36.【真打ちは最初からいた】
私達は思いも寄らぬ人物の登場に困惑して立ち尽くしていました。
失言の王太子と言う2つ名を持っておられた方の拳で粉砕された豆腐ロボは、砕けた破片と共に光に包まれて……。
どういう理屈かさっぱりですが、人間の形に戻っていきました。破いた服も同様に元通りに。
「まさか、伝説の気付け薬の効果が!」
神殿長の叫びに私は思わず悲鳴を上げかけ、咄嗟に口を押さえました。
やだー。伝説の気付け薬ってあのボーリング玉の事ですよね。本当に王族に囓らせたのですかー。
闇が濃すぎる神殿長達にはまだまだ恐怖を覚えます。
暗黒物質を普通にお茶請けにするくらいですから……と言うか、前の暗黒物質の瓶詰めを盗んだのはさては神殿長ですね。それって神職についている者としてどうなんでしょう。味見したかったにしても、もう少し何か前もって……いや、私も暗黒物質の味見なんて全力で止めますから、勝手に持っていくしかないですね。
周囲から困惑の視線を一身に集めている元王太子は、重そうなマントを意味不明にバサッと振り、
「我は廃されし元王太子にして、闇を払いし者として使命を受けし者! さあ、その闇から解き放たれるが良い!」
中二病が増えた気がしなくもなく。
確かボーリング玉について『素晴らしき目覚めと共に全ての闇を打ち払う』とかなんとか神殿長は仰っていた記憶があります。あれは単に何かしらの力に目覚めるという意味ばかりでもなく、この方向に目覚めるという意味もあったのかも知れません。
それはさておき、倒れている坊ちゃん神官達は、『白き堕天の滴』とあんな混じり方をした後です。闇が払われたとしても、別の問題が発生している予感がしなくもなく。
すると、暗黒物質の瓶詰めがカタカタ震え、
『我を残し、豆腐と渾然一体化した『白き堕天の滴』の闇のみ消し去さりし力……凄まじきかな』
「『白き堕天の滴』は、貴方が胃から消えたって言ってたわよ?」
『我、表層に現れ、一時胃を留守にしたまで。浅はかなりし『白き堕天の滴』、我の留守を自らの天下と思わん……『白き堕天の滴』が消えし今、我は胃にあり』
消化も拒んだ挙げ句に消し去られもせず……今更ながら、私はなんて物を食材としてしまったのでしょう。
「ところで、私の中の暗黒物質と『白き堕天の滴』は……」
『良く噛みし者よ、我ら砕かれ混じり合い、相殺を果たさん』
結局単純に丸呑みだけがいけなかった? 事実とはとんでもなく切ないものですね……。
やがて、その体を包んでいたキラキラした光が全て天に向かって還ると、坊ちゃん神官達は目を覚ましました。
何が起きたのか少し混乱気味の坊ちゃん神官達の前に立ったのは、以前私が見た時よりも堂々とした王族らしい風格を漂わせた元王太子でした。悠然と腕を組み、
「目が覚めたか、若人よ」
「貴方は……貴方こそが大豆が言っていた『地上に舞い降りし闇を払い光をもたらさん者』ですね!」
大豆ですか……。夢の中で何があったのか知りませんが、貴方達を散々な目に会わせた『白き堕天の滴』なんて名前の闇落ち大豆の言う事をさらっと信じてしまうのですか?
私は坊ちゃん神官達が反省したにしろ、改善されたとは思えませんでした。特にあっさり騙されそうで。
私の横にいたシルヴィスは、疲れたようにため息をつきました。
「何とか豆腐達は元に戻ったな。私は同僚に説明してくる」
「そう言えば、貴方の同僚達はもっと早くに来ても良さそうなのに、どうしたのかしら?」
「……殿下がこの調子なら、途中で他のもめ事を起こしつつ、ここまでやって来たのだろう。多分、後始末に走っているのだろうな」
この部屋は終始カオスでしたが、外も別な意味でカオスだった?
