第36話
「いやいやだからまだ要らないって………えっ、何これ」
「がうー!!」
血だ。血だまりが出来ている。
…ええ…生き物の鮮血を入れたの…?鮮やかな赤がまるで搾りたてのようだ。…人間のでは、ないよね?
ちょっと「お前ももうすぐこうなるんだよ」といきなり流暢に話し出すガウ君を想像して震えた。
…いやいや、ガウ君そんな子じゃないじゃん私!アホか!
ちょっと深呼吸……うん。落ち着いた。さて、冷静になってもう一度見てみよう。
落ち着いてじっくりと中を確認する。…やっぱ血じゃんか。…と思ったけれど、香りが何だか鉄臭くなかった。
独特な匂いがする……何というか………香料のリンゴジュースみたいな匂いだ。
その瞬間私はピンときた!忘れてたけれどこれはアレじゃないの!?あれ…!!そう、色違いの妖精の液!!
入れ物には、私が間違えて開けないようにかガウ君が石でよく分からない記号のようなマークを彫っているはずだ。私は液をこぼさないようにしながらゆっくりと入れ物の底を確認した。
……やっぱり色違いの妖精液だ……!!
「ガウ君っ!これっ!もう飲めるようになったの!?」
「がーおぅ!」
やったー!楽しみー!!と入れ物を掲げてスキップすると、ガウ君も私に合わせてスキップを始めた。当たり前だがどヘタだった。
…いや、でもちょっと待って…これは…私が飲んでも良いのだろうか?
ピタリとスキップをを止め冷静に戻り恐る恐るガウ君を窺うと、どうやら私にくれるようで私が口を付けるのを今か今かと待っている。
その事に気付き、今更ながら私は少し怖気づいてしまった。
…毒とかは考えてないけど、何か体に合わなくてショック状態とかになったらどうしよう…
言っても私はこの世界では異世界人だ。
ここに来る前沙織も言っていたじゃないか。異世界に来ただけで痩せたらそれはその世界が体に合っていないのだと。
今までは何とかなったからといってこれが確実に私に悪影響を及ぼさないかと言われれば否である。
おまけに毒々しいまでの赤。ちょっと黒が混じっているのが妙にリアルで正直めちゃくちゃ怖い。
しかも色違いの妖精のだし…あれだよね?突然変異の生き物ってあんまり良くないんだよね?中学の時に先生が言ってたよ。
何だかんだ理由を付けて飲むのを渋っていると、ガウ君がとうとう我慢ならない!という顔で私から入れ物をひったくりゴンゴンと私の口に押し付けた!!
「おぶっ!?いひゃいいひゃい!!飲むっ!飲むから止めてっっ!!」
「うー、がっ!!ううー!!」
忘れてた!こういう子だったよガウ君!!お手伝いさんしててすっかり忘れていた。
私が逃げようとすると洞窟の壁に私を追いやり、壁と入れ物で私を挟み込み身動きを取れなくしてくる!!何だこれ入れ物ドンか!?キュンの欠片も無い!!
私が白目を剥いた頃やっと自分の過ちに気付いたのか、ガウ君は押し付けるのを止めて私を磔から解放した。
……忘れてたよ…ガウ君の前で食べるのを拒否してはいけないんだった…。
心配そうにうーうー鳴くガウ君を少し恨みがましく見ながら入れ物を奪った。
はいはい、居候は大人しく飲めば良いんでしょ?でもこれで死んだらガウ君のせいだからね!!後遺症とか残ったら、年下だろうとこれから一生私の面倒見てもらうからね!!
恩を仇で返すような発言は許して欲しい。私だっていっぱいいっぱいなのだ。他の人達もこの世界に来たら分かるよ。私、結構冷静な方だよ。
心で言い訳を並べて、新!妖精液を一気飲みする。
……ぎゃあっ!!まずいぃっ!!!ドブみたいな味がするっ!!飲んだこと無いけど!!
だがガウ君が目の前で瞳をキラキラさせて見てくるので吐き出せない。そもそも何かこの妖精液もレアっぽいので吐き出したら何されるか分かんない。
…地面に吐いた妖精液を啜れって顔を地面に押し付けられたら…私、流石にもう生きていけない。
「…ぐぶっ……の、飲んだよ……ガウぐんっ……」
こんなにまずいものってあるんだなぁ…結菜が調理実習で作ったみそ汁にも勝てるよ、コレ。
数人のグループで作って、結菜も材料切ってお湯を沸かす事しかしてないのに何であんな味になるんだろう?もしかして手からエキスでも出てんのかな?
