第43話
お腹から胸に回る逞しい腕を確認すると、顔を見なくても誰だかすぐに分かった。…そもそも、ここには私と彼以外の人間なんて居ないと思う。
「…ガウ君?」
振り返って見た彼の顔は、私の肩口に押し付けられ見えない。だが、その姿は疑いようもなくガウ君だ。
背中から彼の胸板の熱と鼓動が伝わる。中で何かが暴れまわっているように異常な心音を立てるガウ君に私は狼狽えた。
「どうしたのガウ君!何かあった?凄い鼓動が早いよ!…ねぇっ!ガウ君?」
「かなえ…!かなえっ…!!」
心配になり正面を向こうとしてもガウ君の力が強すぎて体を動かす事が出来ない。
ガウ君はまるで何かに怯えるように私の名前をずっと呼び続けた。
「かなえ…っ」
「どうしたの、ガウ君」
「かなえぇ…」
「うん、居るよ。ガウ君」
「ぐるる…」
「よしよし、大丈夫。私がいるからね」
振り向けない代わりにガウ君の頭を頬と手で挟むようにして撫でる。
次第に落ち着きを取り戻したガウ君は、甘えるような唸りを上げてこすりつけるように私の肩で首を左右に振った。
一体どうしたというのだろうか?今日のガウ君は珍しい。
あまりここまであからさまに甘えてこないガウ君がこんなに取り乱すのは、きっとただ事ではない。何か怖い事があったのだろう。
私はどうしたの?と再度ガウ君に問うた。何か私で力になれる事があれば、助けてあげたいのだ。…それが、きっと今まで迷惑をかけた事への恩返しになるはずだから。
「かなえ……かなえ……」
「大丈夫だよ、ガウ君。大丈夫」
「……かなえ………かえう?」
「……………え……」
問われた言葉に撫でていた手が止まった。……何故、今そんな話を…。
「えっ……と、…な、何で?」
疑問に疑問を返し私は首を捻った。
帰る?と聞かれたのは洞窟で聞かれて以来だ。あの時は私が呟いた言葉に反応して復唱していたガウ君だが、今日私はその単語を一度だって出してはいない。
一体何を思ってガウ君はそう言ったのだろうか?私が逆に首を傾げると、困ったような心配そうな複雑な表情で腕の力を強めた。
…待って、さっきまでやってた事を思い出そう。きっとそこにヒントがある。
まず、私はガウ君と別れてからすぐ畑でウインナーを収穫した。収穫数は10個!大漁だ!大物を狙って持ってきていた鞄が役に立った。
そしてその穴に魚を1尾埋めてみた。ついでに墓石みたいなのも立てているので証拠もある。
で、その後は妖精について考えて、答えが分かった所で運転手さんに呼ばれてお金出そうとした所でガウ君がー………………
「えええっ!!?運転手……ってかバスううううぅっっ!!??」
目を限界まで見開き私の正面にあるであろうバスに顔を向ける。が…そこには何もない、ただの草木が広がっていた。
え、え、ちょちょちょ、っと……えっ!?ばっ、バス!?何でぇっ!?
明らかに回想におかしなのがあった。バスなんてどこの現代だ!こんな化け物蔓延る森に不釣り合いなそれは、絶対にこの世界ではなく私の世界にあるべき物だ!!
しかしいくら探しても先程まで座っていたベンチどころかタイヤ跡すら無い。
そんなはずは無い、とガウ君の手を解きもっとよく探そうとすると、今度は足まで使ってガウ君が私の体を全身で抱えるように巻き付いた。
いやちょっと後にして!!私今凄い大事な所だからっ!!
「かなえ……かえう、やえて…」
「え…」
ぼそりと呟いた言葉が私の耳をくすぐり、私はピタリと動きを止めた。
呟かれた切なげな一言に、私の胸はドクンと大きく音を立てる。
帰る……やめて…?
まさかガウ君にそんな事を言われるとは露ほどにも思っていなかった私は、何度も耳元で囁かれるその言葉にゾクゾクと体に痺れが走った。
フーフーと荒い呼吸を繰り返すガウ君に、色事を知らない私の体は大げさな程に大きく跳ねた。
止めろ!!そんなに反応するんじゃない!!これだから喪女はっ!!!
自分を戒め冷静になろうと沙織様のありがたいお言葉を思い出す。…男はオオカミ…いやいやこれは違う!えっと、何があった?思い出せ、私!!
意識をガウ君に向けたり沙織に向けたりと忙しなく行ったり来たりを繰り返していると、久々の音が地面に落とした鞄から響いた。
“ピッポッポーンペロッポッポーン!ポポロッペンポッポーン!”
