5.【誰かに押しつけるのは単なる浅慮】
「フロスティアは悪女だった」
そんな噂が王都に流れ始めたのは、私が帰り支度を始めた頃。
具体的には、リンカ様に会ってから5日ほど経った頃でしょうか?
聖女に婚約を申し込んだソリウスが、実際にはリンカ様に断られていたと神殿が公表して、私的には問題が解決したと思っていた矢先の事です。
「嘘でしょう……」
強いショックを受けた私は立っていられなくなり、ソファに倒れ込みました。
エウリシアが心配そうに私に駆け寄って来る一方で、カテリーナは落ち着いて紅茶を飲んでいました。
小さくため息をついた後、カテリーナは、
「大丈夫よ。俄にソリウスが言い出した事でもあるし、誰も信じていないそうよ」
「それってお姉様の存在ごとですか?」
「貴女の返しって時々フロスティアの返答よりも的確ね。そうよ。一部の騎士の間ではソリウスの空想上の元婚約者と言われているそうよ」
「社交していないって、こう言う結果になるんですね……」
私はカテリーナとエウリシアのどちらからも、非常に残念なものを見る目を向けられました。
二人にどう思われようと良いんです。最初から破綻も何も、何一つ始まっていなかった婚約関係なのですから、空想上の元婚約者なんて思われた方が私的には願ったり叶ったりです。
でも、私にとって大事なのはそこではありません。倒れた私の頭の中ではファンファーレが響き渡っております。
とうとう私にも異世界ムーブが!?
苦節十数年、私もとうとう悪女です!
前世も今世も冷めた人間に見られがちな私ですが、私だって前世持ちの異世界転生したのですから、お約束は期待していたんですよ。
やったね、悪女!
ちょっと遅い感じもしますが、許容範囲としましょう。
「こんな私も悪女になる事が出来たのね……何だかようやく私に光が向けられた気がするわ」
「だから、誰も信じていないってカテリーナ様が仰ったでしょ。お姉様はいつまで夢見がち令嬢をやっているんですか。明らかに空想上の婚約者にして、誰の目からも無理がありすぎる悪女じゃないですか」
「貴女、どうしてこんな時だけちゃんと話を聞いて冷静なの?! 普段からしっかりしていたら淑女学校に行かなくて済んだでしょう!」
「はっ。王都に出れたのだから、私は間違いなく勝者よ!」
「親族の許可がなければ外出なんか出来ない淑女学校にいて、王都生活してるって自慢になるわけないでしょう!」
姉妹喧嘩が勃発します。
ここが自宅でなく伯父のフラーベル侯爵家だという事実など、私も意識の外に放り出してしまいました。
ぎゃいぎゃいと言い合っていると、
「動物みたいな大声を出してはいけません!」
部屋にいつの間にか入っていらしたフラーベル侯爵夫人に、私と妹は扇で一回ずつ頭を叩かれました。私達の喧嘩を止められなかった事をカテリーナも怒られ、侯爵夫人は再び仕事に戻って行かれました。
とばっちりだったカテリーナに申し訳なく思いながら、私達はソファに座り直して紅茶も入れ直して貰いました。
「ごめんなさい……」
「良いのよ。私は姉妹がいないから、貴女達が楽しそうだと思って止めずにうっかり眺めてしまったの。確かに一番年長なのだから、止めなかった私が悪かったのよ」
取り敢えず、反省点しかない三人とも気分を落ち着かせる事にしました。
なので、横に座っているエウリシアが紅茶にドバドバ砂糖を入れる事も私は咎めませんでしたが、やはり甘すぎたのか、エウリシアは涙目で私を振り返りました。
私にどうしろと言うのでしょう?
仕方なくメイドを呼んで、妹の紅茶を新しい物に替えて貰いました。
「それで……私が元婚約者にして悪女だと言われているという事は、私達が婚約していた事はバレたのですか?」
「勘の良い方達なら、そろそろソリウスが本当に婚約していた事自体は調べが付いている頃かもしれないわね。丁度王太子も衆目のある場所で、ソリウスに『お前の顔なんて見たくもない』って当たったらしいから、周知の事実になるのも時間の問題でしょうね」
今のソリウスは間違いなく追い込まれているにしても、ただただ墓穴を掘っているだけなような気がします。
私を悪女と言い出したのは、立場が悪くなったのは自分自身の責任だとソリウスが認めたくなかったからだと言う事はギリギリ想像出来ます。そして、リンカ様と婚約出来なかった事についても、婚約者の私に責任転嫁しただけなのでしょう。
ただ、白紙化の意味も知らなかった相手に逆恨みされるのだけは、腹立たしい事この上ありませんね。
暗殺者と言う言葉が頭を過ぎりますが、今後破滅していくしかない人間にわざわざそんな事をする程私も暇人ではありません。
「私とソリウスが婚約していたのを伏せた意味なくなりましたね」
「こちらは迷惑よ。慌てて強引に一年前に白紙になったと偽装したって、お兄様が疲れた顔で言っていたわ」
ソリウスの妄言より王太子の一言が余計でした。
王太子ってソリウスが二重婚約した事を隠したい側の筈なのに、何をやっているのでしょう。
ただそのおかげでと言うか、王太子のミスを取り繕う形で私の婚約が普通の手続きの時間をすっ飛ばして白紙化となり、今後も問題を起こしそうなソリウスと無関係になった私はほっとしていたのですが……。
