4.【都合に振り回される】
周囲はリンカ様とソリウスの婚約話を『穏便に』片付けたかった。
聖女という存在を祭り上げる為に、例えそれが聖女本人とは関係ない一般人の妹にまつわる事であっても瑕疵を作りたくなかった。
今回の件で、リンカ様にものを言うのに一番正当な位置にいる私に白羽の矢が立った事は、薄々感づいておりました。
ただ、それは理解出来ていても、誰かの恋の幕引きをさせられる私の気分は良くありません。
……正直、異世界の人間の都合に振り回されるリンカ様はあまりに可哀想だと思います。
私がソリウスの婚約者だと名乗った時、リンカ様は必死に自分は友達関係だと仰いましたが、私の目はリンカ様の瞳の揺れを捉えていました。
リンカ様は間違いなくソリウスに好意を持っていたと思います。
本当にソリウスはどうしようもない人間でしょう。
きちんと前もってソリウスが私と婚約解消をしておけば、リンカ様も今頃異世界でのロマンスに胸を躍らせたままだったでしょうに。
たとえ、事務手続きを怠る男なので、遅かれ早かれ破綻したとしても……………………いえ、事務手続きがないと何も出来ない世界なので、お話になりませんね。悲しいかな、どちらも事務手続きが出来ない二人のロマンスは、私の事がなくても何日保ったでしょう?
やっぱりソリウスを殴るが正解だった気がして仕方ありませんでした。
フラーベル侯爵邸に戻った私達は、神殿での出来事を直ぐに次期侯爵である従兄に報告しました。
それに対し従兄から返ってきたのは簡単な労いの言葉だけでしたが、それしかないと言う事は、やはり従兄からしてもリンカ様の失恋は予定通りだったと言う事でしょう。
大人しいリンカ様の性格を考えれば、私という『真の婚約者』が現れただけでソリウスを諦めるだろう。
老獪な貴族からすれば想定通りの結果でしかなかったのでしょうが、その迂遠なやり方に、一般的な貴族令嬢から遠く離れた私はイラッとしました。
考えなしの極致に至ったソリウスとは言え、死を伴う処分を下したら、関わった聖女の瑕疵となりかねないと判断されても、リンカ様の『諦め』により表面だけを取り繕って見栄えを整える貴族のやり方は、私には馴染む事が出来ません。
夕食まで中途半端に時間が余ったので、休憩がてらサンルームでカテリーナと私とエウリシアで軽くお茶をする事にしました。
嬉しそうにいくつもジャムクッキーを取ろうとするエウリシアの手を、私は容赦なく叩きました。
恨めしげにエウリシアは私を見てきますが、そのクッキーの食べ過ぎで侯爵家の美味しい食事が入らなかったら注意しなかった私を恨むんでしょ。姉の私は知ってますからね。
「私達にしたら手間だし本当に迷惑だったけど、要は聖女の妹がソリウスからの婚約を自分で断った事実が欲しかったのね」
カテリーナの言葉に、エウリシアが首を傾げます。
「どうして? そんな事実なんて作るより、ソリウスをさくっと暗殺して消した方が早くないです?」
「そんなに単純な話ではないのよ。よりによって大勢の集まる夜会でソリウスが婚約を申し込んだ事実は大きく広まって、最早なかった事には出来ないわ。ソリウス自身にしてもそう。何かあると聖女様に影響するから、無闇に消せないのよ」
「だから、わざわざリンカ様とお姉様を会わせたと言う事ですか。そんな手間をかけなくても書類審査で不許可になったって終われば良かったのに」
「リンカ様がソリウスからの婚約を『受け入れた』事実を見られた後での書類審査って、それこそ一体何? リンカ様の言葉で瑕疵ありのソリウスとは婚約が成立していなかった事にする方が、王家や神殿にとっても一番無難で、リンカ様にも瑕疵が残らないのよ」
間違えてはいけないのはソリウスを庇っている訳ではなく、あくまで聖女様の瑕疵になりかねないから対応しているだけと言う事です。
幸い、ソリウスには私という婚約者がいた事は知られておらず、その事実は王家とフラーベル侯爵家によって伏せられています。
状況を知らせる手紙については、先日、私の父であるアステリア伯爵家にのみ送られたそうです。より当事者であるコルデーン伯爵は色々迂闊な方で、手紙を送ればソリウスに無駄に伝えかねないと危惧されたと聞くと、縁戚になろうとした父の発想が宇宙人のように感じました。
「瑕疵って……お姉様という存在そのものが瑕疵?」
「そんな訳ないでしょう。それを言うなら、常識も欠落していたソリウスなんかと婚約していた事自体が私にとって紛れもなく瑕疵なのよ」
そう口にしながら、私は紅茶用の砂糖瓶をエウリシアから離れた場所に置きました。
お茶に何杯入れる気なのよ……恨めしげに見るのは止めなさい。
真面目な話をしている横でこんな調子でいる妹が、王都の淑女学校で一体全体何を勉強しているのか、私は超絶気になってきました。
王都に来たのですし、これは少しくらいは両親に代わって確認した方が良いかもしれません。
「うーん……瑕疵についての話はともかく、お姉様の婚約はこれで白紙に出来たのですよね?」
クッキーの皿もカテリーナの指示で下げられ、代わりのようにエウリシアは紅茶にミルクをたっぷり注ぎスプーンでかき回しました。
ねぇ、それってミルクの方が多くないかしら?
