第52話 And then
「もっと、積極的に動きませんか?」
私の口から出た言葉だった。
「私たちは共に何かに追われている身です。それらを何か知らないまま逃げるのはあまりにリスクがあると思います」
それに対して恵麻さんが反論をする。
「いい、明日香ちゃん?妖っていうのはとても危険なものなの。関わるだけで命に関わる存在なの。あなたたちは信じられない存在かもしれないけど、私は良く知っている。気軽に調べるなんて言わないでほしいわ。相手を認識することすら、命取りになりかねないの」
「でも、逃げるって言ったって、相手のことを知らないと出方が変わると思います。恵麻さんの話だって推測や考察の域を出ないものじゃないですか」
「それが大切なことなの。限られた情報から推理して対応をする。それが祓い師よ」
私たちは、半分口論のようになっていた。
「2人とも、その辺で落ち着いて。いったんは距離を取る。そして何か情報が出たら逐次共有する。それでどう?」
大番さんが私たちの言い合いを抑えるようにそう言った。
ドリンクバーで汲んできた紅茶を口にして少し気持ちを抑える。
「すみません、恵麻さん。私が焦りすぎていました」
そう、私は焦っていた。何かしないといけないという気持ちが先走っていた。
「いいのよ、明日香ちゃん。気持ちはわかるわ」
「でも冷静にならないと」
そう言って恵麻さんはキッチンから料理を運んできた。
みんなが集まっているリビングではテレビからバラエティー番組が流れている。
2階から階段を降りる足音がする。ゆっくりと歩く足音と走るような2人の足音だ。
リビングに小さな男の子と落ち着いた風貌のメガネをかけた男性が入ってきた。
「なんだ恵麻、誰か呼ぶなら早く言ってくれよ。何か僕も用意したのに」
「いいのよ、武さん、私が何とかするから。歩も皆さんに迷惑をかけないの」
恵麻さんがそういう。
「え?」
私の口から出たのはそれだけだった。
「明日香さんどうしたんですか?」
小林君がそう聞いてくる。
「だって私たち、さっきまで池袋に───」
「何を言って──」
恵麻さんは話の途中でみるみる顔色が悪くなっていった。
「ママ、どうしたの?」
歩君が言う。
「そうだよ、恵麻どうしたんだ?」
武さんも不安そうに聞く。
「あなた、どうして?」
「どうしてって、僕はキみのダいじナぱ-トなァじャなイか」
ばきばきという音を立てて男の姿が変化する。
あの怪物だ!!!
あの日渋谷のスクランブル交差点に現れたやつだ!!!!
恵麻さんは慌てて手で印のようなものを結び、呪文のようなものを唱え始めた。
黒い化け物がその鋭い爪を振る。恵麻さんは呪文を唱えながら咄嗟に防御するが右腕はずたずたに引き裂かれ、体から引き離された左腕が宙に舞う。
一瞬で家族団らんの風景が鮮血と生臭い匂いにあふれた空間に変わる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
痛みのあまり恵麻さんが叫ぶ。
怪物が追撃をする。身をひるがえして何とか恵麻さんは攻撃を躱す。
私たちも蜘蛛の子を散らすように距離を取る。
轟音とともにダイニングテーブルがバラバラに砕かれる。
大番さんと小林君は何も言わず距離を取るので精いっぱいだったようだ。
怪物は恵麻さんだけを狙う。あいつは自分のターゲットだけを狙う習性があると考えてよさそうだ。凄惨な状況を前に私はどこか冷静に分析していた。多分、正常性バイアスが働いていたのだと思う。
私の目に床に落ちた恵麻さんの左手が映る。切り落とされた左手。鼻を衝くほどの血の匂い。頬を掠めるような死の気配。
私はこれを知っている。
でも、何かが足りない。そう、心まで焼けるような炎と煤の匂いが足りない。
私は思い出していた。3年前に故郷大橋村で起きたことを。探偵浜野と出会ったあの事件を。
私の故郷には化け物がいた。その化け物から私を守るために誰かが私をかばって命を落とした。
そう、坂上祭だ。
彼女は死んでいないといけないのだ!!!
私は見つけた。私を狙う化け物が誰に化けているのか。昨日会ったあの子は本物じゃないのだ。どこか寂しさを思い出した。
それとともに何かが頭に引っかかっていた。目の前の光景から目が逸れるほどに。
怪物は今まさに、恵麻さんを食い殺そうとするところだった。
私はとっさにテレビを持ち上げ怪物に叩きつける!
私はかなり力持ちなのでテレビは粉砕され怪物も吹き飛ばされる。
「明日香ちゃん......。」
恵麻さんが弱々しく声を出す。
「大丈夫です。私が守ります」
そう宣言した。
「ママ?」
後ろで声がする。
「歩?」
恵麻さんが息子に声をかける。
恵麻さんに息子?
その疑問を持つ頃には手遅れだった。
「ママはドうシてにゲるの?」
歩君の体が裂け巨大な咢に変わる。
「ここは現実世界じゃな──」
恵麻さんは諦めたような表情で最期の言葉を託そうとする。しかし、言い切る前にその体はかみ砕かれた。破砕機がオークの木をウッドチップに変えるような音が響き渡る。
私たち3人はレストランの席で唖然としながら座っていた。
そこに恵麻さんは居なかった。
「えっ。あ、あれって何なんですか」
「あ、え、う?」
大番さんと、小林君が困惑と恐怖で顔を歪ませている。
ここが現実世界ではない?
”知っている”。
多分、私はここに自分の足で踏み入れた。
だから、何かが引っかかっていた。
「お、俺たちもああなるってことですか?あんなの逃げようがないじゃないですか」
大番さんがそう言うのを聞き小林君が泣きそうになりながらうつむいていた。
席に沈黙が流れる。
レストランの雑音と流れる音楽だけが私たちの間を通り過ぎた。
音楽?
そうだ。
私は、なんでメジャーデビューしているんだ?
最後に注文していたデザートと共に利用客が3人と記載された席の伝票がテーブルに届けられた。




