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傾ぐ世界(均衡の彼方)  作者: 斎王暁圭
第一部 兆し

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第一部 第十章 通達

 

 リオンはコーエンと二人、検査室にいた。

 リオンの再測定を行うためだ。

「やることは前回の測定と同じだからね。緊張しないで、力を抜いて受けてほしい」

「はい」

 コーエンは、魔力測定と同時に、歪の計測も行う。

 リオンが感応石に手を置き、一拍。

 辺りに強い光が広がった。

 目を閉じていたリオンでも、瞼の裏が真っ白に光った。

「はい、いいですよ」

 コーエンの声で、手を離し目を開けようとしたが、目が慣れない。ぼやける視界で周囲を確認する。

 感応石は、前回よりも強く光っているように思えた。

 コーエンは、検査結果はこれから解析するから、とリオンを退室させる。

 各装置の示す値を書き写し、眉間を揉んだ。

 魔力の数値が跳ねあがっている。

 前回の数値でさえ、異常だったのだ。それを上回る結果が出るとは思わなかった。

「計測誤差にしては…酷いですね」

 発光している感応石を木箱に入れ、保管する。こちらは一定時間ごとに観察して記録をつける。

 最後に、大きく深呼吸して、歪の計測結果をじっくり確認した。

 明らかに数値に異常が顕れている。

 地震を引き起こす、魔力が希薄な状態とは逆――魔力濃度が高いのだ。

 一点を検査する魔力測定器とは異なり、歪は広範囲の空間の魔力濃度を測定している。

 この数値が示すものは、神殿周辺地域の魔力濃度が短期的に跳ね上がったという事。

「あり得ない。人ひとりの体に収まる量でない」

 親が神官だから、と説明できる範疇を超えている。

(神官長は?ガレスは知っているのでしょうか?)

 研究者など、所詮目に見えるものでしか判断できない。

 無力だな、と肩を落とした。


 午後の訓練の時間に、エリシアはリオンを連れて通路を歩いていた。

 昨日と同じ場所。

 リオンは嫌な汗が背中を伝うのを感じていた。

 扉を開け、外に出る。

 と、そこにはガレスが立っていた。

「え、ガレス?」

 驚くリオンをおいて、エリシアとガレスが挨拶する。

「昨日の今日だ。万一の事故が起きないように、咄嗟の判断ができる護衛として立ち会う。」

 ガレスが説明した。

「なるほど…」

 無意識に言葉が口から零れる。

 横でエリシアが「ふふ」と笑って補足する。

「今日はガレス殿がいるので、危なくなったら止めに入ってくれます。そういう時の反応は、私たち神官より護衛が適任ですからね」

「ありがとう!…実は、凄く不安だったんだ」

 こんなにも気を遣われていると気付かなかったので、リオンはお礼を述べる。

 けれど、同時に、己の未熟さを痛感させられることでもあった。

(まだまだ、おれ一人では何もできないんだな…)

 ふと、リオンは思い立って言った。

「ガレスがいるから、見てほしいことがあるんだ。上手くいくかわからないけど。後でね」

 エリシアが準備する。大きな石の上に蝋燭を立てた。

 リオンはその側にしゃがみ込んで、火の灯る蝋燭を想像する。

 小さな、小さな、蝋燭の火を、「点け」と念じた。

 事象はすぐに現れた。

 ジジジ…とロウが溶ける音がする。

 すぐそばに構えていたガレスが一歩近づき、無言でリオンの頭を撫でた。

 それだけで嬉しい。

 しかし、リオンは思い出す。

「ガレス、見ててほしいんだ。」

 ガレスに向かってきっぱりと言い切った。

 リオンは立ち上がると、蝋燭から三歩後退した。

 ガレスも少し離れる。

 リオンは剣の構えをする。

 無心で目を閉じ、呼吸を整える。

 次いで、見えない剣で火を切る様を想像しながら、切っ先を振り下ろした。

「お…」

「あら?」

 小さいが、二人から驚きの声が聞こえた。

「それを見せたかったのか。凄いな。考えられん」

「やっぱりリオンは想像力が豊かなのね」

 賞賛の言葉を掛けられた。

 リオンは、照れながらも笑った。

 とても気持ち良かった。


 夕刻、エリシアは神官長の執務室を訪れていた。

 今日のリオンの成果を報告する。

「ガレス殿がいると安心するのでしょう。最近、魔力が不安定でしたし、昨日のことがあったので心配でしたが、今日はとても安定していました。」

 コーエンが頷く。

「今日は異常値を観測していません。瞬間的にでも爆発するような魔力の発現はなかったと思われます。ただ、小さな揺れは観測できないので、エリシアが知覚した情報が全てになります」

