第51話
どこまで走って来たのか…帰り道すらわからなくなった頃、やっとバスは停車した。
前回の事があるので決してバスから目を離さずに、ガクガクと震える足を毒槍で支えながら亀の歩みでドアを目指した。
…本当に、バスだ。学校の近くのバス停に停まるのと同じバスだ…
感動なのか別の感情なのか、ただただそれだけを思いドアの前に立つと、ドアはシュウゥー…と、音を出して開いた。
「お嬢ちゃん、乗ってくか?」
問われた言葉に心臓がはねる。ここが人生の分かれ道だと、考えなくても分かり私は口をパクパクと開閉させながら冷や汗をかいた。
―決めていた事だ。…ずっと、決めてた。
意を決して唾を飲み込み、最後の言葉を紡いだ。
「……乗り「かなえやめてえええぇっ!!!」
突如、悲鳴のような声が背後から上がったかと思うと、全てから私を遮断するように…まるでこの地に縛り付けようと絡む蔓のように、ガウ君が私に抱きついた。
先程の優しい強さではなく、決して逃がさないとでも言うような強さの抱擁に私は息が詰まり、発しかけた言葉は途中で止まった。
「……っ……っは…!!…ぅ……」
常軌を逸した程の力で抱きしめられ、私の肺は圧迫されて息すら出来ずに機能を放棄した。
……やばい…本当に死ぬ……苦しい……!!
抵抗しようにも酸素が最大の力の源である人間から酸素を奪えば、抵抗の術など在りはしない。叫ぶにも酸素が、殴るにも筋肉の伸縮に酸素が必要なのだ。
段々と意識が朦朧として何も考えられなくなった頃、今までバスから決して降りてこなかった運転手が血相を変えて階段を下りて駆け寄ってきた。
私はそれを濁った眼でぼんやり見ると、運転手はどうやったのか私をガウ君から取り上げて力一杯拳を握ってガウ君を殴り飛ばした。
「バカ野郎っっ!!殺すつもりかっ!?せっかくのメスを!!」
「ぐうっ!!!」
低い呻きが響き、それがガウ君のものだと理解するのに暫くかかった。
肺が解放された事で取り入れられた空気が一気に血液に乗った事で貧血のような症状を起こした私を、運転手が頬を叩いて正気に戻す。
「ほら、しっかりしろ!!死なねぇから!ゆっくり息しろ」
「はあっ、はあっ、っはあっ…っはあっ…はあっ…」
膜が張ったようなぼんやりとくぐもった声に指示されてゆっくりと息を吸う。するとだんだんと耳鳴りも治まって私はやっと喋れるようになった。
「……はあっ、…はあ…っ……ガウ君は…っ!?」
「お前……殺そうとしてた奴の事、よく心配出来るな……」
呆れたような顔で運転手はそう言った。
―――――――………
「おい、礼儀のなってねぇガキだな」
「ごめんなさい!!こらっガウ君ダメでしょ!?離しなさい!!」
「ぐるる…!!」
私が正気に戻ると同時にガウ君も正気に戻った。しかし安心したのも束の間、ガウ君は運転手の襟元を乱暴に引っ掴むと不良のようにバスの側面に運転手の背を叩きつけて威嚇した。
「だいたいお前がそこのメスを殺そうとしたから助けに出てきただけだろぉが!感謝されるならともかく暴力振るわれる謂れは無ぇよ!!」
「本当その通りです!!ありがとうございます!!ほらガウ君止めなさい!!」
ガウ君の手を外そうと一生懸命頑張るがびくともしない。だが命の恩人の手前、諦める事も出来ず私は小一時間ガウ君の手と格闘し続けた。
…しかし、私がガウ君の手を外すよりも先に運転手の堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしやがれえええっっっ!!!離さねぇならこのメス連れてくぞっ!?良いんだな!!?」
その瞬間光の速さでガウ君は運転手の襟元から手を離した。
ドサッと地面に足をついて忌々しそうにガウ君を睨み、見せびらかすように大きな音を立てて運転手は手で汚れた服を叩いた。
「まったく…勘弁しろよなぁ…せっかく迎えに来てやったのにこれだぜ」
「うー…!!がうっ!!ぐるる!!!」
「あ?お前が決める事じゃねえだろうが。そこのメスに聞いたんだよ。よそもんは引っ込んでな」
ガウ君が噛みつかん勢いで運転手に唸ると、言葉を理解したように運転手は嫌そうなバカにした顔でガウ君を手であしらった。
ガウ君はその運転手の言葉に、より歯を剥くと憤慨した様子で運転手にー………あれ?何かおかしくない…?
「あの……ガウ君の言ってること、分かるんですか…?」
「あ?そりゃあ分かるに決まってんだろ?俺はここの森出身だし」
「……へ………」
えっ?運転手が森出身?うちの世界から来たんじゃないの?