その数日後、怒り心頭状態で、私達の兄である次期アステリア伯爵が父を連れてフラーベル侯爵家にやってきました。
実はちゃんと王都にアステリア伯爵家のタウンハウスは存在します。
今回は私では手が回らない問題の対応をフラーベル侯爵家にお願いしていた関係と、滞在の予定が極々短期間と言う事もあり、兄一家が暮らしているアステリア伯爵家のタウンハウスではなくフラーベル侯爵のタウンハウスで過ごしておりました。
王都に来ていたのに一度も挨拶に行っていなかった事を思い出した私達が、それで怒っているのかと慌てていると、顔を真っ赤にした兄が、
「フロスティアとソリウスの婚約関係を維持したいとかあり得ませんから!」
「でもなあ……コルデーン伯爵の事もあるし」
「うちが何故コルデーン伯爵と共倒れしなくてはいけないのですか!」
領地ではしっかりしている顔を覗かせていましたが、やはり父はコルデーン伯爵の類友でした。
さてはコルデーン伯爵に泣き付かれたのでしょう。
取り敢えず私達は客間に案内され、フラーベル侯爵を待つ間、私は父に真正面で向かい合いました。
「何故、私の婚約が維持出来ると思われたのです?」
ほぼ王命で私とソリウスは婚約が白紙化に至った事は、父達に手紙で知らせていた筈です。
王都とアステリア伯爵領は馬車で二日の距離なので、手紙を受け取っていないとは考えづらいのですが、何事にも万が一はあるでしょう。
父はへらっと笑って、
「いや、どうせフロスティアは他に結婚する意思もないし、今後大変な身になるソリウス君の手助けをしてもいいじゃないかと思って。白紙化ならもう一度婚約する事も簡単だし、皆丸く収まるじゃないか」
「は? 私が何故ソリウスの犠牲にならなくてはいけないのですか? お父様は丸くするどころか、アステリア伯爵家を没落させようとお考えですか?」
「そこまで言わなくても、コルデーン伯爵家だって……」
「ソリウスですが、公の場で王太子の怒りを買った事が確認されておりますよ?」
私の返しに父は言葉を失いました。
ソリウスがやった事がどうして内輪だけの問題に収まると思ったのか、私は理解に苦しみます。
「ほら! 父達の間だけの話ではなくなっているでしょう!」
兄は王都暮らしですから、ソリウスの話は随分聞いていたでしょうね。
問題が問題ですから兄が何もしてくれなかったとは思いませんし、反対に心労をかけていた事を反省せざるを得ません。
「我が家に碌に挨拶もない不義理な男とはさっさと婚約破棄させるべきだって、私は前々から言っておりましたよね」
「そう言うが、コルデーン伯爵家は隣の領地なんだ。向こうが何かあった時にはこちらにもしわ寄せが来るだろう。色々助け合う事は仕方ない」
「それでうちも王家に睨まれて?」
「いやでも、ソリウスなど一介の騎士だろう。それ程影響しないんじゃないか」
うーん……出かける時にはいつになく父はしっかりしていた気もしたのですが、コルデーン伯爵に完全に絆されてしまったようです。
この一面があるから父は伯父様に激怒されるんですよ。
「どの道、私とソリウスの婚約は王家により白紙となりました。再婚約もあり得ませんね」
父の持たせてくれた書類は使いませんでしたが、父がこの調子だったら、私が書類を使っていたとしても何としてでも撤回させたでしょう。
はっきり言って、我が家には何のメリットもないまま家族を犠牲にする父の友情はちょっと気持ち悪いと思っています。
「……お前の意思は関係ない。当主同士が合意すれば良い」
「父上! アステリア伯爵家を潰す気ですか!?」
「お父様には残念ですが、私は成人しております。私自身のサインがなければ婚約は出来ませんし、ソリウスも絶対に署名しませんよ。ソリウスは最近私を敵視するあまり、私が悪女だって吹聴して回っているそうですし」
「はあ!? 無理があるだろ!」
父と兄がハモりました。
どういう意味……いえ、脱線するので問い詰めるのは後にしましょう。
「ソリウスが私を嫌っているのは当然の事でしょう? ご自分の出世の為に一番邪魔だったのは私ですよ。私と婚約していたからリンカ様と婚約出来なかったのに、何故その私と再婚約すると思ったのです?」
ただの事実なんですけどね。何故か私の話を聞いてあからさまに消沈した父を、仕事の合間に来たフラーベル侯爵が回収していきました。
じっくりと事態の説明と叱責でしょうね。
残された私と兄は同時にため息をつきました。
「……フロスティア」
「先に言っておきますが、私自身はソリウスとは縁が切れて、寧ろほっとしております。お兄様はお義姉様と今後どう対応するか相談されては?」
「ああ……そうだな。いやまず、私も悪かった。頑張ってもっと早くに婚約を白紙にするべきだった」
それだけ言うと、兄も慌てて帰っていきました。
さて、中途半端な情報が流布するであろう今後は、一体どうなるでしょう?
私は当分婚約などあり得ないでしょうし、独り身で生きていく事を見当するべきかも知れませんね。
なお、私達がこのやり取りをしている頃、コルデーン伯爵の方は夫人にぶん殴られていたと後に母から聞きました。