「なるほどねぇ。『剣で火を切る』とは、子どもらしい、柔軟な発想だよ。見えない剣は、風なのかな?どんな力が働いたのか、気になるけれど、今はリオンの成長ぶりが目覚ましいね」

 そこまで話すと、マレクは机の引き出しから赤い封筒を取り出して、二人に見せた。

 場の空気が張り詰める。

「中央は、何と?」

 コーエンが沈黙を破った。

「要件は二つ。一つは、柱候補を迎えに行く。もう一つは、歪の調査だそうだ。」

「面倒なことになりそうですね」

 マレクとコーエンは、互いの顔を見合わせ、ため息を吐いた。

 二人の様子を見ていたエリシアが、恐る恐るといった体で質問した。

「『柱』が世界に魔力を供給するための生け贄というのは、伺いました。カイラは…どうなるのですか?」

 大きく息を吐くと、マレクが語りだした。

「恐らく、十年と生きられないだろうね。柱になれば、魔力を絞りつくされて、死んでいく。…大昔の柱は、『勤めを果たして解放された』という記述が残っているがね。それも生きてなのか死んでなのかは読み解けなかったよ。柱候補の催促は、十年前より増えている。柱になる子も増えているのに、だよ?柱候補の魔力が減っているのか、柱が減っているのか…ここでは把握できないことが多い。」

「私は、ここに来るまで何も知らずにいました。ただ『柱のお世話係』から外されたと悲観していたんです。柱に選ばれるのは立派な事と教えられてきましたし、お世話係から柱になったり司祭になったりするので。…カイラは、私だったかもしれません」

「この世界を維持するには、柱は必要なのでしょう。ずっと昔から存在しているのですから。但し、人間ではなく、御使いがその役割を担っていたわけですけど」

「御使いを見つけて、柱になってもらうことはできないのですか?…失言でした。神が御使いを解き放ったのでしたね」

 エリシアは、口を引き結んで俯いた。

 コーエンとエリシアのやり取りを見ていたマレクが口を開いた。

「神話には真実が隠されている。しかし、語られていない、隠された事実もある。リオンは――隠された存在なのかもしれないねぇ」

「リオン…リオンを隠すためなら、カイラは差し出す、という事でしょうか」

 眉間に手を当ててコーエンが発言した。

「あの子を、今までの柱のように利用させてはいけない。中央に渡せば、柱として使い潰されるのはわかり切っているからね」

 リオンの魔力を見れば、そんなことは容易に想像がつくというものだ。

 ならば、カイラは――?

 三人は、再び沈黙した。


 翌日、リオンは神官長の執務室にいた。

 神官長からは、いつもの好々爺然とした空気は薄れ、ぴりぴりしたものを感じる。

 知らず、リオンは『良くない話』と察した。

「リオン。君には話しておかなくてはならない」

 沈黙を破り、堅い口調で神官長マレクは話し始めた。

「中央神殿から、カイラの迎えが来る。それと、魔力測定器を作った人たちが同行する。まずは現段階での決定事項だ」

 リオンは、緊張しながらも無言で頷いた。

 マレクは、じっとリオンの様子を眺めていたが、椅子の背にもたれ掛かり、天を仰いだ。

 ひとつ深呼吸して、続ける。

「非常に、重い話になる。君には、神殿の真実を聞く覚悟はあるだろうか?」

 わからない。

 しかし、リオンは考えた。

 何故、今その話をするのか、その意味を。

 掌にべっとりと汗がにじんでくる。

「わかりません。でも、おれに関係ある話ですよね?」

 リオンは、神官長の目を見つめて、それだけ答えるのがやっとだ。

 マレクが長い息を吐きだした。

「君には、時間をかけてじっくり学んでほしかったんだよ。しかし、中央が動いている以上、悠長に構えている暇がない。これからの話は、リオン、君の成長を見ながら、追々教えるつもりだった。神殿は知っていて、隠していることだからね」

