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傾ぐ世界(均衡の彼方)  作者: 斎王暁圭
第一部 兆し

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15/17

第一部 第十四章 猶予(第一部完)

9/21 誤字修正。名前を間違えているところがありました。



 神殿の崩落事故から十一日目。

 事態は急変した。

「何故、もう返書が届くのだ?片道分の時間しか経っていないぞ」

 ソートは、早馬から受け取った赤い封書を睨みつける。

 この間、神殿の復旧は進めているが、続く地震に作業の中断を余儀なくされている。

 マレクとの話し合いは纏まっていない。

 コーエンの意識が戻ったのは幸いだが、まだ起き上がれる状態にはない。

 せめて、柱候補の対応で合意できていれば、と悔やまれる。

 ソートはすぐに、二つ隣のマレクが執務を行っている部屋に向かった。

「ソートだ」

 扉を叩き、声をかける。

 するとすぐに、マレクが扉を開けた。

「ソート様、いかがなさいました?」

 怪訝な顔をするマレクに赤い封書を見せる。

 マレクは無言のまま、目を見開いて驚いた。

「まだ開封していない。ここで開けていいな?」

 言うが早いか、ソートは中に入ると、持っていたペーパーナイフで封を切った。

 そこに記されているのは、『柱候補の移送を最優先せよ。調査は追加で人員を派遣する。』という内容だった。

 二人は顔を見合わせる。

 最早、猶予は残っていなかった。


「リオン、もう大丈夫なのか?」

「うん、おれの仕事だからやらせて!」

 言うが早いか、桶を持って家を飛び出す。

 井戸に向かうと、見知った顔のおばさんたちが声をかけてきた。

「体調はもう大丈夫なの?」

「こんなに華奢な子に、男ってのは容赦ないねぇ」

 リオンは、神殿崩壊の翌日から起算して四日間、意識を失っていた。その間、疲労で寝込んだことになっている。その事実を、噂の恐ろしさを実感した出来事だった。

 訓練を兼ねて、水汲み五往復の後、屋台を見ながら朝食を取った。

 ついでとばかり、ガレスはリオンに買い物の仕方を教えていく。

 暫く屋台で食事していたので、複数商品を扱っていない飲食店での買い物はできるようになっている。

 購入商品の合計やお釣りの計算は母ニーナに教わっていたのでわかる。

 だが、自分で商品を選んだり、商人と交渉したりしたことはなかった。

 街でのやり取りは、リオンにとっては新鮮で面白かった。

 しかし、単なる勉強にしては買い込み過ぎるくらい荷物が増えた。

「ガレス、そろそろ腕が痛いよ。こんなに買ってどうするの?」

 抱えた荷物で前が見にくい。首を左右に傾けながら歩いた。

 途中で買った背負い袋を担いだガレスが、答えた。

「今後のためだ。いつ必要になるかわからんからな」

 言われれば、確かに、日持ちのする物ばかり買っている。家には保存のきくものがない。ランタンや水袋なども用意していた。

 全部を聞かなくても、リオンにもわかった。

 ここを離れる可能性があることを。

 家に着くころには、リオンの膝が笑っていた。

「今日は訓練らしい訓練はしていないが、体には堪えただろう。まだ完全に回復していない。ゆっくり休め」

 床に荷物を下ろしてへたり込んだリオンに、ガレスが言った。

 リオンとしては、こんな無様な姿、ガレスにだって見られたくない。

 だが、体は言うことを聞かなかった。

 リオンは、無意識に服の上から指輪を握りしめる。今までなら、すぐ楽になっていたのに、体は重いままだ。

(やっぱり、気のせい…だったのかな)

 疲れに身を任せて、床に大の字に寝転んだ。

「こんなに疲れたの、いつぶりだろう…」

 荷物を確認していたガレスが笑った。

「疲れ知らずと思っていたがな。お前でも疲れるのか」

 ガレスは、蜂蜜を果汁で薄めたジュースを卓に置いた。

 そのまま椅子に腰かけ、言う。

「飲みながらでも聞け。神殿の復旧作業が落ち着いたら、魔力持ちの捜索が始まるかもしれん。十中八九、お前だろう」

 床で話を聞いていたリオンは、飛び起きた。

「なんでおれ!?」

「神殿崩落は『魔力暴走』とみられている。それだけの魔力持ちが近くにいたことになるからな。近い――といえるかどうかはわからんが、お前の様子がおかしかった。関連がないとは言い切れんだろう」

