第61話 ヒュプノスウイルス
俺は煙草に火をつける浜野に目を向ける。
つまり、今回の昏睡事件にはインターネットを利用する化け物のようなものが関わっているという事か。
「それで、その化け物の目的はなんなんだ?」
これは純粋な俺の疑問だった。人を昏睡させて殺すだけならなんとなくわかる。だが、インターネットを利用するのはなぜだろう?
「残念ながら、この魔性の目的は不明です。まあ、往々にして魔性の目的などは人間の尺度で測れるものではない。僕はそう思いますね。この場合大事なのがこいつらは何者で何をしているのかです」
「正体か、何か尻尾は掴めているのか」
「まあね、私たちだって何もしてないわけじゃないからね。なんと、私たちは魔性の正体にたどり着いたのです!」
真夜がそう言った。
正体にたどり着いた?何と言う事だ。では、今回の事件は解決したようなものではないか。
「正体?そいつは一体なんなんだ?」
「ええ、我々が直面しているこの昏睡事件を起こしているのはヒュプノスです」
「ヒュプノス?」
なんだったろうか。ヨーロッパの神話に出てくる怪物か妖怪か何かだったか?
「ヒュプノスというのはギリシャ神話に出てくる神です。眠りの神として伝えられる存在です。逸話の中には眠りについたものを兄のタナトスの力を借り死をもたらすとも言うものがあります」
「つまり、ギリシャの神がこれを引き起こしていると?」
「正確には違うと思われます。ギリシャ神話におけるヒュプノスという空想を作り出し存在が原因だと言う事です」
「それの何が違うんだ」
「神話では様々な物語が紡がれますがその由来も多彩にわたります。自然現象を物語として語ったもの、何かの現象を物語として語り残したもの、そして実際に起こったこと。今回に関してはヒュプノスという神のインスピレーションにつながった魔性が存在していた。それが僕の結論です」
神話の話など現実には起きていないことだと俺の感覚では思うのだが、話しているのが浜野貫之であることが重要だった。この男はあの恐ろしい事件を解決した男なのだ。あの事件で俺は確かにこの世のものとは思えない化け物を見た。確かに神話の存在だっているのかもしれない。そう思った。
「それで?どうしてそういう推測になったんだ?それを教えてくれ」
「まず、僕たちは今回の事件に似た事例がこれまでに起きていないか、それを調べました。類似する事例は1つだけ見つかったんです。1933年、シアトル横浜間を結ぶクルーズ船リーク号の医務室の記録です。太平洋を渡る航海の途中意識不明の状態になる旅客が何人か出たという記録があります。その者たちは、発作や発熱も無く、原因不明のまま亡くなってしまったと。」
「なるほど、確かにそれだけ聞くと似ているな」
「それで、横浜に寄港した際に当時の最先端の医療のもとで検査が行われたそうです。まあこれはそこまで不思議な話ではありません。当時クルーズ船に乗る人は富裕層ですから。ただ結局医学では解明できなかった。
だが、たまたまヴァチカンの退魔師がその話を聞きつけて調査に乗り出したと記録にあります。エクソシストと言えば伝わるでしょうか。ええ、映画にもなっていた。事実いるのですよ。悪魔祓いを行っているような人は。話がずれましたね。そのエクソシストは船内で展覧されていたある絵が原因だとして大先教会で焼き封印したと記録には残っています」
大先教会?大先には仕事で何度か行くことがあるが教会なんてあっただろうか?
「大先教会は、第二次世界大戦の際に解体され病院の倉庫として使われるようになってます。そして、今は大先総合病院の感染症専門病棟が建っている場所です。ここで僕は1つ仮説を立てます。1933年からこれまでになぜこの症状は出なかったのか?それは病棟建設時に封印が解かれたからではないかと」
「なるほど?それで本当はその絵が原因なのか?」
「可能性は高いかと。その絵についても僕たちはすでに調べています」
さすがだなと思った。次から次へと話が出てくる。まるで推理小説に出てくる探偵のようだ。
「絵は、1862年にサン・デューベルという女性画家が描いた日本語で言うと『夢の端』という作品であったとされています。これはギリシャの崩れた洞窟の中で見つけた壁画からインスピレーションを得たとインタビューで答えています。人間の夢を実現することができるような色彩が自然に頭に浮かんできたとそう答えたようです。
そして、その後考古学者による調査によりその壁画は古代ギリシャの都市国家が栄えていたころに何者かの手で封じられた痕跡があると結論づけました。
また面白いことにサン・デューベルはこのインタビューの後、原因不明の昏睡状態になり亡くなったとされています」
「偶然とは言いたくないな」
「ええ、僕もそう思いますヒュプノスが登場した『神統記』が書かれた紀元前700年ごろと、この壁画の描かれたれた年代はほぼ一致するとの事です。ここからは推測なのですが、この人を昏睡させる絵こそがギリシャ神話のヒュプノスを生み出したのではないでしょうか?人の脳内の電気信号に寄生して死をもたらす魔性、そうですね僕は『ヒュプノスウイルス』と呼んでいます」
「それで、ここまで分かっているなら解決法はないのか?」
そう結局はそこなのだ、大番を目覚めさせて事件の真相を語らせる。そこが俺の目的なのだ。オカルトな化け物をどうこうするのは本題ではない。
「無いんです」
「何が?」
「対策が、です。絵はインターネットで拡散されて止める術はありません。そもそも昏睡状態になった人を目覚めさせる方法はまだ見つかっていません。脳の活動そのものに浸食されている以上宿主の死以外で活動を止める方法はない。魔術、呪術的にも色々と試しましたでも、無駄だったんです」
「じゃあなんだ!警察は大番がその夢を見ながら死ぬのを待つしかないと!そう言いたいのか?」
「”俺”だって!明日香を見殺しになんかしたくない!」
浜野は珍しく声を荒げてそう言った。
「すみません。熱くなりすぎました。でも、馬橋警部。僕らの結論は変わりません、つまり、『ヒュプノスウイルス』に対する有効な対処は存在しないんです」
「ほら刑事さん、映画ターミネーター3は見たことある?スカイネットの正体は?そう、あれと同じなんだよね。広がるの止めるってのはインターネットそのものをこの世界から無くすほかない。そしてそれは現実的とは言えない。それに今昏睡状態になっている人はどうにもできないんだよ」
2人の話を俺は受け入れられなかった。