 リオンにも、マレクの葛藤が伝わってくる。

 悩んでいるのは、自分だけではない、と改めて知る。

 そして、その悩みが子どもの悩みとは比べようもなく難しいものだとも。

「昔、世界には二十の使徒がいました。しかし、使徒は時代の流れとともに数を減らし、八柱になったのです。」

「柱?」

「そう、『柱』だよ」

 リオンは、「どこかで聞いた言葉だな」と思うが、咄嗟に思い出せない。

 マレクに説明する気はないようだ。そのまま続ける。

「使徒が減少するにつれ、世界は安定を欠いていきました。そこで、神殿は使徒の代わりに人を柱にすることにしました」

「あ、『柱』って神話に出てくる!?――人って?」

 リオンは神話を思い出していた。

 神話の一節に、「『御使い』の代わりに『柱』を立てて、世界を支えた」という一文がある。

 子ども心に『石で作られた柱』を想像していた。それが人と聞かされて、混乱する。

 今度は『どこかに立って、両手で何かを支えている姿』を想像した。

 しかし、神話で支えているのは『世界』のはず――。

 マレクの表情は、リオンには読み解けない。

 なにか悲しそうな、困ったような、とても複雑な顔をしているから。

「リオン、世界は『人』という犠牲があって、支えられているんだ。――どうにか崩壊しない状態を維持している、と言うべきかな」

「犠牲?犠牲…って、無事でいられないって事?」

 無言。

 沈黙が答えに思えた。

「どう、なるの…?」

 リオンは恐る恐る質問した。

 これにマレクは答える。

「魔力を取られて消耗する。――そうして死んでしまうんだ」

 衝撃的だった。

 ただの神話と思っていたのに、まさか人の命を犠牲にしているなんて。

 リオンは考える。

 どうして犠牲が必要なのか?

 どうしてこんな話をするのか?