 リオンの頭の中は、わからないことだらけだ。

「え、何?おれがおかしかったから、神殿が壊れたって事?魔力…なんとかってのは?知らないよ」

 後ろ手に、どたどたと部屋の隅まで這って逃げる。

 何が何だかわからないが、神殿が壊れた事実は理解できている。

 その原因が自分だと言われ、ただただ怖かった。

 心臓が激しく脈打っている。

「誰にも確証があるでもない。だが、状況がそう言っている。神殿崩落の原因がわからん限り、原因探しは行われる。それが地震によるものなのか、人によるものなのかは、あとから理由付けされるんだろうな」

「それって何でもいいから『犯人捜し』だけするってこと?」

 リオンがのそのそと椅子に座る。

 ガレスがジュースをリオンの前に勧めた。

「そういう事だ。神殿崩落という事件が起きた。だから、何でもいいから原因になりそうな『何か』を探すんだ」

 リオンは少しだけ気が楽になった。

 ジュースを一口啜る。

「一時的にここを離れる可能性があるって事だよね?」

 一拍置いて、ガレスは無情な言葉を放った。

「戻れるかどうかは、状況次第だ」

 リオンは眉を顰めた。

 だが、悩んでも仕方ない。

「わかった。じゃあ、今は何をすればいいかな?」

「まずは体調を万全にすること。訓練も再開するし、いつでもここを発つ準備はしておけ」

 リオンは、頷くと、ジュースを飲みほした。


 翌日、リオンはガレスに伴われて、町の外にある昔の石切り場に来ていた。

 神殿崩落後、ずっと籠っていては不自然だ。

 リオンは、「仕事だ」と言われて剣を置いて連れ出された。

 ガレスは、剣を背負っていた。

 周囲には、街で集められた傭兵や仕事を求める人足が集まっている。

 役人用の白い服を来た四十がらみの男が声を張り上げた。

「ここじゃ、もう石は切れん。だが、瓦礫を捨てるにはちょうどいい」

 何の仕事かと思ったが、瓦礫の撤去の手伝いのようだ。

 神殿から荷馬車で運ばれてきた瓦礫をここに下ろす作業だった。

「こういうの、『日銭仕事』っていうの?」

 小声でリオンが尋ねてきたので、ガレスは「そうだ」と短く返す。

 最初の馬車が到着した。

 大きな石は、魔術で割って運び出しているらしい。

 運ばれてきたのは、人が抱えられる大きさが殆どだった。

 リオンは『玉掛け』と呼ばれるロープを使って、器用に石を運んだ。

「流石に石切り村の子どもだな。細っこいのに大したもんだ。下半身が安定している。」

 一緒に作業していた傭兵らしい男が、ガレスに話しかけた。

「まだ未熟だがな」

 ガレスは、嬉しそうに表情を綻ばせた。

 荷馬車が何度も往復する。

 荷を下ろす人、運ぶ人、と自然と分担して作業は進んでいた。

 ガレスのような大柄な男たちは、大きな石を軽々と運ぶ。

 しかし、疲れたのか休憩を取る人もちらほらと見えた。

 リオンは黙々と仕事をこなした。

 昼には神殿からの炊き出しがあった。

 見知った神官から椀を受け取る。

 瞬間、神官がリオンに声をかけてきた。

「頑張ってるね」

「ありがとうございます」

 リオンは顔を綻ばせて、お礼の言葉を口にした。

 ふと神殿の方を見上げる。

 そこにあったはずのものが欠けている。

 あそこにいたのに――。

 運ばれてきた瓦礫を見る。

 神殿の一部だった石だ。

 こんなにも変わってしまうのか――。

 ラーソン村を離れて、神殿に来て。街に降りたのはつい先日のこと。

 目まぐるしい変化だ。

 自分の意志とは関りないところで、事物は変化している。

 リオンは、それを痛感した。

 この日、陽が傾き始めるまで仕事は続いた。


 何日か仕事を続けたある日の夜。

 コンコンコンコン。

 戸を叩く音がした。

 コンコンコンコン。

 続けて四回。

 コンコン。

 一拍置いてさらに二回。

 ガレスが戸口に向かい戸を叩く。

 コンコンコンコン。

 すぐに外から返信があった。

 コンコン。

 ガレスがカギを開けると、いつかの男が滑り込んできた。

