第一部 第十一章 強制介入
地震は続いていた。
午前中にも大きな揺れがあった。
幸いにも、棚の書籍が落ちてきたくらいで、神殿内では特に被害はなかった。
リオンとカイラは、神殿を離れる支度をしていた。
リオンは持ってきた荷物に神官見習いの服と筆記具が増えたくらいなのだが。
カイラの支度が終わらない。
エリシアが手伝って、大事に仕舞っていた古着や小物を処分した。今まで学んできたことを書き留めた紙類も、持っていけないので処分する。
「ケレスがこれくらい熱心に学んでくれるといいのだけれど…思うようにいかないわね」
エリシアがため息を吐く。
「年下の子が入れば変わりますよ。これ、誰か使ってくれないのかなぁ」
「新しく神殿にくる子は、また同じことを教えるから大丈夫よ。逆に、それをあげてしまうと勉強しなくなってしまうことがあるからね」
「はーい」
しかし、未練たらたらだ。
苦笑しつつも、エリシアがカイラを急かす。
「早く支度を終わらせないと、リオンの見送りに間に合わないわよ」
「やっぱり、もう行くの?使者が来るまではいいじゃない」
カイラの手が止まる。
コンコンコン。
「カイラ?おれ、もう街に行くからさ、挨拶だけ。カイラなら、どこでも元気にやってけると思う。元気で」
扉の向こうでリオンの声がした。
慌ててカイラも返す。
「リオンこそ、無事で!また会いましょ」
「うん…」
足音が遠ざかっていった。
静かに、エリシアがカイラの背を撫でる。
声を殺してカイラは泣いた。
同じ頃。
神殿の入り口に、一騎の軍馬が駆け付けた。
純白の旗を掲げた軍人が下馬する。
馬の蹄の音に気付いた人々が集まってくる。
「大神殿の使者だ――!」
神官たちは狼狽えるも、一人が急いで神官長を呼びに駆けだす。
神殿前は騒然としていた。
神殿から役場に向かう階段を下りながら、リオンはガレスに声をかけた。
「神殿の方が騒がしいね」
「怪我人でも担ぎ込まれたんだろう。――急ごう」
二人は、コリトナーで普段着に使われている衣服を纏っていた。
リオンは、手に馴染まない剣を何度も握りなおす。手の汗で滑るのだ。
「背負う方がよかったか?今は足に絡まないようにだけ注意していろ」
どう頑張っても『親子』には見えない二人の設定は『師匠と弟子』だ。実際にそうだったのだから、リオンに違和感はない。
ただ、ラーソン村では使ったことのない、真剣を持たされている緊張が凄まじい。
久しぶりだからなのか、剣の重みをずしりと感じていた。
二人は階段を下り切り、役場を抜けて街に出る。
最初は人の目が気になったリオンだったが、誰もこちらを気にしていないのがわかって、少し安堵した。
急ぎ足でガレスの後を追う。
ガレスは、歩き慣れた様子で街中を進む。
リオンは付いていくのでやっとだった。
暫くして、一軒のこじんまりとした家の前で止まった。
「ここは?」
ガレスは鞄から一本の鍵を取り出すと、無造作に鍵を開け、扉を開く。
リオンを中に促した。
無言で数歩中に入る。
ガレスも中に入り、扉を閉めた。
中は真っ暗だった。窓の隙間から僅かな光の筋が見える。
「俺の知り合いの家だ。しばらく借りている」
窓を開けながら、ようやっとガレスが答えた。
足元に荷物を下ろし、家の中を見回しながら、リオンは「ふーん」と声を出した。
掃除はされている。埃っぽくはない。もしかしたら、ガレスが先に掃除をすませていたのかもしれない。
荷物を下ろし、手早く仕舞い終えたガレスが、リオンに言った。
「リオン、水汲みだ」
「先触れですって!?早すぎませんか」
「来たのだから、仕方がない。…リオンは無事に街へ出られたのかな?」
マレクとコーエンも知らせを受け、驚いた。