好みの問題もあるので指摘しませんが、それを飲み干すエウリシアのお腹に夕食がどれだけ入るのか心配になってきました。
「さあ? まだ白紙となるかは分からないわよ。解消と白紙が一緒だと思っている方は結構いるから、間に入った人次第ね」
エウリシアの紅茶に完全に気を取られていた私に代わって答えたカテリーナを、驚きと共に振り返りました。
嘘でしょ。
元が異世界人の私でも、十六才のデビュタントの頃には解消と白紙の差を知ってましたよ?
エウリシアも信じられないとばかりに、
「私でも知ってますよ? そんな事を知らないなんて、あり得るんですか?」
「それが間違えている人の話はよく聞くのよ。大抵は一度の婚約で破棄も解消もなく結婚してしまうから。一生白紙と解消の差を知らないままなんて、貴族でもざらにある事よ」
恐らく、私やエウリシアが正しく知っていたのは、私の婚約が解消か白紙になる可能性が高かったから、誰かが前もって私達に教えていたのでしょう。
ただでなくても解消も白紙も、令嬢側は損をしがちですからね。
「なら、ソリウスも差を知らなかったのかも知れないわね」
その前提で推測してみると、解消でも白紙でも経歴に残ると思い込んでいたソリウスは、私と婚約したままなら瑕疵になっているわけではなく、聖女の妹に婚約を申し込んでから私と解消か何かをすれば良いと考えた?
……この推測が間違っている可能性はありますが、どうやってもソリウスは頭の足りない人になる事だけは分かりました。
これは私の方が叔父様達にソリウスの暗殺を頼むレベルだったかもしれません。
その後、大きな問題が片付いた事で私達は穏やかに夕食を食べながら、次の日の王都観光の話で盛り上がりました。
フラーベル侯爵も夫人も、従兄も笑顔を浮かべており、私とエウリシアに残ったままの問題については何も言いませんでした。
それは、終わったからではなく、他の動きを待っていたからだったとは、真面目に貴族令嬢をやっていなかった私が気付く事はありませんでした。
王城に勤める騎士は百を越える数がいるが、王族に名前を覚えて貰える騎士は一握りであり、直接王族から名前を呼ばれるのは非常に名誉な事であった。
「ソリウス、お前の顔なんて見たくもない」
今回の件で、ソリウスは王太子から悪い意味で名前を覚えられてしまった。
王家が素早く隠した事情を知る者は限られており、王太子の言葉の意味が正確に分かったのは、この場では数人だけだった。
真っ青になっているソリウスは先程謹慎中にも関わらず呼び出され、冷たいとしか言いようのない宰相の言葉を聞かされたばかりでもあった。
。
何で……?
聖女の妹は夜会で婚約を受け、喜んでいたのに?
宰相からはっきりと説明されていたのだが、出世が断たれた事実に絶望していたソリウスは今も何が悪かったのか全く分かっていなかった。
フロスティアと婚約をしたままの状態が問題であった事は、辛うじてソリウスも理解していた。
だが、フロスティア達の想像通り解消も白紙も同じ事で、瑕疵を作ってしまうと思い込んでいたから避けていたソリウスは、フロスティア達が想像した以上に甘い考えを持っていた。
聖女の妹が私と婚約を望んだら、今の婚約者との婚約が自動でなくなるんじゃないか?
何の確証もないただの甘い期待が現実になる事を信じ、ソリウスは聖女の妹にひたすら夢を見せてきた。
姉の聖女が王族と婚約してからは一層聖女の妹に優しく寄り添い、ソリウス以外が目に入らないように頑張ってきた。
何で……?
愚かしい男は自分が聖女の妹を弄び、自分の出世に利用しようとしていた事を既に周囲に見抜かれているとも知らず、更なる愚行を始める事になる。
「私の婚約者だったフロスティアは悪女だった」