 指し示すものを見つけ、身震いする。

「――カイラ?」

 ひと言。絞り出すのがやっとだった。

 マレクは、ゆっくりと頷いた。

 そして、少し、吹っ切れた様子で続ける。

「中央は、カイラの魔力を利用したいんだ。でも、リオンの方が魔力が高い。中央は――他の神殿でも――君を欲しがるだろう」

「それなら――」

「君の力は…その、異常なんだよ。あり得ない。だから、柱になるのではなく、別の方法で世界を救えないか、と考えている」

 柱になれば死ぬ――その話を聞かされても、実感が湧かない。

 リオンはカイラの身代わりを申し出ようとした。

 しかし、マレクは止めた。発言も許さず。

 だが、他の方法があるのなら、まだカイラを救うことができるかもしれない。

「どんな方法があるんですか?」

 これには、マレクは静かに首を左右に振った。

「まだ、何も見つけてはいないんだ…」

 いきなり梯子を外されて、リオンは戸惑う。

「世界には、魔力が足りていないってことですか?」

「そうだね。柱は、世界に魔力を供給している。かつては御使いが魔力を供給していたけれど、今はただの人間だ。とてもではないが、足りないのだろうね」

「おれは…どうすればいいんでしょう?」

 マレクは、漸く笑顔を見せた。

「今は学びの時だ。ただ、中央神殿の人たちが来たら、暫く隠れてもらうことになるがね」

「はい」

 そうだ。

 ラーソン村にいた頃も、隠れていた。

「それなら大丈夫です」

 リオンは、しっかりした口調で答えた。

 しかし、答えのわからない難問にぶち当たった。

 リオンだけでなく、マレクも――もっと広範の――この神殿が直面している、世界の危機に関わるものだ。

 見当もつかない。途方もない規模だ。

 ちょっと前には「村の役に立ちたい」と平凡な望みを持っていただけの少年。

 決して「英雄になりたい」と望んだことはないのに、運命に翻弄されていく。

『村』が『世界』に変わる瞬間だった。

「リオン、焦ってもなにも生まれないよ。今は少しでも多くを学んで、身に着けなさい。私たちは、君の選択を信じるからね」

 とんでもなく大きな荷物を任されたように思う。

 だが、悩んでも答えはない。

 それなら――とリオンは決心した。

「今できる、精いっぱいを頑張ります。それ以上できないくらい、上を目指して。それなら、後悔はしないはずだから」

(おれは何を選ぶんだろう?正しい道?そんなのあるのかな…)

 とても曖昧で漠然とした未来を思い描く。

 犠牲のない、魔力が満ちた世界。

 実現可能なのかわからない。

 たくさん悩み、考える。

 みんなを救える道。

 犠牲を出さない方法。

 しかし、自分自身のこともわからないのに、世界のことなどわからない…

 マレクは静かにリオンの側まで来ると、そっと肩に手を置いた。

(ひとりじゃないんだ。支えてくれる人たちがいる)

 その手の温もりを感じ、心細さが和らいでいく。

 リオンは目を閉じて、魔力に満たされた真っ白い空間を想像した。


 中央神殿最奥。

「また、魔力が飽和しています。急にどうしたのでしょう?」

 ミリヤの眠る寝台の傍らで、三人の女神官は首を傾げる。

「ここ数日、魔力が貯まるまで徐々に時間がかかるようになっていたのに。こんなにも急に飽和するのは…先日と同じ現象でしょうか?」

 返事はない。

 つと、ひとりが数歩寝台から離れ、振り返った。

「替えの指輪を用意してきます。それと、研究員に声をかけておきますね」

「お願いします」

 残された二人は、手早くミリヤの確認をする。

「良い兆候であってほしいものです」

 もう一人が無言で頷く。

 そんな楽観視できる状況でないのは、肌で感じている。

 それでも、誰も口にしなかった。


 リオンはひとり自室にいた。

 先程のマレクとの面談中に、急に全身から脱力する感覚があった。

 それは、真っ白い空間で、純白の闇に触れた時に似ていた。

 リオンはただ、魔力に満ちた、真っ白い空間を想像しただけなのに。

 マレクには「魔力が不安定になっているから、休みなさい」と言われた。午後の研修も欠席だ。

 西の神殿に着いてから、いろんな事があり過ぎて、疲れているのは自覚している。

 漠然とした悩みに、悶々として眠れない。

 寝台に横になったまま、胸元から指輪を取り出し、握りしめる。

 少し、落ち着いた。

 指輪を顔の上に翳して、眺める。

 リオンにとっては見慣れた、とても大切な指輪だ。

 ラーソン村では、指輪は祭りの時くらいしか着けているのを見たことがない。人様の物をじっくり観察したことはないが、こんなに太い指輪を着けている人はいたろうか、と思う。それに、装身具には様々な『色』のある物を使う。銀一色の重厚感ある見た目は、ただの『お洒落』とは程遠い。

「おれ、小さかったから、首に掛けてたんだっけ?父さんの形見って見られてもいいのかな?」

 物心つく頃には、肌身離さず首に掛けていた。それ自体を不思議に思ったことはなかった。だって、『形見』だから。

 素人目でも銀製とわかるそれは、盗難防止に隠していたのだろう、と思う。

「成長したんだし、指に嵌めてもいいかな?」

 ちょっと、試してみようと――指にはめようとして――できなかった。

 全身から嫌な汗が噴き出してくる。呼吸が荒くなる。

 訳がわからず、咄嗟に指輪を握りしめ、強く念じる。

 助けて――と。

 するとすぐに、全身楽になった。

 不思議な気持ちで指輪を眺める。

 何も変化はない。ただの銀の指輪だ。

 ただ一つ、気づいたことがある。

 人差し指に嵌めようとしたそれは、とても細かった。

 リオンはまだ成長中だ。当然、大人の男性より細い指をしているはず。

「えっと…どの指に嵌めるんだろう?父さんが細かったのかな?だって、ラーソン村が変なんだもん…」

 指輪のことも、父さんのことも、「母さんが話したがらないから」とちゃんと尋ねなかったことを後悔する。

「人の過去は詮索しない」とは母さんに口酸っぱく言われてきた言葉だ。母さんが話したがらないことは、聞かないようにしてきた。

「親子なのに」「親子だから」言えない秘密があるのだろうか?

