3.【聖女の妹は失恋する】
私は確かにカテリーナ宛ての手紙を送ったのですが、迎えが来たときには伯父のフラーベル侯爵の名前でした。
どうやら、エウリシアがフラーベル侯爵家の醜聞にもなりかねない事態と言っていたのは、間違ってはいなかったようです。
急かされて慌てて出立しようとした私達、特に父に、どうしたらいいか分からなくなっていたコルデーン伯爵はすがりつき、腕を放しませんでした。
「私が失敗したら、フロスティア嬢の瑕疵にもなるのだぞ!?」
駄目すぎるコルデーン伯爵の息子を娘の婚約者にした両親の責任ですね。
何から手をつけて良いかも分からないコルデーン伯爵の事務手続きに、仕方なく付き合う事にした両親を領地に残し、私と妹だけで王都のフラーベル侯爵邸に向かいました。
保険的に『最終判断は私とフラーベル侯爵に一任する』と父が出かける直前に書いてくれたので、婚約破棄も私の意志で可能となった事だけは安心です。
「それはね、侮辱というのよ」
フラーベル侯爵邸のサンルームで、久し振りに再会したカテリーナは話もそこそこに断言しました。
やはり思った以上に事態は深刻でした。
一堂に会したフラーベル侯爵家の面々も、何とも言えない渋面を浮かべております。
「全くもってな。コルデーン伯爵令息の軽率な行動は、アステリア伯爵家、ひいてはその血縁者であるフラーベル侯爵家を貶めている」
伯父のフラーベル侯爵は大層不機嫌に仰いました。
もしもエウリシアが領地に帰ってくるのが遅く、私からの手紙がなかったら、フラーベル侯爵家がソリウスに暗殺者を向かわせる予定だったそうです。
王宮騎士に暗殺者って、などと聞いてはいけない事です。
今回のソリウスの行動は、国内有数の歴史ある貴族家の一つであるフラーベル侯爵家と縁戚のアステリア伯爵家と、神殿と王家の庇護を受ける希有な聖女を天秤にかけた結果、というだけではなく、それをただの一貴族令息、王宮騎士としても端くれでしかない騎士がやった事が問題だそうです。
雑に纏めるなら、どっちが良いか選べる立場ではなかったソリウスは、私と聖女の妹のどちらについても果てしなく侮辱した事になるそうです。
果てしなくですよ、果てしなく。全方位過去未来現在含めてですから、そう言う他はありません。
「二重婚約は稀にあるとは言え、これは当人がやっている分、余計に悪質だ」
「親も騙し討ちですからね」
貴族子女の婚約は大抵親が決めるもので、二重婚約の過去の事例も全て親だったとフラーベル侯爵と夫人が私達に説明をしてくれました。
その場合に罪に問われるのは決めた親だけなので分かりやすいのですけど、今回はソリウスの立場が立場ですから、前例もなく複雑な事になるかもしれないと言う話でした。
「別の方と婚約したかったのなら、直ぐに解消しましたのに」
父達の友好関係自体はともかく、元々直ぐに白紙に出来る婚約だったと、出発前に父は言っておりました。
継ぐものがない私達には、どちらも何故か問題のある相手から執拗に婚約の申し込みが来ていたそうで、取り敢えず風よけ的に父親達が婚約させた一面もあったとか。
この事を知っていたらもっと早くに見切りをつけて婚約を解消出来たのに、と思う反面、貴族としての社交を嫌っている私としては、婚約も交流も消極的だったソリウスはそれなりに都合が良い相手でもありました。
向こうが解消を言い出すまでは良いかと、面倒の先延ばし的に婚約解消の話を両親に持ち出さなかった事も悪かったのかも知れません。
「貴女の所為ではないわよ」
「いえ、早く解消していたら面倒に巻き込まれずに済んだのにと言う後悔です」
とは言え、やっぱり新しい婚約を望んだソリウス自身が私の父のアステリア伯爵に、もしくはご自分の父親に婚約解消したいとの手紙一つで婚約関係は終わったのです。
もしや、誰かがごねるとでも思い込んだのでしょうか。そんな価値ソリウスにはサラサラないのですけど、二重婚約なんて犯罪を犯す人間の考える事は分かりませんねぇ。
取り敢えず、例えどんなに恋愛で脳がわいていたにせよ、やっておくべき事務手続き程度は終わらせて欲しかったです。
「今のところ、聖女と婚約する手続きにまでは進んでいない。ソリウスが聖女の妹に婚約を申し込んだところで話を止めている」
