表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
当て馬の役は、今日でおしまいにします  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/10

第7話 「戻りません」

「実家から手紙だ」


 ギルバートが封筒を差し出した。台所の卓を回って、わざわざ手渡しに来た。


 封は切れていない。開けた跡も、蒸かした跡もなかった。


「……読みましたか」


「開けてない。あんた宛だ」


 彼はそれだけ言って、戸口のほうへ下がった。出ていくのではなく、そこに立った。



 便箋は二枚あった。


 一枚目は父の字だった。用件だけが並んでいた。犬が全部、言うことを聞かない。羊が減った。今年の刈り取りで、羊毛の等級が一段落ちた。カーンの家が、持ち寄り目録の見直しを求めてきている。


 最後の行だけ、字が大きくなっていた。


 戻ってこい。


 二枚目はエルサの追伸だった。


 姉さんが変な躾をしたせいだと、父さまに言いました。犬を叱る回数を増やしています。それでも聞きません。


 フィオナは便箋を卓に置いた。


 三か月。時期が合っていた。合図の順が狂っても、覚えたものはしばらく残る。だから最初の一か月は何も起きない。二か月目に間が詰まり始め、三か月目で通らなくなる。


 叱った、と書いてある。


 叱れば犬は固くなる。固くなると、もっと通らない。通らないから、また叱る。この行ったり来たりに入ったら、季節がひとまわりしないと戻らない。彼女にも戻せない。


 どの犬が、と書いていない。いつから、とも。何の合図が、とも。


 二行あれば足りたのに。


「犬は」


 自分の声が、思ったより低く出た。


「犬は、悪くありません」


 指が上着の縫い目を探していた。


 三度入れ替えられたことでは、こうはならなかった。等級が落ちたと読んだときも、目録の見直しと読んだときも、何も動かなかった。


 犬を叱っていると書いてあった行で、腹の底が熱くなった。


 戸口でギルバートが立っている。


「……もし、戻れと書いてあったら」


「あんたが決めることだ」


「意見を、聞いています」


 彼は上着の前を留めていない。冬が近いのに、いつもそうだった。


「意見はある」


 少し間があった。


「言えば、あんたはそれを理由にする。理由は自分で持ったほうがいい」


「…………」


「返事に紙がいるなら、帳場にある」


 それだけ言って、彼は出ていった。



 ハーヴィが戸の隙間から顔を出した。


「その手紙、燃やす?」


 真顔だった。手には火挟みまで持っている。


 ベルタの玉杓子が、彼の後頭部を叩いた。


「人の手紙に触るんじゃないよ」


「いや、そういう顔してたから!」


「どういう顔だい」


 二人が言い合いながら遠ざかっていく。フィオナは便箋をたたんだ。


 自分がどういう顔をしていたのかは、分からなかった。



 帳場の紙は、手順書と同じ束から一枚取った。


 書くことを、先に決めた。


 戻れと書かれている。断る。理由を書けば、父はその理由に言い返してくる。犬の話をすれば、犬をどうにかしろという話になる。等級の話をすれば、家の話になる。


 どの理由を書いても、返事が来る。


 だから、書かない。


 フィオナはペンを取った。


 戻りません。


 一行だけ書いて、置いた。


 しばらく、その一行を見ていた。短すぎるのではないかと思った。次に、短すぎて何が悪いのかと思った。


 名前を書いた。フィオナ・ミルズ。契約書に書いたのと同じ字だった。


 封をして、麓へ下りる荷馬車の箱に入れた。向こうへ届くまで十日かかる。


 断ったあと、何を言われるのかは分からない。


 怖いのは、そこではなかった。何も言われないほうが怖い。断ったことに誰も気づかず、次の手紙がまた戻ってこいと書いてくるのが、いちばん怖かった。


 それでも入れた。箱の蓋が鳴った。



 囲いの石に腰を下ろすと、ノクが横へ来た。


 黒い犬は、彼女が動かないでいると、必ず同じ距離で座る。近すぎず、遠すぎない。何年もかけて彼女が測った距離だった。


 風が一方向へ抜けていく。日が落ちて、囲いの石が冷えていく。


 長いあいだ、動かなかった。


 振り返ると、母屋の窓に灯りがついていた。ずっとついていた。


 立ち上がって歩き出したとき、頬に冷たいものが当たった。


 雪だった。


 小屋の前で、牧童が空を見上げている。


「――今年は、早いな」


 ハーヴィは何も言い返さなかった。フィオナも、答えなかった。


 最初の雪が囲いの石に落ちて、すぐに消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