急変
――出発の日の朝。
「レオン、今日からよろしくね」
「はい、全力をつくします」
レオンとアリアは屋敷の部屋で、馬車の準備が整うのを待っていた。
水の魔道具の搬入に、馬の手入れ、馬車の点検、他にもやるべきことは色々ある。レオンは最初手伝おうとしたが、アリアのとこで待ってろとヴィクトルに追い出されていた。
「すっごく楽しみにしてたの。私外に出るの初めてで、しかもレオンと一緒になんて!」
「俺も馬車はほとんど初めてみたいなものなので、少し楽しみです」
「レオンもそうなの? なら、余計に楽しみになっちゃった」
ソファーに座って、可憐な笑みを浮かべているアリアを見ながら、レオンは笑みを作り、心の中で息を吐く。
以前にヴィクトルに教えてもらった闘気は、あれから少しも進歩を見せていない。むしろ、どんどんできなくなっているような気さえする。
「――ねぇ、レオン? どうかしたの?」
「すみません。考え事をしてました」
「そうなの? それならいいけど。悩みがあるなら何でも言ってね。友達なんだから」
「――」
「――アリア様、準備ができましたので馬車にお越しください」
レオンが答えようとしたとき、扉が叩かれ、マントをつけた騎士が言う。それにアリアが「分かった」と立ち上がり、二人は馬車へと向かった。
――馬車に乗り込むと、ヴィクトルの掛け声とともに出発した。
「ふぅ」
レオンは馬車を見渡しながら、目を閉じる。
揺れも少なく、これなら尻が痛くなることもないだろう。村から城郭都市に来るまでの最中に乗った馬車は、一日中座っていられるものではなかったのだ。
レオンは安堵した。
「ねぇ、レオン……」
対面に座るアリアがレオンの手をぎゅっと握る。アリアの声は、先ほどまでの楽しみ全開といった声ではなく、どこか不安を感じさせるものだった。
「――どうしたんですか?」
「楽しみにしてたし、ちゃんと覚悟を決めてたつもりだったんだけどね。やっぱり怖くなって……ちょっとだけ、このままでいさせて」
「――はい」
手を握り返すと、アリアの手が震えている。
少し、心がざわめいた。
♦♦♦
――レオンとアリアを乗せた馬車は、周りに多くの護衛を伴いながら道を進んでいた。途中途中で村に寄りながらも、三日間順調に来ていたためにソドア公爵領まであと少しといったところだ。
「副団長、このままだと今日の予定していた村まで到着できません」
「ああ、まあこんだけ邪魔があればな」
ヴィクトルが頭を掻きながらそう言うと、騎士は苦虫をつぶしたような顔をしている。
「やはり、引き返すべきなのでは」
「そうもいかねぇよ。侯爵様が待ってんだし、もうアリア様が出るって言っちまったし」
二人の前には、体を両断された黒い犬のような魔物の死体が十匹ほど転がっている。道脇から突然現れた魔物たちをヴィクトルが切り裂いて、今から死体を焼くところだ。
「では、死体を焼く者と、先に進む者を分けましょう。護衛には副団長がいますし、私どもなら野営でも大丈夫です」
「あー、まあそうするしかねぇか。ただ残るやつらも夜には村に入らせろ。最下級の魔物とはいえ、こんだけ出てくるってことは何かあったんだろう。それに、前んときと同じで、嫌な予感がする――ってまた来たな」
「副団長、今度は私たちが。副団長は休まれてください」
「ん」
部下の兵士たちが黒犬を討伐するのを見ながら、ヴィクトルは思った。
――きっと、何かあると。
――いくつかの護衛を分け、先へと進むヴィクトルたちの前には黒犬などの最下級程度の魔物が何度か現れた。
そのたびに減っていく護衛の数は、徐々に無視できない範囲になっている。