ただし、ソリウスが婚約を申し込んだのは王城の夜会だったそうです。
実際に手続きに移っていなくても、多くの人が煌びやかな夜会で物語の一場面のように聖女の妹へ騎士が求婚するのを見ています。そして聖女の妹は断らず、婚約はなり立ったのだと言われているそうですが……これについて転生者としては少し引っかかっています。
姪である私の婚約者だとフラーベル侯爵が気付かれたのは、夜会が終わってソリウスの素性を調査した後だったそうです。恐らく同じ頃、王家も……。
「ある程度話はついている。フロスティアが大々的に婚約を破棄してソリウスを破滅させるか、聖女の妹に真実を告げてソリウスを振らせて立場を完全に奪うか、好きにするがいい」
夜会を利用された王家も腹立たしいでしょうに。
どこからか聖女の瑕疵になるような『処分』を回避したいとの思惑が動いたようで、今の所ソリウスは処刑は回避しているそうですが、将来的には分からないとの事です。
事務手続きを忘れた者の末路は、実に恐ろしいものです。
王都に来るまで知りませんでしたが、聖女は異世界から来たそうです。
異世界転生だけでなく、異世界転移もあるのですよ。既に十八年暮らしていますが、この世界はどうなっているのでしょうね。
残念な事に、フラーベル侯爵家の名前があっても多忙を極めているという聖女とは、会う約束を取り付ける事は叶いませんでした。
一方で、聖女ではないその妹に対しては、神殿に行ってカテリーナと私とエウリシアが名乗るだけで簡単に会う許可が下りました。
「あっさりと許可が出ましたね」
「求められているのは力を持っている聖女だけなのよ。一般人でしかない妹に会いたいと言う人は、今は随分減ったと聞くわね」
カテリーナ曰く、姉と妹であからさまに違う態度を取る者達がそれなりにいるそうで、聖女達は非常に心を痛めているとか。
姉妹格差は好きではないのですが、こればかりは難しい所でしょう……と私が切なく思っていると隣にいるエウリシアが、
「別に姉のような能力はなくても、妹はないだけ気楽に過ごせるから全然良いんですよ。全ての責任と義務を姉に押しつけ、妹はのんびり昼寝を決め込む!」
「貴女の私に対する本音を聞いた気がするわ……」
私達の場合、たとえ不平等だったとしても、いい加減で適当な妹になんて任せられるものは一つとしてありません。責任と義務なんて二の次です。
取り敢えず、最後の利益だけ主張しないエウリシアは、まだ弁えている方だと思う事にします。
「初めまして、リンカと言います」
お目にかかった聖女の妹は、神殿の奥で聖女の家族としてとても大事にされている様子でした。
貴族達からの扱いはともかく、かなり上等な部屋を自室として使っており、何人かの世話役の付き人と神官、警護の聖騎士もしっかりついております。
神殿には私が心配していたような、力がないからと言って放り出すような非情な方々はおられなかったようで、ほっと胸をなで下ろしました。
ただ、彼らがついているからと言って、転移してきた彼女達が何とかなる訳ではないのです。
悲しい程の常識の差が、どうしても悲劇を呼び寄せてしまうのです。
「初めまして。私はフロスティア・アステリア。アステリア伯爵家の長女であり、先日リンカ様に婚約を申し込んだソリウスの、婚約者です」
「え? ソリウスさんて、婚約者がいたのですか?」
まだリンカ様は知らなかったようで、私の話にとても驚いておりました。
私の方も表情は笑みで固定していますが、別な意味で非常に驚いていました。
リンカ様の外見は、どう見ても私の前世と同じ国から来たようにしか見えませんでした。チラリと机の上の片付けきれなかったメモを見ると、全てが日本語で書いてあるのでリンカ様の出身は間違いありません。
喜び半分、正直、転移のリンカ様と話す言葉が通じているのが怖いのが半分といった所でしょうか。
「ええ、まだ私の婚約者です。ソリウスは婚約の解消も当主の許可も得ず、勝手に行動したのです」
同席していた神官の一人が、すっと音もなく部屋の外に出て行きました。
恐らく何処かに報告に向かったのでしょう。
