2.【婚約者の父親は聞いてない】
私、フロスティア・アステリアには、現在騎士をしているソリウスと言う婚約者がおります。
父親同士が友人で、幼い頃に決まった婚約でした。
それ自体はよくある事で、私も取り立てて思うところはありません。
ただまあ、強いて言うなら、この婚約は政略なんて無関係で、父親同士が交友を楽しむ方に明らかに重きを置いているものだと言う事でしょうか。
一見幼馴染みに見えそうな私とソリウスですが、実際には数度会ったくらいですので、正直仲が良い関係ではありません。
婚約期間が長いだけで、互いに情を持つ程の思い出もなく、興味を持つ程の交流もなく。
最低限に、定型文のような手紙と無難な定番の贈り物をする程度の関係でした。
「一応、私はソリウスとの婚約について何も聞いていないわ」
だから、今更ソリウスとの婚約が白紙となっても解消されても、私には特に何の感想も出てこなかったでしょう。
関係性の希薄な人が真に他人になるだけですから、寧ろ当然だと思ったかも知れません。
ただ、取りあえず私が婚約解消の書類にサインをしていない以上、残念ながら私はまだソリウスの婚約者のままです。
婚約者同士の関係が既に破綻しているのだから別で新しく婚約して良いと言う事は、契約に縛られる貴族世界ではあり得ません。
きっちり現在の婚約を片付けてこそ、次の婚約が許されるのです。
「何処で聞いてきたのか知らないけれど、またそんな噂を鵜呑みにして……」
「学校内で教師が仰った事ですよ。噂ではなく、既に事実なんです!」
そのまま両親の前でも大騒ぎした妹により、王都に広がっている噂を知った両親ですが、当然始めは信じませんでした。ただ、最終的に話の出所が学園の教師と聞くと、揃って困惑した顔で押し黙りました。
妹の通っている淑女学校は、淑女たる者不確かな噂などを信じてはいけないと教える全寮制の寄宿学校です。
教壇に立つ貴族夫人がおめでたい時事として生徒に話した時点で、根も葉もない噂話と切り捨てられる段階にない事は両親にも分かったのでしょう。
その夜、丁度父はソリウスの父親であるコルデーン伯爵とはカードゲームの約束をしておりました。
タイミングが良いと言えば良いので、父はカードゲームを始める前にコルデーン伯爵に事情を尋ねました。
「ソリウス君が聖女の婚約者となったと噂が流れているそうだが、実際はどうなっているのかね?」
上機嫌で我が家を訪ねていらっしゃったコルデーン伯爵は、質問された瞬間はキョトンとしましたが、直ぐさま笑って否定されました。
「随分質の悪い噂ですな。ソリウスはちょっと頼りない部分もありますけど、あれでも王宮騎士なのですよ。そんな不義理な事をする筈もありません」
確かに、特に誠実である事を重んじられる王宮騎士が、何の明確な理由もなく婚約を含めた契約を反故にする事はありえません。
まして不明瞭な理由で私との婚約をソリウスが破棄した場合、騎士であるからこそ失うものは圧倒的にソリウスの方が大きいでしょう。
コルデーン伯爵の言う通り、理屈としてはソリウスが不義理を犯すとは考えられないですが……。
「王都から帰ったうちの御者やメイドも、複数が王都やその周辺でソリウス君と聖女の婚約の話を聞いたと言うのだが? 既にあり得ないなんて言葉だけで放置出来る段階ではないぞ」
「いや……でも、婚約は当主の許可がないと出来ないですし」
「実際に婚約するならそうだろう。だが、ソリウス君が口約束だけしている可能性がある」
父の指摘にコルデーン伯爵は椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がりました。
「私の子が聖女相手に詐欺まがいの事をしていると言うのか! 友人でも言って良い事と悪い事がある!」
「そうか? 君の言う通りソリウス君の自主性に任せた婚約にした結果、私の娘と全く交流していないだろう。前々からソリウス君は私の娘と解消したいと思っていたとしか思えんし、正直一貴族でしかないうちより聖女の妹と婚約した方が騎士には名誉だろうな」
田舎貴族の娘と単純に比較すれば、聖女の妹と婚約する方が余程名誉でしょうね。
こればかりは致し方ない事実です。
「交流していない……?」
呆然とコルデーン伯爵は私を見るので、
「十年間、年に一、二回、ほぼ挨拶だけの手紙か、何処でも買える菓子だけ送ってきました」
その言葉でコルデーン伯爵は肩をがっくりと落とされました。
てっきり私はコルデーン伯爵がソリウスの行動を容認しているかと思っておりましたが、この様子だと私の思い違いだったようです。
同時に父も今までの私への行動から、ソリウスへ不審を募らせていた事を初めて知りました。友達づきあいを優先するかと心配でしたが、私の事を考えてくれていたと分かったのでちょっとだけ嬉しかったです。