「おれ、十五年も生きてて、自分のことちゃんとわかってなかったんだな…」

 答えてくれる人はいない。

 出口のない迷路。

 リオンは、ひとり悩んだ。

「――カイラは、知ってるのかな?」

 唐突に、今日聞かされた話を思い出す。

 きっと悩んでいる、と思う。

 でも、カイラは本当のことを知っているのか。知らないのなら、リオンから余計なことは伝えない方がいいだろう。

 しかし、もし、知っているのだとしたら。どう接していいのかわからない。

 リオンは、「悩みを誰かと共有したい」のだと気付いた。

 相談できる相手は、ガレスしかいない。



「単刀直入に言おう。我々西の神殿は、中央とは別の道を模索している。『柱』が世界を支えるのではない、犠牲なく存続できる世界の実現を目指している」

 神官長マレクの告白を、顔色一つ変えずにガレスは聞いていた。

「実現する目途は?中央神殿から離反するということでしょうか」

 静かな言葉。

 質問のようでいて、確認だった。

 マレクは、ゆっくりと首を左右に振る。

「残念ながら、まったく。目途も取っ掛かりも掴めていないのが現状。しかし、『柱』は消費し続けるだけで、何も変わらない。その場凌ぎの犠牲だ。このままでいいはずがない」

 じっとマレクを窺っていたガレスが、ゆっくり頷く。

「私としても、柱候補を移送するのも、絶えた柱を埋葬するのも、やりたくありません」

 ガレスが本心の一端を零した。

 マレクは目を瞑り、静かに、何度も頷く。

「世界は、犠牲を求め過ぎた。――同時に、神殿は腐敗し、百年前の世界崩壊を機に、瓦解した。今はただ、世界に魔力を循環させる機関でしかない。犠牲を生み続ける神殿も、変革が必要だ」

「世界を変えるのですか?神殿を変えるのですか?」

 ガレスが問う。

「世界を変えるなど、烏滸がましい。しかし、世界の仕組みに干渉することはできると信じている。それが『柱』だ」

 マレクが自身の考えの一端を話した。

 ガレスも迂遠な言い方をせずに応じる。

「なるほど。中央神殿はじめ、各地の神殿と対立するのも厭わないと。それで、一介の傭兵に何を求めているのです?」

「そう。リオンだよ。――ガレス殿は、あの時、リオン達と逃亡していた。あの子の秘密が、鍵になると思わないかな?」

 一瞬、ほんの刹那。

 ガレスの視線が泳いだ。

「リオンは、逃亡中の女神官が産み落とした子です。神官長もご覧になられたはず。真っ白い生母の姿を。それが全て。私は父親については存じません」

 ガレスの様子を具に観察していたマレクは、一つ息を吐いた。

「そうか…例え知っていても、答える意思はないという事か」

「はい。そう取られても致し方ないかと」

 暫しの沈黙。

「私は、リオンに何かを強要するつもりはない。ただ、真実を知った上で、選んでほしいと思っている」

 やがて、マレクはゆっくりと話しだした。

「百年前、世界に…中央神殿に何が起きたのかは、詳細が伝わっていない。しかし、世界に残されていた八柱の御使いたちが消えた。御使いはどうなったのか、何故消えたのかはわからない。しかし、ここではわからずとも、中央になら何か残っているかもしれない」

 ガレスは静かに聞いている。

「元々は二十いた御使いが八まで減少したのは、人の罪だ。恐らく、御使いの代わりに人を『柱』にするのは、その罰なのだろう」

「神話が事実ならば、誰が『罰』を下したのでしょうか。それは『神』だと?」

 ここでガレスが口を開いた。

「『神』なる存在があり、『御使い』がいる。私はそう考えるのが自然だと思うがね。或いは、『御使い』を動かせる『何か』が存在する。『神』とは漠然としていて、非常に抽象的な存在だ。神話の中に、明確な定義はないからね」

