第一部 第3章 白い空間
7/3 第十三章を執筆中。
2026.09.27
リオンのセリフを追加。
地の分を修正。
「ラーソン村からコリトナーにある神殿まで、馬車で五日かかる。道中、何事もなければいいがな」
馬車の中でガレスが説明した。
村を出たことのないリオンにとっては、その旅が長いのか短いのかぴんと来ない。
「おれは馬車に乗ってるだけ?」
思わず、リオンは聞き返す。
「途中で歩いてもらうところもあるが、お前は乗ってるだけでいい。俺と彼で御者をする」
そう言うと、ガレスは目を閉じる。
交代で仮眠を取ると言っていたか。
五日かかると言われても、コリトナーはラーソン村から一番近い神殿だ。
百年前までの神殿には、行政機関としての役割があった。そのため、どんなに僻地の村でも、どこかの神殿の所属になっている。
「神殿って、赤ちゃんが生まれたら、魔力測定に行くんだよね。五日も大丈夫なのかな?」
リオンは、生まれたばかりの赤ちゃんが旅する距離なら、なんでもないんだろうと思うことにした。実際には、かなり難儀な旅なのだが。
「…リオン、何事も経験だ。自分で知るといい」
ガレスがふと笑みを見せた。
リオンはほっとした。
「神殿の数が多くて、もっと僻地にも機能があればいいのだけれど。今の神殿は昔と違って力がないのよ。お金も、国になってなくなってしまったそうね」
しみじみとエリシアが教えてくれた。
国ができて神殿が力をなくしたとは、リオンにとっては初めて耳にする話だ。
「じゃあ、神殿って魔力測定だけしてるんですか?」
リオンは素朴な疑問をエリシアにぶつけてみる。
「神殿は魔術を扱っている。特別な技術や知識の研究も神殿の役目だ。国は、神殿が行っていた行政機関としての役割を奪っていった」
エリシアは少し嫌そうにしたが、丁寧に答えてくれた。
ラーソン村にニーナが来るまで、村で手に負えない怪我人や病人が出ると、この道を走った。神殿で魔術の治療を受けるためだった。
ニーナは怪我人の治療ができる――魔術を使える――ことは、村の誰もが知っていて、しかし決して口外しない秘密だった。
一日目の旅は何事もなく終わった。
路肩の広くなった拠点で、簡単に夕食を取り、就寝準備をする。
馬車はエリシアが使用し、男三人は地面に寝袋を用意した。
「おれも火の番をする」
「ダメだ。寝ろ」
「でも!」
「子どもは寝ろ」
「盗賊は神殿を狙わないんだろ?火の番だけならできるって」
「お前は旅に慣れていない。今は興奮して疲れを感じていないだけで、疲れている。しっかり休め」
リオンは再三主張したが、即座にガレスに却下された。
しぶしぶ横になると、すぐ猛烈な睡魔に襲われた。
「カイラはまだ、神殿にいるのか?」
「ああ。まだ候補には上がっていないようだな。行けば会える」
ガレスと護衛の声だろうか。懐かしい名前が聞こえたが、リオンの意識はそこで途絶えた。
翌朝。
ガレスに起こされてリオンはもそりと起き上がった。
馬車に乗って揺られているだけと思っていたのに、身体のあちこちが痛い。
「ごめん、寝過ごした」
「馬車の旅でも、しっかり休まないと持たなくなるのよ」
そう言って、乾燥野菜を戻したスープを持ってきてくれたのは、エリシアだった。
「神官様は平気なんですか?」
気安く質問してしまって、リオンは「しまった」と思った。
だが、エリシアは苦笑交じりに答えた。
「私も休みたいわ。旅なんて暫くぶりだし、片道で十分よ」
少し堅さがとれた口ぶりに、リオンは安堵した。
二日目の野営地は、一日目より早い時間に到着した。
「今日は早いがここで休む。明日は少し歩いてもらうからな。ゆっくり休め」
言いながら、ガレスは野営の道具を馬車から下ろす。
隣でエリシアの溜息が聞こえた。
「どうして歩くの?道が悪いとか?」
「坂がきついんだ。馬車に乗ってると馬の負担が大きくて進めない。休憩できる場所もないから、一番の難所だな」
ガレスの説明を聞いて、リオンはエリシアの溜息の理由を理解した。
男二人が野営の準備をする中、馬車の中でうとうとしながら過ごしていたからか、朝より元気になったリオンは暇を持て余していた。
ふと、人の気配がして、リオンの横にエリシアが座った。
「説明するより見せた方が早いな」
言いながら、身体の前に構えたエリシアの右手の中に、水が発生した。
「え…?」
リオンは驚いて、まじまじと掌を覗き込んでいた。が、気づいて慌てて体を離す。
「水を出せると、なにかと便利だから。少しずつ、練習していこうか」
リオンは、口をあんぐりと開けたまま、何度も頷いた。
日が沈むまで、リオンは熱心に説明を聞き、何度も試した。
エリシアはお湯を沸かす手伝いをしていたが、「私も時間を持て余しているから」とリオンに付き合ってくれた。
右手のひらに左人差し指を近づけていく。触れるか触れないかの距離まで近づけて、接触していないのに「触れている感覚を掴む」練習を続けた。
徐々に、触れていないのに、掌にもやもやした何かを感じられるようになってきた。