ポカーンと口を開けて停止していると、まるで頭の悪い子を見るような残念そうな目で私を一瞥し、運転手は事細かに説明してくれた。
「そもそも俺は精霊な訳。ほら、精霊って気まぐれだろ?やっぱりこんな陰気な森は合わない訳よ?んで、別の世界に行ってみたらこんなデケェ箱が動いてんじゃん?で、乗るじゃん?そしたらバカな奴が金払って乗るじゃん?そういう事よ」
「……バカな奴って、私の事ですか…?」
「お、分かってんじゃねぇか!」
偉いぞ~!とぐりぐり頭を撫でられて何故か腹が立った。絶対褒めてない。
私の意思を汲んでかガウ君が運転手の手を叩き落としてくれて溜飲は下がったが、傷付いたマイハートは帰らない。慰謝料を要求したい。
「……大体、精霊って…おっさんじゃないですか」
自称精霊の運転手はどう見ても30代前後の姿をしている。これで精霊は流石に痛い。痛すぎる。
せめて20代までの青年だ、と心で批判していると運転手はニヤニヤと嫌な顔でバカにするように私の顔をわざと下から覗き込んできた。
「何だ?若い男が好みってか?そりゃそんなガキに欲情してる奴にはおっさんだわな」
「っ!!!」
よっ、よっよっ欲情なんかしとらんわ!!!
茹蛸のように真っ赤になりながら否定するも笑われるだけだった。悔しい!!こんな所で見ず知らずのおっさんに罪に問われた!!
顔を覆ってしくしくと声で泣いていると優しい手が私の頭を安心させるように撫でてくれた。先程の下品な撫で方ではないので絶対にガウ君だ。安心感がまるで違う。
「……お前、何か失礼な事考えてんだろ?」
「いいえ?何にも」
自意識過剰が過ぎますよ。皆がみんな精霊様の事を考えてると思わないで下さい。
ニタニタと手の下で舌を出して笑っていると、運転手が頭上でため息を吐く。
「はぁ……っていうか、このガキも結構な歳だろ。ラーグリバットは歳が操作出来っから元が分かんねぇけど、まだ絶滅してねぇって事は700はいってんだろ」
…………らーぐ………えっ?ガウ君何歳って?
「えっ?」
「だから、このガキはお前より死ぬほど年上なんだよ。でもまぁ…そう考えるとお互いに年下に欲情してる同士だって事だなぁ?良かったじゃねぇか。変態同士仲良くしろよ?」
下品に笑って運転手は私とガウ君を指差す。だが上手く状況が飲み込めず私が硬直していると、途端に笑みを引っ込めて面白くなさそうに白い目で私を睨んだ。
「本当にバカなメスだなぁ…よく死ななかったもんだぜ。他の奴らは死んでったっていうのによぉ」
「!!えっ、私以外にここに来た人が居たんですかっっ!?」
思わぬ発言に耳を疑った!まさかバス転移友達が居たなんて!!衝撃の事実!……あれ、でも…死んだって…?
「そ。同じ場所で下ろすと餌場だと思って食いに来る奴とか出始めるから、色んなとこに降ろしてた訳。でも皆軒並み食われるから参るわー!1人だけ生き残った奴も居たけど、そいつとお前だけだしつまんねぇわー!!お前はバカだしよぉぉ!!!」
告げられた情報に脳の処理を行う時間がかなりかかったが、つまりは彼曰く私と誰かの2人以外は全員死んで居ないという事らしい。
私以外にバスにお金を払ってこんなイカレた世界に降りたった人が居たんだ…!
感動すれば良いのか落ち込めば良いのか分からない感情に支配されて頭を抱える。だが希望が出来た。バス友達が出来るかも知れないという希望が…!!
「そ、その生き残りの人ってどこに…」
「もう死んで居ねぇよ。随分前だからな」
ピシャリと言われて呆然と立ちすくむ。……本当にこの世界で現在生きているのは私だけのようだ。
そんな私を無視して運転手は思い出すように森の向こうを見つめて懐かしそうに語った。
「そいつもこの森だったんだけどな、運がいい事に龍の産卵期に降りたから世話係として龍のオスがすぐに連れてったんだよ。んで、その後どうしてんのかと思った優しい俺はしばらく経ってから見に行ってやったんだが……」
急に言葉が詰まった事にハラハラと胸が騒ぐ。ま、まさかここで殺されるのっ!?
正直同じく龍の世話をしていた私は他人事ではない。その人の人生は私にも起こっていたかも知れない人生なのだ!!
……あと、やっぱり私、旦那龍にきょわちゃんの世話係として連れていかれてたんだね……説明が欲しかった…。
私は同じく説明もなく連れていかれたであろう人を思い、どうか無事であれ!出来れば寿命で死にたい!と途中で自分の願いを祈った所で、運転手は再び重々しく口を開いた。