「確かに。であれば、御使いが戻ってくれば、世界は救われるとお考えでしょうか?」

「不十分だ。しかし、それで犠牲は減るだろう。何故なら、御使いが八柱に減ってしまっているから」

 ガレスは、気を抜かぬよう細心の注意を払いながらも、一方でリオンの生母を思い出していた。

 高い魔力を持った、真っ白い女性。

 神殿によって作り出された、特別な血脈。

 それでも、人間だ。御使いではない。

「可能性としては、『御使いを探し出す』のも有効かもしれないということで、よろしいでしょうか。これだけははっきり申し上げる。リオンを柱にさせるつもりはありません。」

 マレクが何度も頷く。

「勿論だとも。私も柱の犠牲は出したくない。リオンに限らず、だ」

 ガレスも頷いた。

 二人の対話は、夜半まで続いた。


 リオンは空腹で目覚めた。

 外を見ると、朝日が差し始めている。

 昨日はぐったりと疲れていたので、夕食を取らずにそのまま眠ってしまったようだ。寝巻にも着替えていなかった。

 少し、恥ずかしい。

 とりあえず着替えをすます。

 首に掛けた指輪が、少し気になった。

 コン、コン…

 遠慮がちに小さく扉を叩く音がした。

「リオン、起きてるかー?」

 続けて小さく声をかけてきたのは、ケレスの兄のトリスだ。

 リオンは慌てて指輪を服の中に仕舞うと、「うん」と返事した。

「良かったー。夕べは声かけたけど、返事なくってさ。心配してたんだよ」

 今度は普通の声の大きさで、ケレスが話しかけてきた。

「そうなの?全然気づかなかったよ。ちょっと疲れちゃってただけだから」

 身なりを確認して、リオンは鍵を開けた。

 こういう時、鍵をかけているとちょっと不便だな、と思いながら扉を開ける。

「もう大丈夫だよ。心配かけたね」

 いつも通りのリオンの表情を見て、トリスは安心したように笑った。

 三人で食堂に入る。

 子どもたちの席に着くと、各々リオンの心配を口にしてきた。

「心配かけたね。疲れてただけだよ。もう何ともないから」

「魔術の訓練、あれ、たま~に物凄く疲れるもんね」

 トリスと同い年というクルムが言った。

「そうなんだ?でも、それっておれだけじゃないんだね。安心した」

 リオンは、隣で俯いているカイラに気づいた。

 カイラは、魔術を使えないので、話題についていけないのだ。

「カイラ、具合悪い?」

 珍しくカイラがちょっと乱暴に言い返してきた。

「違うわよ。いろいろと悩むことが多いの!…少しは察しなさいよ」

 最後の、消え入りそうな言葉が聞き取れなかったリオンは、「え?」と聞き返した。

 しかし、トリスに腕を引かれて止められる。

 子どもたちを見回すと、目が合ったケレスが大げさに指を立てて口に当てた。

「あ…」

 リオンは漸く、触れてはいけない話題だったと気付いた。

「カイラ、ごめん…」

「いいのよ。だって、リオンは知らないんだもの。わたしが気にしすぎってだけだから」

 無事仲直りした子どもたちの様子を、周囲の大人たちは微笑ましそうに眺めていた。



 地震は続いていた。

 幸い建物が崩壊するような規模のものはない。

 しかし、古い町だ。神殿も古い石造りの建物を使っている。積み上げられた石がずれたり欠けたりといった問題は起きている。修繕したくても、人もお金も足りない。直したところできりがないのだ。