リオンの安否が気がかりだが、誰も見送りはしていない。目立たないように配慮した結果ではあるが、不安が過る。
兎にも角にも先触れに会いに行く。
出迎えもせず、無礼と思われては、幸先が悪い。
マレクに続いてコーエンも執務室を後にした。
神殿正面に、立派な軍馬を止め、先触れに来た軍人は直立のまま待っていた。
マレクの姿を視界に捉えると、神官長と判断し、一礼した。
厳かに告げる。
「辺境のコリトナーの神殿に、中央神殿より直々に副神官長補佐官・ソート様が参る。皆、平伏し、心して迎えよ!」
頭を垂れ、口上を聞いていた一同が顔を上げる。
先触れは一歩進み出ると、懐から赤い封書を差し出した。
すかさずコーエンが受け取り、マレクに手渡す。
封書をマレクが受け取ったのを確認すると、先触れは騎乗し、駈足でもと来た道を戻っていった。
マレクは、封書を一瞥すると、「戻りましょう」と声をかけて、引き返す。
コーエンは、盛大にため息を吐いた。
それから一刻程で使者たちが到着した。
先触れに来た騎馬が先行している。
神殿では、わけもわからずありがたがっている一般人と、神殿の人間が並んで出迎える。
子どもたちもだ。
「平伏せよー!」
騎乗のまま、軍人が声を張り上げる。
神官と役人以外、その場で地面に平伏した。
神官の純白の衣は――役人もだが――汚れを付けないためのものだ。高貴な相手にも立礼しかしない。
先頭の騎馬が一行の後方に向かうと、馬車が神殿の先で停車した。
馬車は二台だった。
先頭は豪華な装飾のあしらわれた、純白の馬車。
後方は、飾り気のない、白いだけの四角い箱馬車だった。
先に後方の馬車の扉が開いた。
血色の悪い瘦せ型の男性が二人降りてくる。
一人が先頭の馬車の扉を開けた。
神官長マレクよりずっといい身なりをした、がっしりとした中年男性が降りてきた。
一目で使者とわかる男は、マレクとコーエンの前で立ち止まると、目礼した。
「中央神殿副神官長の補佐をしている、ソートだ」
短く挨拶し、マレクに右手を差し出した。
「神官長を拝任しております、マレクと申します」
マレクは深く一礼して、使者の手を取った。
次いでソートは視線をコーエンに向ける。
「ラトゥスの補佐をしていた、コーエンだな?」
そこで言葉を区切り、別の馬車から降りてきた二人の方を視線で示す。
「ラトゥスが同行している。積もる話もあるだろう、後で時間を取ろう。――では」
軍人のようなきびきびした所作で、中への案内を促した。
存在感がマレクとはまるで違う。
居合わせたものは皆、圧倒されていた。
この神殿で一番立派な応接室に案内する。
予め準備していた茶と茶請けを供し、マレクとコーエンも向かいの席に座った。
中にいるのは三人。
頭を垂れ、かしこまるマレクとコーエンに、ソートはゆっくりと話しかけた。
「いろいろと、物申したいところだろう。中央神殿も一枚岩とはいかなくてな。苦労を掛けている。顔を上げて、話し合おう」
「勿体ないお言葉です」
マレクはさらに頭を下げて礼を示すと、顔を上げた。
「ここにはコーエンがいる。中央への不満はあろう。他にも中央の横暴ぶりには耐えかねるところはあると思う。だが、有能な柱候補が見つかったというのは、吉兆だ」
遠慮がちにマレクが応じる。
「該当の者はまだ十四歳です。柱候補としても、中央へ行くのは些か早すぎるかと思いますが」
ソートはひとつ頷いて答える。
「それは私も思っている。なるべくなら、慣れた環境で育ってほしい。」
「でしたら、なんとかお待ちいただくことはできませんでしょうか?」
「ここの子どもたちは、まっすぐに育っているようだな。人も、建物もとてもいい状態だとわかる」
コーエンは、少し首を傾げた。
神殿入り口からここまで、あの迷路のような通路はない。
