という事実を、記録する。
本日のバッドエンド確率の変動:下降。
理由:感情的事実との相関が高い。
「感情がバッドエンドの確率を変える」という仮説が今日もう少し強化された。
これは私の調査にも影響する。
4層目の一文字を解読しようとしている。その先に何があるか——怖い。
その怖さと、知りたいという動機が共存していいなら——今日より少し、続けやすくなるかもしれない。
**備考:助手、現在生存。六日目。バッドエンド確率、本日比較で低下を確認。**




