1人ぼっちの絶滅危惧種 第3話
朝、狩りから帰るとかなえが裸になって全身赤く爛れていた。
俺は青ざめてかなえの背中の怪我をそっとなぞると、痛かったのかかなえは絶叫した。
また触られて痛い思いをするのが嫌なのか葉っぱに隠れてぎゃんぎゃんと大声で鳴く。よほど痛かったらしい。
急いで薬を作る。また俺が塗っては痛がるかも知れないのでかなえに渡すと、大人しく自分で塗っていた。少し大人に近づいたのかも知れない。
……一瞬見えたかなえの全身を思い出して考える。
体は成長しているように見えるけれど……まだあれは成体ではないのだろうか?
朧気になった姉を思い出すが、今のかなえと同じような気がする。……けれど、メスなのに乳房だけがやはり発達していないのは、やはりまだ子供だという事なのだろう。
最近は、かなえが巣立つ時の事を考える事が多くなった。体が大きくなったという事は、巣立ちの時は近い。
………寂しいと、思う。……まだ、かなえを……見ていたい。
矛盾する気持ちは何なのだろうか?大人になって欲しいのに、巣立って欲しくない。
もやもやする。かなえの故郷なんて、無くなれば良いのに。そしたら、生き残りのかなえは故郷に帰らずにずっとここに居られるのに……。
――――…………
俺の邪な想いとは裏腹に、穏やかに時は流れる。
かなえは俺の役に立とうと色んなものを作ったりして、今日も上機嫌だ。
俺もかなえが喜ぶように、色んな物をかなえに見せた。どれも見た事が無いものだからか、かなえは声を上げて喜んでいた。
リリーティンクの女王を捕まえたので、かなえ用に蜜にしておく。魔石を使えるようになればきっとかなえもまた喜ぶ。
しばらくはリリーティンクが姿を消すだろうけれど、大して問題ではない。またすぐに新しい女王は生まれる。それまでにかなえが大怪我をしなければ問題は無い。
俺はわくわくと目を輝かせて入れ物を突くかなえを、温かい気持ちで観察した。
かなえにやめてと言われるのが、俺は嫌いだ。
かなえはよく俺が世話をするとヤメテと鳴く。これは止まれという意味だ。
世話をされるのが嫌な年頃になったのだろう。
……だけど、俺はそれが寂しい。
もっと世話をしてやりたい。毛繕いも、獲物の調達も、まだ俺がしてやりたい。
きっとかなえは俺から離れて自立する準備をしている。俺は快く狩りの仕方も教えるけれど…………本音を言えば、教えたくはない。
何でだ?かなえ。俺が狩りに行くのに、大人しく巣で俺を待っててくれないのか?俺に世話をされるのが、そんなに嫌なのか?
だから、かなえの言葉を無視して世話をした。
……まだ、大人にならなくていい。
子供のままで……いい。
――――…………
……やってしまった。しくじった。
かなえが可愛くて仕方が無かった。
俺の真似をして蔓に掴まって何故か口を手で叩いて鳴き声を上げるかなえが、面白くて仕方が無かった。
一生懸命蔓を揺らして、他の木に渡ろうとしているかなえの為に背中を押すと、かなえは面白い程に空高く飛んだ。
……俺は忘れていた。かなえがラーグリバットではない事を。
宙に投げ出されたかなえを受け止めようと下で待機していた俺は、かなえの上空で動きを止めた影に気付き急いで傍にあった木の蔓に掴まった。
あいつは……っ!俺が昔から仲良くしているオスの龍だ!!
その龍は明らかにかなえを捕まえようとしていた。手を伸ばしているのが、下からでもよく見えた。
ラーグリバットは飛べないので、追い返す手段は無い。
たぶんあの龍はかなえを食べないが、つがいの世話係として連れて行こうとしているのだ。
龍は卵を産んだメスの世話係に、他種族のメスを連れ去って世話をさせる習慣がある。
その世話係をどうやらかなえに決めたらしい。
俺は普段はかかない汗を額にかくのを感じた。
――連れていかれる!また、1人になる……っ!!
必死でかなえの名を呼ぶ。……行かないでくれ。俺を、1人にしないで。
その瞬間気付いた。
……ああ、世話をされていたのは……俺の方だったのか。
かなえに出会わなければ、こんなに悲しむ事も無かったのだろうか?