 急な来客に、リオンは驚いて食事の手を止める。

「無事、目が覚めて良かったな」

 開口一番、リオンに向かって男が言った。

 リオンには話がわからない。

 ガレスの方を向くと、ガレスはひとつ頷いて説明した。

「お前が意識を失っていた時に助けてもらった。ここの家主でもある」

「え?」

 リオンは状況が呑み込めず、ふたりを見比べる。

「気にするな。俺はあちこち点々としてるからな。家なぞ荷物置き場でしかない」

 大柄な男は、肩をすくめて笑った。

 笑うと目尻に皴ができて、男の印象が和らいだ。

 その様子を見て、リオンは少しだけほっとした。

 だが、対照的にガレスは緊張した声を出した。

「急にどうした?」

 男は言い淀んだ。

「明朝、柱候補の子どもを中央に移送する。それと…神殿の手伝いからの情報だが、高魔力保持者の捜索が行われそうだ。」

 男は長剣を寝台に置くと、すぐ側に腰かける。

 ガレスは椅子に座った。

「順を追って説明してくれ」

「わかった」

 男がちらとリオンを見た。

「聞かせていいのか?」

 緊張した二人のやり取りを、リオンは固唾を呑んで聞いていることしかできない。手に持った串焼きを紙に戻すことも食べることもできずにいた。

 ガレスは、リオンの手元を見て苦笑した。

「いつまでも子ども扱いはできない。大丈夫だ」

「なら、話に戻るぞ。――今回の使者は、ソートだ。今は中央神殿で副神官長の補佐をしている」

「ソート?えらい出世だな。軍務神官からとは、前例がないだろうに」

 男は嬉しそうに破顔した。だが、すぐに表情を引き締めると、説明を続ける。

「本当に大したものだ。それと、他に研究員が二名。この研究員が、柱候補とは異なる高魔力保持者の検査結果を目にしたと主張している」

 二人の視線がリオンに向いた。

 リオンは、ただ縮こまるしかできない。

「でだ。ここでは検査装置が壊れていて何も調査できないから、その人物も中央に連れて行ってはどうか、という話が出てきたそうだ」

 ガレスは目を瞑り、無言で考え込む。

 暫くして、ガレスが男に確認した。

「ソートは、捜索を止められないんだな?」

「難しいようだな。だから、『滞在を切り上げる』と知らせてきた。研究員はここに残るだろうが、ソートと護衛は中央に戻る」

「じゃあ、カイラは?」

 リオンが口を挟んだ。

 ハッとして大人ふたりが押し黙る。

「お前たち、西の神殿にいたよな。知ってる子だよな…」

 リオンは、俯いたまま少しだけ頷いた。

「同郷の子だ」

 ガレスが補足した。

「そうか…。柱に頼らない世界ってのは、難しいな」

 無言が、肯定だった。

 場を沈黙が支配していた。

 だが、やがて男は立ち上がると、長剣を持って戸口に向かう。

「神殿に変化があったら知らせる」

「頼む」

 二言。

 男は踵を返すと、すっかり闇に染まった外の景色に溶け込んでいった。

「カイラ、行っちゃうんだ…」

 リオンがぽつりと呟いた。

 リオンは、こうして街で隠れているしかできない。

 カイラが身代わりになっているようで、もやもやする。

 中央神殿に行ったらカイラはどうなる?

 知らず握りしめた拳の爪が皮膚に食い込む。

 戸口から戻ってきたガレスが、リオンの頭をぽんと撫でた。

「気に病むな。お前ひとりで何でも背負い込んでるんじゃない」

 ガレスの気遣いが嬉しい。

 だが、自分ではどうすることもできないもどかしさを感じる。

 見えない澱のように、もやもやしたものが募っていった。


 同じ頃、西の神殿では、ソートが頭を悩ませていた。

 明日の朝、ここを発つ。

 それは決定事項。

 だが、勝手に人探しを始められては困る。

 見つかれば、ラトゥスなどは「この上ない研究対象だ」と喜ぶだろう。

 しかし、マレクは隠している。

 隠しているのは、人なのか、組織なのか。

 何を知っていて、隠さなければならないのか。

 そろそろ、本心を教えてくれてもいいのに、と思う。

 どこかに突破口はあるはず。

 どうすればいいのか。

(これが最後の機会だ)