「人体から発生する、わずかな魔力を感知できるようになってきたわね。想定より随分と早い。やはり筋がいい」
「そう、なんでしょうか?言われた通りに練習していただけなんで、よくわかりません」
褒められているらしいのは伝わってきたが、それが凄いのか、単なるお世辞なのか、リオンには判断つかない。
ニーナは――リオンに限らずだが――子どもが治療に立ち会うのを拒んだ。だから、今まで魔術を見たことはなかった。
話でしか知らない世界に、自分が関われる――という、不安と期待に、リオンは胸が高鳴るのを感じた。
それは、ラーソン村では自分にできることはない、と半ば諦めていたリオンにとって、初めて「何者かになれる」未来を見た出来事だった。
リオンはエリシアと護衛の三人で夕食を取った。
そこでようやく護衛の名前を知り、苦笑する。
「ユルトだ」
「リオンです。よろしくお願いします」
「ガレス殿とユルトは既知だと聞いている」
リオンは頷く。
「おれも、知り合いだと聞きました。ガレスも神殿の護衛をしてたの?って、聞いちゃいけないかな」
何を話せばいいかわからず、つい口を滑らせてしまった。「人の過去は詮索しない」とは、母ニーナによく言われていたことだ。
「『神殿の』というか、まあ、護衛仲間だったな」
曖昧にではあるものの、ユルトが答えてくれたので、ほっとする。
「強くなくちゃなれないんですか?護衛って」
続けて聞いてみた。ガレスははっきりとは答えてくれないから。
「神殿の護衛は…護衛というか、まあ、護衛か。俺のような単純な『護衛』と、『軍務神官』の二種類があるな。護衛には剣の腕が求められる。軍務神官でも、神殿内の警護をする連中は鍛錬をしているが、物資の補給や指揮管理する連中は武器なんぞ扱わない。だが、みんな『軍務神官』の括りだ。結構幅広い」
リオンは、初めて耳にする話に興奮した。
「おれでも、軍務神官になれる…のかな?他にもいっぱい神官の種類があるの?魔術を使う神官とか」
「神官の中でも、特別に強い魔力を持つ者だけが『魔導神官』になれる。だが、魔導神官は世界中を飛び回っていて安全じゃあないな。なれない方がいい。軍務神官は、ほぼ家系で決まるから、残念ながらお前では難しいだろうな」
「ふうん」
遠回しに「軍務神官にはなれない」と言われたはずだが、リオンはあまりショックを受けなかった。
今までのようにやせ我慢しているのではない。可能性は多く、まだ希望を持てていたからだろう。
ユルトとエリシアは、リオンの知らないことを教えて聞かせてくれた。
知らず、リオンはそのまま寝入っていた。
「神殿に興味があるのかしら?子どもらしい反応でしたね。この子は…あの村では生き辛かったのではないですか?」
遅れて食事をとるガレスに、エリシアが話しかけた。
「リオンは…十五年になるか。昔西の神殿に助けられた、逃亡した女神官の子どもだ」
「十五年?私がまだ見習いの頃ですね」
ガレスは、エリシアをまじまじと見た。苦笑交じりに言う。
「皆、歳を取ったものだ。その時の赤子、リオンの事は、西の神殿しか知らない。中央神殿には報告していない、隠された才能だ」
「私には知らされていないことがあるのは承知しています。ですが、この子を保護するのが目的なのでしょう?私はもう、利用し続けるのは耐えられません」
静かな沈黙が、夜の闇に吸い込まれていった。
夢を見ている――そう思った。
不思議な浮遊感。水の中に浮かんでいるような、以前にも感じたことのある感覚に、リオンは目を開けた。
白い世界。
壁も天井も、それどころか床もない。
すべてが白。
白一色に包まれた空間だった。
体は、ふわり、と宙に浮かんでいる。
光も影もない。
広い広い空間に、ぽつねんと取り残されている。
突如、言い知れぬ孤独が胸を貫いた。
怖い――
叫びそうになって、しかし、声が出なかった。
いや、叫んだのかもしれない。ただ、聞こえなかった。
リオンは目を覚ました。
横たわる堅い地面の感触に、知らず安堵する。
同時に、さっきまでの不思議な感覚を思い出してもいた。
ただの『夢』では説明できない生々しさを体が覚えている。
「どうした――」
見張りをしていたガレスが言い終える前に、地面がわずかに振動した。
傍で寝ていたユルトが、剣に手をかけて起き上がる。
「ただの地震だ」
静かにガレスが言った。
ユルトは視線を鋭く周囲に向けたが、すぐに剣の柄から手を離した。
「道中、無事であって欲しいものだな」
「同感だな」
ユルトとガレスが軽口を交わす。
そんなふたりの様子を見ながら、リオンは頭の隅で警鐘が鳴っている気がしていた。
「地震って地面が揺れるって、大変な事なんじゃないの?こんなに大きな地面が揺れてるんだよ?」
リオンは、恐る恐る尋ねてみた。
ガレスとユルトは顔を見合わせて困り顔になった。
「そんなことは誰も知らない。だが『地震』と呼ぶくらいだ。昔からあるんだろう」
リオンには、ガレスのその答えが気味悪く思えた。何故誰も疑問に思わないのか――それが不思議で仕方なかった。
こうして、三日目の旅が始まった。