しかし、お世辞にも立派と言える建物ではない。中央神殿からはずっと見劣りのする、お粗末な建物だ。
マレクがやんわりと皮肉った。
「随分な買い被り様ですが、御覧の通りのあばら家でございます。手入れだけは怠らぬよう気を遣っております」
「そこがとてもいい。虚勢を張るのではなく、あるがままを大切にしている姿勢が立派だ。人もくたびれた様子は見受けられなかった。この神殿が人を大事にしている表れと取れる」
マレクは中央神殿のソートを知らない。副神官長補佐なら、さぞお堅い人物だろう、と思っていたが、どうも違うようだ。
隣のコーエンを窺った。
コーエンが後を受ける。
「ソート様が中央を離れられて、よろしいのでしょうか?アドゥー様がご苦労なさっておられるのではと気がかりです。しかし、それほどに柱候補が必要だと?」
「私が立候補したのだ。流石に長旅、一介の神官には負担が大きい。私は軍務神官上がりだから、適任だろう。…私的に知人が世話になっている人物に会いたいと思ったのもある」
コーエンは、何か引っかかった。
ソートは決して公私混同するような人物ではない。
今回の任務に関係することなのか。本当に私用なのか。判断つかなかった。
ふと、ソートが深刻な顔をした。
「地方では地震が多いと聞いてはいたが、想像以上だった。驚いている。途中までは船旅。揺れは気づかなかったが、陸路になってから毎日揺れていたな。馬車でもわかるほどだ、被害もあるのだろう」
「年々、地震は増えております。規模も大きいものが増えました。まだ大きな被害にはなっておりませんが、このあたりの産業は石切りです。大事故に繋がる恐れがございます」
マレクが深く息を吐いた。
「この神殿は、石を切り出した跡地に作られております。山に沿って建てられており、いつか崩落の危険があるのでは、と危惧しております」
マレクの言は事実だった。
徐々にではあるが、石の継ぎ目の亀裂は深く、大きくなっている。
「うむ。レンガ造りの家屋は脆い、と報告を受けている。ここはコナフトの立派な石材だ。脆いとは思っていないが、神殿も町も古い。その心配は尤もだろう」
会話が途切れた。
コーエンは気になっていることを尋ねた。
「中央では地震が起こっていないのでしょうか?それだけ安定していると」
ソートは丁寧に答える。
「時期によって差はあるが、少ない。私が発つ頃は安定していた。…コーエン、お前も何か気にかかるか?」
聞かれ、コーエンはぴんときた。
「『お前も』とは、ラトゥスが、何か予想を立てているのでしょうか。私には中央の情報がありませんので、ここでわかる事だけでの想定になります」
「ふっ、研究者は変わらんな」
思わずという風に、ソートが笑った。
笑うと随分若く見える。三十路だろうか。
マレクは知古であるらしい二人のやり取りを黙って窺う。
コーエンの口調に明らかな拒絶が含まれていないことから、危険人物ではないと判断した。
「コーエン、私は腹の探り合いに来たのではない。暴露すると、この強引な命令は、殆ど研鑽所長官の我が儘だ。察しはついていたろう?」
コーエンの首ががくりと垂れた。
「やはりそうですか。…嫌がらせとは、いやはや、代わり映えの無い」
ここでマレクが口を挟んだ。
「『長官』とおっしゃいますと、かつてのコーエンの上官でございましょうか?」
うんざりした様子を隠そうともせず、ソートは頷く。
「そうだ。腐敗した神殿の遺物だ。――貴族と繋がりがあって、失脚まで手間取っている。中央の恥部でもある。」
「いやはや、なんとまあ…」
右手で目を覆い天を仰ぐマレクから、心の声が漏れた。
マレクの隣に座したコーエンが、ソートからは見えないようにマレクの太ももをつつく。
