第56話
「ぐぅ!!」
「…グレ君何回来るの?」
あの媚薬事件から今日で8日が経った。
よく床から動けないという話を聞いて華奢という言葉に憧れる私は期待をしたが……悲しいかな普通に歩けてしまった。
だが、動けるにも関わらずガウ君はせっせと今日も私に食べ物を取って来てくれるのでまぁ、良いとしよう。うん。
……しかし、あの日以来毎日のように頬を舐められるようになったのはどうすれば良いのだろうか?
運転手に嘘を吐かれていたのか、ガウ君はずっと発情期だ。誰だ、ガウ君の種類は発情期が無いって言った奴!!
まぁ、満更でもないのだけれどもね?
いやぁ、ごめんね、結菜、沙織。私、皆より先に大人の女になってしまったよ。はっはっは。
……偉そうに笑ってみるが、ガウ君には非常に申し訳ない事に私はただ寝転んでいただけだった。……誰か、教材をくれ。
何だかんだ言っても私だってちゃんと保健体育を習って教科書をガン見し、お手本のように隣の部屋に彼女を連れ込む兄だっていたのだ。
それを考えればきっとガウ君よりも知識が豊富だろうと高くしていた私の折れやすい鼻はいともたやすく折られてしまった。
教科書など野生の本能の前では紙切れに等しいと悟った朝であった。
それに教科書って言葉とかしか載ってないし!しかも医療系の用語だった!
……そうじゃないんだよ…!私が知りたかったのはあはーん、うふーんの最中の事だ!!
だが当然ながらそんな事を教科書に載せられるはずもないが、私は恨まずにはいられなかった!!皆一体どこで学ぶの!?塾か?塾があるのか!?
……そして、何があったのか……あれからすぐスマホの充電が切れてしまい、もう二度とメールも見れなくなってしまった。
本当に向こうの世界とは隔離されたようで、何とも言えぬ空しさに心が刺すように痛んだ。
…でも、それでも、ガウ君と一緒がいい。……ガウ君が居なきゃ、嫌だ。
そう思い出すと、痛みは「そうだね」と言うようにすうっと引いた。…まだやっぱり寂しいけれど…きっと、またこれからも何回も泣くんだろうけれど、それでも私は後悔なんてしてない。
きっと私が向こうを選んだ未来もどこかの世界ではあったのだろう。異世界があるのならばきっとパラレルワールドだってあるはずだ。
それなら、今私がガウ君を選んだ未来だって1つの正解だったのだと思う。
今の私にとっての正解は、大好きなガウ君と一緒にいる事だったから。
だから、お母さん、お父さん、お兄ちゃん、結菜、沙織……私、幸せだよ。離れていても大好き。……だから、悲しまないで。
今朝もそう念じて外でストレッチをしていた。
そろそろお湯が必要なので、鍋に出来そうな石でも探そうかと思っていた所、私の上空に黒い影が落ちてきた。
…そして冒頭に戻る。
「ぎゅう!!」
「もはや私の事好きだよね?それは愛だよグレ君。父親に殴られても会いに来るのは愛だよ!!」
変に私に執着して殺しに来ているグレ君に頭を抱えた。何故親にあんなに怒られても来るのだろうか?
しかも前回私達をビームで殺そうとした殺人未遂の犯人だ。流石にこの世界で生きていく決意のすぐ後に殺されるのは嫌だ。
グレ君は私が喋りかけるとブンブンと威嚇するように尻尾を振る。それで何度薙ぎ払われそうになった事か…。
ちなみにだが現在ガウ君は私を気遣って1人で食料調達に出かけた為留守だ。もう洞窟に駆け込むしかない。
「ここから先は立ち入り禁止!お家にお帰り!!」
「ぐぅぎゃあ!!ぐうっ!!」
大きくなったグレ君は洞窟に入れなくて尻尾を伸ばして私を捕らえようとする。
だが結構な深さのある洞窟で私を捕まえるのは困難だろう。暗くて見えないし。
……にしても臭い!!!そんなに尻尾を近くで振らないで!!ここ換気良くないんだからっ!!
そうして今日もひいひい言いながら私は洞窟の最深部で、私の体を気遣って栄養のある物を捕りに行ったガウ君の帰りをひたすら待つのだった。
…命の危険もあるけれど、それでもやっぱりここに来て良かったと思う。
あのまま、向こうの世界で暮らしていたら、私はどんな大人になったんだろうか?
……きっと、今と変わらず結菜や沙織と面白おかしく生きている気もする。
でも、そこにガウ君が居ないのは…何だか今の私からすると現実味が無い。
ガウ君が居て、グレ君がたまに来て、化け物を倒して。……人が聞いたら、こっちの方が現実味が無いと言われそうだけど、やっぱり私はそっちの方が良いな。
一生懸命洞窟を崩さないように絶対に届かない距離だというのに尻尾を伸ばすグレ君に笑いながら、私はこの偶然の異世界移転をもたらした、向こうの世界に消えたバスと運転手に感謝した。
きっと1日目の私が、今の私が来て良かったと言っているのを聞いたら発狂して家に帰れって言うんだろうな…と考えて笑ってしまった。…この世界に来たばかりの頃は本当に地獄だったからなぁ…。
過去の自分の不運を思い出し苦笑を浮かべていた私だが、運転手に初日に「降りないのか?」と聞かれた時の事を思い出して笑いを止める。
……きっと、もう運転手と会う事はないだろう。
あの時の会話が運命の分かれ道だったとするならば、きっと運転手の最後の気まぐれを蹴った私は、もうバスを目にする事すらないのだと思う。
運転手は陰気臭いこの森は合わないって言ってたし、もうガウ君のつがいになって帰れないって言われたから、私を帰す為にまたここに戻って来る必要も無いしね。
…それでも、久しぶりの日本語での会話はそれなりには楽しかった。
私は少し話しただけの運転手にさえ寂しさを感じてしまい、目元をぐっと抑えた。…ブスって言われたけどさ……。
「……まぁ、もう会う事もないから良いけどね」
だが一言だけ言ってやりたい。私は胸は無いけどブスではない。中の上ぐらいはあるはずだ!!
もしいつか会う事があったら土に埋めてみよう、と小さく呟いて私はグレ君の尻尾を無視して槍の刃先に毒を塗った。
――愛しい人が、獲物を取って、大好きな笑顔で帰って来るのを想像しながら……。
「お前貧乳のくせにえらい好かれんなぁ…寝技があんのかぁ?」
「…って、普通にバスとこっちに戻って来るんかいいぃぃっ!!!」
……今日も静かな森に、私の叫びが響いた。




