逆境
ヴィクトルたちは、木々が生い茂る道へと入っていった。
「――誰だ」
「初めまして。私はリーベ、しがない研究者です。私はとある役目がありまして、それさえ果たせばここを去りましょう。というわけで、ぜひ協力していただきたい」
馬車の先には、自らをリーベと名乗る白衣を着た男が手を広げて待っていた。その横にはいかにも怪しげな男もいる。
明らかに普通ではない雰囲気に、ヴィクトルは手を鞘に置いた。
「その役目しだいだな」
「後ろの馬車にいる聖女。ぜひこちらにおゆずりしていただきたい」
「論外だ」
ヴィクトルがそう言って、鞘から剣を引き抜こうとしたとき、
「がぁあぅぅぅぅう」
木々の影から三つ首の犬が現れ、そのままヴィクトルをかみつぶそうと――
「――引っ込んでろ」
剣を引き抜くとともに、三つ首の犬の首から大量の血が噴き出し、巨体は地面に倒れる。
そのまま男たちに斬りかかり――
「――ちっ」
地に伏せていたはずの怪物は、斬ったはずの首が再生し、犬歯をヴィクトルに突き立てようとする。
「どうなってんだ」
顔だけが肥大化し、木々さえも一口で食べきれそうな大きさに、ヴィクトルは思わず苦笑いを浮かべた。
「――おっと」
口を閉じ切る前に、剣を横にして上から迫りくる歯を防ぐ。だが、土を口に入れながら迫りくる下の犬歯を防ぐには足しかない。
更に、怪物と人間の力の差にヴィクトルの剣は嫌な音を立てている。加えて、残った二つの頭がヴィクトルをかみ砕かんと伸びてきて――
「臭いんだよ、犬もどきが」
ヴィクトルが指先を振り下ろす。
――ずるり。
巨躯が真っ二つに分かれる。
周りの木々すら見下ろしてしまえるような肉体は、血を噴水のように噴き出しながら地面に倒れ――
「邪魔だな」
地面に倒れることはなく、噴き出した血もろとも透明な板に支えられているように留まっている。
そして、両断されて尚、元の体とつながろうとしているのかのように、二つの大きな肉塊が近づいていき、
――ぐちゃ。
その様子に周りの騎士も、ヴェンも見入る中、リーベはひたすらに指で空に立方体を書いていた。
「あなたは非常にいい働きをしました。さあ、ここからが本番です。――夢幻牢獄」
リーベの詠唱と共に、ヴィクトルの周囲には影の壁が現れた。
「――しまっ」
ヴィクトルが剣で斬り裂こうにも、刃は影を突き抜ける。
壁は箱を閉じるように側壁が立ち上がり、天井を塞ぐ。
「ここにいたのがあなたでよかった。もう一人の方なら、こうはならなかったでしょう」
「……覚えたからな」
最早誰にも聞こえていないであろう言葉を残して、ヴィクトルは世界から消えた。
♦♦♦
ヴィクトルが消えた後、その場に残ったのは静寂。
馬車を囲うように陣取っていた護衛たちは、圧倒的な戦いへの驚きと、ヴィクトルが消失したという現実に頬をひきつらせた。
三十名の護衛を十名にまで減らせたのは、ヴィクトルがいたからだ。だが、ヴィクトルがいなくなれば、そこに残されるのは三名の騎士と七名の兵士。
得体も知れない敵から馬車を守り切るには、少々心もとない。
「行きなさい」
リーベが言うと、茂みの奥から黒犬が二十程度、肉を喰らわんと目を血走らせながら駆ける。
「各員、何としてでも馬車を――」
「お前が頭か」
「なっ――」
ヴィクトルと話していた中年の騎士がいち早く意識を切り替え、部下たちを動かそうとするも、一瞬の隙をついたヴェンによって顔にかすり傷を負った。
「これしきの傷――おぁ」
中年の騎士が白目をむいて倒れると、周囲の護衛はたちまちにパニックになり、