「!着信だ!!」
「あくしん?」
急いで落とした鞄からスマホを取り出す。すると、案の定新着が入っていた。
その瞬間私はピンと来てしまった。このスマホの奇妙な新着の理由に。
見ると、最新の日付と時間は計算上今日のついさっきだった。時間を考えると、その時私は魚を埋めていたぐらいではないかと思う。
つまり、私の完全な憶測だがあのバスが来ると、この周囲に電波が通るという事ではないだろうか?
原理は分からないが的を得ている気がした。という事は今までも何度かバスはこの近辺に来ていたという事になる。
………つまり、私は……元の世界に…帰れるかも知れない………。
帰れる。
…嬉しいはずなのに、少しだけ心が沈んだ。だって、それは……ガウ君との別れを表している。
「……ガウ君…」
「うー……かなえー……ぐるる…」
私が名前を呼ぶと安心したように喉を鳴らす。そしてすりすりと私の背中に再び顔を擦りつけ始め、私は苦笑いを零した。
―…嫌じゃない。本当は、こうされると落ち着く。
帰る方法が明確になると、不思議とガウ君に対する自分の本心が見え始めた。人はそれを、未練と言うのだろうか。
「……帰ろう、ガウ君。私達の洞窟に」
「……かえる…」
やっとガウ君が覚えた言葉に、何故だか私は寂しい気持ちになった。
洞窟に帰ると、ガウ君はずっと私の傍から離れなかった。きっとあの瞬間ガウ君は怖かったのだと思う。
私は安心させるように……いや…私が安心する為に、ガウ君の頭を撫でた。
ガウ君の頭を洗う時も、これが最後かも知れないという考えが脳裏をよぎる。だって、バスが目の前にあったのに、私は何の疑問も持たずに乗ろうとしたのだ。きっと、私は…避けられないのだと思う。
…悪い事ではない。むしろ良い事だ。化け物の居ない世界に戻るのは………ただ、そこにガウ君が居ないだけなのだ。それだけだ。それだけ…
「……かゆい所、ありませんかー?」
「あいまえんがぁー!」
無邪気に私に返事を返す姿に、胸が重くなった。
ガウ君も時折何かを感じているのか、笑顔をたまに消してどこかをぼんやり見ている。
「……ふぅー…」
どうすれば良いだろうか。私は…どうするのが正解なのだろうか。
家族や友人には会いたい。だって、寂しい。会って話もしたいし、両親にはもっと親孝行だってしてあげたい。
結菜の事も見守ってあげなきゃいけない。あの子は変なとこでナイーブだから心配だ。沙織も、今年はフルートのコンクールに出るらしいし応援に行ってあげたい。
漫画だって、まだ完結してないのがある。続きも読みたい。ドラマは…何となく続きが予想できるからそうでもない。
会いたい。会いたいよ。…でも…ガウ君とも、離れたくない。
ワガママな自分に嘲笑が零れた。…そんなの、無理に決まってる。
本当は考えた。もしかしたらバスはこの世界と私の世界を行ったり来たりしてて、私もここと向こうを行ったり来たりの生活が出来るんじゃないかって。
でも、きっと無理だ。
だって、私が向こうに居た時から行方不明の人が異世界から戻ってきたなんて話は聞いた事が無い。
行方不明の人はいるけれど、大体は皆死体で見つかっている。異世界に行ったなら死体で戻って来れるはずが無い。
あのバスが私の元の世界に戻してくれるとも言い切れない。…でも、スマホに電波を運んできているので、何となく…乗れば元の世界に帰れるような気がする。
……その場合、私はこの世界での事も忘れて…行方不明の間の事は記憶喪失で忘れたという事に…なるのだろうか?
「…帰れる……帰りたいのかな…私…」
地面に敷いた葉っぱのベッドで、夜中に1人呟いて葉っぱに顔を埋める。考えれば考える程、何だかどれも言い訳に聞こえてくるのだ。
だって、選べない。きっと1番良いのはガウ君を連れて私の世界に帰る事だ。
でもガウ君はきっと向こうの世界には合わない。もしかしたら最悪死んでしまうかも知れない。
考えて恐怖に肌が粟立った。そうだ、そんな事をしてはいけない。ガウ君が望んでないのに私のワガママで彼の人生を台無しにして良いはずがない。
……じゃあ、どうすれば良いの…?
答えの出ないまま、私はずっと洞窟の天井を見上げた。…スマホは、どうしてだか確認する気が起きなかった。