 ソートは、復旧したマレクの執務室に向かった。

 コンコンコン。

 不格好な木の戸を叩く。

「はい?」

 中からマレクの声がした。

 ソートは恐々と戸を開ける。

 マレクは、ソートの姿を確認すると、急ぎ立ち上がって出迎えた。

 ふたり、室内の卓につく。

「このような時間に、どうされましたか?」

 マレクがやんわりと尋ねてきた。

「私がコリトナーに来ることは、生涯二度とないだろう。だから今、話しておきたい」

 マレクは、感情の読めない笑顔を見せた。

「そうですか。私の迎えが先に来るでしょうから、ソート様と対談するのはこれが最後になりましょうな」

「コーエンが、重ね重ねすまぬ」

 ソートは、先にラトゥスの傍若無人な言動を詫びた。

「研究熱心なお人柄のようですな。私めなどは、寧ろ、清々しいと感じました。」

 一歩も近づかせない距離感。

(この懐に入らねば)

 ソートは思考した。

「私が中央に送った書簡の返信がまだだ。だが、どういう訳か、中央から絶妙な書簡が届いた」

 マレクは静かに頷いた。

「左様でございますね。中央でも何事か起きたのでございましょうか」

「それは、情報がないので明言できん。だが、何かがあったと私も思う」

 ソートは、「なんとか距離を縮めねば」と持てる手札を探る。

「そちらに隠し事があるのは承知の上だ。だから私は、中央にここの情報が伝わる前に、ここを発つ。研究員二名では今は装置の修理もできんだろうから、置いて行っても問題ないかな?」

「おっしゃる通り、中央神殿に探られたくないのは、やまやまではございますな。あのお二人に悪意はございませんし、資金的にも何もできはしないでしょう」

(初手は上々)

 ソートは続ける。

「私は、立場上、中央神殿では神官長の派閥にいる。が、柱に頼る現状を好ましく思っていない。犠牲は増える一方。世界はいつまでも安定しない」

「中央の派閥には疎いので、なんとも申し上げられません。しかし、私どもは柱には反対でございます。犠牲を強いる世界は、どこか破綻しておりましょう?」

(そうだ。そこは意見が合致している。だが、解決策が見つからない)

「今はまだ他の道を見つけられていない。だが、ラトゥスが示した第二の存在があれば、柱に変わる支えになるかもしれない」

「『柱に変わる支え』とは、甚だ穏やかでない。代わりの犠牲を望まれるのでしょうか?」

(やはり、抵抗するか。だが…)

「人、なのか?お前たちが隠しているのは。ラトゥスは魔力の歪に匹敵する『何か』としか把握していない。」

 マレクは大きく息を吐くと、ゆるりと首を振った。

「どこにでもおりましょう?神殿から逃亡した神官たちは」

「逃亡神官は珍しくないな」

 ソートは苦笑した。

「そうか、たまたま、魔力の高い逃亡神官を匿っていたか」

「中央神殿から水路で逃げてくれば、コリトナーに辿りつくのはすぐでしょうから」

 マレクは少し、困った顔をした。

(まただ。感情を窺わせない)

 ソートは表情を変えずに考える。

 それだけなのか、他にも隠していることがあるのか。

 だが、自分は失敗したと思った。

(もっと慎重にならねば。今は柱となる子どもの話題は避けるべきだった)

 交渉は、平行線で終わった。


 翌朝。

 カイラは神殿の外にぽつねんと立っていた。

 目の前には、豪華な装飾のあしらわれた、純白の馬車が停まっている。

 こんなに立派な馬車に乗れるなんて、神殿に来た時には想像もできなかった。

(これが、未来ある旅立ちならよかったのに――)

 涙が滲んでくるのを、歯を食いしばって耐える。

 中央神殿に行って、柱になって。それからどうなるのか、まったく想像つかない。

 ただ、良くないことだとは見当がついた。

(これが私の役目なのかなぁ…)

 ぼんやりしている間に、ソートとマレクの挨拶は終わったようだった。

「カイラ、しっかりやれよ!」

 クムルが声をかけてきた。

「元気でな」

「立派な神官になってね」

 トリスとケレスも手を振って見送る。

「頑張ってみるよ!」

 カイラは、精いっぱいの虚勢をはり、見送ってくれる皆に手を振り返す。

「カイラ、道中、気をつけなさい」

 マレクが涙目で別れの言葉を口にした。

 カイラの頭を何度も撫でる。

 護衛たちが騎馬で馬車の前後に付く。

「では」とソートに促され、カイラは馬車に乗り込んだ。

 馬車は規則正しい蹄の音を響かせて、神殿を出発した。

 ソートは、馬車の中、静かにしゃくりあげる少女を見つめる。

(西の神殿は、一体何を隠している?)