「中央から知らせはないのでしょうか?」

 神官長の執務室。

 コーエンは、今日も同じ問いを繰り返していた。

 マレクは静かに首を振る。

 いつものように。

 が――。

 計ったように乱暴に扉を叩く音がした。

「神官長!」

 返事も待たず入室してきた神官の手には、赤い封筒。

 マレクとコーエンは、互いの顔を見合わせる。

 どちらも同じ表情をしていた。

 マレクはすっと席を立ち、神官に向かって手を伸ばす。

 慌てて駆け寄って、封筒を手渡す神官。

 マレクがペーパーナイフで封筒を開ける音が耳に痛い。

「なんと…!」

 書簡を見て、マレクが絶句した。

 コーエンは一拍待つも、もどかしくなってマレクの手から書簡をもぎ取る。文面に目を通し、知らず手が震える。

 二人の様子を目の当たりにした神官は、「失礼します!」と一礼して、そそくさと退室してしまった。

「既に中央を発っているとは…!」

 それ程に状況は差し迫っているのか。

 将又、中央からの嫌がらせなのか。

 途方に暮れる二人の視線は、交わらなかった。


「ねえ、なんか、騒がしくない?」

 昼食に食堂で顔を合わせた子どもたち五人が、確認する。

「役所の方も、人が少なくて業務が詰まってたよ」

「リオンが来る時ってさ、夕食の時に『新しい子が来ます』で終わったよな?」

 男子四人の視線が、自然とカイラに集まる。

 視線に気づき、カイラは狼狽えるも、作り笑いを浮かべて言った。

「わたし…かなぁ。お迎えなら、大丈夫。早すぎる気はするけど、あんたたちの誰より、神官に向いてるでしょ?」

 リオンを除いた三人は、一拍おいて吹きだした。

 カイラは「失礼でしょ!」と隣にいたトリスの腕を叩いたが、強がっているだけに見える。

「カイラはすぐ神官になるの?見習い続けるだけじゃねー?勉強がもっと難しくなってたりして」

 ケレスが思ったことを口にする。

「うわー、お作法とか煩そう」

 トリスは心底嫌そうな顔をした。

「何かあるなら、また夕食の時に話があるかもよ?」

 クムルが会話を締めくくった。

 神殿に来て日の浅いリオンは、ずっと話を聞いていた。


 午後の訓練の前に、五人は再び一部屋に集められた。

 前回と違うのは、コーエンの姿がない。

 マレクが教壇に立ち、説明する。

「今日、中央神殿から書簡が届きました。使者は既に隣国キルドス王国に着いています。あと十日もしないでここに到着するでしょう」

 マレクは、子どもたち一人一人の顔を見回す。最後に、カイラで視線を止めた。

「カイラ。正直なところ、まだいつ向こうに発つかは聞かされていません。大人の話し合いになるけれど、ここを発つ準備はしておきなさいね」

「はい」

 カイラは緊張で固くなりながらも返事する。

 マレクは、次にリオンに視線を向ける。

 一度下を向き、視線を戻して続ける。

 まずはリオンに。そして他の子どもたちに。

「リオンは、使者が神殿に滞在している間、ガレスと町に降りてもらいます。…前にも話した通り、リオンは『ここにはいない』と思ってください。なーに、リオンが来る前に戻るだけと思っていれば、大丈夫だよ」