ヨロヨロと部屋を出て行ったシルヴィスとは対照的に、元気で肌艶も良い神殿長と元王太子はにこやかに話をしていました。
「殿下、素晴らしき技で御座いました」
「うむ。これも妙薬によりてこの世のものとは思えぬ花畑に導かれし結果だ」
「それ毒でしょ!?」
聞こえてきた会話に思わず私は叫んでしまいました。
あれですよ、人間命の危険に晒されると妙な力に目覚めるとか言う……。
「アステリア伯爵令嬢は面白い事を仰る。あれはリンカ様にお出しする事も考えた薬ですよ? そんな訳ありませんよ」
「考えたと言っても、眠っておられるリンカ様がボーリング玉大の薬なんか囓れないって百も承知でしたよね?」
私の追及にも人畜無害な神官スマイルを一切崩さない神殿長にジト目を向けていると、正真正銘腹に何も抱えていない満面の笑顔の殿下が、
「アステリア伯爵令嬢が言う所の暗黒物質の方が余程毒だろう。まあ、毒は適量であれば薬になるので、使い方は間違えないように」
何と言う事!
私は暗黒物質の瓶を掴んで振りました。
「あなた、私の前で散々食べ物って言い張っていたでしょう!」
『我は食用可……適量を守りし事、汝の使命なり』
言い方にやられた……。
かつてなく打ちのめされた私は膝をつきます。
私は『白き堕天の滴』にも騙されていたのなら、暗黒物質にも裏切られていたと言う事なのですね……。
「さて、アステリア伯爵令嬢、お主のカレーはまだあるか?」
「闇落ちカレーは試食分しかありません……通常カレーでしたら、まだ少し」
「ならば疾く試練カレーを作るのだ。お主の試練はまだ終わっていない」
何か目覚めすぎて何かと繋がった感のある元王太子は徐に聖女様達が、正確には閉じ込められている扉の前に立ちました。
「私が聖女達を苦しめる魔物と闇を払う! さあ、そなたはカレーを持ってくるのだ!」
元王太子が輝く拳を扉にたたき込むと、例の触手が無数に飛び出してきました。
驚く間もなく、そのまま異種間戦闘が始まってしまいました。
……あの触手は聖女様の補助的な生き物ではなかったの!?
「アステリア伯爵令嬢、ここは危険です。殿下の仰る通りカレーを!」
「わ、分かりました!」
流石に光と闇の魔力が激しくぶつかり合う中では、神殿長達も全力で待避するしかなく、私も一緒に部屋を飛び出しました。
何でここでカレー、とか考えている暇はありませんでした。
一際大きな音がして、逃げる私達の反対側で、シルヴィス達聖騎士が走って触手に向かって行くのが見えました。
あっ、と思ったのは一瞬でした。
あの触手は豆腐ロボ?とは違い完全なる魔物です。思わず私はシルヴィスを引き留めようと手を伸ばしかけましたが……私は手を下ろしました。
シルヴィスはそんなに簡単にやられる人ではありません。今は私は私でやるべき事を……カレーを……。
「だから、何でこの状況でカレー!?」
カレーの準備で使っていた部屋に走りながら、私は誰もいない廊下で思いっきり叫びました。
不意に外から扉を叩き付ける音がした。
フロスティアと話していても眠気を押さえられなくなった私は、ぼんやりとその音を聞いてた。
「リンカ……皆、私達を待っているから」
強い眠気に必死に耐えながら、私は這うようにリンカの側に行った。
リンカと私から絶えず何かが流れ出ていく事に気が付いたのは数日前で、部屋から出られない私は相談も出来ず、心配をかけないよう元気を装って声を張り上げる事しか出来なかった。
結局はリンカ同様嘘つきだった私は、リンカの眠るソファに体を預けた。
ああ、眠い。
このまま眠ったら、私はちゃんと目が覚めるかしら?