 神官長マレクは、明確に神殿の体制を批判した。

 だが、手を組むことができなかった。

 ソートにとっては、神殿の内外に賛同者が欲しいところだ。

(西の神殿は、この子を差し出しても隠したい何かがある。もしそれが、世界を変えるきっかけになるなら…またここに来るのだろうか?)

 少女への気遣いも忘れ、考えに耽っていた。


 神殿から街道に向かう一角で、リオンはガレスと馬車を見送っていた。

「カイラ、行くな…」

 リオンは、思わず呟いていた。

 助けたい。

 でも、方法がわからない。

(カイラは、自分の運命をわかっているのかな?)

 ずっと気がかりだった。

 もしかしたら、リオンを隠すために、カイラが中央神殿に行くのではと思ったから。

 突然、ラーソン村に迎えが来た。

 それは、神殿がリオンを必要と判断したからだろうとはわかる。

 神殿で魔術を学ぶのは面白いし、もっと神殿のこと、世界のことを知りたいとも思う。

 だが、ただの少年を迎えに来るのか?

 リオン自身にも、自分のことがわからない。

 これからどうなるのかも。

 それでも、神殿が今のままでいいとは思えなかった。

 地震が起こる度に、世界が壊れていく――。

 柱によって支えられる世界。

 誰かの犠牲の上に成り立つ世界。

 今はカイラだけ。

 そう、また誰かが犠牲になる。

(どうしたらいい?)

