30.【試練は料理ナビ付き】
リンカはすぐに嘘をつく。
大丈夫じゃないのに大丈夫と言ったり。
好きなのに諦めたと言ったり。
ソリウスから夜会でプロポーズされ、本当はリンカは物凄く嬉しかったと私は知っている。
でもリンカは臆病だから、素直に喜べず一度断ってしまった。
その内にフロスティアが現れソリウスが嘘をついていた事を知らされて、好きなのに友人だと言ったり。
そのフロスティアと妹のエウリシアに対しては珍しくリンカが我が儘を言って友達になって貰っていたけど、切っ掛けはどうあれ仲良くやっていたので安心していた。
前の世界で生きていた時から生きづらそうだったリンカが、もしかすると楽しく暮らせるのではと期待していた。
強引だったリンカの婚約問題が何とか整理出来たと聞いたのは、少し前。
それでも一向に目を覚ます気配のない妹の横に座り、カンナはため息をついた。
「ねえ、もっと私達には本当の気持ちを言っても良いのよ?」
我慢して諦めて……それが一体何になると言うのだろう。
何事にもリンカは一歩引いてしまうから、いつでも誰かの都合に振り回されていた。
そんなリンカも今回ばかりは強い恐怖もあったのだろう。徹底的に押しつけられたものを拒絶をした。
その拒絶が凄まじく、カンナも一歩でも扉の外へ出たら2度とリンカは受け入れて貰えない気がして、無理に聖女の力を使う事も躊躇われた。
カリンは自分の事で今も昔もリンカが萎縮している事を知っていた。
姉妹だから何とか互いに妥協点を知っているので何とか悪い関係ではないとカンナは思っているのだが、リンカの心の奥に踏み込める程仲良くはなく、実は不器用なカンナの声はいつもリンカに届かない。
もしも私達がフロスティアとエウリシアみたいな姉妹だったら。
もっと互いに言い合って、怒って笑えていただろうか?
カンナは静かに立ち上がり、扉近くに置いたクッションの山に座り込んで毛布を被った。
残念ながら、どれ程時間が経ったとしてもリンカはカンナの伸ばした手は掴まないと知っている。
今はただ、姉妹でフロスティアが来るのを待つだけ。
『結論として、かつてリンカ様にプロポーズしたソリウスは、聖女様達が閉じ籠もって以降、扉越しにでもリンカ様に呼びかける事はなかった。
謹慎していたとしても何度か不思議と機会が巡ってきたのに、ソリウスはリンカ様に言葉をかけるよりも他者に不遇を当たり散らす方を優先していた。
それもリンカ様にソリウスの罵り声を聞かせたくないと思った『誰か』の意志が働いたのか、フロスティアに蹴られたのが最後だった。』
普段から報告書の元にしている雑記帳にそう記したシルヴィスは、時間を確認してフロスティアが来る前に神殿の入り口に向かった。
問題は、暗黒物質の固まりである小豆っぽい何かを材料にして日本式カレーをどうやって作るか、ではなく、食べて大丈夫なのかという事です。
最早安全とは言いません。
食べた後に生きているかどうかだけが問題なのです。
「味見が怖い……!」
あれ程芋羊羹を好んで食べていた神殿の方々も、暗黒物質を使って出来た場合の味見には立候補はして下さいませんでした。
謎の材料を使っていた事が判明した所で結局作る人間の問題なのでしょうか。悔しいですが芋羊羹はやはりチートだったようです。
現在、神の使いから受け取った事になっている暗黒物質は、正直持っているのも不気味なので神殿長の元で管理して頂いています。
神殿の祈りの間の目立つ所に飾られているような気もするのですが、きっと気のせいだと思う事にします。
試作に向け、最初に暗黒物質をどうにかすべく、私は高位神官向けの簡易キッチンをお借りしました。
厨房では暗黒物質がうっかり混入するかも知れないので、念のためもあります。
それにしても、キッチンに立つと不思議な気がしますね。
自分は絶対料理系チートを発揮するタイプの主人公的な転生者だけはないと思っていたのですが、運命って分からないものですね。
私はカレー『しか』作れないのですが。
暗黒物質は勿論、そもそもただの小豆の調理の仕方も知らないのですよね……。
のっけからハードルが高いのですよ。
開始早々から諦めるという選択肢が点灯している気がします。
「取り敢えず煮てみようか」
「そうね……」
騎士なので多少料理の心得があると言うシルヴィスが、慣れないキッチンで私の手助けをしてくれます。
沸騰したお湯の中に暗黒物質を入れると、何も示し合わせる事もなく私もシルヴィスもかなり後ろに下がりました。
「気が合うわね」
「ああ、こんな風に女性と過ごす日が来るとは思わなかった」
私達のどちらも突然暗黒物質が爆発するかも知れない煮えたぎる鍋を注意深く見ているので、何の色気もない状況です。
発生するガスを警戒して窓が開いているので、取り敢えず寒いですね。
「どうせなら暗黒物質をくれるだけでなく調理済み状態か、調理法を教えて欲しかったわ」
「多分そこは神々の試練だと思うから、頑張るしかないんじゃないかな」
この試練を乗り越えたら……何になるのかしら?
