忍び寄る魔の手
「逃げないで」
「ぐっ……いや、でも!」
「でもじゃない!」
レオンは今、地面に倒れこんでいる。アリアにつかまれていない方の手で地面を掻きながら、必死に遠ざかろうとするレオンを引き留めるアリアの力は弱い。それでも、足に力の入らないレオンはそれを振りほどくすべを持たなかった。
「えいっ!」
「――あぅ」
「私、レオンが痛そうにしてるの見たくない」
悲痛な声のアリアに、レオンは地面に手をついてゆっくりと立ち上がる。
「やっぱり俺だけ魔法を使ってもらうのは申し訳ないんです……」
「別にレオンだけに使おうとしてるわけじゃない。レオンがいっつもつらそうにしてるからでしょ」
「でも……」
「それに、明日は一緒に出掛けるのに、足を怪我してるなんてだめ。ううん、やっぱりいつもだめ。今度からちゃんとすぐに言いに来て。わかった?」
「わ、分かりましたって!」
指を向けてぐいっと距離を詰めるアリアに、レオンは後ろに大きく距離をとる。
アリアがこうして怒っている理由は、レオンが足を怪我したことを隠していたからだ。レオンが足を引きずりながら歩いていると、アリアの薄青の双眸がきゅっと細まり、即座に腕をつかまれた。
アリアの魔法の使用条件の一つに、相手の体に触れていることがある。意図に気づいたレオンは一度アリアの手を振りほどいて逃げようとしたが、足がもつれて転んだのだ。
今、アリアとレオンが向かい合うのは、前よりも本が散らばっているアリアの部屋。今日いきなり屋敷に呼び出されたレオンは、侯爵からアリアに同行するように言われた後に、アリアの元に向かい、今に至る。
「ねぇ、頑張るのはいいことだけど、頑張りすぎは良くないよ。それに、怪我しちゃったら頑張れないでしょ。もし次怪我を隠そうとしたら、毎日私の所に通ってもらうから」
「……気を付けます」
「もし、どうしても無理したいなら、私の傍ですること。いい?」
「はい」
何度も念押しするアリアは、頬を膨らませている。
その規格外さには思わずため息がでるほどの魔法だが、優しいアリアにはぴったりの物だと思う。だからこそ、その優しさが向けられることにむず痒さを覚えるのだが。
「そういえば、今日は確認に来たんです。いきなり今度アリア様に同行しろと言われたんですが、どこに行くんですか? 侯爵様はアリア様に聞けって」
「あ、そっか。まだ知らなかったんだ。ソドア公爵家のパーティーに出席するために、来週からしばらくでかけるの。レオンも一緒に」
「ソドア公爵家、ですか。確か、侯爵様が仕える方ですよね」
「うん、その通り。だからしばらく馬車の旅だよ」
「俺、馬に乗れないんですけど」
レオンがはっと顔をアリアに向けると、アリアはとてもいい笑顔をしていた。
「大丈夫、私と一緒に馬車の中だから」
「俺、ほんとに騎士見習いであってますか?」
今日も仕える主人の令嬢の部屋にいるし、なんなら友達だ。アリアと友達になったことも、改めて考えれば考えるほどおかしなことである。
「そうだったね」と苦笑いを浮かべるアリアに、もう気にしなくてもいいかもと思うレオンだった。
♦♦♦
――某所にて。
「おいおい、まじなのか。その情報」
「まじです。聖女がついに外にはばたくらしいですよ。なので、急遽予定変更になりました」
「ちっ、せっかくなら派手にやりたかったってのに」
「馬鹿言わないでください。一個の城郭都市を落とすのと、馬車を襲撃するんじゃあ、かかる手間が大違いです」
辺り一面が真っ暗な部屋で、二人の男が話し合っていた。