 場を重い空気が支配していた。

 ケレスが体を捻ってあちこち様子を窺っている。トリスが服を引っ張ってやめさせた。

「ケレス、リオンって子は、神殿にはいないんだって!わかったな?」

 小声で弟に言い聞かせているのを、皆は黙って見守っていた。

 暫くして、沈黙に耐えかねたリオンがおずおずと挙手した。

「あの、どうしてガレスとなんですか?」

 リオンの問いに、マレクは穏やかな笑顔を見せて答えた。

「リオンと一緒に来ただろう?他の人は神殿で働いていて、登録されているからね。ガレスが適任なんだ。リオン一人ではこの町はわからないだろうしね」

 図星である。

 リオンには、ラーソン村の暮らししかわからない。神殿の生活には、やっと慣れてきたところだ。『町で暮らす』というのがどういうことか、まったく見当つかなかった。

「はい。ありがとうございます」

 どう返答すればいいかわからず、お礼を言う。

「今後、纏まった時間は取れないかもしれません。質問あればここで聞いてほしい」

「聞いたって、細かいことは神官長も知らないんでしょ?これから話し合って決めるってだけで」

 クルムが呟いた。

 その声は大きくなかったが、部屋の皆に聞こえた。

「そうだねえ。中央神殿は遠いから、書簡のやり取りに時間がかかってしまう。だから、直接来るんだろうね」

 困り顔でマレクが答えた。

 誰かの溜息が聞こえた。もしかしたら、一人ではなかったかもしれない。この場にいる他の神官たちも、困っているのだろう。

 子どもたちには難しいことは伏せられているが、問題があるだろうことは理解できた。

 沈黙が続く。

 不意に、ぱん、と手を叩く音がした。

「不安になったら、神官に聞きなさい。こちらからの指示は、朝食・夕食の時か、神官の誰かから伝えてもらうようにします。では、解散で」

 マレクが退室する。

 次いで、エリシアとリオンも退室した。


 いつもの部屋に着いて、リオンはエリシアに話しかけた。

「おれ、ここにいて平気なのかな?みんなの迷惑になってない?」

「迷惑なんてことないの。神殿にも、いろいろと問題があって、だからリオンを隠しておきたいのよ」

「そうやって、みんな隠し事してるから、わかんないや」

 リオンがちょっと拗ねる。

「ごめんなさい。私が知っているのも、多分ほんの一部だけなのよね」

 エリシアは、この神殿に来て初めて『世界が犠牲を求めている』事実を知った。

 神官長がエリシアにすべてを話さないのは、配慮なのだと理解している。

 それでも、神殿の話を鵜吞みにして、ただ安穏と暮らしていた頃には戻れないと感じていた。

 リオンは、神殿で生まれ育ったエリシアとは、土台が違う。

 僅かであれ、認識のずれが大きな食い違いを起こす原因になり得るのなら、エリシアは自分からは余計なことは言わないでおこう、と心に決めた。

 それは、エリシア自身も靄がかかったように曖昧にしか理解できていないからでもある。

 黙り込んでしまったエリシアを見て、リオンは「エリシアも悩んでる」と思っていた。

「ねえ、エリシアは中央神殿に行きたいと思う?前に話してた、司祭になったらって話」

「昔は、中央神殿に憧れてたけど、今はわからないの。中央って優秀な人が集められてるから。私では埋もれてしまうんじゃないかってね。でも、憧れはあるのよね」

『憧れ』と聞いて、リオンはガレスを想像した。

 リオンにとってはガレスが憧れだった。

 しかし、今は、神官になることに一生懸命になっている。

「『憧れ』ってさ、環境が変わると変わってくるよね…」

「そうよね…私よりリオンの方がわかってるのかも」

 エリシアは「ふふふ」と笑った。

 リオンは少し、肩が軽くなった気がした。

「今日は訓練に集中できるかしら?無理そうなら、街での暮らしに必要なものを考えてみるのはどう?」

「うーん、街って魔術の訓練はできないよね?ここでやっておきたいな。それと、暫くどう訓練したらいいか教えてほしい」

 エリシアはリオンの頭を撫でた。

「いつも私より先を見ているわね。リオンなら、環境が変わっても、すぐに馴染んでしまえるかもね」

 エリシアが笑顔を見せた。

 褒められたリオンは、俯いて頭を掻いた。なんだか照れくさい。

「まず――人前で魔術は使わない。使おうとしては駄目よ。それから、家の中とか、人目に付かない場所で、水を出す訓練は続けても大丈夫かしらね」

 リオンはひとつ頷いた。

「わかった。水なら、怖いと思わないで出せるから、大丈夫だと思うよ。ガレスの前でならいいかな?」

「ええ、ガレス殿ならいいわ。他の人には内緒よ?」

 リオンは大きく伸びをした。

「街かー。ラーソン村とも神殿とも違うんだろうな。どんなんだろう」

「不安?楽しみ?」

 エリシアが聞いてくる。

「両方」

 リオンは即答した。

「でも、中央神殿の使者がいなくなったら、戻ってくるからさ。そしたらまた訓練して」

 結局、訓練に集中できないまま、雑談だけで終わってしまった。



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