あなたを守れるのなら
――ヴィクトルが三つ首の犬と戦っている頃。
レオンは、窓の外を青ざめた顔で眺めるアリアの顔を見ていた。
「……アリア様?」
「大丈夫。大丈夫だから」
自分でも声が出ているのかと疑うほどの声しか出なかったが、アリアはレオンの呼びかけに答えてくれた。でも、その声は明らかに震えていて、自分自身に言い聞かせているように、何度も大丈夫と唱えている。
「アリア様、何があったんですか?」
「外は多分大丈夫、ヴィクトルが頑張ってるから。それよりもレオン……大丈夫なの?」
「はい。少しだけですが、楽になりました」
横になっていた体を起こし、アリアの顔を見る。よく見れば目が腫れているし、頬には涙が流れた痕があった。
「そっか。良かった……ごめんね。私、ちっとも役に立てなくて。頑張るって決めたのに、レオンがいないと何もできなくて。私ひとりじゃ、大事な友達一人助けられない」
「違います。これは俺のせいなので」
「え?」
「――くっ」
「レオン!」
熱がぶり返してきた。
――もう分かっているのだ。この熱の正体は。知っているのだ。どうすれば、この熱が収まるのかを。
それでも、俺は逃げ続けている。
怖いからだ。これに呑まれてしまえば、自分が自分でなくなりそうで。
レオンの意識が薄らいできた中、扉が三度叩かれた。
「これ……は……」
「まさか――」
アリアと目が合う。
これは事前に決めていたサインだ。この馬車は、魔物の牙さえも耐えられる頑丈な作りになっている代償に、外の音が拾いづらい。だから、旅の道中不測の事態が起こった時用にいくつかのサインが決められていた。
そして、扉が三度叩かれたときの合図は――逃げろ。
どうしようもない時用の合図で、これを鳴らすことはないと、護衛の人たちは出発前に言っていたが――
「アリア様」
ここからは二人だけで決めていた合図だ。
もし馬車に危険が迫ることがあれば、レオンが敵を抑えている間にアリアが逃げる。自分の体調が万全ではない以上、十分な時間が稼げるとは限らないが――
「――レオン……」
「ちゃんと無事に追いつきますから」
「――――うん」
うまく作れたか分からない笑顔をアリアに向けると、アリアは涙を流しながら頷いた。
――いざとなれば、自分が死んでも時間を稼ぐ。
♦♦♦
――覚悟だけでは人は守れない。
少し前にも味わった現実だ。投げ飛ばされた痛みではっきりとしている意識の中でも、呆れて言葉も出ない。
現実を見れば、口の中で血の味がするし、辺りを見渡せば大量の黒犬が周りを囲っていた。それに、おそらく敵であろうぼろ布と白い服を着た男が合流する間に、アリアがこちらに向かって走ってきている。
なぜ逃げないのか。
頑張って勇気を振り絞ったのに。
アリアだけでも逃げられたかもしれないのに。
分かっている。
見捨てることをアリアは選べないし、そもそも選択肢にない。
――こうして自ら危険に飛び込む勇気を、自分が最初から持てていたなら。
逃げなくてごめんと泣きながら謝るアリアを横目に見ながら、ちょっとだけうらやましく思ったことは内緒だ。
アリアの頬を流れる涙を、かろうじて動かせた手で拭う。
――大丈夫。もう、覚悟を決めただけでは終わらせない。
自分の中で渦巻く怒りを、闘気に乗せる。そうすれば、あの日、空っぽになった自分を埋め尽くした感情は、あっけないほどに闘気を爆発的に膨れ上がらせた。
あの日から、この怒りが消えたことはない。強くなろうと努力しても、まだ足りないと自分が叫ぶ。休んでいたら、目の前には惨劇の記憶が蘇る。
だから、痛みで意識がそこに割かれるのは心地よかった。
自分自身の物だから、分かる。
この怒りは、きっと自分をも飲み込んでしまうと。
でも、隣で涙を流す友達を守れたのなら。
悔いなく家族に会うことができるのかもしれない。
膨れ上がる闘気を、世界に向けて。
手から飛び出す闘気の本流が、反発する膜を破り、天へと上る。
――さあ、燃え尽きよう。
♦♦♦
やせこけた体に、ぼろ布をかぶせた男――ヴェンは、普通の炎ではありえない現象を目にしていた。
突如として湧いた強者の予感を前に、飛び掛かりそうになる己を抑え、その光景を見る。
「燃えない炎かぁ、なら、中のガキも生きてそうだなぁ」
遠くの方から嘆く眼鏡の男――リーベの声を聴きながらつぶやく。
天まで上った炎は、周囲の木々を燃やしていない。木々の幹にしなやかにまとわりつく炎は、まるで獲物を狙う蛇のごとくこちらを睨んでいる。
一方で、自分には夏の日差しなんかとは比にならないほどの熱をぶつけてくるのだから、とても面白い。
「なぁ、出て来いよ。もし俺に勝てたなら、後ろのガキを連れて行くのはやめてやる。その代わり、今のお前の全力で俺にかかってこい」
炎を避けるために円状に引かれた線の外に出れば、ぴたりと炎は動きを止めていた。二人がいた場所を炎の繭が守っている以上、どちらかの力なのは間違いない。そんで、銀髪の方が聖女なら、この炎はもう一人の黒髪の方。
聖女を守るために全力を出せないなど、論外。
だからこその条件だったが、
「しゃべれねぇのかぁ? まあいいか、そんなこと。その姿が答えだもんなぁ?」
ヴェンは、両手にナイフを持って構える。
円の外に形作られた人型の炎。右手を前にかざして――
「あたらねぇよそんなもん!」
叫びながら横っ飛びに移動し、自らの足にナイフを滑らせた。
「ああ、効く効く!」
ナイフに塗っていたのは、ヴェン専用に調合された毒薬。他者には毒を、ヴェンには強化を。筋肉を犠牲にすることで、身体能力を爆発的に増加させる。すでに今日は三本目。
ゆえに――
「当たらねぇ! 当たらねぇ! 当たらねぇよばぁか!」
手から繰り出される炎の光線を避ける。避ける。避ける。
「こっちの番だ!」
両手に持ったナイフを二本。人型の炎に投げ込む。
「――」
人型の炎は背中に巨大な炎の腕を作り出し、受け止める。ドロドロに溶けるナイフ。
人型の炎は更に、腕を縦に割き、帯状に変化させた。六本の帯が、ヴェンを囲うように伸びてきて――
「もっとだ!」
囲まれる前に飛んだヴェンは、飛んだ先の木の幹に片足の体重を乗せ、更に奥深くに入る。先ほどまでいた場所から、道を挟んで反対側。そこは森が深く、一度入ってしまえば簡単に方角を見失ってしまうほどだ。
足場を増やし、機動力を高めるための選択。どこかで不意を突いてあの炎に耐えうるだけの攻撃を通すために。
「なんだこれ?」
一瞬、周囲に浮かぶ明るい光に目を向ける。その光が頬を掠れば、皮膚の焼けこげる匂いと音をヴェンに知らせた。
感覚がおかしくなってるのか、あまり熱さを感じないが、間違いない。これはあの炎だ。
「まじか」
周囲を見渡せば、夜に浮かぶ星のように輝く光に囲まれている。
まさか、追ってくるのではなく、森全体を炎で包んだのか。
ヴェンが自身のミスを悔やむ先には、木々のせいで陽光が届かない暗闇の中、燦然と輝く光。
「――いいじゃねぇか」
ヴェンが不敵に笑うと、光は更に光度を増し、森全体を包み込んだ。




