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第十四話「頼んでいたことについて」


【私の日記】


帰ってきてから、二十日目。


朝、会社に着くと、机の上に赤いファイルがあった。


私のものではない。


付箋。


《今日もお願いします》


同僚の字だった。


私は隣を見る。


まだ来ていない。


ファイルを開いた。


見積書。

請求書。

納品日の一覧。


数字が多い。


一ページ目の金額と、三ページ目の合計が合わない。


二ページ目だけ会社名の表記が違う。


納品日が一件、休日になっている。


見つけた。


三つ。


昨日と同じだった。


私はファイルを閉じた。


まだ何も書かなかった。


九時十四分。


同僚が来た。


「おはよう」


「おはようございます」


「あ、見た?」


赤いファイルを指す。


「見ました」


「助かる。今日午前中に出したくて」


私は付箋を見る。


「今日も、というのは」


「ん?」


「私はこれを、いつも確認していたんですか」


同僚が笑った。


「してたでしょ」


また。


前から。


私は鞄の中へ手を入れた。


砂糖の袋が指に触れる。


持ってきていた。


昨日、一本入れた。


その前は二本だった。


これは覚えている。


「どのくらいですか」


「またそれ聞くの?」


「すみません」


同僚は椅子に座った。


「半年くらいじゃない? 私が数字苦手だから、提出前に見てもらってた」


「半年」


「たぶん」


「その間、間違いは?」


「いっぱいあったよ」


笑う。


「だから頼んでるんじゃん」


私は赤いファイルを見る。


半年。


私には、その半年がない。


でも。


三つとも、本当に間違っている。


直せば、この人は助かる。


「今日の三箇所、伝えていいですか」


「もちろん」


私は指摘した。


同僚が一つずつ直す。


「あぶな。これそのまま出すところだった」


最後の一件を直して、息を吐いた。


「ほんと助かった」


その言葉は、嘘ではなかった。


少なくとも今は。


スマホが震えた。


《外部参照:二件》


昨日は一件だった。


その下。


《関係履歴:接続》


私は画面を伏せた。


「どうした?」


「いえ」


「体調悪い?」


「大丈夫です」


同僚は少しだけ私を見てから、赤いファイルを抱えた。


「じゃ、出してくる」


「はい」


その背中を見送った。


止めればよかったのかもしれない。


確認を断れば、この半年は私の過去にならないのかもしれない。


でも。


今日の間違いまで放っておく理由にはならなかった。


【真意の調査記録】


三十四日目。


助手から報告。


第三者の記憶に、助手との継続的な業務関係が発生。


期間。

約半年。


内容。

提出前資料の確認。


助手本人に該当記憶なし。


ただし、現在の助手は実際に同業務を遂行可能。


三件の誤りを発見。

第三者に実益。


ここで問題。


過去が偽なら、現在の利益も偽か。


違う。


利益は発生している。


第三者は助かった。


助手も自分で確認することを選んだ。


白紙。


関係履歴

一件


外部参照

二件


整合率:71%


三上昇。


身体適合率との関係はまだ不明。


私は助手へ電話した。


「赤いファイル、まだある?」


「同僚が持っています」


「あなたの記録は?」


「作ってません」


「よかった」


言ってから止まった。


よかった?


何が。


記録しなかったことか。


助手の過去が増えたことか。


「真意さん」


「何?」


「断った方がよかったと思いますか」


答えられなかった。


助手が続ける。


「半年やってたことは覚えてません。でも、今日の間違いは本当にありました」


「そうね」


「放っておいたら、あの人が困りました」


「そう。」


「だからやりました」


私は机の白紙を見る。


関係履歴

接続済


「その判断は、取られた?」


「通知はありません」


「じゃあ」


言いかけてやめた。


守れた、と言うところだった。


「……何でもない」


電話の向こうで、小さく笑う声。


「最近、それ増えましたね」


「何が?」


「真意さんが、途中でやめるの」


私は返事をしなかった。


「前からですか?」


助手が聞いた。


一瞬。


それから二人とも笑った。


「それは、私に聞かないで」


「はい」


白紙は動かなかった。


【私の日記】


昼。


同僚が戻ってきた。


「通った」


赤いファイルを机に置く。


「三つとも直して正解だった。ありがとう」


「よかったです」


「来月も頼むね」


私は返事をしなかった。


来月。


そこまで続く前提になっている。


同僚が首を傾げた。


「だめ?」


私は考えた。


過去半年は知らない。


来月はまだない。


今なら選べる。


「来月、またその時に聞いてください」


「予約できないの?」


「できません」


「厳しいなあ」


同僚は笑った。


「じゃあ来月また頼む」


「その時に決めます」


スマホは震えなかった。


午後。


別の人が来た。


普段ほとんど話さない人だった。


青いファイルを持っている。


「すみません」


「はい」


「これも、見てもらっていいですか」


私は青いファイルを見る。


「これも?」


「いつもお願いしてるって聞いて」


隣の同僚を指した。


「すごく助かったって」


私は何も言わなかった。


スマホが震えた。


《外部参照:三件》


《新規関係:候補》


過去を書き換えたものが。


今日、本当の評判になった。


私は青いファイルを受け取らなかった。


「今日はできません」


「忙しいですか」


「それもあります」


本当は、時間はあった。


「じゃあ明日でも」


「明日も、今は約束できません」


相手は少し困った顔をした。


「分かりました」


戻っていく。


隣から声。


「珍しいね」


私は振り向く。


「何がですか」


「そういうの断るの」


また。


私は笑った。


「前からですか」


同僚も笑った。


「それ、最近好きだね」


「そうかもしれません」


スマホが震えた。


《関係履歴:分岐》


その表示は初めてだった。


【真意の調査記録】


三十四日目。


追加。


整合された過去の業務関係が、現在の第三者へ伝播。


最初の同僚が助手を推薦。


これは履歴整合ではない。


今日起きたこと。


助手は新規依頼を拒否。


結果。


関係履歴:分岐


過去を変えられても。


変えられた過去を原因にして、現在に本物の出来事が発生する。


その出来事に対して、助手は選べる。


ただし。


選んだ結果もまた、次の誰かの記憶になる。


私はここまで書いて、ペンを置いた。


助手を保存する方法を探していた。


保存。


その言葉が違う気がした。


保存された人間は、増えない。


変わらない。


誰かを助けない。

誰かを断らない。

来月の返事を保留しない。


助手は今日、過去にないことを三つした。


助けた。

約束しなかった。

断った。


白紙を見る。


整合率:71%


変化なし。


私はその数字の横に、初めて別の数字を書いた。


今日:三件


何の件数かは書かなかった。


まだ名前をつけたくなかった。


ただ。


減っているものだけ数えるのは、やめる。

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