「大変な失礼を。しかしながら、そのようなご事情がおありでしたら、なんとか召し上げを先延ばししていただくことはできませんでしょうか」
マレクが懇願する。
コーエンも同調した。
「子どもには、既に支度をさせています。ですが、まだ幼くもある子どもを柱にするのは気が咎めます。『柱』という運命から解放されるのが難しくとも、生きる機会を与えてはもらえないでしょうか」
暗に世界の仕組みを非難する――。
ソートは、用意された茶を飲んだ。
「ふむ。幼子の犠牲は咎めるのか?『柱』自体を否定するのか?」
マレクとコーエンは、互いの顔を見合わせた。
今だ――。
と思う。
失敗するかもしれない。
だが、打算があった。
コーエンは言い切った。
「どちらもです」
ソートは背もたれに身を預けた。
目を閉じ、思案する。
数拍。
ソートは身を乗り出すと、周囲をはばかるように尋ねた。
「『西の神殿』はトヴォ神殿の機密文書を保管しているのだったか」
これにマレクが答える。
「ここにございますのは、トヴォ神殿の記録だけではございません。中央神殿の古い記録もございます」
「なるほど」
ひと言。
ソートはまた思案した。
そして、言う。
「さて、聞こう。お前たちは『柱』に否定的だが、犠牲なくば世界を維持できない。そこはどう考える?」
マレクはじっとソートを見つめた。
「『腹の探り合い』ではないとおっしゃいましたか。私どももこれ以上続けるつもりはございません。…私は、『柱のない世界』の実現を夢見ております」
ソートが茶を飲みほした。カップを伏せて皿に戻す。
「和睦しないか」
マレクとソートは、何を聞かされたのかわからず、互いに顔を見合わせる。
その顔は、驚きで満ちていた。
「ソート様、それは中央のお考えなのでしょうか?しかしながら和睦とは一体…」
確認してくるマレクに、ソートは言葉を続ける。
「中央の決定は、あくまでも『柱候補を移送せよ』だ。本音も建前もない。実際、各地の柱が倒れている。補充が追いつかない」
ここで一旦区切り、ソートは空のカップの尻を叩いた。
「だが、私個人は違う。中央の柱に仕える姪がいる。別の神官が次の柱候補に内定しているが、事情があって変わる可能性がある。私は姪を救いたい」
コーエンが尻を浮かせ、上ずった声を出した。
「それは…どういう?カイラを先に差し出せという事でしょうか」
ソートは苦笑しながらも断言する。
「断じてそれはない。私も、中央の一部の人間も、『柱』そのものに否定的なのだ」
救いの神!
マレクとコーエンはそう思った。
しかし、現実は優しくない。
「私は任務を遂行する。但し、預かる子どもを柱にはしない。今回の件は、長官の暴走によるところが大きい。なんとか失脚させるので、それで時間は稼げるだろう」
「時間を…稼ぐ、ですか…」
マレクが悲愴そうに呟いた。
「和睦と言うのでしたら、ご協力いただけないのでしょうか」
コーエンが無遠慮に申し出た。
二人を見比べながら、ソートが言った。
「私にも役目がある。『中央の情報を流す』という大事な役目がね」
検査室には大掛かりな装置が置かれていた。
仕組みは中央神殿にある物と変わらないが、狭い部屋に無理やり収めるためだろう、形は随分と違っていた。
「コーエンめ、私の可愛い子を随分酷い目に合わせてくれたな」
「そんな風におっしゃらないで、こんなに遠くまで運ぶだけでも大変だったでしょうに」
ラトゥスの毒に助手のフィレクが弁護する。
いつものことだ。
フィレクは苦笑した。
この人は、どこにいても変わらない、と安堵した。
ラトゥスは許可も得ずにそこかしこといじり始めた。
暫くして、点検を終えると、机の下に隠された木箱に気づく。
コーエンは無造作に床に物を置く性格ではない。
これは何だ?