……でも、それでも俺はかなえとずっと暮らしたい。かなえの居ない世界で、暮らしたくはない。
……そうか……姉が言っていたのは、こういう事だったのか。愛とは、こういうものだったのか。
唐突に理解した。俺はきっと、かなえを愛してる。
……それが、つがいとしてでは……きっと、無いけれど。
ラーグリバットは他種族とつがうのを忌み嫌う。俺だって例外ではない。
かなえは可愛いが、それは子供だからだ。生き物の子供は何でも可愛いものだ。
それでも、俺はきっとかなえを愛してるのだと思う。だから、こんなに離れることが寂しくて、悲しいんだ。
その思いのままかなえの名を呼ぶと、普段は決して成功しなかった正しい発音でかなえを呼ぶことが出来た。……皮肉にも、別れの瞬間に。
俺に顔を向ける瞬間に、かなえがオスの龍に全身を包むように掴まれ顔が見えなくなった事に、俺はカッと頭に熱が溜まるのを感じて怒声を飛ばした。
「おい!!それは俺の育ててる子供だ!!返せ!」
「…………ラーグリバット……すまん……出来ぬ……」
寡黙な龍はそれだけ言うと住処の建物に急いで飛んで行った。
「……っ!!くそっ!ふざけるなっ!!いきなり来て勝手に育ててる子供を連れて行かれてすまんで許せる訳がないだろうっっ!!」
俺は何日も走った。空の彼方に霞む、古い龍の巣を目指して。
――――…………
飲まず食わずで走り続けて、一体何日経ったのか。
たまに目の前にあるのに遠い建物から、あのオスの龍が飛び出すのが見える。せっせとつがいの為に食料を調達しているらしい。
……安全なのは安全だ。……かなえも外には出られないから、きっとかなえを起こしに来るルーバですらあの巣に入る事は出来ないだろう。
でも、もし……もしかなえが俺と暮らすよりも……あの巣の方が良いと言ったら……俺は、どうするのだろう。
巣立ちとして、快く見送れるだろうか?
あの龍に……かなえを頼む、と……任せられるだろうか……。
ギリギリと心が軋んだ。きっと嫌なのだと思う。……でも、それは何故だろう?
ここ数日、ずっと考えていた。でも、俺には分からなかった。教えてくれる姉がもう居ない事が心底悔やまれる。
姉なら……この痛みが何なのか、分かったのだろうか?
随分と近くなった龍の巣を見つめる。すると空からヒラヒラと見知った物が降ってきた。
「……あれは………かなえの………」
地面に落ちる瞬間に手に取って確認する。若干湿ったそれは、間違いなくかなえが纏っていた物にくっついていたやつだった。
匂いを嗅ぐと、かなえの排泄物の匂いがした。何とか元気にやっているらしい。
俺はそれを茂みに隠して、石で出来た巣を登っていく。こういう時に飛べないのはラーグリバット最大の欠点だと思う。
始めは調子良く登れたが、流石この一帯でずば抜けて高い巣なだけある。まだ中腹ですらないのに駆け上がる事が出来なくなった。
何日も飲まず食わずだったのも災いして、日が経つにつれて俺の速度は段々下がっていった。
太陽が何度空を行き来したかも分からない程登り続けると、空に見た事のない小さな龍が安定しない飛び方でふわふわと上空を漂っているのが見えた。
「……生まれたのか……」
無事に卵は孵ったらしい。何匹生まれたのかは分からないけれど、龍は1匹生まれればすぐに後の兄弟も生まれるので、うまくいけばもう全ての卵が孵っているのかも知れない。
「……かなえ……」
……帰ってきて、くれるだろうか?俺の巣に……。
血だらけで、それでも登るのを止めない自分の手を見ながら、そう考える。
どうして俺はここまで頑張るのだろう?どうして、俺は……
……気付いている気がする。本当は、自分でも。
でも、それはおかしいんじゃないかと思う。
だって、俺は……ラーグリバットだ。
自分の種族が、自分の心を邪魔する。
分かりそうなのに、俺がラーグリバットだと思い出すと、かなえがにんげんだと思うと、すぐに違うと首を振る。
分からない。……教えてくれ、誰か。どうして最後まで教えてくれないのに、俺だけ残して皆死んだんだ。
視界が不意に滲んだ。何かは分からなかったけれど、頬を滑る感覚にかなえの目から流す水を思い出した。
ああ……そうか。これを流していたのは……かなえは、きっとー……
答えを知る直前、耳を劈くメスの龍の声が周囲に響き渡った。
「何かが来てるっ!!皆空に逃げてぇ!!!」
そう叫び白く美しい龍が1匹、巣から飛び出した。
後を追って、「まってよぅ!!」「おれがたおす!!」「こわーい…」と口々に零しながら小さな龍が数匹その後に続いた。
全ての龍が巣から出たのか、メスの龍は巣から距離を置こうとして、思い出したように振り返った。
そして何かに気付き近付こうとした所で、最後に生まれたのか安定しない飛び方の青い龍が落ちそうになっているのに気付き戻っていった。
俺はそれを冷静に見て、それぞれの龍を観察する。
……誰もかなえを乗せてない。手にも持っていない。……という事は、まだかなえは中に取り残されているのか!
痙攣する手に力を入れて、あと少しだと自分に喝を入れて見えてきた穴だけを目指す。すると途中で巣から怯えたような鳴き声が聞こえた。
――何と言っているのかは分からなかったが、あれは絶対にかなえだ!あの鳴き声は間違えないっ!!
もうこれ以上早くはならないだろうと思った俺の腕の速度は、鳴き声を聞いた瞬間自分でも驚く程の早さで巣を登っていった。