不安で、ずっとまともに眠れていない。
眠い、怖い。
ここでは、聖女の力なんて何の役にも立たない。思い出したのは暢気に笑う婚約者の顔。もう一度あの顔に会えたなら、私はきっと安心出来るのに。
耐えきれず眠りに落ちる直前。
扉から一際大きな音がしたと同時に流れ込んできたのは、懐かしい、かつて平和に暮らしていた頃に姉妹で待ち望んでいたスパイスの香りだった。
ああ、お父さん、お母さん、リンカ。
「助けて!」
私は思いきり叫んだ。
『あの時』、事故に巻き込まれ、妹と死にゆく中で誰かに助けを求める事が出来なかった私に伸ばされる手を見て、ああ、今度は生きていて良いんだと思った。
聖女達に纏わり付く、悪しき闇は払われ、扉は開かれた。
温め直したりするのに時間がかかってしまった私がお盆に載せたカレーを持って戻ると、あの触手の姿はなく、聖女様達を閉じ込めていた扉も開かれていました。
少なからず怪我をした聖騎士達は壁際で休んでいて、神官の方々が治療に当たっておりました。
「シルヴィス!?」
その中にシルヴィスがいるのを見つけた私は、慌てて駆け寄りました。
近付く私に気付いたシルヴィスは手を軽く上げました。
「ちょっと触手に飛ばされてしまっただけだ。心配する程ではない」
「そう……酷い怪我でないのなら良かったわ。でも、後から来る怪我もあるから、油断せずにちゃんと診て貰ってね」
簡易治療を終えた重傷の聖騎士達が病院へ運ばれていくのが目に入りました。
幾人かの見慣れた顔の中には手練れである筈のシルヴィスの上司もいて、あの触手は相当危険な魔物だったと分かりました。
「何にせよ、光の殿下はリンカ様の閉じた扉を開ける事が出来たのね……」
「ああ。まさか、あの触手が魔物であっただけでなく、聖女様達を閉じ込めて魔力を吸い取っていたとは殿下がいらっしゃらなければ気が付かなかった。本当に光の殿下のお力には……何て言うか……と言うか、別人というか……」
まあ、元王太子は元王太子で闇落ちと言うより、何かと『真なる結合』をしているような気もします。とは言え、それはまた別問題。
「ここは神殿なのに魔物がいたなんて……」
「実はそれは珍しくない。光に満ちた神殿だからこそ闇も濃くなり、その闇に惹かれて魔物が現れる。魔力を狙う魔物なんかは時々潜んでいるので、私達は常日頃目を光らせているのだが……今回は想定外の大物で、完全に騙されていた」
婚約者になったのに、私は聖騎士の事をあまり知りません。
てっきり権威的な仕事だと思っていたのですが、重装備がある時点で危険な仕事だったと言う事です。
「シルヴィス……」
「この事実はあまり知られていない話だ。あまり言い回るものじゃないからな。先程から殿下がこちらを見ている。用事があるんだろう。行ってくるといい」
頷いた私はシルヴィスから離れて元王太子を振り返ると、奥の部屋から運び出された聖女様とリンカ様が神官の方々から介抱されている事に気が付き、急いでそちらに向かいました。
腕を組み仁王立ちしている元王太子は、
「この二人は魔力不足だ。回復するにはそなたのカレーが一番良いと聞いた」
「……本来私達が知らない事も知っておられそうな口ぶりですね。貴方は本物の殿下なのでしょうか?」
「些細な問題だ。だが、答えを隠す必要もない。私は本物であり、偽物でもある」
闇落ちしているとも『真なる結合』しているとも取れる発言ですね。その詳細は聞くつもりはありません。いやだって、豆腐達と違って治せる方法があるようには思えませんから。
「フロスティア……?」
聖女様がうっすら目を開けました。
私は慌てて傍に駆け寄り、試練カレーを渡しました。
「魔力不足だそうです。このカレーは魔力不足に効くそうなので、頑張って食べて下さい」
「ふふ……寝起きにカレーってなかなか良い組み合わせね」
前世の私はたまに寝起きに天丼を食べる人生を送ってきたので、朝カレー程度は平気なのですが、聖女様は直ぐには口を付ける事はありませんでした。
「食べやすい物は魔力回復がない。諦めて食すが良い」
「何か殿下の様子がおかしい気もするけど……それこそ細かい事ね。いいわ、カレーを頂きましょう」
よく考えると試練カレーって、暗黒物質も『白き堕天の滴』も入っていますよね。あんな危険な物を体が弱った聖女様が食べるなんて危険ですよね、もしかして止めた方が良い?