ラトゥスは気にかかり、机上に下ろすと、そっと蓋を開けた。
うっすらと光を放つ感応石が二つ、収められている。
「柱候補の検査結果か…?いつから放置されてるのか、気になるな。大した魔力だ」
「あまり勝手に触らない方が…」
助手の制止の声を聞きもせず、ラトゥスは机の上を漁る。
ふと、コーエンから書簡を貰っていたことを思い出した。
「確か、中央の柱の資料が欲しいと言っていたな。今回の候補は、それほどの逸材なのか?」
カタン。
扉が開いた。
目を見開き、呆然と立ち尽くすコーエンがいた。
「あなたは…勝手に漁らないでくださいよ。片付けが大変になるんですからね」
検査室に入り、扉を閉めると、肩を落として盛大にため息を吐いて、続ける。
「姿がないので、ここだろうとは予想はしてましたけど、外れてほしかったですよ…」
悪びれもせず、ラトゥスが返す。
「時間が惜しい。魔力の歪は何故消えた?コリトナー近辺で大きな魔力を検知したが、原因は把握しているのか?」
コーエンがため息を吐く。
フィレクは苦笑した。
鏡を見ているようだ、と思う。「この人は、誰が相手でも変わらない」とも。
「はあ、私の立場を考えてください。今はここの副神官長なんです。何でもはいはいと答えられるわけないでしょう」
「ああ、それは大した出世だな。私に隠し事してどうする?研究資料が足りないぞ」
ラトゥスは、以前の調子で軽口を言ったつもりだった。
だが、コーエンの顔がゆがむ。
「そうですね、形だけの出世ですよ」
コーエンが自嘲気味に笑った。
フィレクが仲裁する。
「いつもの癖が出てしまいました。すみません。ラトゥス、謝ってください」
「…すまない」
コーエンは、机上の感応石に気づいた。
「まったく。これは子どもの検査結果です。あなたに書簡を送ったの、届いてましたか?」
「中央の柱の資料だったな。…忘れていた」
この返答に、現助手と旧助手の二人のため息が合わさった。
「環境が近いと、人は似るものなのかな?」
ラトゥスの言に、コーエンは恨みがましい視線を送る。
「いつか、あなたの頭の中を見てみたいものです」
「そうだな。見ることができれば、過去に閲覧した記憶ならあるぞ。柱の資料」
ドンッ。
コーエンが机をたたいた。
「早く書き出してください。その資料が欲しいのです」
言われるがまま、ラトゥスは机に座り、昔読んだ資料を書き起こし始めた。
リオンは、ガレスに連れられて井戸の場所を確認に出かけた。
ガレスが井戸の場所と汚水を流す場所を教える。
「水って地面に流すだけじゃダメなんだ?」
「街は人が多いからな。そんなことをしたら、悪臭で住めなくなる。コリトナーは町を作る時に汚水を流す溝を作ったらしいから、とても清潔で住みやすい」
「ふうん。なんだか面倒くさいな。でも、住みやすいならよかった」
リオンには知らないことだらけだ。
ガレスに聞いて歩く。
すると、近くにいた人たちがざわつきだした。
「中央神殿の使者だって!」
リオンは緊張で眩暈がした。
手に持った桶の水が零れる。
ガレスが咄嗟に支えてくれた。
「大丈夫か?」
「うん、平気。ちょっとびっくりしただけだから」
「早く戻ろう」
二人は急ぎ足で帰宅した。
『使者が来た』という話は、瞬く間に町中へ広がった。
傭兵が多く身を置く宿で、男は噂を耳にし眉を顰める。
例の子どもは無事だろうか。
だが、まだ自分は動く時ではない、と自身に言い聞かせる。
周囲の会話に耳をそばだてながら、静かに薄いビールを飲んだ。
体に感じる揺れは毎日あった。
これが、中央と地方の差なのか、と訝しく感じる。
ラトゥスは、検査室にある装置は試作品まで引っ張り出して、様々な検証を開始していた。
付き合わされるフィレクの疲労の色が濃い。
西の神殿の人間は、恐ろしいものを見たかのように近づこうとしなかった。
「コーエン、ここに来て正解だったか?」
コーエンはひとり、応接室でソートと対面していた。
「正直に申し上げれば、体は楽になりました。しかし、『知りたい』という欲求は満たされません。もっと打ち込みたい、と思っても、ここでは他の業務が優先されますから」
「そうか。研究者にはもっと自由にさせればよいと思うのだがな。些細なきっかけから誰も思いもつかない発想をする」
卓の上には二つに分けられた書類の山。
その一方を捲りながら、ソートが確認する。