遠くの地に居る友人に想いを馳せて味を意識しないようにしていると、ガウ君は空になった入れ物を確認し、そのまま風のように洞窟を飛び出して行った…。
「………偉いね、とか言ってよ……」
座り込み項垂れる。
この世界でガウ君に甘やかされ育った私は、褒めてもらえない事にいじけた。もはや年上の威厳なんて物はそこには存在してはいなかった。
その事に気付いたのは、その後私が自分で自分の頭を撫でて「いい子いい子、叶は良い子~」とアホな歌を無意識に歌っていた時だった。
…所で、私も随分痩せてしまった。そりゃあお菓子も油分も何もない世界で1ヵ月近く過ごしていればこうもなる。私は可哀想に抉れてしまった胸に手を当て嘆いた。
だが良かった事もあった。ここでは筋肉が全てだ。私のお腹を見ると、私程度の緩い筋トレにも関わらずシックスパックがうっすら影を付けている!もうすぐ女版ターザンが出来そうだ!
鏡も無いのにムダにポーズを取ってモデルウォークをしていると、私の視界に青い光が瞬いた。
「何?………あああっ!!!すす、スマホだあっ!!?」
モデルウォークを切り上げ飛びつくようにスマホを手に取った。青い光は新着の合図!!
わっ!久しぶりにスマホ見ると見にくい!!あれか!?私が野生化して目が退化したからだろうか?
字もちょっと見にくい。もはや日本語も怪しく…いや、まだいける!!今はそう……ゲシュタルト崩壊が起こっているだけなんだ!!
怖い事実に気付きそうになったので急いで考えを打ち消して新着を開く。と、今度は108件新着が入っていた。
その全てが家族と友人達だった。時折バイト先と学校からも来ている。
潤む目を擦り目のピントを合わせて日付を確認する。すると、最終的な日付は3日前になっていた。
その日は確かまだ帰途を歩いていた途中だ……帰り道でも、特別な事はやはり何も起こってなかった気がする。
どうやら不定期で電波が通るらしいこのスマホは、やっぱり電池もそんなに減ってない。ありがたい事だ。
でもスマホの契約切られたらどうなるのかな?…って、そもそも支払いの請求とかって来てるのかな?
疑問は膨らむが、それより周りの近況が気になる。私は古い順から全て開けて読み始めた。
“叶、今日は叶の好きなオムライスにしたわよ、早く帰っておいで”
“叶、叶が居ないとお父さん味方が居ないんだ…肩身が狭いよ”
“瀬戸さん。もし出来るならスマホの位置情報をオンにして下さい”
“ねぇ、叶、もしかして異世界に行ってるの?結菜が行きたいのにー!!”
指をスライドさせていると、結菜のメールに心臓が大きく跳ねた。
結菜は以前から言っていたからその可能性に気付いてくれたのだろうか?でも、分かった所で異世界に行った人間をどうやって戻せるのかはきっと分からないだろうけど…
“そうだよ”と送れたらどれだけ良いだろう。家族も皆も、どれだけ安心できるだろう。
送れないのがもどかしい。
きっと皆は事件性を疑っている。私が殺されてるかも知れないと思ってる。
でもね、大丈夫だったんだよ。殺されそうになったりしたけど、ガウ君が助けてくれたの。
私、いっぱい迷惑かけたけどね、ガウ君…私の事見捨てずに助けてくれたの。
皆にも教えたい。辛かったことも怖かったこともいっぱいあったけど、それと同じくらい嬉しい事も、楽しい事もあったんだよ。
ねぇ、聞いてよ。私、龍にごはんあげたんだよ。こんな女子高生居ないよね?それにここ、ムカデがウインナーになるんだよ。何言ってるか分かんないだろうけど。
ずびっ…と鼻を鳴らして涙をこらえる。
…もう泣かない。だって、怖くは無いから。1人じゃないから。
皆のメールを見ていると温かくなった。内容は、どこに居るの?から近況を伝える内容に変わって、私を励ますようなものになっていった。
“母さんがお前のパンツ、ゴミと思って捨ててたぞ。あんなボロ、いつまでも穿いてっから”
“叶の机、わざと花を置いた男子が居て、結菜がキレたの。その結果叶の机が縦に真っ2つに割られたから今帰って来たら新品の机になってるわよ。良かったわね”
…結菜、一体何したの…
そして私帰ってもパンツ無いのか…パンツに呪われてんのかな、私…。
大体あれ、お母さんが買ってきたパンツだったじゃん。何で忘れて捨ててんの?
時折くすっとくる内容に自然と笑みがこぼれる。…ああ、皆ちゃんと生活してくれてるんだ…
わざと私に見せまいと振る舞っているのかも知れないが、それでも私は勇気づけられた。
私だけがのほほんと生きているなんて、きっと許されないと思っていたからだろう。
「……帰るからね、皆。私、絶対…」
呟いた誓いは、誰の耳にも届かず、洞窟の中で反響して消え
「―…かえう?かなえ、かえう?」