 リオンは、この世界の未来を考え始めていた。

「行くぞ」

 ひと言。

 ガレスはひとり歩き出す。

 慌ててリオンは後を追った。

 すっかり手に馴染んだ剣が、リオンの背中に括られている。

 屋台からは、美味しそうな匂いが漂ってくる。

 活動を始めた朝の街を、歩いた。

「心配するな。初仕事は上手くこなせただろう?今度の仕事は商人の護衛…というか、一緒に隣町まで行くだけだ」

 神殿の瓦礫の撤去は粗方終わり、商人たちは資材の調達に力を入れていた。

 大規模な工事にはそれだけの物資と人足が必要になる。町と町を移動するのは、商人にとって命懸けだ。

 こんな時、傭兵は便利に使われる。金次第でどんな仕事も引き受けるからだ。

 リオンは、ガレスの弟子として仕事を覚える。真似事ではなく、実体験として身につける。今後、神殿を頼れない時に生活していけるように、訓練する。

「ひとまず隣町だ。戻ってくるかは向こうに着いてからの判断でいい。街の連中にも、仕事で離れるだけだと思わせておけ」

「うん。わかった」

 瓦礫の撤去作業で、リオンの体力は戻っていた。

 ガレスは、いつでも次の仕事に取り掛かれるように、いくつか声をかけていたらしい。その中から条件に合うものを選べばいい。

「では、ふくろう亭だな」

 ふたりはふくろう亭に着くと、朝食を取りながら見繕ってもらった案件を確認した。

 宿の主人は、その中でも、木材の買い付けに行く商人の護衛を勧めてきた。

「この仕事、向こうで荷馬車を手配するから、行きは徒歩になる。護衛といえるほど仰々しくもないから、新人にはちょうどいいだろう」

 程なくして、依頼人との話が纏まった。

 出発まで丸一日あった。

 殆ど支度はできていたが、準備期間を考慮しても丁度いい仕事だった。

 携行食を用意し、住み慣れた家に帰宅する。

 床には、既に準備した荷物が纏められていた。

 ラーソン村からコリトナーまでは馬車旅だった。

 だが、今回は徒歩になる。それもコリトナーに戻ってくる前提で荷物を纏めている。背負える程度の僅かな荷物。寝袋の代用にする厚手の外套。

 ガレスは、丁寧に剣の刃を研いだ。

「その剣、いつも持ってるのと違うね」

 ガレスは普段、刃の広い中剣を使う。

 今研いでいるのは、それよりも柄も刃も長い細身の剣だった。

「これは片手でも両手でも使えるからな。慣れると状況によって使い分けできて便利だ。」

「なんだか格好いいね」

「お前では背が足りんな」

「今、成長中だから、いつか使えるようになってみせるよ」

 弟子と師の他愛もない会話。

 ふと、ガレスは気になっていたことを思い出した。

「リオン。お前、いつ爪を切った?」

「へ?」

 いきなり変なことを聞かれて、リオンは間抜けな声を出した。

 が、自分の爪を見る。

 質問の意図がわかった気がした。

「ラーソン村を出る前の日に切った、だね。…なんか、あんまり伸びてる気がしないな…」

 力なく答える。

「体は問題ないのか?」

「それは平気。大丈夫だよ。…なんで爪、伸びないんだろう」

 ガレスは、リオンの頭を軽く叩く。

「体に影響ないならいいさ。悩んでもわからんだろう」

「うーん、魔術を覚えたくらいしか、変わってないんだけどな」

 ガレスには門外漢の話だ。それ以上言わずにおく。

 それから家の掃除をして、水瓶の水を捨てた。

 数日、留守にしても問題ないように支度して、翌日を迎える。

「ねえ、ガレス。家の鍵はどうするの?」

「家主は『連絡する』と言っていた。あちこち放浪してる男だからな。また会えるさ。案外早く、戻って来るかもしれんしな」

 リオンは、ガレスらしくないと思ったが、先のことがわからないのは同じなんだと納得した。


 翌日、ふたりはふくろう亭で依頼人と合流した。

 今度は傭兵としての徒歩一日の旅。

「行くぞ」

 ガレスの言葉。

 リオンは、緊張と不安でいっぱいの心を押さえて一歩を踏み出す。

 突然神殿から使者が来て。

 神官見習いになって。

 不思議な体験をした。

 魔術を覚えて、『役に立つ』自分になれたと歓喜した。

 街での仕事は大人への仲間入り。その第一歩。

 今度は町を出て、仕事で旅をする。

 戻って来れるかわからない、成り行き任せの旅。

 ここで出会った人たちと、もう一度会いたい。

 リオンは、強く、強く、そう思った。

 三人は、長い影を作りながら、歩いた。


 早馬で赤い封書が届いた。

 時期的に、こちらから書簡を送った頃にコリトナーから送られたもの、ということになる。

 副神官長アドゥーは、封を切り、中身を確認した。

 顔を顰め、大きく息を吐いた。

(何故、ミリヤが不調を来した時期に、コナフトでも事故が起こっている…?地震とは記されていないな。何かの偶然なのか?)

 これを届けた使いは、直接の面会を求めているという。

 書簡に記された以上の情報が欲しい。

 アドゥーはすぐに面会を了承した。

 しかし、アドゥーを前に平伏した使いは、役場の伝令ではなかった。

 ソートに従った軍務神官の一人と記憶している。

 不吉なものが胸を過る。

 男は、懐から一通の封筒を差し出した。

 受け取り、一読する。

「お前は、現場にいたのか?」

 床に額がつかんばかりに平伏した男が、両手を床に着けたまま顔を上げた。

「はい」

「地震ではなく、だが神殿だけが大きく揺れた後、倒壊した――とは、どういう状況なのだ」

 アドゥーは困惑したまま問うた。

 男は突如上体を起こした。平然とこちらを見据えてくる。

(ただの護衛が、何のつもりだ?)

 男の態度に疑問を持つも、表情を変えず、言葉を待つ。

「ソート様にはお伝えせぬよう、口止めされておりますが」

 男はじっとアドゥーを見つめたまま、前置きして答える。「『魔力暴走』と」

 耳にした言葉を理解するのに一拍かかった。

 思わず眉間に力が入る、アドゥーは慌てて右手で顔半分を隠した。

「それは誰だ。今回の柱候補なのか?」

 書簡には『原因不明の事故』と記されたのみ。

(ソートは不確定な報告を避けたのか、或いは…)

「詳細は不明。現地での調査は不可能な状況です」

 今回の責任者はソートだ。

 しかし、先日柱の移送を命じている。既に向こうを発っているかもしれず、伝令は間に合わない。

 ならば――。

「コリトナーにはコーエンがいるな。一抹の不安はあるが、対象者の捜索を支援させよう。調査団を組んで派遣する。資金も用意しよう」

 状況は刻々と変化していた。



 また一つ、柱が消えた。

 人には聞こえない、歪が軋む音がした。



お付き合いありがとうございました。

第一部はここで完結となります。


この後、登場人物紹介のページを投稿します。

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