「どいつもこいつも雑魚ばっかだなぁおい!」
木の幹を足場にして、立体的に動き回るヴェンのナイフの餌食となった。
「けっ、やっと暴れられると思ったのに、雑魚ばっかじゃねぇか」
「そうでなければ困りますよ。さぁ、さっさと聖女を連れて帰りましょう」
「ったく、今度はあいつと――あ? 二人いんじゃねぇか」
少し離れたところから命令するリーベは、早く帰りたそうにせかしている。馬車の前に飛び降りたヴェンが馬車の扉を強引にこじ開けると、寝そべっている黒髪の少年と、それに縋りつく銀髪の少女がいた。
「おいどっちだ」
「アリア様、走って!」
「――がっ」
ヴェンがリーベの方を向いた隙をついて、即座に体を起こしたレオンが体当たりをかます。ヴェンが尻もちをついたところでアリアは走って逃げた。
「いてぇな、おい!」
「行かせない」
「邪魔なんだよって、なんだこのガキ」
ヴェンがふらふらになって立ちふさがるレオンの首根っこをつかむと、すぐに思い切り投げ飛ばす。そのまま木にぶつかり、力なく倒れた。
「レオンっ!」
「はぁ、ヴェンさん。必要なのは聖女だって言いましたよね。あれはどう見ても男でしょうが。というか、分からないなら雑に扱わないでくださいよ。もしあっちが聖女だったら――」
「うるせぇな」
のんびりと歩いてきたリーベが、ヴェンに呆れたように叱りつける。ヴェンはうっとおしそうに遮ると、自身の手を見る。
「あのガキ。馬鹿みてぇに熱かったんだよ」
「はぁ? 何か変な病気にでもかかってたんじゃないんですか? ちょっと、私に近づかないでいただけますか」
「んだと? ……まぁいい。そんで、目的の聖女はあいつでいいのか?」
ヴェンが顎で指し示すのは、レオンの元に駆け寄るアリアだ。リーベは「はい」と頷き、
「銀髪、薄い青の瞳、間違いありません。あれこそが三英雄の力を持つ――って、何ぼさっとしてるんですか! 聖女にまで病気になってしまったらどうするつもりなんです!?」
「ったく、わぁったよ。おい、そこのガキ、後ろのガキを殺されたくなきゃ大人しくついてこい。――はぁ、めんどくせぇ」
ヴェンはのっそりと、聞く耳を持たないアリアを追った。
任務の成功を確信しながら、ヴェンは己の運のなさを呪う。ヴィクトルと犬の戦い――もはや戦いではなく虐殺といった方が正しいか。ともかく、あの戦いは己の心を沸き立たせるには十分すぎるものだった。
最初に首が吹っ飛んだ時は自分の出番かと心躍らせたが、即座に修復、肥大化した首がヴィクトルに襲い掛かった。
そして、決着がついたかと思った瞬間、勝敗は決まった。予想とは真逆の結果で。
自分も、戦いたかった。
その後の雑魚どもの方は戦いとは呼べない。処理だ。
「いっそのこと、あいつを殺して――」
物騒なことが頭をよぎった瞬間。
「なんだ?」
足元に線が引かれた。
「炎?」
レオンとアリアを囲うように円状に広がる炎。
自身の膝下ほどの高さで、炎が揺れている。
周囲には木々が生えていて、燃えやすいものは多い。つまり、
「死んだほうがましってか」
そうはさせないと炎を飛び越え、アリアを連れ去らんと――
「――っ」
ヴェンに向けて一直線に炎が走る。
即座に顔をひねったが、頬をかすめていった。
「なんだあれ」
先ほどまでアリアとレオンがいた場所では、炎が空高く昇っていた。空気の焼ける匂いが鼻腔を通り、肌を焼かれるような熱が周囲を満たす。
ただ、それと同時に――
「なんだか知らねぇけど、わくわくするなぁ」
――男は笑った。




