第42話 刑事 馬橋文夫①
俺は大先総合病院の入院病棟受付前を通った。カレンダーは2021年4月26日を指していた。
入院病棟内部を歩くと医師も看護師も入院患者も見舞い人も皆マスクをつけているのが見える。2019年末から始まったコロナ禍以降はもう日常になりつつあった。そういう俺もマスク姿だった。いつか外せる日が来るのだろうか。来るだろうと考える。中世のころ人類の人口を多く減らしたペストが今や珍しくなっているように、いつか人類は克服する。あらゆる障害は乗り越えるためにあるのだ。
そして、高橋光太郎と名前が書かれた病室につく。中に入ると女性の医師が10歳くらいの子供の様子を見ていた。俺の姿を見て医師が口を開く。
「馬橋警部補、お見舞いですか?」
「先月、警部になりました。ああ、それで様子はどうです?」
「光太郎君の傷はふさがりました。でも意識はまだ戻っていません。それに目を覚ましたところで口を開いてくれるかは」
「わかってるさ。俺は参考人としてではなくただの少年としての彼に起きてほしいですよ」
俺はそう答える。医師とは顔見知りの仲であった。警視庁で刑事をしているといやでも医者とは仲良くなる。この女性は1年前に医者になった花田唯だった。
そして、ベッドで眠る高橋光太郎は一昨日起きた西巣鴨で起きた連続猟奇殺人の唯一の生存者であり、証人だった。
事件は4月24日正午過ぎ、西巣鴨の住宅地で起きた。覆面をつけた男が子供も多い町の一区画すべての家に押し掛け、鍵の開いていた家に片っ端から侵入した。そして、住民をすべて手に持っている牛刀で殺害したという凄惨な事件だった。
土曜であったこととコロナ禍により在宅者が増えたことがこの事件の被害者を増やすことになった。人は夜寝る時と家を出る時は鍵を締めるが家にいる時に鍵をしっかりと締めないという人は少なくない。しかも現場になったのは閑静で防犯意識など必要なさそうな住宅地であった。犯人の姿は鍵をかけていた家のインターホンに映っていたため判明した。この事件で13人が死亡して、当時家にいて唯一生き残ったのが光太郎君だった。ベッドの下に隠れたところをベッド越しに刺されそれにより傷が浅くなったのが幸いした。
俺の所属する警視庁捜査一課はこの犯人の追跡に血眼になっていた。それとともに俺を含めて何人もが光太郎君の容態を心配したため代表として自分が見舞いに来ることになり今に至る。
「ねえ、馬橋警部。今言う事じゃないことはわかってるんですけど例の件どうなんですか?」
花田医師が聞いてくる。
例の件とは、都内を中心に日本中で見られる集団昏睡事件である。事件といっていいのかもわからない。共通点もなく、ただ今月初めごろからぽつりぽつりと昏睡者が現れるようになった。日に日に症状が出る人が増えるが原因が一切不明。そういう事が起きていた。これは医療従事者と一部の警察にしか知られていない実に奇妙な現象である。これに事件性がないのか先週俺は花田医師に聞かれたのであった。
「事件性も何も原因不明だとねぇ。コロナウイルスの知られていない重度症状ってことはないんですか?」
「100%ないと断言します。私の知る限りPCR検査にも引っかかっていません。共通するウイルス感染は見られません。日本一、いや世界トップクラスであるうちの感染症専門家が言ってるんです。ただ奇妙な共通点が見られて」
「ほう?」
「脳波の観測をしてみたんです。すると、みんなまるで起きているかのような脳の反応をしているんです」
感染症ではない?昏睡状態でありながら起きているかのように脳が働いている?そんなもの、どう考えても刑事の扱う案件じゃないだろと俺は思う。なんせ俺たちは法律と犯人をどう捕まえるのかそれだけを磨いてきたのだから。
「それに最近ついに昏睡者から死者が出たんです。今までは健康体そのものだったんですけど急に亡くなったそうです」
「その話は守秘義務違反でしょう。花田医師、俺たちは市民のプライバシーは守らないと」
「あ、はい。すみません変なことを言って。私もたまに感染症病棟のお手伝いに行くんですけどその疲れが出ちゃったのかもしれません」
「俺たちみたいなのはほどほどに休まないとつぶれちまうよ。自分を大事にしな。じゃあ、光太郎君が起きたら連絡くださいね」
これ以上長くいても仕事の邪魔をしてしまう。そう思ったので病室を後にした。コロナウイルスによる業務量の増加に、謎の昏睡患者の対応をすることで彼女は疲れを溜めているのだろう。
当たり前だ。まだ勤続一年目なんだから。やる気があるのは知っている。何とか辞めずに続くといいなと思い、駐車場に行き車に乗る。
電話が鳴る。かけてきたのは警部補の矢沢だった。
「どうした?」
「馬橋警部、犯人と思われる防犯カメラ映像が見つかりました。それから証言が取れました。近くに住む大番忠則という46歳の男が似た格好で現場方向に向かってく姿と、服装を変えて家に戻る姿が見られてます」
「令状は?」
「すぐに出してもらいます」
「わかった。すぐ戻る」
俺は何としてでもこの事件を解決する。この恐ろしい事件を起こした人間は絶対に司法の裁きを受けさせる。罪には、正しい罰を与えなくてはいけない。
人間に乗り越えられない試練はないのだ。