「ったく、なんで焼かなきゃならんのかね」
「副団長」
「分かってるよ。冗談だ冗談」
ヴィクトルがぼやけば、中年の騎士がそれを咎める。
魔物の死体を放置したまま去るなど、極刑さえあり得る禁忌だ。無論、ヴィクトルとて分かっているが、そう嘆かざるを得ないほど数が多い。
さりとて、
「このままだと外で夜を越さなきゃなんだよなぁ」
「ですが、これ以上隊を分けるのも」
「ああ。さすがにアリア様の守りが薄くなりすぎる」
出発時には三十はいた護衛の数が、今やたったの十名にまでなっている。ヴィクトルがいる以上、どんな敵が来ても一対一なら負けはしない。でも、数が多すぎれば取りこぼす可能性が出てくる。
それに、さすがに誰かの意図的な悪意が働いていることは明らかだ。
こんな時、団長がいれば。
いや、あの人の場合は護衛どころじゃないか。
「またか」
魔物の首を飛ばす。
「副団長、私たちが」
「もう剣が使いもんになってねぇだろ」
「ですが」
ヴィクトルがまだ血に濡れていない剣を鞘に戻しながら、額に汗をかいている中年の騎士を見る。
剣もそうだが、部下たちの疲労も馬鹿にならない。ヴィクトルは重いので着ることはないが、部下たちは板金鎧を装着していて、いわば全身に鉄の塊を装着しているようなものだ。
今も暑さのために、顔の部分は脱がせている。
「あの二人の様子はどうだ?」
「どちらもあまり芳しくないと」
「――ったく、あの馬鹿は」
♦♦♦
――時は少し遡る。
「レオン? 顔真っ赤だけど、大丈夫?」
「――え、ああ、はい、ですね」
「動かないでね」
レオンの焦点の定まらない目を見たアリアは、即座にレオンの額に手を当てた。
「――あれ、熱くない」
「――ぁれ?」
「レオン!」
アリアが手を当ててすぐ、レオンは横に倒れこんだ。アリアは血相を変え、即座に魔法を発動する。
「――」
「――うそ。なんで! なんで! なんで! ねぇ……どうして。――ああああああいやだいやだいやだいやだいやだ」
髪を振り回しながら泣き叫ぶアリア。
声が馬車の外に聞こえたのか、馬車の扉が開く。
「アリア様! 何かあったのです――」
「レオンが! レオンが!」
「ちょっと失礼。――なんだこの熱さは。今すぐ副団長に伝えます」
兵士が額に手を当てると、尋常ではない熱に頬を固くした。それでもすぐに気を取り直し、即座にヴィクトルに知らせに走る。
「なんでなんで!なんで!」
「……アリア様。少し離れ――」
アリアの叫びに、薄れゆく意識の中レオンが答える。
「――いやだ! 私はここから離れない! レオンが治るまで、絶対に」
♦♦♦
こうして、不安要素を数多く抱えたまま、馬車は走る。
やがて一行は平坦な道を抜け、木々が生い茂る道なき道へ。
「さあ、ポチ。エサはたくさんあるからな」
「そいつ肉食じゃねぇんだな。あと来たぞ」
三つ首の怪物が、空中に留まる円状の入り口から器用に頭だけを出して草を食べている様子にぼろ布の男――ヴェンが疑問を挟みつつ、リーベに目的の馬車の到着を伝えた。
「ほほう、随分早いではないですか。まだ日が沈み切る前だというのに」
リーベは眼鏡を拭きながら、木株から立ち上がる。
「そういやもう一人いるって言ってなかったか?」
「ああ、先走っちゃいそうなので。影の中で待ってもらっています」
リーベは、指を立て、円を描くように回す。
木々の陰から出てくるのは、弱き生物たち。
「こんな雑魚共に苦戦するなんて、やっぱ名誉騎士なんてのは雑魚の集まりなんじゃねぇか?」
「いくら個として強くても、護衛という枷で縛ってしまえば、そうでもないのですよ。特に、あの二人はね」