個人的には今度こそ華麗な悪女が良いのだけど…………転生して努力してもこの状態なら無理なんでしょうね。
あっ! でも試練を乗り越えたら前世読んだ『誰よりも優美で華麗で残酷な計算高く男達を虜にして破滅させる』悪女になれるかも?
「今度こそ私は悪女になれるかも知れないわ! 邪悪っぽい男達を破滅させるような凄い悪女になれる!」
「ああ……別に今更悪女にならなくとも、フロスティアは随分この国の膿を破滅させた。きっとそういう人達がフロスティアを悪女だって思ってくれている筈だ」
「まだ優美にも華麗にもなっていないじゃない!」
シルヴィスは私の言葉を聞いて大笑いし、「それなら美人になりたいでいいじゃないか」と言いました。
そうじゃなくて、こう、優美で華麗で残酷な計算高い女性になりたい訳で!
『煮えたのだから、早く湯から上げるが良い』
鍋から声がしました。
私もシルヴィスも鍋を見ながら固まりました。
『湯から上げよ、料理初心者共よ』
尊大な声でありながら、どこか親切そうな声でした。
湯に入れた事で暗黒物質の奥に潜んでいた、暗黒の意志でも目覚めさせたのかも知れません。
驚きましたが、これはこれで都合が良いでしょう。
「シルヴィス……これは試練ではなく、暗黒物質の方が大まかにでも調理法は教えてくれるみたい。何だかんだ言って新設設計だったのね」
私がちょっと煮崩れた暗黒物質を笊に上げると、
『我を冷水につけるがいい、そしてマグマの如き赤き灼熱の海の中に投じよ……さすれば柔き女子の肌の如く蕩けよう。その上で、一晩の祈りを捧げよ。ならば、我は冷たき芋と共に四角く長いものにならん……』
「それはもしかして、この世界の芋羊羹の作り方? ううん……発生の仕方のような気もするし、色々料理じゃないとか言いたい事はあるけど、カレーだと貴方はどうするの?」
『生のまま数粒入れよ……さすればとろりとした粘性を備え、食す者に古き郷里の哀愁を引き出さん』
「帰れないのだから望郷の念を引き出さないでくれる? もう少し頑張りを控え目にして懐かしい味って感じに出来ない?」
『さすれば適度に煮るが良い……我は水に溶け出し、その力を弱める』
笊に上げたときに煮汁は流してしまったのですが……知らない間に汚染水を流してしまったようです。
この世界はトラップが多過ぎです。
文句と注文の多い暗黒物質の自己申告に従って、『適度に煮えた暗黒物質』が完成しました。
「これで一番問題だった材料が加工出来たわ」
保存容器に移し替えた私がシルヴィスを振り返ると、黙って俯いておりました。
ええ……言いたい事は分かっております。
……私にも分かってます。
いくら授けられたからって喋る暗黒物質を食べさせていいのかって、分かっています。
私もこれを味見しなくてはいけないと分かっているのです。
「シルヴィス……食べた私にもしもの事があったら、暗黒物質は捨ててね」
「いや……流石に神々から渡された食材でもしもの事はない。だが、私も神殿の関係者として様々な試練があるとは聞いていたが……実際に目にすると恐れ多くて足が竦んでしまった。申し訳ない」
それはきっと、試練に戦いたのではなく、食材が喋ったから驚いただけよ。
うっかり私は普通に受け入れてしまったけど……エウリシアが一緒だったら全て廃棄しろって怒ったでしょうね。
「次回はカレーの試作ね。勇気ある人間がいるかしら?」
「神殿だからな、神々の与えた試練の一端に関われると分かったら参加する人間はいるだろう」
言い方一つで受け取り方が変わるようです。
なかなか難しいものですね。
「では、次はカレーの材料を集めて持ってきます。2、3日かかるかも知れません」
「こちらも声をかけるのにそれぐらいが丁度良いな。じゃあ、当日もここで」
私とシルヴィスが暢気に話しているのを扉の隙間から聞いていた者がいたなんて……。
まあ、シルヴィスが反応しないという時点で誰かはある程度絞り込めたのでしょうが、この時の私には誰かいた事すら教えて貰えませんでした。




