第一部 第五章 検知
第一部ラストまで、毎週更新します。
(毎土15:10)
2026.09.28
一部修正。
「今日はもう大丈夫だから、おれも歩くよ」
「駄目だ。まだ万全じゃないだろう」
「だって、馬車が重くなったら困るでしょ」
「いいのよ。気にせず乗ってなさい」
体調の回復したリオンは徒歩を申し出たが、大人たちに反対され、ひとり馬車に揺られていた。
ガレスとユルトは馬に寄り添って、馬車の重みで馬たちが走り出さないように抑えている。
女性のエリシアが歩いているので、リオンは馬車に乗っているのが申し訳なく、どうにも落ち着かない。
「おれ、そんなに具合悪そうに見えるのかな…心配しすぎだよ」
誰もいない馬車の中、ひとり愚痴をこぼす。
返って来る声はない。
仕方なく、「自分にできることをしよう!」と訓練することにした。
右手の平に魔力が集まる感覚を覚えさせていく。
左手の補助がなくても、段々と上手くできるようになってきた。
思わず拳を握りしめる。
誰も見ていない空間で、ひとり静かに喜びを噛みしめる。
(おれにもできることがある!)
ふと、『水を出せたら便利だな』と思った。
リオンは、エリシアが見せてくれたように、掌を器型にして水が出てくる様子を想像してみる。しかし、上手く像が結べない。
何度か試していたら、外からエリシアが声をかけてきた。
「リオン、何をしているの?」
いつの間にか硬さの取れたその口調に、リオンは素直に答えた。
「神官様のように、水を出せないかと思って。でも、難しいですね」
「最初は難しいけれど、一つできるようになるとどんどん覚えられるから。休憩の時に見せましょう」
「はい。よろしくお願いします。あれ、どうしてわかったんです?」
リオンは、声を掛けられた頃合いを疑問に思った。
「魔力の質が変わったからよ」
「そんなに、いろいろわかるものなんですね」
リオンにはまだ魔力を集める感覚しかわからない。質とか流れとかはさっぱりだ。
「んー、修行したら、おれも魔術を使えるようになれますか?」
歩きながら、エリシアが会話に応じてくれる。
「ええ。素質は十分にあるのだもの。私以上に使えるようになるわ」
その一言に、リオンの頬が緩む――が、だらしない顔を見られたくなくて、奥歯を噛みしめて耐える。
次いで、リオンは両の掌を見た。
ラーソン村では、毎日の水汲みと剣の鍛錬を続けてきた。豆だらけで、皮の堅くなった掌を撫でる。
叫びたい。
もう『何者にもなれない自分』ではない。『可能性を秘めた自分』になれたことがただただ嬉しかった。
坂の途中、広くなっている場所で休憩を取る。
「それじゃ、水を出して火を点けるわね」
エリシアが魔術でお湯を沸かす様子をリオンはじっと観察した。
そして、今になって初めて、『呪文』を使うことを知り驚いた。
「どうして言葉を使うの?この前は何も言ってなかったでしょ?」
「ああ、呪文ね。呪文は神殿で研究されているの。魔術を使いやすくする補助装置のようなものね。だから、使わなくても魔術は発動できるのよ」
「ふうん」
魔術を知らないリオンにとっては、『補助装置』と聞いて石切り場の大きな道具を連想した。あんなもので、どうやって魔術を使うのだろう、と首をかしげて唸る。
その姿を見て、大人たちが笑い声を上げた。
「神殿に着いたら教えてあげるわ。初歩の訓練は、呪文なしで事象を想像するところからよ」
その言葉を、リオンはしっかりと記憶した。
そうこうしているうちに湯が沸いたので、皆で乾燥野菜のスープを飲む。
飲み終えたユルトが口を開いた。
「旅に魔術を使える神官が同行していると、快適に過ごせて助かる」
「私からしたら、嵩張る樽をいちいち運ぶのは非効率ですね」
「神官は一般人の旅を知らないから言えることだな。水を惜しんで食器を洗うのもケチるほどなのに」
村を出ること自体が初めてのリオンは、旅とは家にあるものを全部持ち運ぶような支度をするのだろうか、と想像してしまった。一日分の水でも結構な量が必要になる。今回は五日かかるから、家の水瓶一つでは足りない。
魔術を使えれば、そんな準備が不要になるばかりか、道中快適に過ごせるなんて、「なんとしても覚えよう」と決意を新たにした。
「水だって古くなれば腹を壊す。旅人が体調を崩す原因は、綺麗な水があれば防げるだろうな」
静かに聞いていたガレスが会話を締めくくった。
「坂を下り切れば馬車に乗れる。もう少しだ」
今度はリオンが歩き、エリシアが馬車に乗った。
切り立った岩の上。
そんな様子を窺い見る姿があった。
ふうわりと風に揺れる髪は、研ぎ澄まされた鋼のような銀。
純白の衣を纏い、静かに眼下を見下ろす様は、地上に降りた神のような異彩を放っていた。
彼女の耳に、不快な雑音が届く。
「歪か…」
いくらもせず、カラカラと音を立てて、小石が坂を転がっていった。
「地震か!」
坂の途中で落ちてくる小石に気づいて、ガレスが声を上げた。
「落石に気をつけろ!!」
ゴゴゴゴゴゴゴ…
すぐに低く唸るような音を立てて地震が起こった。
ガレスとユルトは馬を宥めにかかる。
馬車からエリシアが飛び出してきて、リオンの頭に丸めた寝袋をかぶせた。
そのまま、引き倒すように地面に伏せさせる
「頭を守りなさい」
呆然としていたリオンは、素直に従った。