「中央が北北東の歪を検知した日時に、コリトナー周辺でも歪を検知し、地震が起きているのだな?」
「昨日、ラトゥスと照合しました。いくらか時間に誤差はありましたが、一致します」
「中央では、大きな歪が消えたと報告があった。直後、柱の魔力が飽和したとも。それは何か手掛かりないか?」
「その日時でしたら、こちらでも歪が消えたとしか把握できておりません。柱への影響は、全く予測できず、関連性の調査はこれからになりますが」
二人は認識のすり合わせを行っていく。
「ふむ。中央は、一つの疑念を持っている。『コリトナーが柱と成り得人物を隠している』と。しかし、柱候補は無事だし、ここでは中央の柱の状況を知らない。何か、別の要因があると考えられないか?」
ソートは柱候補の子どもカイラを紹介された時の様子を思い出す。
その場で感応石を使って、魔力の強さを確認した。
アルスター王国にいる柱候補たちにも引けを取らない。寧ろ、期待以上だった。
神官の血筋以外で、これほどの魔力持ちが生まれるとは、また新しい研究が始まるかもしれない。
コーエンが質問に答えた。
「それは、仮説ですが考えております。しかし、大規模な地震を止められるほどの魔力となると、見当もつきません。…或いは、御使いが介入してきているのか」
口に出してみて、コーエンは「あり得る」と思った。
「御使いか…どこかにはいるのだろうが、もう百年、確認されていない」
「一目でわかるほどに真っ白い人の姿をしているのでしたか。コナフト王国の首都にも御使いが残っていたはずですが、噂も耳にしません」
「御使いが戻ってくれば、人の犠牲はもっと少なくて済むだろう。しかし、それでも犠牲は必要になる。もっと別の、根本から変えられる方法はないものか…」
初めて、ソートが疲れた顔を見せた。
コーエンは、リオンを思い出していた。
リオンはガレスと二人、町外れで鍛錬していた。
ここ数日、日課になっているが、筋肉痛が抜けない。
「大分、戻ってきたようだな」
「本当に?体中痛くてへとへとだよ」
今にも尻から地面に落ちそうなのを、膝に手を置いて耐える。
「それだけ鈍っていたという事だ」
神殿の書類運びでは、他の誰よりも疲れ知らずと言われていたのに、この様だ。
リオンは、自分が情けなくなる。
ちょっと魔術が使えるようになって、舞い上がっていたのだと厳しく現実を見つめる。
「うん、もっとちゃんと剣を身に付けたい。剣術として」
「厳しくなるぞ」
「はい!」
元気に返事をし、型の練習を続けた。
「ガレスが来ているって?」
「ラーソン村から出てくるなんて、珍しいな」
傭兵宿の一階にある食堂で、数人の男たちが会話している。
「珍しいついでに、弟子を連れてるらしいぞ」
「へー、そいつは珍しいな」
「弟子なら、肩慣らしに一緒に仕事してみるのもいいな」
昼からビールを煽り、盛り上がる。
周りの客も大声で会話しているので、自分たちの会話を盗み聞きしている人物がいるとは露ほども思わなかった。
(例の子どもか)
中央神殿には知られないように、だが、今後のためにも西の神殿に託すと知らせが来た。
女神官の子どもとしか聞かされていない。まさか剣を教えているとは思わなかった。
(会ってみるか)
滞在先は知っている。なんなら鍵も持っている。
男は席を立った。
その瞬間――。
ゴゴゴゴゴゴゴッゴ!
大きな横揺れが襲った。
わらう膝を叱咤しながら、剣を構える。
ガレスの視線を感じる。
火を切ったように、見えない剣を扱えるようになれば!
自分に可能性を見たい。
リオンは、剣先に意識を集中する。
刹那、視界の隅に真っ白い何かが見えた気がした。
注意が逸れる。
ゴゴゴゴゴゴゴッゴ!
大きな揺れで体が傾いだ。
慌てたガレスが、真剣を奪い取る。
リオンを脇に支えて、揺れが収まるのを待った。
「どうした?気が散っていたぞ」
「白い塊が見えて、そっちに気を取られてました」
リオンは見たままを告げた。
そんなものは見えていないガレスは、一瞬怪訝な顔をしたが、「真剣には気をつけろ」とだけ注意した。
「今日は終わりにしよう。屋台で夕食を買って帰るか」
「うん」
今日はここまでとばかり、片付けをしてふたりは街に戻った。
西の神殿のある岩山の上に、ひとり佇む影があった。
冷めた瞳で下界を見つめ、ぽつりと何事か呟く。
応じる声はない。
主も代理も沈黙している。
黄昏の空に、紺青の影が滲んで消えた。
第二部第八章を執筆中。