『程よく溶けた我と、炊き上がりし『白き堕天の滴』、良く噛めば胃の中で相殺し、我ら純粋なる魔力とならん。我ら薬にして食物なり』
「そう……今更なんだけど、その中二的な言葉遣い、文法とか合ってるの? ずっと気になっていたんだけど」
『細かき事、追求許されじ』
なんて自分勝手な。もう二度と自己中の豆達を使うカレーは作りませんからね。
リンカ様は相変わらず眠ったままで、光の殿下が眠るリンカ様の頬に手を当てました。
「殿下、女性に拳を向けられるのは……」
「その程度は分かっておる。しかして、リンカの闇を払わねばならぬ」
光の殿下の手が光り出し、そっとリンカ様の頬を何度も優しく叩きます。
どうしても威力が出せないから、弱い力で何度もやるしかないと言う事ですね。
「カレーを近づけよ。暗黒物質も郷愁の香りを放て」
『承知』
トレーをリンカ様の眠る近くに置くと、カレーに潜む暗黒物質が強い香りを出しました。
所謂、夕方くらいに道を歩いていると何処からか香るカレーの匂いそのままですよ。
前世の思い出をあまり振り返る事もない私も、ちょっとだけ思い出して涙が出てきてしまいました。そう、あの日、私は大学の帰り道で……
「お主も呼びかけるが良い」
思い出す前に声をかけられた私は、慌てて眠ったままのリンカ様に呼びかけました。
「一緒にカレーを食べましょう。皆一緒で楽しいですよ」
どれが効果があったのでしょう。
光の殿下が頬に触れる中、ゆっくりとリンカ様は目を開けました。
「フロスティア……それに、殿下……?」
「私がそなたの闇を払おう。もう、心配する事はない」
その力強い言葉を聞いたリンカ様は光の殿下をじっと見て、涙を一筋流しました。
私も聖女様も、聖女の力を持たないリンカ様の不安は知っておりましたが、私達にはどうする事も出来ませんでした。
「さあ、アステリア伯爵令嬢が作ったカレーを食べるが良い。大丈夫。そなたを脅かす闇は全て私が片付ける」
「……はい!」
光の殿下に支え起こされるリンカ様。
リンカ様が一心に光の殿下を見つめる姿に、カレーを渡していた私は、あれ、これ、良いのかな、どうなのかな、と思いましたが、もうどうにもなりません。
完全に二人の世界に入ってしまった殿下とリンカ様から距離を置いて、ひたすらカレーを食べている聖女様に、
「あれは良いのですか?」
「さあ? 上手い具合に神殿が纏めるんじゃないかしら」
あれ程婚約する相手に瑕疵がある事を嫌ったくせに?
そう思うも、無理難題であっても聖女達に激烈甘い神殿長達は何とかするのでしょうね。
「まさか、こんな事になるなんて……」
「姉の私も驚きよ。でも、これはこれで王家も神殿も大喜びでしょうね」
自然に恋に落ちたなら、もう誰にも邪魔は出来ません。
まして元王太子は既に離婚をした身で、二人の気持ち次第です。
ここまで振り回されて元王太子かー、と思わなくもないのですが、これはこれでハッピーエンドなのかも知れません。