王家は神殿にソリウスが問題行動を取っていた事を正しく知らせていなかったようです。私が押しかけてきた事実を知らせの代わりにしようとしたなんて、嫌な役目を押しつけられたようで、とても気分が悪いです。
「えっと……」
リンカ様には色々この世界の仕組みが分からないのでしょう。戸惑うのは仕方ありません。
オロオロしながらリンカ様は、部屋の隅に立っていた若い聖騎士の顔を見ました。
「……婚約を複数抱える事はあってはならない事です。今回の場合、ソリウス殿はアステリア伯爵令嬢との婚約をまず解消してから、リンカ様に婚約を申し込むべきでした」
実に端的に聖騎士は仰いますが、異世界人にはもう少しはっきりと言わないと伝わらないと思い、私は口を開きました。
「つまり、婚約していたら、新しく婚約を増やす事は出来ません。この場合だと時系列として私の後になるリンカ様との婚約は……」
「違います! 違います! 私とソリウスさんは婚約しておりません!」
「ええ、ですから成り立っていないと……」
「そうではなく、単なる友人関係です! 私達は付き合ってもいません!」
私以外の者達の驚愕の眼差しが、リンカ様に一斉に向けられました。
それにリンカ様が怯えて大きく体を揺らしたものの、多少予想していた私も何とも言えない気持ちになりました。
夜会で婚約を『受けて』おいて、友人関係とはこれいかに?
既に王都内では聖女の妹とソリウスの婚約が事実として流布しています。
カテリーナとエウリシアも意味が分からないようで、ひたすら目をしばたたかせていました。
常識が違うって分かっていたでしょうに、私はリンカ様の周辺がとても残念でなりません。
「……リンカ様。差し出がましいかも知れませんが、ソリウスの婚約の申し出をはっきり断るのではなく、曖昧な言葉を返されましたね?」
再びリンカ様はオロオロしだし、先程の聖騎士を見ました。
でも、聖騎士も私の言葉の意味が分からなかったようで、逆にじっと私の顔を見ております。
「何というか……リンカ様の世界とこの世界では言い回しの仕方が異なると言いましょうか。貴族は場合によっては非常に悪辣ですから、はっきりと明確に自分の意志を伝えなければ都合のいいように解釈されますよ」
貴族の悪意に晒されてきたリンカ様は思い当たるものがあったようで、一気に顔色が悪くなりました。
「えーと、確か私は……『ありがとう。嬉しいです。けれど、このままの関係をもう少し続けてもいいですか?』って言いました。これでは問題でしたか……?」
「ええ、とても貴族に利用しやすい言葉ですね。具体的に申し上げるなら、前半の言葉で完全に婚約を了承した事にして、後半は結婚はもう少し待ってねという感じで解釈可能です」
そう言う解釈の余地は普通の令嬢なら家族や近しい関係の者達が潰してしまうのですが、良くも悪くもリンカ様は聖女様以外に身内はおらず、聖女の妹を結婚させたかった誰かによって都合良く扱われたのでしょう。
実に汚い。
慶事と思っていたらしいこの部屋の神殿関係者も顔色が悪くなっていますが、これくらい予想しておいて欲しいものです。
「残念ながら、リンカ様の言葉では婚約を断った事にはなっておりません。断るつもりなら、少なくとも最初の言葉は『ごめんなさい』から始めるべきでした」
「嘘……」
「ソリウス自身はリンカ様と婚約が成立したと思っているそうです。今後リンカ様がどう対応する事にしても、それを御留意下さい」
私は怒っている訳ではないのですが、リンカ様は泣きそうな顔で俯かれました。
難しい話です。
恐らくソリウスも利用されているので、リンカ様を慰めるような言葉は私からは出てきません。同席しているカテリーナもエウリシアも口を開く事はありませんでした。
その後、戻ってきた神官が連れてきた神官長と今後の話をする為に、私達は別室へと移動しました。
「……優しかったから、ちょっとだけ期待したのに」
リンカ様の涙は、神官達の心にしまい込まれました。
彼らにだってどうする事も出来なかったのです。
姉の聖女の瑕疵を作らない為だけに、そんなリンカ様の小さな失恋は隠蔽されました。
一挙公開はここまで。本日分は残り、午後6時、7時、8時の投稿分となります。
明日以降は午後5時、6時、7時、8時の公開設定とします。
完結済みなので、毎日完結まで更新します。




