↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
30/41

第十話「候補になることについて」


【私の日記】


帰ってきてから、十六日目。


朝。


白紙を見なかった。


昨日の最後の三行は覚えている。


不足情報:身体

代替可能

食材検索開始


だから、見ない。


見れば増える。

知れば決まる。


少なくとも、昨日まではそうだった。


顔を洗った。

パンを焼いた。

牛乳を出した。


テーブルにはコップが二つあった。


片方を棚へ戻した。

もう片方で牛乳を飲んだ。


どちらが昨日、水の入っていた方だったかは確認しなかった。


玄関で社員証がないことに気づいた。


棚。

机。

鞄。

上着。


順番に探す。


その途中で、頭の中に言葉が並んだ。


事実。

社員証が定位置にない。


仮説A。

昨夜、鞄から出して別の場所へ置いた。


仮説B。

最初から鞄に入っている。


仮説C。

紛失ではない。


私は手を止めた。


「……何だ、これ」


そんな考え方をした覚えはない。


鞄の内ポケットを開いた。


社員証があった。


一度見た場所だった。


名前も写真も所属も、私のものだった。


裏返す。


小さな鉛筆書きがあった。


確認済


私は消さなかった。


会社へ向かった。


電車の中で、前に立っていた人の鞄が開いていた。

財布が見えている。


教えようと思った。


その前に、ファスナーを見た。

壊れていない。

財布の位置。

改札。

乗車駅。


そこまで考えて、やめた。


「鞄、開いてますよ」


相手は慌てて閉めた。


「ありがとうございます」


それで終わりだった。


終わったのに、頭の中には一語だけ残った。


未確認。


私は窓の外を見た。


【真意の調査記録】


二十九日目。


今日は白紙を見ない。


助手側で食材検索が始まった。


候補条件を調べれば、何が選ばれているのかわかる可能性が高い。


調べない。


候補を知る。

条件を知る。

適合を知る。


その行為自体が、候補を絞る可能性がある。


昨日、助手は私に「人間」という分類を追加した。


既存分類:処理対象

追加分類:人間

優先判定:空欄


まだ空欄だった。


空欄なら、埋めない。


まだ結論はいらない。


私はタイプライターにも触れなかった。


十分後。


背後でキーが一つ沈んだ。


カタ。


振り返らない。


もう一度。


カタ。


私は部屋を出た。


扉を閉める直前、紙が送られる音がした。


見なかった。


現状を変えない。


今は、それが調査だ。


【私の日記】


午前中。


資料の数字が一つ合わなかった。


元データを開く前に、三行目だと思った。


三行目だった。


午後。


メールを読んでいて、妙な感じがした。


「先方確認済みです」


誰が確認したのか書かれていない。


返信欄に、


「確認者はどなたでしょうか」


と打った。


送信する前に消した。


仕事には必要ない。


それでも、文章の穴が気持ち悪かった。


昼休みにノートを買った。


黒い表紙の、どこにでもあるノート。


一ページ目に日付を書いた。


その下に、時刻。

場所。


そして、


確認事項。


私はペンを止めた。


私の字だった。


でも、私の書き方ではなかった。


ページを閉じた。


その時、指が表紙の右上を二度叩いた。


トン。

トン。


知っている動きだった。


誰の?


考えかけて、やめた。


比べない。


名前をつけない。


ノートを鞄の底へ押し込んだ。


午後三時。


同僚が紙を持ってきた。


「これ、書いた?」


会議資料の裏だった。


私の字で、三つに分けてある。


事実:数値不一致

仮説:転記ミス

未確認:入力者


書いた記憶がなかった。


「私の字ですね」


「だよね。何これ、調査メモ?」


紙を受け取った。


その拍子に社員証が落ちた。


同僚が拾った。


「あれ?」


「どうしました?」


「いや。一瞬、名前が違って見えた」


喉が固くなった。


「何て?」


「わかんない。見間違い」


返された社員証には、私の名前があった。


裏を見る。


確認済


その下に、一行増えていた。


適合確認中


私は社員証を伏せた。


帰宅すると、紙と古い木と油の匂いがした。


タイプライターのある部屋の匂い。


白紙は昨日のまま伏せてある。


向かいの椅子は空だった。


黒いノートを机に置いた。


開く。


日付。

時刻。

場所。

確認事項。


その下に、知らない字が増えていた。


続けて。


私はノートを閉じた。


「真意さん?」


呼んでから、後悔した。


向かいの椅子が、わずかに軋んだ。


ギィ。


座面が沈む。


誰もいない。


「……うん」


声がした。


「これ、真意さんが書きましたか」


「わからない」


「私の考え方が変わっています」


返事がない。


「数字を見る前に間違いがわかった。文章の矛盾が気になる。気づいたら、事実と仮説と未確認に分けて書いてる」


椅子が小さく鳴った。


「真意さんに似てる」


「それ、本当に同じもの?」


私は黙った。


「え?」


「似ていることと、同じことは違う」


声は近い。


「先に記録を照合したくなる。でも、しないで」


「どうして」


「照合したら、一致したものが増える」


私は黒いノートを見た。


「じゃあ、これが真意さんのものかどうかも」


「まだ決めない」


「私の中に真意さんが入ってきているのかも」


「それも」


少し強く遮られた。


「消えたと決めるのも、入ってきたと決めるのも早い」


私は口を閉じた。


真意さんらしいと思った。


そう思ったことも、言わなかった。


しばらくして、声がした。


「助手」


「はい」


「今の状態だけ、覚えて」


「記録しなくていいんですか」


「しない」


「真意さんが?」


長い沈黙。


「……今日は」


椅子の沈みが戻った。


声も消えた。


夜。


白紙を見ずに寝た。


午前一時過ぎ、水を飲みに起きた。


机の横を通る。


白紙は伏せたまま。


通り過ぎようとして、止まった。


裏側から文字が透けていた。


身体候補:一


その下にも文字がある。


読めない。


紙をめくれば読める。


手を伸ばした。


指先が紙の端に触れた。


やめた。


知らないままにする。


それも選べる。


手を離した。


寝室へ戻った。


【真意の調査記録】


朝。


調査室へ戻った。


タイプライターに紙が入っていた。


昨日、見なかった記録。


抜こうとした時、最後の一行だけ見えた。


身体候補:一


その下。


所在:


私は紙を折った。


読まない。


候補が誰かは確認しない。


引き出しへ入れる。


閉める。


その瞬間、机の白紙に文字が浮かんだ。


私は見なかった。


部屋を出る。


背後でタイプライターが一度だけ鳴った。


カタ。


同じ時刻。


助手の部屋。


伏せた社員証の裏側に、


誰にも見られないまま、


一行だけ文字が増えた。


食べ頃:近

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。