「……いや、でもさぁ」
チラチラとコルデーン伯爵は私を見てきますが、私が何を言うのでしょう。
何かあると直ぐにグジグジした態度を取るコルデーン伯爵は私も母も非常に嫌っているのですが、当人だけは分かっていないようです。
「噂だろうが王都中に広まっているなら、恐らく次は王家か神殿を通して問い合わせが来るぞ? 確認くらいしたらどうだ」
「あー……でも別に、ソリウスが婚約している事なんて王城側で簡単に分かるじゃないか」
「それで、ソリウス君が聖女と神殿を騙したとして君が突き上げを食らうのか」
「あ!」
成人済みの子息の行動も当主が責任を問われます。
特に今回の件では、実際に正式な書類が整っているとかいないとかは関係ありません。王都では完全にソリウスが聖女と婚約をしたと認識されており、現状は法律違反の二重婚約をしている状況なのです。
田舎にいて本当に知らなかったとしても当主が何の対応もしなければ、息子の行動を認めていたと取られかねません。
悪い意味で田舎貴族は遠く離れた王都の噂の力を舐めがちで、対応は後手に回りやすいと言います。
当主で父親でもあるコルデーン伯爵は、醜聞どころか没落を避けるために、一刻も早い対応を始めなければいけなかったのです。
ようやく事態を理解したコルデーン伯爵は真っ青になって座り込みました。
危機的状況だと気付くのが遅かったのは父もですが、一応我が家は被害者なので立場は違うのです。
「ど、ど、ど、どうしよう!?」
「落ち着け。まずはソリウスの現状の確認だ」
父達は今後の対応の相談を始め、私は退室しました。
ただ、私に何か出来るという訳ではないのですが、どうにも頼りない以外の何ものでもないコルデーン伯爵には色々不安を覚えます。
廊下を歩いていると、話し合いが気になってウロウロしてたと思われるエウリシアが走り寄ってきました。
今の私には妹に注意する気力は残っておらず、ジト目で見るだけです。
「どうでした?」
「……小父様はソリウスの行動は御存知なかったようね」
「あー、でしょうね。小父様はカードゲームしか頭にないから」
いくら本当の事でも、淑女が他家の当主の事をはっきり口にしてしまうものではありません。
この調子で妹は後1、2年で本当に淑女学校を卒業できるのでしょうか。
私は余所のどうしようもない盆暗当主よりも妹の将来の方が気にかかります。
「……後はお父様達が何とかするでしょう」
ソリウスが何を考えていたのかは私には知るよしもありませんが、本当に傍迷惑な事です。
婚約をどうこう出来る立場でもない私に出来る事と言えば、我が家にとばっちりが来ないように祈るしかありません。
「それでいいの?」
「他に出来る事もないでしょ」
「あるでしょう。ぶん殴るとか、聖女様の妹に会うとか」
流石に妹の提案には私は苦笑いしました。
殴るにしてもソリウスの現在の居場所は知りませんし、聖女の家族である妹君にしても恐らく神殿や王家から厳重に警護されているでしょう。どちらも現実的とは思えません。
「あ! 今、無理だって決めつけたでしょ」
「無理に決まっているんだから、決めつけでもないわよ」
「そんな事ありませんからね! こんな非常時だからこそ、カテリーナ姉様に頼むんですよ!」
カテリーナ・フラーベル侯爵令嬢、カテリーナは私達にとって父方の従姉に当たります。
幼い頃から私達は親しくさせて頂いていますが、妹の言うような図々しいお願いは流石に出来ません。
「あのね……」
「ソリウスの二重婚約が表沙汰になったら、うちも少なからず醜聞に巻き込まれる事をお姉様こそお分かりなの? そして我が家の醜聞は、ひいてはフラーベル侯爵家の醜聞にもなるかもしれないじゃないですか!」
こう言っては何ですが、非常識な妹の割にしっかりと理屈を述べてきました。
淑女学校の教育は無駄ではなかったようです。
「でもねぇ」
「上手く行けば大事になる前に、穏便な形で話を収める事が出来るかも知れませんよ?」
何もソリウスやコルデーン伯爵が問題を片付けるのを待つ必要がないと、エウリシアは言いたいようです。
どの道、困惑の極致にいるコルデーン伯爵が実際に対応に動き出すのは、まだ時間がかかるでしょう。
「上手く行かなかったら王都のお菓子でも買って帰ればいいのよ」
妹の本音はきっと王都の菓子でしょう。淑女学校に行っていると、学校生活だけでなく実家への行き帰りも買い食いは監視付きで制限されているそうです。
ただまあ、何が起きているのか知った今、何もせずに過ごす事は私にも出来そうにありません。
上手く行かなくても、それはそれでしょう。
私は直ぐにカテリーナに手紙を書きました。