地震はすぐに収まった。
興奮して棒立ちになった馬の首を、エリシアは何度も撫でさすった。
その様子を離れてみていたリオンの掌がうずうずする。魔力を流す練習をしていた時の感覚だと気付き、「エリシアが馬たちに魔力を流して癒しているのだろうか」と思った。
暫くして、一頭が前足を持ち上げて、宙を掻く動作をした。
「お待たせしました。落ち着きましたよ」
エリシアが疲れた声を上げた。
それまで息を潜めて様子を見守っていた男二人が、ふうっと息を吐いたのが聞こえた。
「もう少しで坂を抜ける。冷や冷やしたな」
「ああ、無事で何よりだな」
「神官様。今のも魔術ですか?」
エリシアが何をしていたのか気になり、リオンは問いかけた。
ちょっと疲れた顔をして、エリシアは丁寧に答える。
「ええ、そうね。魔力を流して、不調を回復させているの。ただ、病を癒す効果はなくて、自然回復を早めるだけなのだけれどね」
「ふうん。いろいろできるんですね。覚えたら便利そうだな」
リオンは嬉々としている。
一行はエリシアを馬車に乗せて休ませ、坂道を進んだ。
その後は無事に坂を抜けることができた。
野営地点に到着し、エリシアが湯を沸かす。
呪文はわからないが、リオンは側でじっと様子を観察した。
エリシアは、鍋の上で両の手をお椀のように丸めて構えた。短く何事かを呟く。と、すぐに両手の間に隙間を作る。その左右の手の隙間から、水が流れ落ちていく。
エリシアの手と鍋を交互に見やって、リオンはほう、と息を吐いた。
水の流れが止まる。
それはまるで、柄杓の中の水を全部注ぎ終えたかのようだった。
リオンは少し考えて、思ったことを口にした。
「神官様の両の手を、水の入った柄杓と思えばいいんですかね?それが水の事象なのかな」
エリシアは一瞬驚いた表情をしたが、すぐに笑顔を見せた。
「的確な表現ね。私は手で作ったお椀の中に水が満たされている様を想像しているの」
リオンは知らず「なるほど」と呟いた。
身近な水だからこそ、より忠実に想像できる――そう、思いながら、手の中に水が満たされている様を頭の中で想像してみる。
「うわっ!」
掌がごしょごしょして、冷たい水が出てきた。
突然の奇声に、ガレスとユルトが剣に手をかけた。
「大丈夫です!」
間髪入れずにエリシアが言う。
「リオンが水を出したの」
男二人は、剣に手をかけたまま、互いの顔を見合わせた。
エリシアの言葉が理解できない――二人の顔にはそう書いてあった。
「凄いわ、リオン!偶然でもこんなに早く事象を起こせることはないのよ」
興奮気味にエリシアはリオンの両手首を掴んで上下に振りながら言い切った。
掌の水は少しずつ温くなってきたが、エリシアの温かい手のぬくもりにじわじわと実感が湧いてくる。
「これ、出せたの?」
手の中の水から僅かも視線を外せないまま、リオンは尋ねた。
「そうよ。『リオンが』やったの!」
手の中の水は指の隙間から零れ落ち、地面の色を変えている。
濡れた掌を見つめる。
リオンは、わずかに震えているその手から、ゆっくりと視線を上げた。
「おれにも、できることがあるんだ…!あれ?へんだな」
胸の奥に喜びがこみ上げてきたと同時に、両の目から大粒の涙が溢れだした。
「おれ…嬉しい、だけ…なのに。ひっく」
エリシアは、ゆっくりとリオンの頭を撫でた。
そこに、そっとガレスが近づいてきた。
「リオン」
ただの一言。
名前を呼び、背中をポンと叩いた。
リオンは、号泣した。
キイィッィィィーン!
不快な音が聞こえる。
否。
誰にも聞こえない音にならない音。
しかし、彼女の耳には『音』として捉えられている。
音のする方に意識を向ける。
さっきの少年が視えた。
「これは――違う」
彼女はひとり呟いた。
面白いものを見つけた――そう思う。
魔力の波長は、使徒に近く、でも違う。
遠くに意識を向ける。
主は、沈黙している。
うっすらと笑みを浮かべ、目を閉じ、音に耳を傾けた。
「ミリヤの魔力が飽和しているとは!枯渇するのではと危惧していたところに、なんとも嬉しい誤算だ!」
機嫌よく大声を上げる老神官を無視し、三人の若い女神官はミリヤの世話をしていた。
一人の女神官が、銀の盆を持ってきて――老神官を素通りし――入り口近くに立つ神官に恭しく手渡した。
「ミリヤの魔力の満ちた指輪です。明日も満たされた物をお渡しできるでしょう」
盆を受け取った神官は、ひょろりとやせ型で、不健康そうに青白かった。
「ありがとう。これでどれくらい持つかわかりませんが、少しでも長く、安定するように努力します」
そう言うと、女神官に深く頭を下げ、退室していった。
「これだから、研鑽所上りは…!私に無礼ではないか!?」
女神官は密かにため息を吐くと、正面から老神官に向き合った。
「どこに耳目があるかわからないというのに、おだまりなさい。ここには柱がおわします。どちらが無礼なのか、神官ならば弁えるべきです。」
ぴしゃり、と図星を指された老神官は、口をへの字に曲げて足音荒く出ていった。
寝台には、眠るひとりの少女がいる。
慌ただしく人々が行き交う中、そこだけが切り取られた空間のように、静かに時が流れていた。
リオン達が西の神殿に到着するまで、あと一日。
知る者と知らざる者とに関わりなく、運命が動き出した。