飛び込んできた情報に驚愕している男は、ぼろ布に骨がくっきりと浮かんだ体を包み、目の下をクマで真っ黒に染め、もう一人は、眼鏡をかけ、少々だらしない体を白衣で覆っている。
「でもよぉ、せっかくそのために準備を重ねてきてるんだし、なぁ? それによぉ、結局あいつらのどっちかはいるんだろ?」
「そりゃそうですよ。一人で王都の騎士団丸っとそのまま相手にできるような化け物がね」
「ほんとかどうか疑わしいんだよなぁ。誇張してるんじゃねぇの? 見栄っ張りの集まり共がやりそうなことだ」
「まさか。他の噂ならともかく、名誉騎士に関する噂だけは本物ですよ。むしろ、それすらもその実力を図り切れていないのではと言われています」
「ま、それも噂ですがね」と付け足す眼鏡の男に、ぼろ布の男は強引に肩を組む。
「それで、どっちが俺の相手なんだ?」
汚らしい男の腕を睨む眼鏡の男は、前の机に紙を広げながら、
「仮に両方がいる場合は撤退します。ですので、あなたには聖女の誘拐と私の護衛の方を頼みます」
「けっ、雑用かよ」
文句をたれる男に、眼鏡の男はため息を吐く。そのまま「あなたねぇ」と呟きながら、
「聖女が狙いなのですから、むしろ光栄なことですよ」
「馬鹿言えよ。お膳立てされた上で、ガキを連れてくるだけのどこが光栄なんだよ。俺はもっとぞくぞくしてぇんだ」
――これだから馬鹿共は。
危なく開きかけた口を噛んだ。口にしてしまえば、間違いなく突っかかってくるのが馬鹿共だ。今回の襲撃にしても、計画の要の部分は私が担っているというのに。まったく、実に愚かしい。
ふるふると首を振りながら、汚らしい腕をどけ、置いた紙に目を落とす。
「いいですかヴェンさん。あなたの役目は、私が魔法を行使し、撤退するまでの護衛。そして、聖女の誘拐。ここまできちんとこなしてもらいますよ。これは、上の命令です」
「へいへい」
手を水平に上げて、分かったと示す汚らしい男――ヴェンは、そう言った後に部屋を出た。
「はぁ、なぜ私はこんな役目を」
自分は魔法の研究がしたいだけで、戦いに興味を抱いたことはない。それなのに、いつのまにか聖女の誘拐などと、重大任務の前線を任されることになっている。上にも逆らえないし、もうやめてしまおうか。
そんなことを考えていると――
「――おい」
「――なんでしょうか、レムシオールさん」
後ろから首に剣を当ててきているのは、最も面倒な男であった。
「話しかけるな、殺すぞ」
――やっぱり非常に面倒だ。
「そうは言っても。いきなり剣を突きつけてきたのはあなたでは……」
「黙れ、俺の質問にだけ答えろ。今回の任務、本当にあの男がいるんだろうな?」
「おそらくは」
「あ?」
唇を噛んだ。
我慢だ、リーベ。ここでこの男を殺すのは非常にまずい。とはいえ、拾われた身のくせして、どうしてここまで態度を肥大化できるのか。まったくもって腹立たしい。
「北の防衛に大地が行く以上、こちらには天空が来ていると考えるのが道理でしょう?」
「……それならいい。あの男を殺せば、次はお前たちだ」
そう言い切ると、レムシオール――王国の騎士服を身に纏う男は、部屋を出ていった。
「はぁ……」
ため息とともに、真っ暗な部屋に光が戻る。
眼鏡の男――リーベは研究者だと自負している。それなのになぜ、ああもガラの悪いやつらがやるような任務をしなくてはならないのか。
「さっさと終わらせような、ポチ」
ポチ。リーベがそう呼んだ生物は、高さでは木々すらも超える体躯であり、三つの首を持つ犬のような生物だ。
全身が黒い毛並みに覆われており、口からは大量の涎が零れている。
「はぁ、なんで私が」
今日何度目かも分からない愚痴をこぼしながら、リーベは空間を閉じた。




